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こんにちは。高校で日本史Bを学んでいるものです。
歴史カテゴリーか経済カテゴリーかで迷ったのですが、明治時代の貨幣について質問したいと思います。

1、「日本銀行は1885年に正貨と不換紙幣の価値がほとんど同じになった時、銀兌換紙幣を発行した。」とあるのですが、どうして日銀は正貨と不換紙幣の価値が同じになった時に銀兌換紙幣を発行したのでしょうか?

2、1872年の国立銀行条例の際にできた銀行は、兌換紙幣を発行しましたよね。この時代、不換紙幣やら、兌換紙幣やらがごちゃ混ぜになって流通していたのでしょうか?それなら、その紙幣を使う人々は混乱しなかったのでしょうか?

3、「1886年に日本銀行は政府紙幣も銀と兌換するようになったのです。」とありますが、政府紙幣とは何なのでしょうか?不換紙幣とは別なのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

カテは歴史です。



貨幣の問題ではなく、政府の財政から考えて下さい。
政治、国内問題、国民の問題と捉えておきましょう。

紙幣の問題は、大きな日本の問題を伏線にしている事が多く、
ここを聞いて来る場合が多いです。

西南戦争での戦費調達の為に政府は紙幣を乱発します。
その為にインフレが起きています。
不換紙幣の整理にメドが付いた政府は(インフレーションの問題解決)兌換紙幣の発行に踏み切ります。

銀本位制度から金本位制度へ移行したにあたっては、相当詳しく調べるべきだと思います。
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詳しい学習のためには、教科書や学校配布の資料だけ読んでいても、理解しにくいこともあるでしょう。

図書館や書店を利用しましょう。インターネットを使えるなら、なぜ日銀のサイトでお調べにならないのですか。

日本銀行金融研究所 - わが国の貨幣史
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history.htm
日本銀行金融研究所 - 『金融研究』巻頭エッセイ
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra.htm

以上を読めばご質問の答は分かるはずですが、読んでも分からないという場合のために、下手な解説を書いておきます……。

1. 「1885年に正貨と不換紙幣の価値がほとんど同じになった」とは、インフレなどがひとまず収まったという意味でしょう。明治初期、不換紙幣が乱発されたことがあり、その後、金融情勢が一旦安定するのを待って、日銀券発行のタイミングとしたわけです。
また、金兌換ではなく銀兌換としたのは、銀の保有量に余裕があったためです。建前としては金本位制だったのですが、外国から銀が大量に流入して金が流出し、実質的に金銀複本位制になっていました。

2. 「1872年の国立銀行条例の際にできた銀行」は、実は民間銀行でした。その民間銀行に紙幣を発行させるのですから、保証が必要です。政府は銀行に、紙幣発行の裏付けとなる正貨(金銀貨)の保有を義務付けました。したがって、兌換紙幣となります(ただし、のちには不換紙幣化した)。
一方、日本政府自体は、大量の紙幣発行の裏付けとなるほどの金を保有していなかったので、政府紙幣(の多く)は不換紙幣です。不換でも、「政府発行」という信用で次第に流通するようになりました。
「この時代、不換紙幣やら、兌換紙幣やらがごちゃ混ぜになって流通していた」ため、「その紙幣を使う人々は混乱」することもありました。

3. 「政府紙幣」とは、日銀が発足する前に日本政府が発行していた紙幣のことです。多くは不換紙幣ですが、兌換紙幣もありました。
明治初期には日銀が存在しませんでした。誕生した日銀は、紙幣を発行する唯一の機関となり、政府紙幣や国立銀行紙幣は新規発行停止になって、徐々に日銀券に交換されていきました。
なお、「1886年に日本銀行は政府紙幣も銀と兌換するようになった」のは、政府紙幣が一気に日銀券と交換されるのを回避するためと思われます。日銀券は兌換なのに、政府紙幣が不換のままでは、人々は政府紙幣すべてを一気に日銀券と交換したくなります。しかし、それでは日本政府の能力を超えてしまいます。政府紙幣はかつて乱発されたこともあって、総額が大きいからです。そこで、人々がしばらくは政府紙幣を持っていても不利にならないように、政府紙幣も銀と兌換できることを保証したのでしょう。政府紙幣、国立銀行紙幣の通用が停止されたのは、1899年(明治32年)のことです。
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