時代劇が好きでよく見るのですが、中には素人が考えても 「こんな時代に、それはないだろう」 と感じるシーンも多いです。

まず 「暴れん坊将軍」 のタイトルシーンに江戸城の天守閣が背景として映りますが、吉宗の時代には天守閣は大火で焼失していたはずなので、これは嘘だと思います。

それとか既婚女性のお歯黒ですね。 本当は真っ黒だったはずです。

遠山の金さんなんて、町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に入っていたなんて、実際にはとても思えませんね。 ま、これはフィクションですから大嘘と言うのはかわいそうかも知れませんが ・・

あと、このカテでも西部劇で主人公が馬に乗って荒原を旅するシーンがありますが、実際には馬1頭で旅する事なんてあり得ず、予備の馬を必ず連れて行ったはずと聞きました。

時代や洋の東西を問わないで結構ですので、時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?

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A 回答 (43件中1~10件)

また失礼します。

m(__)m。鉄漿(おはぐろ:お歯黒)一考。

元々、お歯黒は虫歯対策でした。
今は歯医者でエアートームという「うぃ~ん」って音がする忌み嫌われてる機械の出現で虫歯で死ぬ人はいませんが、あの機械が出現するまで、虫歯は命に関わる病気でした。
虫歯を放置すると歯の根元で化膿し、そこから虫歯菌が血液に進入、全身の血液が化膿してしまう敗血症という恐ろしい病気で死亡します。
今でも敗血症は起こってしまえば即命に関わる恐ろしい病気です。

虫歯になったら、麻酔やエアトームのなかった頃はまだ歯がペンチなどで掴める状態の時に力づくで引き抜く以外に治療法が無かったのです。

このために、虫歯を予防する方法として、お歯黒が開発されました。
女性は妊娠により赤ちゃんにカルシウムを取られて虫歯になりやすいので既婚女性に真っ先に普及したわけです。
また優雅な生活をしていた公家なども、甘いものを一杯食べられるので虫歯になりやすく、お歯黒が普及し、それぞれ既婚女性の、あるいは公家のステータスシンボルみたくなりました。

これが映画で見られなくなったのは、戦後、テレビで時代劇が放映され始めた初期です。
歯磨きが普及し、お歯黒を知らない世代が増えた影響でしょうか「歯が黒いと気持ち悪い」という抗議が殺到したのだそうです。
それで「明らかに間違えなのだけど」お歯黒を入れるのを止めたそうです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
とても、とても勉強になりました。
お歯黒って単なる風習のように考えていたのですが、実はそんな医学的な裏付けがあったんですねえ。
虫歯で死ぬ人もいた ・・ 歯くらいでと、つい思ってしまいますが、当時はそんなに怖かった時代なんですね。
考えると西洋にお歯黒なんて無かったでしょうから、彼らは虫歯対策にどんな事をしていたんでしょうね。 もしかして日本が世界で最新の虫歯対策をしていたと言えるかも知れませんね。

お礼日時:2007/11/12 11:30

度々すみません。



>でも実際には十両盗めば首が飛ぶと表現されていますから、厳罰主義が徹底して、とても治安の良い時代だったんでしょうね。

江戸時代が現代に比べてずっと犯罪が少なかった理由についてですが…

確かに厳罰主義や罪の連座制ということもあったでしょうね。あと江戸期の人々の義理人情とモラルが、現代人より遥かに高かったこと…これは大きいと思います。
江戸期は庶民でも寺子屋等で普通に教育を受け、識字率は当時の西洋以上。何を学んでいたかといえば儒教イデオロギーに基づいたお道徳。「誰も見ていなくてもお天道様が見ている」し、「人として恥ずべきこと」をすれば世間様から「笑われる」から悪事はできぬ。さらに信心深い人なら「バチがあたる」「後生に障る」と武士階級なら「ご先祖様に顔向けできぬ」が加わるなど、様々な道徳的・美学的・宗教的制約が人々を律していた。
ことに恥の文化といわれるように当時の人は「笑われる」のを何より恐れていたようで、司馬遼太郎氏によると、例えば金を借りる際『もし返せぬ時はお笑い下さい』と証文に一筆記せばりっぱな「質」として通ったといいます。またある町人の幼童が大人になったら侍になりたいと無邪気な夢を語ると、遊び仲間の子供たちにドッと笑われた。子供といえども笑われるというのは致命的なことで、その少年は恥をそそぐため必死に学問をして武士に取り立てられた…という実在の人物も紹介しています。

大航海時代の船乗りたちの間では「日本人と出会ったら決して笑うな。日本人は笑われると怒ってカタンナという剣を振りまわして襲いかかってくるそうだ」と噂されていた(爆笑)といいますから戦国期の人も笑われるのキライだったみたいですね。

当時驚くほど少ない警察力で大都会の治安が守られていたのは、この恥の意識に負うところ大じゃないですかね。神仏への畏れも武士道倫理も失い、恥の意識もだいぶ希薄となった現代日本の社会的荒廃と対照的です。いま私たちが金融会社に行き「返せなきゃ笑っていいから貸せ」なんて言えば、その場で笑われるか通報されますからね。

