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源氏物語は、漢文で書かれていたと聞いたのですが、本当なんでしょうか?
では、枕草子は、かな文字で書かれていたのですか?それとも漢文で書かれていたのですか?

また、紀貫之が女のふりをして、かな文字で「土佐日記」を書いた時、あの時代で、男がかな文字を使うことは、社会的に認められたのですか?それとも、非難されたりしたのでしょうか?

A 回答 (3件)

■源氏物語・枕草子


作者の直筆が残っていないので、学問的には「でま」の一つでしょう。両作品ともに、一般には、漢字かな混じり文の写本が残されているだけです。作者は、両者とも漢学の才にたけていたことでも有名ですし、作品中には、その知識がちりばめられています。

■土佐日記
貫之の直筆がほぼ残っている作品なので、和漢どちらにも通じた文人が多々いたことを証明する貴重な資料だと思います。

漢文が基本の史書さておいて、物語や日記は漢字かな交じり文として発達したのはご存知のとおりです。例えば、古今集の序は二種類ありますね。真名も仮名もどちらも書けた人は多々いたはずです。また、使い分けができていれば、後ろ指をさされることはなかったと思います。
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「源氏物語」も「枕草子」も「土佐日記」も


漢字にかな混じりで書かれたとされています。(当時の写本からそうです)
かな文学といってもひらがなだけでないところがツボです。

また紀貫之の「土佐日記」は、
国司の任期を終えて京の都に帰るまでの55日の旅程を、女性の筆に託し、かな文字で書かれたものです。
なぜかなを使ったのかというと、次のような理由があります。
・公的身分から解放されて精神的自由を得たから。
・詳しい具体的な叙述のためにはかなの方がぴったり。よりたくさんの人にも読んでもらえる。
・歌日記的な内容を目指していたので、かな文の方がぴったり。
・自分自身を隠すため。どうせフィクションを狙っていたし。

「自分自身を隠す」とか言いつつ、
日記文学というのは誰かに読ませるのを前提に書かれていたので、
貫之が堂々と見せても、非難されたりはしなかったと思います。
ただ歌や漢文の才能は認められても、あまり出世はしなかったようですが…
まぁ、歌が詠めれば色男、の時代です。
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こんにちは、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、漢字ということは無いと思います。確かに万葉仮名で書きますので、「乎止己毛春止以不日記止以不物」>「をとこもすといふ日記といふ物」というように記述されています。ただ、これは日本語の発音と漢字を組み合わせた物です。これは、平安時代の書物はどれも同じです。

認められたかどうか?私も全く詳しくないのですが、紙が貴重品であった当時、記録は公の記録がおもな物でした。その公の記録はすべて漢文で書かれていました。ですので、あまり認められなかったのではないでしょうか?
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