No.13
- 回答日時:
ずいぶん回答ありますね。
日本人だとすでにでた回答のように少ないですね。ちょっとかわりどころを。江戸幕府の徳川とまったく関係ないと思われる「徳川」氏をみました。うちと同じ霊園に「徳川家代々之墓」があり、墓石の裏には出身地が刻まれていて朝鮮でした。朝鮮にはもともと徳川という姓はないので、創始改名時か帰化時に日本風の苗字を付けるときに徳川にしたんでしょう。徳川(トクチョン)という地名(北朝鮮側)があるのでそこに由来しているのか?
あと徳川ときたら、今風の名前はつけられないですね。昔の武将のように漢字2文字で訓読みでないと。
徳川翔也とか、徳川愛菜とか・・・(実在してたらご容赦)だったらどうしても苗字負けしていまいます。
“仁川空港を「インチョンコンハン」と読むんだ!”・・・と韓国人の知り合いに聞いていたので「川」は「チョン」と読むのは知っていましたが「徳」はそのまま「トク」なんですね。
偶然だったのか?そこからとったのか?謎ですね。
回答ありがとうございました。m(._.)m
No.12
- 回答日時:
尾張徳川宗家の「徳川義崇」氏は高校の同級生でした。
性格はごく普通の高校生でしたけれど、手足がすらりと長く顔立ちはいかにも公家顔でした。
徳川家ともなると生活や婚姻も公家と似たようなものですから、環境によって特徴も出来てくるものだと実感できました。
参考URL:http://www.tokugawa.org/~toku/index.html
なんとなく自分の中では血の濃い人は低身長なイメージがありました。
皇族でも背の高い人ってあまりいませんし。
回答ありがとうございました。
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
簡単に言いますと、松平氏は、元々は三河地方の松平郷を支配する一豪族だったのですが、九代目当主の家康が23歳の時(1566年)に徳川という苗字に改めました。
以降、征夷大将軍と御三家(尾張・紀伊・水戸)の当主と御三卿(田安・一橋・清水)の当主だけが「徳川」を名乗ることができ、それ以外の人間は「松平」を名乗ることになりました。
そもそも、三河地方には松平家が本家・分家合わせて18系統ありました。
一般的にはこれを「十八松平」と呼びますが、家康はその本家格である安祥松平家の出身でした。
家康は、松平を統一し、三河地方の支配権を確立すると、朝廷に「三河守」の称号を申請します。
つまり、「一族と家臣団を統率し続けるためには、武力で支配しているというだけでなく、天皇からもきちんとした支配権のお墨付きが必要である」と考えたのです。
ところが、当時は「三河守」という称号は従五位下に相当する官職で、藤原氏や源氏などの伝統ある家の生まれの者しか任じられませんでしたので、任官を拒否されそうになりました。
そこで、家康は、「昔、藤原氏の一族であると名乗っていた得川氏」という系図を見つけてきて、そこに自分の名前を入れ、松平氏の系図に組み込んで申請し、許可を得ることに成功しました。
つまり、この段階で家康は「自分は、藤原氏の流れを汲む得川氏の末裔である」と称したのです。
ですから、この頃の家康の公文書への署名は本姓である「藤原家康」となっています。
やがて時代がくだり、家康が天下を取る頃になると、「得川は藤原氏だが、徳川は源氏の一族である」と称するようになります。
これは、家康が征夷大将軍を目指すにあたって、朝廷の慣例や過去の事例を学者に研究させ(有職故実)、「源氏でない者が、長らく征夷大将軍に任じられた例はない」と判断したためです。
そこで、「徳川は源氏一族である新田氏の系統である」と称するようになり、これ以降の公文書への署名は「源家康」となります。
「徳川」という苗字はあくまで、松平氏の中の家康だけが名乗ったものですので、その後を継いだ14代の将軍と御三家の当主だけが名乗ることになり、後に8代将軍吉宗の時に創設された御三卿の当主も名乗ることになります。
一般的に親藩と呼ばれるのは、御三家・御三卿以外の「松平家」を指しますが、家康以前から存在する十八松平は、江戸期以降は大半は旗本クラスでしたので、「徳川一門」とは言えないです。
前田、池田、黒田、蜂須賀、山内、島津、毛利、浅野、伊達の各家なども松平を称することが許されましたが、これらは一門ではないでしょう。
むしろ、
◆御家門(家康以降に将軍の兄弟などが創設した松平家=越前、会津、越智の各松平家)
◆御連枝(御三家の分家=美濃高須、陸奥梁川、川田久保、伊予西条、越前丹生、越前葛野、讃岐高松、陸奥守山、常陸府中、常陸宍戸の各松平家)
が「徳川一門」の扱いと考えていいでしょう。
ちなみに、5代将軍綱吉は館林藩主、6代綱豊は甲府藩主の出身ですが、やはり、将軍になる前は「松平」を称していたようです。
つまり、『徳川』は松平一族の中で、本家当主としての征夷大将軍(を継承する地位にある者=御三家・御三卿当主)だけが許される苗字」ということです。
この回答への補足
MUD-Waterさんにとっては簡単な説明でも私にとっては難しかったです(+_+)
とても詳しく解説してくださり感謝いたします。
m(._.)m
そもそも歴史がキライで授業もまともに耳に入らないような感じだったので、今更ココで質問をしてしまったのが自分でも不思議であります(^_^;)
NHKの大河ドラマなども数回前(滝沢秀明主演の義経あたりでしょうか?)から観るようになったくらいでして全然詳しくないのですが・・・・
年末の時代劇か何かで「徳川家は源氏の流れを汲む~」という部分を観てしまったので “松平の「平」は平家から来てるんじゃないの??”って思ったものです。
トンチンカンなことを書いてしまってたらスイマセン。(>_<)
No.9
- 回答日時:
「名乗らなかった理由」ですが。
これは、聞いた話ですから嘘かもしれなせん。明治時代になって、国民全員が名字を持つことになった。その時点で、元々名字を持っていた人(武家や神官、豪農など)はそれを名乗りますから、徳川はあり得ない。
次に、公然とは名乗らなくても、実は農家では「隠れた名字」や「屋号」を持っている場合が普通だったそうで、そうした人達は、それを名乗った。実は我が家は屋号をそのまま名字にした家です。
そうなると、最後は、ごく普通の町人(熊さん、八さんのレベル)が名字を付けることになります。この時、旦那寺の和尚さん、読み書きが自由で教養のある近所の人に適当に付けて貰った人もかなりいたそうです。その場合、いくら自由とは言え、「徳川」は遠慮して付けませんよね。例えば今、自由に名字が選べるとしても「三笠宮」だの「秋篠宮」だのとは、ちょっと付けにくいですものね。
また、自分で、お気に入りの名字を選ぶ人もいたようです。例えば、講談の主人公で「佐々木」だとか。が、「徳川」という名字を申請しようとすると、役人から「無礼者!」と怒られて受け付けてもらえなかったのだということです。
嘘かもしれませんが、ありそうな話でしょう?