あとこれはよく言われることなのでご存知かもしれませんが、切捨て御免という武士の特権は有名無実でしたよね。武士が百姓町人を斬れば理由の如何を問わず、まず武士が罰せられる。本人の切腹だけで済めばよいが悪くすりゃ家の断絶でしょう。それを知っているゴロツキ町人などはわざと武士を愚弄し「斬れるもんなら斬ってみやがれい」とイキがっていたとか(←いつの世にもこういうカスはいる) 実際問題、人斬り包丁を二本差した連中がやたらと無礼打ちなんかしてたら社会の秩序は崩壊しますから、武士は黙って耐えるしかない。
それに切腹も扇腹といって実際に腹を斬らぬ儀式になり、武士が軟弱化した世にあっては、武士にとっても流血は異様なことで、有名な首切り浅右衛門でさえ罪人を斬った晩は酒浸りになったそうですから相当な精神的ダメージを受けてたんでしょうね。(ちなみに江戸期に行われた武士同士の果し合いは何時間もかかったのが普通で、チョコチョコ手傷をつけあって先に疲労と出血多量で死んだ方が負け、みたいな内容が多かったというリアルげな話も何かで読んだんですが、実際どうだったんですかね?本当だとしたら中山安兵衛の高田馬場の決闘はすごいですね。十八人斬りはウソでしょうが、仮に二~三人だったとしてもすごいですよ)

このように幕府の御政道は大抵建前と本音があり、「建前いいけど実際ダメ」とか「原則ダメだけど目をつむってあげる」なことすごく多かったみたいで、例えば関所だって手形なきゃ絶対通れなかったイメージありますが、実際には手形を持たぬ通行人でも役人が見て無害と判断すれば、「ならぬならぬ!関所を何と心得ておるか!」とわざとらしく怒りながら、通行人が行きたい方向へ背中を「押し返し」て通してくれたそうですよ。こういう日本的体質って現代にもありますよね。憲法で禁止されてるけど、現実にはそりゃあんまりだから軍隊と呼ばなきゃ戦力保持してもいいじゃん…とか。ならさっさと憲法変えりゃ済むのにこういうところは国民も幕府的(笑)。ソープやパチンコの換金だって法的きわどいけど、まあええじゃろ的なお上のお目こぼし要素じゃありません?

この回答への補足

皆様のお陰で、大変歴史の勉強をさせて頂きました。
改めて御礼申し上げます。
どのご回答も素晴らしい内容でしたので、特定の方にポイントを差し上げるというのは、他の方に失礼になるような気がして大変恐縮なのですが、江戸時代には炊飯を1回しかしなかったという5番目の aruchan2615 様と、お歯黒の本当の意味を教えて頂いた35番目の mvevesonly 様のご回答は大変勉強になりましたので、ポイントを差し上げたいと思います。
どうかご理解、お願いします。

補足日時:2007/11/14 15:34
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この回答へのお礼

いや~、面白いお話、有難うございました。
まず今のイメージでは、江戸の町は厳罰主義でいたからこそ、少ない同心で治安が保たれていたというのが多いと思います。
でも実際には市民の道徳心というか、今のように人心が荒廃していない時代だったようですね。 他人に笑われるというのは、命に代えてでも耐えられない屈辱だったんですねえ。 今なら開き直って、笑うやつには笑わせておけ、金が全てだ、こんな風潮がありますよね。

それと武士の切捨て御免も、市民から見ればそんなに怖くなかったんですか ・・ 何となく真剣を持った人の近くには寄らないようにしようと思うのではないかなと感じていたのですが、考えればそんなに武士を怖がってばかりいたら、道を歩く事も出来ないですよね。

とても面白いお話、感謝します。

お礼日時:2007/11/13 15:24

また失礼します。

月代一考。
この話題で随分盛り上がってますが、私は「蒸れるから」という意見にはどうも賛同しかねます。

おそらく筋兜→頭成兜に変わった時に髪の毛の量を減らす為に剃ったと考えるのが自然です。

元々、兜を装着する時は、頭に揉み烏帽子という縦に長い帽子のような物を被り、中に髪を収めてその上から兜を被ります。
筋兜では中に十分な空間があるので髪の毛+揉み烏帽子がクッション代わりににもなり、丁度良い位置で安定します。
この兜では真っ向から刀を受けた時、兜自体は強度が多少劣っても髪+揉み烏帽子の衝撃吸収があるので、総合的にはかなり安全になります。

時代が過ぎて頭成兜になると、頭にかなりぴったりするので髪の毛の量が多いとまともに被れなくなります。
その為に髪の毛の量を減らす為に月代を剃り始めたと聞いた事があります。
更に揉み烏帽子も邪魔になるので省略されました。
当然、こちらは刀が直撃するとモロに衝撃が頭に伝わるので、兜自体の防御力はあってもかなり危険な兜じゃないかと思いますが、鉄砲が主役になった時代は曲面で受ける方が跳ね返せて安全だったのでそういう事もあるかもしれません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
月代と兜の関係は難しいですねえ。
でも、いずれにしても月代はファッション性よりも兜という防具から出発したと考えるのが正解なようですね。

