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英語の必修化について皆さんはどのような意見をお持ちですか?

僕は反対ですね いくら英語のやる時期を早めても英語なんて日本で
ペラペラになるのは不可能だし 日常会話程度なら中学でやっている英語でも十分だと思うからです

できれば皆さんの賛否両論をお聞かせください!!!!

A 回答 (11件中1~10件)

バイリンガルの英語がそれほどのものではない(もちろんちゃんとした人も中にはいる)ことは外資系企業などではほとんど常識化しています。

それと、バイリンガル度が高ければ高いほど日本社会に馴染めないことが私が直接見てきた中でもいえます。社会的に浮きやすいですね。言葉が違うと思考や行動まで違います。
われわれが想像するバイリンガルがいかに稀有な存在かは以下の書籍に詳述・検証されていますが、残念ながら絶版のようで、図書館などで探してみてください。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062570114/

幸か不幸か、私は公私でいろいろな国に行き、いろいろな民族の英語を聴いてきました。発音にしても表現にしても英米でさえかなり違い、彼らの間ではそのままでは意思疎通がはかれないことはよく知られた事実です。英語の基準はどこにあるのか最近の私はさっぱりわからなくなってしまいましたが、中国人や韓国人の発音だけはほんとにわかりません(欧米人にもわからなかったので、私の耳の問題ではない)。日本人の会話は音はさほど癖のない方で(英米ネイティブも割りとそういいます)、ただ、抑揚やリズムがなさ過ぎるので感情などがなかなかわからないということです。
英語は国際語として広まった分、各地の英語ができてしまったといっていいでしょう。昔はダメと言われたサラリーマンも今は逆輸入で米国などでも普通に使われるようになってきています。

私は中学からでいいと思います。それよりちゃんとした日本語を教えて、古典にもなれさせておいた方がいいでしょう(有名な数学者の藤原正彦氏も同様のことを言っていたと思います)。海外に仕事でいくと必ず日本文化、それもときにはかなりディープなものをきかれます。源氏物語はどんな内容なんでしょうか?なんてこともあります。
それとこれも絶版ですが、国弘さん始め達人たちは皆中学からです。問題は努力するかしないかです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4887240848/
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多くの方がこの問題については否定的なことを承知しています。

確かに今の教育環境のまま、直ちに小学生の英語を必修化することは次のような理由で無理があると思います。
1)先生の負担がきつすぎること
 「ゆとり教育」の見直しで授業時間数が増え、又授業以外の生徒の管理、授業の準備、総務的な仕事などに費やす時間の中で、新たな教科の導入は極めて負担が重い。又小学校では、専科制を取らず、どんな教科も教えなければならないので、英語が苦手な先生には頭が痛いし、生徒も迷惑。
2)英語も効果的な教育法が確立していないし、何よりも英語を効果的に教えられる人材が不足している。
3)折角英語を勉強しても、今の日本社会では、常日頃から英語を使う環境になっていないので、訓練、利用する機会が限られ、活用されにくい。

それでも、私はANo.7の方と同様、限定的にではありますが、小学校での英語の導入に賛成します。
その理由は、何と言っても、言語にその音声で親しみ、習熟するには、子供の時のある時期(幼時でも早すぎるし、中高では遅い。つまり小学校時代)に限られていると信じるからです。勿論文法や高度な読解をするには、年齢が高くなって始めても十分間に合いますが、あの日本語と全く違う音声に慣れるには小学校時代が必須だと思います。ですからANo.7の方と同様、音声に特化して音楽のようにその洗礼を受け、他のこと(読解、文法、日本語に訳させることなど)は原則しなくてもよいと思います。小学校時代に誰にも負けない発音を手に入れた自信は大きいと思います。それがやがて中学校以降の本格的な勉強につながっていき、コミュニケーションの達人に育てていくという準備段階になると思います。
あなたも、帰国子女の英語の発音を聞いてびっくりした経験はありませんか?いくら悔しがっても、あの発音を得るには、若い時の習熟が必須なのです。日本には日本の英語があるなどと粋がっていても仕方がないのです。
勿論日本人ですから、日本語が優先することはわかりますが、英語を学んだから日本語の習得に悪影響が出るというのは、責任転嫁であり、日本語は日本語でしっかり勉強すればよいのだと思います。

