プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

あなたは学校においての奉仕活動の義務化に賛成ですか?
そしてそれはなぜですか?あなたの考えをできれば詳しく
聞かせて下さい。
特に、奉仕活動に関わっている方や、公立学校の教師の方
などのご意見をお待ちしています。

A 回答 (13件中1~10件)

なんとなく宿題の臭いのする質問ですね…



どうも奉仕活動というと福祉以外はまったく無視されていますが、
例えばLinuxカーネルの開発だって、デバドラの開発だってボラン
ティアです。福祉活動以外のボランティアがまったく眼中にない
頭の硬直した連中の絵空事なんて駄目じゃないですか?
きっとテレホンカードの換金活動や、旧環境庁のやっていた通称
「緑の国勢調査」もボランティアじゃないなんていいかねない。
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某自治体の職員として、またボランティア活動を現在やっているものとしてひとこと。



反対です。
理由は明解。義務化されるようなものを奉仕活動とは言わないからです。
自発的に自分のできることを自分のできる範囲でやっていくのが、ボランティアであって、決して上からその内容や範囲を、ましてや意思を指示されるようなものではないと思います。

はっきり言ってもうやれる学校は独自に考えられてやってますし、できていないところでやる意思のない学校はどれだけ義務化しても無理でしょう。逆に下手な奉仕活動を子供に強制する方が怖いと思いませんか?

あくまで一個人としての意見ですが、反対です。
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//じだいどりーむ//です。


奉仕活動をボランティアと置き換えて回答します。
 
 ボランティア活動暦6年です。っていっても、何の自慢にもなりませんが。
一応、っていうか、間違いない大学生です。高校生の頃は、身体障害者施設
で、今は、教育機関でボランティア活動をしてます。

 今、教育機関で、ボランティア活動をさせる・・・動きがあるみたいですが、
それには、反対です。

 ボランティアとは、自発性が大切だと思うからです。

 僕は、今、ボランティアといいながらもお金ももらっていますし、交通費
ももらっています。ただ、金額はバイトほどじゃありませんが。また、
今、僕が行っている施設には、大学生及び専門学校生の実習生や、もちろん、
ボランティア新入生も来ています。
 ボランティアは、お金をもらわない、社会の役に立つ、自分のできる範囲内
で行う、、というのが定説ですが、その考え方もいまいち、納得できません。

 僕が考えるボランティア像はただただ自発性で、自発性があれば、たいていの
事は一生懸命行うし、それが社会の役に立つことへつながると思うからです。

 教育機関でのボラの場合、自発性のない参加者が増大することが予想されます。
自発性のないボラは、本人が面白くないだけでなく、その施設職員、或いは
その施設入所者(利用者)の迷惑にもなります。

 ボラを続けてきた僕にとって、自発性のないボラ参加者はボラのイメージを阻害
しかねませんので、教育機関なのので、強制的なボラ活動には反対です。どちらか
といえば、自動車免許停止中の人が行う奉仕活動も、ボラとは言って欲しくありま
せん。「タダ働き」という表現に変えて欲しいくらいです。

 もし、世の中には、身体の不自由な人もいるのよ・・程度の事であれば、
施設見学程度にとどめるべきだと思います。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=28572
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私は教育学部に通っているものです。


結論から言えば、私は反対です。
奉仕活動やボランティアなんて、自発的にやるからそう呼ぶのであって・・・。ボランティアをしている側から言えば、やる気がない人に来てもらってはかえって迷惑。
どうしても義務化にさせたいなら、奉仕活動そのものでなくて、奉仕活動を自ら進んで考え実行する心を養うような授業等をするべきで、何にも無いうちから「ごみ拾うぞ」なんていわれても「何でしなきゃいけないの?」となるだけ。なぜ、それをする必要があるのか、どういう意義があるのかの学習を義務化にするべきだと思います。
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僕は反対です。

だって,義務化したら奉仕ではなくなると思うから。奉仕というのは自らすることであって,「しなさい」といわれてやることではないと思う。
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反対意見が多い様なのであえて賛成の意見を!


