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日本における、日ユ同祖論の源流(だと個人的に思っている)『日本古代史の縮図』の著者、
 N・マクレオド(マックレオド?)について教えてください。

彼はいつ来日したのですか?
なぜ、ユダヤ人の風習に詳しかったのですか?(スコットランドの商人だったはず・・・)

うまく検索かけることができず、海外のサイトに飛んでしまうので、日本のサイトでお願いします。

A 回答 (4件)

どうにか日本語のサイトを見つけました。

↓の中ほどに「ノーマン・マクロード」として載っています。これによれば1867年に日本に来た事になっています。
http://www.geocities.jp/purplecactus12/texts/mak …

尚、スコットランドの国立図書館に、この人の本「Illustrations to the Epitome of the ancient history of Japan, including illustrations to the guide book」があるみたいです。↓のサイトで、McLeod, NormanをKeywordに検索すると見つかります。
http://www.nls.uk/collections/rarebooks/acquisit …
そこでの、Booksellerからの情報に基づく解説に「Little is known about the author, whose first name is thought to have been Norman. He has been variously described as a Scots businessman or a Scots missionary wo started his career in the herring industry.」とありますから、Normanという名前も「そう考えられている」だし、職業も「ビジネスマンか、宣教師かもわからない」って事です。

尚、ご参考までに申し上げると、最初に入れたリンク先にもあるように、聖書の記述と、戦前の日本の「日本人の起源はシュメール人だ。だから天皇はスメラミコトなのだ。(シュメール≒スメラ)」と同レベルの思いつきを元に、「○○は聖書での××の子孫だ。」と唱えるような説は、ヨーロッパにはかなり昔からあり、それがトンデモ説に過ぎないものとして位置づけられるようになったのは、近代的な歴史学が成立してからです。よって、『そういう説を唱えたのだから、ユダヤ人の風習に詳しかったはずだ』という事にはなりません。
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この回答へのお礼

早速のお返事ありがとうございます。(イヤ、ホントニハヤイデス・・アリガタシ)

なるほど・・・あんまりよく知られていない人物なのですね・・。(・・あたりまえか・・汗)
しかし、ファーストネームすらよくわからないとは、なかなか興味深い人物です。

伝統的な信教も信心も知らない、代表的な現代日本人の典型のような自分としては、例え神話の同胞でも(いやだからこそ?)探しに世界を駆け巡るのは、ロマンを感じます。
でも、それで戦争までやって欲しくないなあ・・・。と思ったり。

そういえば、
>と唱えるような説は、ヨーロッパにはかなり昔からあり
っていうのは、具体的にどこら辺のことだか教えてくださるとうれしいかったり・・・。

なんか、今、寝不足なので、変な文になってたらと、長文でごめんなさい。

お礼日時:2007/05/26 11:16

スコットランドに宗教リーダーがいて、後にオーストラリアに移住した人がいた。


その人の名が、norman macleod(1788-1866年)

http://www.amazon.co.jp/%E8%B6%85%E5%9B%B3%E8%AA …
【彼はこの考えを『日本古代史の縮図』という本にまとめ、一八七六年に長崎の出版社から英語で出版した[その日本語版は現在、たま出版から『天皇家とイスラエル十支族の真実』(高橋良典編)の名で出版されている]。】

先の人が死去した10年後に、同じ名前の人が出版している。
この同ユ論を最初に説いた人は日本に12年間いたことになっているので、同姓同名の別人ですね。


では、、、ってことで、もう一度もぐりなおし。


死にそうになった。笑
http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_McLeod
【Nicholas McLeod 1868 – 1889, in some accounts called Norman McLeod) 】


>彼はいつ来日したのですか?

1867年か8年。


>なぜ、ユダヤ人の風習に詳しかったのですか?

別の日ユ同祖論の本に彼が言ったことが書かれているのですが、
(それによると来日は1867年) 1872年第一回京都博覧会で、明治天皇と皇族の姿を見る機会を持ち、「その会場で、私はユダヤ系の顔をした人をたくさん見かけた
彼らの顔立ちはかつて私がヨーロッパで見たユダヤ人の顔をそっくりだった。・・・ 明治天皇の随行員は、全員がユダヤ人のかおつきをしていた。天皇の顔立ちは、ワルシャワとセント・ペテルスブルグの裕福なユダヤ人銀行家、エプシュタイン家の人々によく似ていた。若い伏見宮殿下は、お写真を拝見した限りでは、皇族の中でも一番ユダヤ的な顔立ちをしていた」と述べており、少なくとも彼はヨーロッパで上層階級のユダヤ人を見ていて、それで似ているって思ったんじゃないかと。

んーー 明治天皇の写真見ても、アラブ人っぽく見えないんですけどね。


確かに彼の主張は、やたらにユダヤ人の風習に詳しく、その観点から類似性を指摘しています。
どうしてか。
骨董品のディーラーをやっていたらしいです。
それで、日本の骨董品店で、長い巻きものに描かれた古い絵を手にいれた。
その絵には木材で縄をびばり会わせた大きなイカダの中央にすわっている神武天皇と王子達、また彼らを取り巻く兵士たちが描かれていた。
絵を見ると彼によれば、その王子達の身に着けていた鎧は、アッシリアかメディアのものとそっくりだった。
そして王子達は、「イスラエルの王たちが使ったような(エギゼル書16.10)じゅごんの毛皮の靴を履き、ペルシャの刀を腰に帯びていた」
「兵士達のうち何人かは古代イスラエルの一角獣型の槍を持ち、何人かはメディアの歩兵が手にしているような槍を持っている」
「日本の大弓が古代オリエントの弓と同じものであることは、スミスの有名な<図解聖書辞典>をみればわかる。この本に載っているイスラエルの弓は日本の弓とそっくりだ」など書いている。


ということで、骨董品を売買していたので、詳しかったわけですね。

この回答への補足

回答感謝です。

それで・・・なんですけど、上のアドレスのアマゾンの紹介に
『・・日本に古くから伝わる「ユニコーン」(一角獣)と古代イスラエルの・・』とか、
『彼は明治政府のために働きながら・・』とか、あるんですけど・・。

日本に古くから伝わる「ユニコーン」なんてありましたっけ・・?
骨董商の彼が、明治政府のためにした仕事っていったい・・・?