又、英語を勉強しても結局英語を使うチャンスはそうないし、そう簡単にうまくなれないから無駄だという意見も根強いようですが、それはきついことを言えば、自ら求めないからそうなっているだけであり、例えば本(文献)一つとって見ても、何か調べるとき、日本語の本だけでは十分調べられないこともあり、どうしても外国文献にあたる必要のあることも多いと思います。このような時に英語に抵抗がないということは強みであり、情報の受け皿が飛躍的に広がったことになるのではないかと思います。

小学校時代にオーラルな英語に触れるには、やはり外国人、日本人を問わず、ネイティブ級の教師の人材の確保が必要だと思います。速やかに小学校英語教師の資格試験を創設し、年齢や職業の制限を廃して、有為な人材を集める必要があると思います。

それでも物理的に全部の小学校にこうした人材を配置することは難しいと思いますので、当初は実験校だけに配置し、公立でも希望者には、ある程度の越境を許して通わせるようにしたらと思います。
希望者が増えれば徐々に実験校の枠を広げるとか、公立でも英語に関しては追加授業料を取るとかすればいいのではないでしょうか?
やがて、社会の認識や受け入れ態勢が整い、20年位立てば、全小学校に導入することになっていくのではないでしょうか。

尚、これとほとんど同じ質問が前にあり、私を含め多くの方が回答しましたが、「質問&回答」から逸脱して、意見交換になっており、利用規定に違反するとの理由で、全部削除になってしまったことがあります。そうなる前に、そろそろ締め切った方がいいと思いますが・・・。
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#7です。


投稿した後で、改めて自分の回答と質問者様の質問を読み返してみると大切なことを書き忘れていることに気がつきました。
英語を勉強する目的です。何のためにそこまでして英語を学ぶのでしょうか。
私はやはり人間としての豊かさ、広がりに差がでてくるだろうと思っています。今現在の日本での生活を考えるならば確かに質問者様のおっしゃるように、中学英語でも十分だ、といことはいえるかもしれません。
しかし、もっと広く、また将来を考える時、やはり英語を自由に操れるということはいろいろな所で個人の喜びや成長の可能性を大きくしてくれます。
前述の姉妹たちは映画も本もそれぞれの国の原語で楽しみます。やはりそのほうが面白いからだと言います。私は英語が出来ないのですがニューヨークに行ってブロードウエイを見た時、その面白さを理解できず、とても悔しい思いをしたことがあります。
また別の側面ではインターネットのコンテンツの主要なものは英語によって表現されたものが多いというのも事実ですしこの傾向は今後も加速することはあっても減ることはないでしょう。つまり今後の世の中を生きていく根源的な力、「情報」の獲得手段において圧倒的な差が生じます。力は仕事のためだけではなく、豊かに生きる力をも意味します。
次の世代の子供達はいやおうなくこの情報化社会、グローバル社会の中で生きていかなくてはなりません。何年勉強しても映画一つ、ミュージカルひとつ楽しめないようでは人生の喜びの何割かに目をつむることになりかねないのです。
 小さいころに日本語にはない母音や子音をはっきり刻みこんでおきさえすれば読み書きの勉強は母国語でのアイデンティティーが固まったあとで十分です。しかし早くに身に付けた耳と口をもってすればより早く有効的に次の世界を生きる喜びを見つけていくことが出来ると信じているのです。
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こんにちは。

中級レベルの学習者です。

個人的には質問者さんと同じく「中学レベルの英語を使った会話なら、教え方を変えて10代前半からやれば十分じゃないか?」と思うのですが、
しかしフィンランドなんかを見ていると小学生からやっているみたいですし、
実際、若い人は英語が上手ですし、
最近は、いいのか悪いのか分からなくなりました。

※フィンランドと日本では生活環境や国の状況が違うんだと思いますけど。

ちょっと話が違うのですが、この間、小さい子に英語を教える話を見ました。
個人差があるんだなあと大変興味深かったです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3459514.html