お礼日時:2007/11/12 13:21

ANO.36です。

URLを再掲します。
 白虎隊のうち、生き残った人以外の人の分を見てください。
 月代を剃ってる人はほとんどいません。しかも洋服を着ている人が多いです。
 伝わっている話とは大分違います。写真は正直です。なんだってそのまま撮っちゃいます。
 一方、絵や文章は書き手の想像や恰好付けが入って、事実と違ったものになります(江戸時代はみんなチョンマゲで月代を剃り、和服を着ていたと決め付けてしまう)。
 兜をかぶらない人は実用上月代を剃る必要がありません。
 兜をかぶる人でも毎日かぶるわけではありません。また、月代を剃っても兜をかぶれば蒸れるでしょう。剃ったから蒸れが軽減されるといってもどうかな?
 月代は最初は実用上かも知れませんが、その後は、実用というよりもおしゃれ風俗として流行った面の方が大きいと思います。
 まあ、幕末には勤皇方も佐幕方もその他の陣営も、殿様といわれるエライ人以外は剃っていない人が多いようですね。
 勤皇方も写真では、諸太夫マゲ(本当は立派なもんです)というよりも、単に月代を剃らずに総髪にしただけのように見えます。佐幕方の剣士では講武所風の月代の細いのもあります。
 月代を剃るのは大変です。人に頼めば金がかかるし。カミソリの手入れだってもう大変。下級武士以下はチャンと剃っていない人が多かったと思いますね。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …
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この回答へのお礼

有難うございました。
写真を拝見しましたが、月代を剃っている人って本当に少なかったんですね。
考えれば大変ですよね。 剃るのは剃っても、数日もすれば伸びてきて、逆に汚いというか、だらしなく見えるし。
一層の事、伸ばした方がごまかしがききますよね。
でも、頭のてっぺんを剃るのが格好イイという時代があったんですねえ。 今そんな事をすると 「そばに寄らないようにしよう」 とか思われますよね。

お礼日時:2007/11/12 13:17

・刀が貧弱


刀は「武士の魂」ですので、江戸期にはさまざまなデザインを凝らしたこしらえ(鞘などの外装)ができました。個性を競って赤や金などのこしらえも登場しましたが、時代劇を見るとどれも同じようなデザインで「支給された工業製品」みたいですね。戦国期は実戦重視のこしらえですが、それでも黒一色のような無個性なものは少なかったです。
本当は刀身の長さも様々なのですが・・・これもダメですね。

・町屋の煙がない
ガスなどありませんので、当然ご飯やお風呂は薪で炊きます。ですが夕刻のシーンでも町に一筋の煙すら上がらないのは不自然です。特に秋刀魚の季節には、町のあちこちから濛々と煙が上がっていたそうですよ。
また為政者側は、城などから町を見下ろして煙の多さで民が豊かに暮らしているかどうか大体の判断もしていたと聞きます。

・町娘
江戸期の女性は割と乳房を出しても平気(性的な意味がなかった)。
昭和後期でも電車やバスの中でお乳をあげるお母さんなどがおられました。
夏の江戸でも行水や夕涼みで若い娘でも乳露出はあったようで、浮世絵にも度々題材になってますね。これは是非時代劇で忠実にしてもらいたい(笑)

・衣服
赤や黄色や緑などのカラフルな着物は裕福な人が着れるものです。
庶民は渋(茶色)や藍色がポピュラーです。しかも絹はもちろん綿布もとても高価で、庶民が簡単に買えるものではありませんでした。
ですから町では古着屋が繁盛しましたし、ツギハギを当てて大事に着用しました。この場合色はあまり頓着せず、トンチンカンな色の布を当ててツギハギしたケースもあるようです。時代劇ではみんな新品みたいな服を着ているのは不自然です。

・八百屋、果物屋
一度時代劇でおや?と思ったことがあるので。
だいたいビニールハウスも冷蔵庫もありませんので、「旬」となったら、その作物しか流通しません。ミカンの季節ならミカンだけ売ることになります。野菜も同様に、その時期に取れる物しか店に置けません。

・遠山の金さん
実際はイレズミをできるだけ隠していたようですよ。恥ずかしかったそうです。

あと以前NHKの沖縄を扱った時代劇で疑問を感じたのですが、戦前まで琉球の女性は手足にイレズミがありました。ドラマではみんなキレイな白い手足なので「なんだこりゃ、ダメじゃん」と思い見るのをやめました。あと全部琉球語にして、字幕を入れるとかしてほしかった。

まあ外面の小さな部分なら「演出」ということで百歩譲れますが、平和主義の武将は確かにいただけませんね。あの当時は「世の中には殺していい人種もいるんだぜ」という感じですから。他国の人間も自分達と平等・・・のような認識は馬鹿としかいいようがありません。

ドラマを見た小学生~高校生が真に受ける恐れもあるので、ドラマのオープニングで「これはフィクションで本当の武将は全く違います」みたいな断り書きをしてほしいです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
詳しく解説して頂いて感謝します。 大変面白かったです。
特に刀ですね。 当時は鞘などに色々なデザインを施していたんですねえ。 これは初めて知りました。 何となく黒一色というか、地味な感じしか無かったようなイメージがありました。
それと刀身の長さもバラバラだったんですね。 
色々と勉強になりました。

お礼日時:2007/11/12 13:11

他の方の回答とかぶっているかもしれませんが・・・



武士関係
1.乗っている馬が違う
 競馬に出てくるような、サラブレットみたいな大型の馬は、
 明治時代以降に輸入されたもので、日本古来の馬は、今で言うと
 ポニー程度の小型の馬だった。
 当時の小柄の日本人が乗っても、両足が付く程度の高さの馬
 だった。