なんか気になっちゃったもので。

なんども死にそうにな目にあわせるようなので恐縮ですけど・・。もし宜しければ・・・・汗汗

もしこれを見た他の奇特な方がいらっしゃれば、どうか何とぞ宜しなに・・。

補足日時:2007/05/26 11:45
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もぐってきました。



その本を翻訳した人のサイトまで行って調べましたが、unicornに関する記述は見つからない。


意地や~!  再度 もぐってみました。
 

http://72.14.235.104/search?q=cache:xo7rYNcrl0oJ …

そこに絵がありますよね。 
左の麒麟風な生き物のことだと思うのですが。

じーーっ・・・ 角じゃなくて耳に見えますが。



ほかにこんなのも見つけましたが、ノーマンの本の影響を受けた主張かもしれません。
   ↓
http://www.geocities.jp/shimaguni_konjyo/column_ …



ちなみにモーセに角生えた像ありますよね。
   ↓
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-roma/photo-0 …

私が知っている情報では、なんだったか文字は忘れましたが、ヘブル語にある文字があるんですね。
(シンだったかな? 忘れた・・・)

その文字は語は <角> って意味です。
が、、、 古代へブル語は子音しかないという特徴を持つんですね。
それに母音をつけて発音する。

子音を見ただけで少なくとも3以上の語彙が選択肢として出てくるわけです。(母音のつけかたで違ってくるから)

宗教に詳しくないと、何を意味するかのイメージを間違えてしまい、間違えた母音をつけてしまって、意味が通らなくなってしまうという危険な言語。


で、、、、笑  ひっぱりましたが、この角を示す文字、光という意味もあるんです。


光 とするべきところを 角 って捕らえちゃうと、モーセに角を生やかすという致命的なミスを犯すことになる。
(といっても雄牛が生贄として使われたのかもなにか角と関係がありそうで、光と角が全く関係が無いわけじゃないですが関連があるので、一概には間違いだと主張できませんが。 
日本の鹿が神獣とされたのも、光と角の関係からかも。
西洋の宗教がに頭の上にワッカがありますが、下手すると角になったかもしれませんね。 悪魔と天使は神ひとえ。)




で、ユニコーンは想像上の動物ですが、もしかして本来は 光の動物とか光をもたらす動物とかだったのが、間違えて一角獣(文字が単数だった?)って思われたのかも。




もう一つ明治政府のために働いたかですね。

もぐってきます・・・・。

ぷはっ 無いです。 それらしきものが。

が、想像するに、第一回京都博覧会を開催するにあたり、骨董品ディーラーの彼も明治政府から博覧会の成功のための協力を要請されたってことじゃないでしょうか?

そうであれば、業者つながりで展示品を集めることが可能だったので、明治政府からお願いされたということで、何も不思議は無いです。


秘密裏に暗躍した工作員か? と一瞬思えますが、上に書いたような解釈でいいんじゃないかと。
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>>と唱えるような説は、ヨーロッパにはかなり昔からあり


>っていうのは、具体的にどこら辺のことだか教えてくださるとうれしいかったり・・・。

具体例は、前回の回答にアドレスを入れたサイトにある『イングランド人は真のヘブライ人』なんかもそうですが、他には、例えば、ローマ時代のゴール人(ケルト人)の言葉と、ウェールズ語、ブルターニュ語を結びつけた最初の学者であるPaul Yves Pezronは、1706年(但し英訳)の著書で「ケルト人の始祖は、旧約聖書にあるGomerである」と言っています。(因みに、Perzronによれば、古典古代のスパルタ人も、ケルト人から別れた事になっています。)

Pezronの説の現代的な意義は、ウェールズ語、ブルターニュ語と、古代のゴール人(orケルト人)の言葉を結びつけた事にあり、それ以外の部分は、現代から見れば「トンデモ」に近いものなので、あまり真面目に取り上げられる事がなく、日本語での資料を見つけるのは困難です。
英語でもよければ、参考URLをご覧下さい。

ただ、聖書の記述をそのまま歴史的な事実と考え、また考古学が未発達だった為に、聖書やギリシャローマの古典の文献しか、使えるものが無い、昔の人にとっては、Pezronのように、ある民族の始まりを聖書に求めるのは、トンデモでもなんでもなく、至極当り前の発想でした。そういうのが学問として「トンデモ」になったのは、実証的な歴史学が発展した19世紀ぐらいからですが、学問の領域外では、相変わらず長く残りました。(聖書を真実と考える人にとっては、今でもそうみたいです。例えば↓)
http://www.logos-ministries.org/old_b/gen10-13.h …

参考URL:http://www.stevequayle.com/Giants/Mid.East/Giant …
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