小さい頃英会話教室に通わされて今は英語が嫌いで喋れもしない人を知っていますし、
逆に子供の頃から英語を習っていて、外大に行って、アメリカ留学して、日本企業に就職し、
後に外資系企業に転職した人も知ってます。
作家の村上春樹氏は30代になるまで海外に出たことなかったですが、翻訳してます
(昔はそういう翻訳者も多かったんじゃないかな?)。
彼は英語で人に対してインタビューもするし、自分がインタビューに答えることもあるようです。
アメリカで講演したり、学生に授業をしたりもしている。
どっちにしても、個人差があることは前提にしないとイケマセンね。

それと、小学校から英語をやるにしても、
教えられる先生が足りないみたいですね。
文科省から丸投げでは、先生も可哀想みたい。。。
学校で間違って教えているケースもあるんだそうです。これだと「受験英語」にすら逆効果。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%B1%E3%81%86%E3%81 …

文科省としては指針があるようですが。
http://www.eigokyoikunews.com/announce/2004/inde …
うーん、このとおりにしたいなら、やはり継続と積み重ねが必要で、苦労ナシにラクラク♪ではないと思います(苦笑)
英語ゲームや英語遊びレベルでは、ダメなわけでしょう・・・・。

◎中学校卒業段階:挨拶や応対、身近な暮らしに関わる話題などについて平易なコミュニケーションができる
(卒業者の平均が実用英語技能検定(英検)3級程度)

◎高等学校卒業段階:日常的な話題について通常のコミュニケーションができる
(卒業者の平均が英検準2級~2級程度)

私、いちおう準1級ですけど、会話が下手なもので、平易なコミュニケーションしかできません。
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私の知っている姉妹の実例から私の考えを延べさせていただきます。


結論的には「限定的範囲において導入してもいいだろう」。です。
限定的というのは、小学校低学年では英語といってもただ音を聞きこと、音を出してみることに専念するに止めるというものです。
読み書きは一切しなくてもいいくらいです。

その姉妹の2人のうち長女の方はは小学校4年、次女は幼稚園年長から父親の仕事に伴い4年間海外に移住し、英語を始めました。。
長女は日本にいる頃から本が好きで圧倒的な読書量を持っていましたから、その日本語能力をベースに驚異的な速さで英語をマスターし、3年目には全米の上位0.5%以内の成績を収めるまでなりました。しかしすでに日本語の耳と口が出来上がっていたため、発音はまったくだめなようです。
一方次女は、幼稚園児からですからまだ日本語もできません。英日辞書すら引けないのでアイデンティティも混乱してしまい、英語としての上達は非常に遅いものでした。日本語の上達も遅れました。その代わり耳と発音は抜群です。

基本的には上気長女の例のように一つの言語体系を完全に理解してから第2外国語に移るるほうが効率もよいし、またそう在るべきだと思います。しかし一方で上気次女の例からわかるように発音の問題から考えるとこれはやはり低学年の間でなければうまくなりません。
 世界にはいろいろな国がありその国独特の英語発音もありますから、完全にネイティヴになる必要はないというのも事実ですが、耳を鍛え、発音の基礎を持てるくらいの範囲に限っては早期教育もしておいて損はないというのが結論です。
実は私の身内の一人が小学校での英語導入へ向けて旗をふる立場にあります。いつもこの例を話しして、母国語教育の重要性と早期教育での問題点を伝えています。
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アメリカに住んで40年目になりました。

 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います。

このカテで6年ほど書いていますが私の考えはいまだに変わっていませんし私の書くことに違いはほとんどありません。

日本で高校卒業生のほとんどが英語を使えないという事実があるにもかかわらず、英語が分からないと訴えているのに自動的に進級を中学から高校卒業まで続けているということを知っていれば教育方法に間違いがあると言うことは明白です。 日本人が馬鹿であると言うことではないのです。

しゃべれない人が英語を教え自分を英語教師と呼んでいることすらおかしいのです。 教えられない教師が教えようとしている事実を黙認して、小学生から教えようとするのは愚の骨頂と言えることです。