2.刀が丈夫すぎ
 戦国時代の実践用のかなり丈夫な刀でも、3,4人切ると
 刃がこぼれてしまい切れなくなる。
 江戸時代になって、刀が装飾品的になってからは、刀はさらに
 もろくなったので、1つの刀で、10人、20人めったぎりなど
 不可能。

3.言葉
 昭和、平成といった短い時間もに、言葉は大きく変わっている。
 聞き取れない方言も多いのに、日本じゅうを旅する水戸黄門
 さまのご一行が、会話に全く困らないのはやっぱり変。
 見てる側も、聞き取れない会話がないのも本当は変。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、言葉ですね。
今の日本では標準語さえ話せたら、どこに行っても会話に困る事は無いですが、江戸時代までの日本は方言がとても豊富というか、多いというか、余所者には何を話しているか全くチンプンカンプンだったかも知れませんね。
という事は、忍者というか間者のように情報収集を専門にする職業は、現地出身者以外には難しかったでしょうね。

お礼日時:2007/11/12 13:06

戦国時代の月代は、時代によって変わったようですね。

特に「風林火山」の頃は剃らないのが普通でした。時代が下って、織田信長、羽柴秀吉たちが台頭してきた頃は「剃るのが普通」だったようです。

この理由は戦術・戦略の変化によって、防具、特に兜が大きく変わったからと見るのが主流だそうです。風林火山時代の兜は「筋兜」といって、細く切った鉄板を横に鋲で止め、天辺ですぼめて留める作り方をしていました。この形式ですと全体が丸く成形され、頭の両脇が大きく開きます。また、製造法から天辺が塞げられず「天辺の穴」が開きます。

秀吉時代の兜は「頭成兜」といって、四角く切った鉄板を頭の形に添うように曲げて重ねて繋いでいます。この形式は量産しやすく、防御力も高いのですが、いかんせん「密着するので蒸れやすい」のです。

つまり、それまで月代を剃るのはそれほど多くなかった(何しろきれいに剃るのは大変です!)武士たちも、秀吉時代には「剃らずにいられなくなる」のです。

そう考えれば「風林火山の月代はあれで正解」でしょう(ホントの事は見てきた訳ではないので断言出来ませんが、おおむね「見栄えだけの嘘八百ではない」と言えますよ)。
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この回答へのお礼

有難うございました。
武士の月代は鉄兜に原因があったようですね。
たしかに今のヘルメットと違って、夏なんか暑かったでしょうね。 直射日光で鉄板が焼けて中は蒸し風呂状態 ・・ とても戦争どころではなかったでしょうね。

お礼日時:2007/11/12 13:01

#33です。

月代について…

#36の方が紹介されているURL興味深く拝見しました。こんなサイトがあったんですね。

月代の剃り方は各時代によっていろいろ流行があったそうですよ。幕末でいうと特に志士の間では月代をわずかしか剃らなかったり、まったく剃らずにマゲを結う(木戸孝允の写真みたいに)のがとても流行していたと聞いた記憶があります。たしか諸太夫マゲ(違ってたらすみません)とかいったような… 

時代風俗の専門化でも何でもないので確信はありませんけど、戦国時代の合戦図屏風や肖像画を見ると武士たちは皆かなり剃りあげてますよね。頻繁に兜をかぶっていた頃の武士は特に剃っていた方が楽だったでしょうから、室町末期は剃るのがスタンダードだったんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうね。毎日こまめに剃っていたかどうかはわかりませんが、おそらく評定などで主君の前に出るときや、合戦に出るときは(首を敵に取られるかもしれないので)見苦しくないようキレイに剃っていたのではと推測しますが…

余談ながら昔コロンブスの映画を見たとき、コロンブスが初めて中南米の島に着くと月代モードでザンバラ髪(もろ落武者ヘアー)の原住民が弓矢を持ってわらわら出てくるシーンがあって、すごく怖かったです。初めて日本に来たポルトガル人や朝鮮の役で対峙した明軍将兵も恐怖を感じたのかなとか想像したらたら可笑しかったです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
月代の有無は時代の流行だったんですねえ。
幕末の志士たちの写真が残っていますが、勝海舟のように幕府の高官でも月代は剃っていなかったです。
でも考えてみると、一度月代を剃ってしまうと、少し伸びただけでもだらしないような印象を受けそうなので、しょっちゅう剃らなければいけなかったかも知れませんね。 面倒くさいので伸ばす事にした人もいたでしょうね。

お礼日時:2007/11/12 12:57

 NO.7,24、31です。


 時代劇では、浪人以外は大抵月代を剃っています。
 しかし、実際はどうだったんでしょうか。顔のひげを剃るのと違って、月代を剃るのは大変です。自分じゃチョッと無理でしょう。下のURLには幕末の写真が出ています。
 一人ひとりクリックしていくと大変ですので、お終いのほうの団体写真を見てください。テレビや映画と違って剃っていない人の割合が多いと思います。旗本など偉くて恰好をつけなきゃならない人は剃るんでしょうが、その他の人は剃っていない人が多かったんじゃないでしょうか。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …
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この回答へのお礼