人間の考え方行動を考えると最初は見習う事から始めます。
そう言う意味で、奉仕活動のあり方、考え方を教えると言う意味で
賛成です。
そして、残忍ながらこの教育を家庭や、社会に期待する事は今の状況では
出来ません。
そこに学校での教育の一環の中で教える意味があると思います。
(残念ながら大人を含めて奉仕活動を多くの人がキチント理解しているとは思えません。)
少なくとも数年後、日本にも奉仕活動が根付くことを期待しています。
ただし、そのプログラムがどういった物なのかが分かりませんのでその点は
少々心配しています。
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私は反対です。


理由については、みなさん述べられている通り、奉仕活動は自発的にやるものであって、義務化によって人に強制させるものではないからです。そんなことをやっても、「何故こんなことをしなければならないのか。」といった不平不満が出るのが関の山で、奉仕活動やったことで得る充実感は得られないと思うからです。
それに、まともな考えを持つ人間ならば、奉仕活動を義務化するなどといったことはせずに、奉仕活動をしようと考えるような人間育成をすることを考えるべきです。こんなことを考える前に、まず自分が率先して奉仕活動を行うべきでしょう。

ちなみに、私は奉仕活動の経験がありますが、見知らぬ人から「ありがとう。」と感謝されたり、「頑張ってね。」と一声かけられただけで、やって良かったと感じ、それまでの疲れも吹っ飛んでしまいました。
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反対と賛成の中間です。


反対的に言うと、奉仕活動は義務ではなく、自発的にやるものだからです。
学校行事の一環として空き缶回収など地域に貢献するというのは結果的に
町の人に好感を持たれますからいいという人もいるけど
要は「何故しなければならないのか」という問題なんです。
ただ、やっているだけという人間がかなり多いでしょうから。

賛成的に言うなら、
嫌々ながらやって怪我の功名として何かを得る事はあるかも知れないなという事です。何もしないよりかは漠然とやっていても得るものは何かあるんじゃないかなといったところが正直な私の意見です。

しかし、高齢者福祉サ-ビスの奉仕活動義務化は絶対反対です。
人間に対して介護などを行うのに義務だから仕方なくやるというのは
その人に対して非常に失礼だからです。

以上、大学生の意見でした。
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私も反対なんですが、皆さんとはいささかニュアンスが異なります。


まずもって義務化された行為がボランティア(自発的行為)ではない
ということは皆さんご指摘のとおり自明です。私が違和感をもつのは
さらにその先にあります。

奉仕というのは自発的であれ、要は「尽くす」ということですよね。
いわば自己犠牲の精神に支えられているわけです。私は他者(社会)
と積極的に関わっていくこと、あるいは互いに扶け合っていくこと
はもっと積極的・肯定的に捉えられてもいいと考えています。ボラ
ンティアというからには「尽くす」のではなく、自らが「学んだり」
あるいは「喜びを分かち合う」ものであって欲しいと思います。
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 この問題はただの「言葉」の問題という側面もあると思います。名称が「奉仕活動」とあるから問題となってしまうのであって、「社会学習」「体験型学習」などの別の名称であれば問題ない気がするからです。

 皆さんのおっしゃるとおり「自発的」であるからこそ「奉仕」と呼べるのであり、「義務的な奉仕」と言う時点ですでに意味が矛盾していて、日本語を為していない気がします。

 しかし何より大事な事は、学校の授業を通して、学生達がそのような体験学習をするチャンスができた事だと思います。

 このままの名称ですと、実際に奉仕活動をされている方にとっては誤解を招いて迷惑だ、等の問題もあるかとは思いますが、名称にこだわりすぎるあまり、この活動自体がなくなってしまわない事を願います。
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