しゃべることが出来ないからALTを雇う??? ちょっと待てえな、と言った人は日本にどれだけいるでしょうか。

中学一年から英語を使えるように教えればいいだけのことです。 そんなに難しいことではないはずなのです。 しかし、中学で生徒に基本的な土台となる英語力を付けさせることの出来る教師があまりにも少ないと言う事実がありながら小学生から教えると言うは中学での教師の「質を上げる」と言う事はまったく考えていないと言うことでありここ40年まったくといっていいくらい同じレベルの低い教育方法をしてきたと言う事なのです。

英語で遊ぼうよ、と言う幼稚園児の子守を考えているようではどうしようもないと言うのが現実としかいえないでしょう。

参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
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英語がそんなに必要か?と思います。


言葉は、道具でしかないのにステータスみたいになっている現状では、本来の意味を成していないように感じます。
私は日本にいて、フィリピン人、ブラジル人、中国人と出会い、やっとアメリカ人に最近出会いました。まったく英語は役に立ちませんでした。
以前、英会話の学校に行ったことがあります。終わった後に、お茶に誘ったのですが、参加する人は少なかったです。社交的な人はすくなく、英語をしゃべれるとカッコイイのでやっているって感じでした。
こんな人が、いくら英語をしゃべることができても、自分から進んでいくような人ではないので、英語が活用できん機会は少ないのではないかと思いました。
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なんで小学校から英語をやるかというと、


一部の親は子供を英会話学校に通わせるが、他の親は通わせず、中学に入ったときに英語をすでにやってる子とやってない子との格差ができて、英語の授業がやりにくくなるからだそうです。
確かに、日常会話程度なら中学からで十分、というより、そのくらいなら大人になってからでも十分ではあるんですけどね。
あと、小学校からはじめても、中学からはじめても、数年たてば差はなくなると思います。小学生のときから英語教室行ってた子が、中学で初めて英語習った子にどんどん追い越されるのを現実に見てます。
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質問の趣旨とは少しズレると思いますが、英語以前に学校のシステムを変えた方がいいと思います。

というのは、現在の小学6年は長過ぎると思います。というのは、高学年になると緊張感がなくなってダラける生徒が多いんですよね。そして 逆に中学3年は短過ぎると思うんです。というのは、思春期の多感な時期は もっとじっくり生徒の成長と付き合った方がいいと思うんです。そこで小学5年、中学4年にすると配分的にも丁度いいと思います。それに伴い、現在の教育漢字を新制の小学校卒業まで覚えます。少し詰め込み過ぎと思うかもしれませんが、現在は常用漢字約2000のうち、小学校で教育漢字の約1000字、中学校で残りの常用漢字 約1000字を覚えるので これも配分的にはバランスが取れていると思います。それと、国語も現在の文学偏重から、もっとコミュニケーションの要素を視野に入れるべきです。例えば、敬語の使い方とか詳しいことは 高校の選択授業である「国語表現」で教わるんですが、こんなのは 小学校のうちに習うべきでしょう。
それで、問題の英語ですが、この制度を導入して中学校から英語を教えれば 現在よりも英語の学習開始が1年早まることになります。そして、昔の英語週4コマを復活させ、中学校を終えるまで 仮定法や分詞構文も覚えるようにします。特に仮定法や分詞構文は日常会話でもよく使うので、ここまで習って英語の初級文法をようやく終えたと言えます。ただ、矛盾しているようですが、仮定法や分詞構文にしても むやみやたらに文法用語を振り回すのではなく、教える側の工夫も必要ですね。
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何度も書いていますが。

子供に外国語を早い時期から教えるのは
百害あるだけです。まず日本語をしっかり教育すべきです。
日本人のうち英語で仕事をしているひとはほんの数パーセントで
す。そういう人は海外での生活経験もあり実務でのビジネス英語
の教育もきちんとしています。
一般の日本人は英語などほとんど使いません。
英語が一種のファッションならとやかくはいいませんが、教育は
別です。
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