有難うございました。
写真を拝見しましたが、本当ですねえ。
中にはきれいに月代を剃っている人もいますが、当時はもしかすると剃っていない割合の方が多かったかも知れませんね。
月代を剃る剃らないは、本人の選択だったんでしょうか。
剃らない武士は金回りの悪い人とか、周囲から見られる事があったのでしょうか。 ちょっと気になりますね。
でも考えれば勝海舟も写真を見ると月代を剃っていなかったわけですから、幕府における立場とか経済状態とか、関係なかったかも知れませんね。

お礼日時:2007/11/12 11:40

お歯黒は既婚女子だけでなく男子もしていた習慣で「おあぬ物語」で敵の首を首実検の為髪を整えたりお歯黒を着けるのは恐ろしいことではなかったという記述があるように高位の人の証拠となったようで公家などの習慣であったようです。


今川義元もお歯黒をつけていたと言います。

それに既婚女性は眉を剃り、書き眉であった筈です。

映画では簡単に斬り倒されますがこれも嘘。 実際は連続しての殺傷には刀を途中で替えないと無理で最近は気がついて抜き身を畳につきたて取り替える演出も見られるようになりました。

馬上で太刀を振るうのは普通はありません。 槍が用いられるようになった戦国時代では槍です。 それも武将級が戦うのは普通ではありません。 これも演出。

西部劇の決闘シーンで互いに向き合って1発で仕留めるといのも演出で拳銃で距離があれば命中それも急所に命中することは僥倖でしかありません。  拳銃では銃を固定し狙いを定めないと命中は困難なものです。

フエンシングでの場面で一突きで相手を倒す事は至難です。 
重いサーベルならともかく細身の剣では心臓を正確に突く必要があります。 大抵の決闘でも相手に手傷を与えれば終わりで生き残れるルールでした。  大体チャンバラは洋の東西を問わずショーですから。
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この回答へのお礼

有難うございました。
お歯黒は既婚女性に限った事ではなかったんですか。
今の美意識で判断するのは間違っているとは思いますが、少なくとも当時日本を訪れた西洋人たちは驚いたでしょうね。
男性が笑うと口の中は真っ黒 ・・ 思わず尻込みしそうです。

西部劇によく1対1の決闘シーンが登場しますが、これも嘘に近いんですねえ。 考えると10m以上も離れた相手に、腰のホルダーに差した拳銃をコンマ何秒の早業で抜き、間髪入れずに相手の急所に一発で命中させる ・・ 本当にやれば、どんな名人にも無理でしょうね。
でもそうすると、実際の1対1の決闘ってどんな風だったんでしょうね。 また興味がフツフツと湧いてきました。

お礼日時:2007/11/12 11:25

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Q時代劇について

時代劇についてどう思いますか?また時代劇のよさとは何だと思いますか?また時代劇から何を学びましたか?何でもいいので時代劇について語ってください。

Aベストアンサー

>何でもいいので時代劇について
細かい所も忠実に再現してほしい!ということで、
登場人物の歩きについて、「難波歩き」で終始やって、と。
   (たぶん、笑っちゃうだろうなぁ。お許しを・・・・平に、平にm(_ _)m )
月代(さかやき)の処理シーンも見てみたい。
   (これもたぶん、笑っちゃう。えっ五十叩き?ご勘弁を・・・・)

Q時代劇の大嘘を指摘して下さい

洋の東西を問わず、時代劇には大嘘が多いと聞きます。

代表的なのが西部劇で主人公が愛馬に跨って単独で隣の町まで何日もかけて旅をするシーンがありますが、これは大嘘とか。

当時の人が長距離の移動をする時には、必ず予備の馬を1頭連れて行ったそうです。 たしかに砂漠の真ん中で愛馬が倒れたら、万事休すになりますよね。 これは納得です。

日本の時代劇では 「お歯黒」 でしょうか。 今の女優は白い歯のままで登場していますが、当時の既婚女性は全てお歯黒をしていたようです。 でも美人女優が歯を真っ黒にして登場したら、気持ち悪いですけと ・・・

私がいつも 「これって本当?」 と感じているのは、侍どうしの戦いの場面で、両者の刀と刀をシャキーン! と合わせて、じっと睨み合うシーンがよくありますよね。 でも実際の刀でそんな事をしたら、両方とも刃こぼれして使い物にならなくなるように思うのですが、どうなのでしょうね?

あと何でも結構なのですが、時代劇の大嘘を指摘して頂けないでしょうか? 教科書に載らないような歴史の勉強になると思います。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>あと何でも結構なのですが、時代劇の大嘘を指摘して頂けないでしょうか?