確かにありそうな話です。
苗字を自由に選べるとしたら私の先祖ももっとかっこいい名前にすればよかったのに!っておもいます。(平凡などこにでもある苗字なので)
回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
中学校の歴史の授業で、先生から「苗字に徳の字が入る人は、ほとんどが徳川家に何らかの縁がある人だ」と教えて貰った記憶があります。
実はその先生は知らなかったのですが、下級生に「徳川さん」と言う女の子がいたので先生にそれを伝えると、「徳川家の末裔かもしれないね」と言っていました。でも本人に確認したわけじゃないので真実は判りません。皆さんの高度な回答に比べ、私のはただ「知ってる人にいたよ」くらいにしかなりませんね・・・。
苗字に「徳」の字が入る人というのも興味深いですよね。
徳川と関係があるんだろうか?って考えたことがあります。
回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
江戸時代以降の話は皆さんお書きのとおりだと思いますので、家康以前の話をしますと、
「徳川」は家康さんが作った苗字のようです。つまり、家康系とは別系の「徳川」さんはこの世にいないので、なおさら徳川を名乗る人が少ないのだと思われます。
私の読んだ本では、松平の家康さんが、源氏の系図を買った時、新田源氏系「得川」さんに自分の家系をくっつけて、字を改めて「徳川」にしたという話だったと記憶しています。
得川さんも珍しい(珍しいから、くっつけても抗議が来ないと思ってくっつけたらしい)と思いますが、どこかにいらっしゃるのでは。
No.6
- 回答日時:
「徳川」の苗字の人は現在でもいます。
ただし、人数が少ないです。人数が少ない理由は、江戸時代には徳川家康の子孫の中でも
「徳川」を名乗れたのは数人の限られた人間だけだったからです。
(通常、将軍の息子でも、「徳川」の苗字を持つのは嫡男一人だけでした。)
具体的には、将軍家とその次に権威のある御三家(尾張家・紀州家・水戸家)と
将軍になる資格を持つ御三卿(田安家・一橋家・清水家)の当主と嫡男のみでした。
この他に例外的に「徳川」を名乗る事が許された人が数人いましたが、
いずれも一代か二代で家が消滅しています。
つまり、御三卿が興された江戸時代中期以降には、その時その時に「徳川」を名乗っている者は、14人しかいない事になります。
このため、「徳川」の子供として生まれて「徳川」を名乗れない者は別の苗字を名乗りました。
ちなみに、その中で一番多くつけられたのが「松平」になります。
明治時代になって、この制約がなくなり多少「徳川」の苗字の方が増えたらしいのですが、
それでも、現在「徳川」の苗字の方は、将軍家と御三家・御三卿の7家の
幕末の時点の当主の子孫や後継の家系に限られます。
とっても解りやすい回答ありがとうございました。m(._.)m
NHKのアナウンサーに松平っていう中年男性がいて「徳川の流れを汲む人だ」と聞いたことはあったんです。
因みに暴れん坊将軍?やってた人は芸名らしいですね。
No.5
- 回答日時:
徳川家の末裔を訪ねるようなテレビ番組がありましたが、まあ、はっきり言って今の時代では「ただの人」ですね。
それにも出演していた、日本「紙」相撲協会の創業者かつ代表である徳川義幸氏は尾張徳川家の長男だそうです。
http://www.geocities.jp/goldandbook/kamizumou/
大の大人が紙相撲の土俵を指でトントン叩いている姿と、尾張徳川家の総領という立場のミスマッチさが、なんとも可笑しかったものです。
ちなみに最後の将軍慶喜はカメラマンに転職したそうですが、はっきり言って下手だったので、その道で名を残すこともなかったようです。
No.4
- 回答日時:
近代日本の歴史上で有名なのは公爵徳川家達(いえさと)でしょう。
第四代貴族院議長に就任したり、第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議で全権大使を務めるなどしています。シーメンス事件で山本権兵衛内閣が総辞職した際には後継首相に押されましたが、一族会議で反対されたので辞退したそうです。それと、これは芸名ですが、徳川夢声と言う方が昔いらっしゃいました。余談までに。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D% …
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