☆江戸時代「将軍」のことを「将軍さま」とは呼ばなかった?
時代劇では、「将軍さまのお成り・・・・・・」などと仰々しく台詞を言いますが、実は、「公方(くぼう)さま」または「御公儀さま」「大樹(たいじゅ)さま」と呼ばれたのが正しい。正式には、「征夷大将軍」といい、蝦夷(えぞ=東北地方)を征伐するという役職名でした。足利義満が将軍となった時、「公家に摂政なる棟梁あり、沙門(さもん=寺院)に門跡なる棟梁あれども武家になし、何とぞ公方の号を・・・」と第98代長慶天皇に願い出たのが最初だとか。

☆大奥は男子禁制?
確かに「男子禁制」でした。「表(おもて)」と「大奥」の中間に「中奥(なかおく)」というのがあり、ここが公方さまの寝所ででした。「表」と「中奥」の先を仕切ってあるのが「お鈴口」。このお鈴口を公方さまが入られるときに、合図として鳴らされたのが鈴で、「奥」の廊下の鴨居つたいに鈴が幾つもぶらさがっていましたので、この廊下を「お鈴廊下」と称しました。そして、公方さまは中奥の「蔦の間」で寝起きをし、子造りにも励まれました。大奥は「御殿向(おとのむき)」「長局(ながつぼね)」「御広敷(おひろしき)」と分かれており、「御殿向」は御台所様の居室。その他の女性たちは「長局」で起居していました。「御広敷」は玄関口などを警備する男性役人の詰所でした。唯一男性が入れる場所であった。大奥は10歳以上の男子はいっさい出入りが禁止されていました。しかし、老中などの位が高くなると、役目上の御用で、特別に大奥に入ることが許されました。また、警備上の理由で月に一回は「老中見回り」、三ヶ月に一回は「御留守居見回り」があり、男子が「女の園」に入ることができた。男に飢えたお女中たちが、この時ばかりと、特別に着飾って色目をつかったが、見て見ぬ振りをすることが義務付けられていた。

☆大奥の廊下で御台所様やお中﨟と出くわした下級お女中は・・・
下級お女中がバッタリ廊下で御台様などと出くわしてしまったときは、女中はバタッと腹ばいになり、顔を床に押し付けて、ただただ御台様一行が通り過ぎて行くのを待ちました。これには、「下品な者」が御台様などの目に入らぬようにとの仕来たりでした。しかし、御台様などが廊下で立ち話などをされていると、さあ大変。急用などでどうしてもというときは、腹ばいになったまま後ずさりをして、廊下の曲がり角などに身を隠してから立ち上がり、別の廊下を通って御用に走りました。

☆公方さまの食事
公方さまの食事には必ず「鱚(きす)」が付いた。これは、言わずと知れた喜ばしいという字が付くので縁起かつぎであった。また、朝食には味噌汁に落とし卵が定番だった。奥向きで作られる公方さまの食事は、いつも同じものを10人前ほど作り、1膳は「公方様御膳所掛」という台所の責任者が食べ、「お毒見役」が2膳に少量ずつ箸をつけて毒が盛られていないか、または、腐ってはいないかを確かめた。そして、中奥で公方さまの前には2膳が用意され、公方さまは1品に二箸をつけると、「お代わり」と称して、そばにはべるお女中が、もう一つの膳の品と取り替えて出されました。また、公方さまの食べるころには、すっかり冷え切っていて、味もそっけもなかった。落語でおなじみの「目黒のサンマ」は温かいものを食べたことのない公方さまを皮肉った話である。ちなみに、10-1-2-2=5人前残るわけですが、お勝手方の上級者がいつも「ありがたく」食べていました。
なお、御台所さまにも「御台様御膳所掛」、「お毒見役」がいて、公方さまと全く同じように膳が運ばれました。

☆大名行列も回り道
江戸市中で大名行列同士が行き違うことはしばしばであった。この時は、お互いが籠を開けて双方が目礼をした。しかし、籠を止めることは絶対にしなかった。また、相手が御三家や格式が上位の場合は籠を降りなければならなかったので、ややっこしい、めんどうくさい。そこで、御三家などとわかると下級の大名行列は、あわてて、横道へ逃げ回った。

☆大名屋敷の内に農家?
大名屋敷というと、豪華な庭園などを思い浮かぶ方も多いと思いますが、大名屋敷、特に、下屋敷内には百姓が住んでいて田畑を耕していました。これは、殿様に農業の辛さ、厳しさを見てもらうためでした。こうした百姓は住所があって無いようなものでしたので、「○○守殿百姓」と呼ばれていました。

☆テレビの中の大嘘
「したに~」「したに~」とやってきた大名に宿の玄関に「○○守△△様御宿」などと書かれているのは「もってのほか」である。現代の旅館で「××会社御一行様」という景気づけを真似たもので、江戸時代の大名行列はあくまで行軍だったので、看板を立てるとすれば戦場になぞらえて「本陣」「脇本陣」であった。さらに、テレビなどでは、好色大名が宿に着くと芸者を揚げて・・・なんてえのは、目も当てられない。芸者が許されたのは江戸、京都、大阪の三大都市だけで、街道筋の田舎に芸者はいない。いるとすれば「飯盛り女」であるが、こんな安物は大名は銭を出して買わなかった。また、戦時の行軍ととらえられていたので、女は禁物であった。現代ではよく「大名旅行だ」とか「殿様気分」などというが、それは、大名行列では飲料水から料理材料、料理道具一式、風呂桶、殿様専用の便器まで持ち歩いた。つまりは、すべてに行き届いていることを指すものをなぞらえていることである。大名行列は不意な出来事があるときは、野宿もしたので、常に、戦場の心構えで行軍にのぞんだ。そして、宿に宿泊しても、宿の料理人ではなく、供をしてきた料理人が食事を作って差し上げた。

☆大岡越前守が有名になったわけ
享保十六年(1731)、無宿の伝兵衛という者が火付けの罪で、江戸市中引き回しのうえ火焙(あぶ)りの刑を火付盗賊改から言い渡された。しかし、越前守の部下である手付同心が「伝兵衛にはアリバイがある」という噂を聞き、越前守に上申した。そこで、密かに、越前守は証拠集めを指示し、吟味のやりなおしをして無罪を言い渡した。当時は、1審制度だったので、再審まで断行し無罪を言い渡した越前守は、当然、庶民から人気の的となった。

☆女の取調べ
女に対しては、原則的に、責問や拷問はしないことになっていた。そして、取調べの最中、少しでも膝小僧から上を出すと調べは中断された。そこで、両膝を縛って取り調べをした。しかし、そのことを承知している女は、わざと後ろにそっくり返って、取調べをたびたび中断させたとか。

☆遊女の起源
遊女の起源は何と「巫女(みこ)」であった。寺社は、当時、遊覧地で人が多く集まった。だから、隠れて商売をしても儲かった。また、寺社の門前町は寺社奉行の支配で町方役人の手入れができなかった。隠れ「売女(ばいた)」の取り締まりは町奉行所の管轄で寺社奉行には、「風俗取締り」の権限がなかったことから、安全地帯というわけです。

☆吉原の誕生
慶長5年(1600)に家康が関が原の戦いに出陣したとき、東海道の鈴ケ森八幡神社の前に茶店を造り、揃いの赤ダスキに赤手ぬぐいを被った遊女8人にお茶を出させた。家康はこれを大変気に入り、戦いで勝利して江戸に帰ると、その男に遊女屋の開業を許可したのである。男は当時、柳町に遊女屋を営んでいた「庄司甚右衛門」という者で、許可がおりたのは元和3年(1617)だったという。日本橋葦屋町(ふきやまち)に公認の遊女屋を造ることを指示したが、このあたりは、まだ一面の葦(よし)野原であった。そこで、めでたくもじって「吉原」としたのである。

☆吉原の初めは金持ち専門
吉原ができた当初は、大名や裕福な武士、豪商などしか相手にされませんでした。つまり、幕府としては、裕福な大名や武士などが居ては、いつ幕府転覆をされないとも限らない、と言う事情から、とにかく、銭を使わせて「貧乏にさせる」と言う政策だった。
庶民に開放されたのは、元禄年間のことでした。

☆飯盛女
江戸四宿、つまり、品川、千住、板橋、内藤新宿、が四宿(ししゅく)であり、ここには「飯盛女(めしもりおんな)」という宿場女郎がいた。宿場の活性化のために黙認されていて「一軒に付き二人」と決められてはいたが、見世の表に顔を出すのは二人で、裏に回ればぞろぞろ・・・。

☆人を斬った後の刀の処理
「馬糞で拭うか、藁の灰で何度も脂のとれるまで拭うと良い」・・・と幕末の書に出てくるが、馬糞はともかく、どちらも「藁」なので、「藁」が効き目があったようだ。よく時代劇で、懐紙で拭いてポイ・・・実際にはあれだけでは脂はとれない。刀の手入れは中々面倒だったのである。

まだまだありますが、字数制限がありますので、これっくらいで・・・。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>あと何でも結構なのですが、時代劇の大嘘を指摘して頂けないでしょうか?

☆江戸時代「将軍」のことを「将軍さま」とは呼ばなかった?
時代劇では、「将軍さまのお成り・・・・・・」などと仰々しく台詞を言いますが、実は、「公方(くぼう)さま」または「御公儀さま」「大樹(たいじゅ)さま」と呼ばれたのが正しい。正式には、「征夷大将軍」といい、蝦夷(えぞ=東北地方)を征伐するという役職名でした。足利義満が将軍となった時、「公家に摂政なる棟梁あり、沙門(...続きを読む

Q時代劇っていつからいつまでなんでしょう?という質問です。

最近ずっと疑問に思っていたのですが、テレビや映画などで、よく時代劇をやりますよね?
私は祖父母と同居してましたしチャンバラや殺陣が好きなので、テレビでも映画でも時代劇には興味があります。

ただ思ったのは、いつの時代からいつの時代までが俗に言う「時代劇」というものなのかと。
これにはもしかして定義があるのでしょうか?

たとえば大河ドラマで言えば、かなり幅が広いように思います(大河はあまり見ていないのですが)。
だいたいは戦国時代が多いのでしょうが、昨年は幕末でしたし…。
チャンバラや合戦があるから時代劇なのか、それとも今現在より過去の歴史の話だから時代劇なのか、区別とか境界線みたいなのが、はっきりわかりません。
過去の歴史の話なら、第二次世界大戦だって時代劇になってしまいますよね…。
それとも戦争も時代劇の部類に入るんでしょうか?

みなさんは「いつからいつまでが時代劇と言われるのか」、ご存知ですか?

Aベストアンサー

手元の辞書によりますと、「明治時代以前(主として江戸時代)までの時代に取材した劇や映画」とことなので、「無制限~江戸時代」ということになるのかと。

Q時代考証に忠実な時代劇は?

必殺シリーズ大好きです。子供の頃、父親とよく見ていました。しかし!モノがわかるようになると「いくらなんでも」のトンデモ設定で、時代劇と呼べるのかも怪しいです。いや、好きなのですが。
ソレを言ったら「暴れん坊将軍」だってあり得ないし、大抵の時代劇では現代風アレンジと言うか解釈されていますよね。町人の女はあんな派手な着物は着ないとか、そもそも嫁に行ったら眉を落として鉄漿とか。そんなの再現しちゃった日には、色彩に欠け怖い絵になるのでそこは仕方がないとして。
時代設定、小道具、衣装(同心や御用聞き、町火消しなど)、信頼できるドラマはありますでしょうか?
「鬼平犯科帳」「剣客商売」あたりが好きで衛星放送で見ています。「八丁堀の七人」も好きです。時代物の教科書となるようなドラマを教えてください。ちなみに時代小説やマンガはけっこう読んでいます。

Aベストアンサー

 「時代物」といえば、そのほとんどが江戸時代中心で、時代考証なる部分を担当している人物も稲垣史生や杉浦日向子といった方々が有名所です。しかしながらこの方々は「歴史小説家」ではあっても「歴史研究者」ではありません。そしてなぜかこの方々は江戸時代以外には手を出さないことでも知られています。あるいみ「江戸時代オタク」ともいえるでしょう。
 僕は基本的に時代劇や歴史ドラマなどを見ませんが、それでもこうしたエンタテイメントの質が余り高くもないことにある種の危機感も感じています。
 昨年、一部で物議を醸した『平清盛』は歴史学の見地からすれば、相当に緻密な考証がなされていましたが、それでも「一般レベル」では「つまらない」などの低評価がかなり散見され、残念な印象を受けています。
 なにも華々しい合戦や戦闘シーンだけが時代劇の全てでもないはずですが、それを勘違いしているお年寄り達が非常に多いことも背景にはあるでしょう。なかにはそうした馬鹿馬鹿しいシーンなどには興味もないとの方もいらっしゃいます。何も「歴史は戦の歴史である」などとの定義はどこにもありません。
 「戦」は歴史事象であって、何がその事象をもたらしているのかが語られねば、戦の意味を綴ることにもならないでしょう。
 確かに「必殺」はおもしろく、このシリーズがスタートした当時、僕はリアルタイムでみています。梅庵や左内そして元締めの音羽屋などはアニメの『ルパン三世』に似ている感もあります。でもこれらはあくまでも「仮想現実」の一つでしかありません。
 時代劇愛好家の方には残念な印象を与えてしまいますが、「時代劇」はフィクションであり、参考になるなどの作品は数える程しかありません。それも江戸時代を背景とした作品は皆無に等しいと申し上げさせていただきます。

 「時代物」といえば、そのほとんどが江戸時代中心で、時代考証なる部分を担当している人物も稲垣史生や杉浦日向子といった方々が有名所です。しかしながらこの方々は「歴史小説家」ではあっても「歴史研究者」ではありません。そしてなぜかこの方々は江戸時代以外には手を出さないことでも知られています。あるいみ「江戸時代オタク」ともいえるでしょう。
 僕は基本的に時代劇や歴史ドラマなどを見ませんが、それでもこうしたエンタテイメントの質が余り高くもないことにある種の危機感も感じています。
 昨...続きを読む

Qテレビで時代劇の番組が減っていませんか…?

テレビで時代劇の番組が減っていませんか…?

NHKの大河ドラマぐらいしか時代劇を放送していないような気がしてしまうのですが…。


最近の人たちは時代劇が嫌いになったんでしょうか…?

Aベストアンサー

ひとつには放送しても、スポンサーの経済効果がないからです

時代劇の好きな年齢層は高く
視聴率はいいのですが
番組中の広告に効果がでないのです

番組放送にはスポンサーとして莫大な出資をしますが
いくらコマーシャルを流しても
モノが売れないのです

若い人向けの番組でしたら
中学生、高校生などは
コマーシャルに反応してすぐに買ってくれますが
年齢層の高い60台70台の人達は
買ってくれないのです

というわけで
決して時代劇に人気がないわけではありませんが
お金を出して放送しても
この年齢層にはモノが売れず
この不景気でスポンサーにはいつまでも
放送することを優先するには
限界が来たということです

マスコミは時代劇の終わりだとか言っておりますが
本当は企業の経済効果の判断ということですね

NHKぐらいしか放送していないのも
スポンサーに関係がないからです

人気はあるのです

Q 時代劇を見ていて思ったのですが、昔の武士は甲冑で身を固めていましたが

 時代劇を見ていて思ったのですが、昔の武士は甲冑で身を固めていましたが(足軽は別として)、刀で間

単に切れるはずもないでしょうから、切るというより突いて相手を殺傷したのでしょうか?

例えば、兜と胴の間の咽喉や脇とか・・・。

時代劇ではただ切っているだけでしたが、そんな手段では甲冑に阻まれて殺傷できないと思います。

鉄砲が伝わる前の戦いでは、槍が主体だったのでしょうか?

歴史に詳しい方、是非ご教授願います。   質問者拝

Aベストアンサー

ご推察のとおり、甲冑は簡単に切れません。
鉄砲が伝わる前では、遠距離は弓、通常は槍、最後に刀となります。
白兵戦において基本は槍で叩く、突くということになりますが、乱戦になった場合は距離的に使えませんよね。
その際に刀が出てくるわけですが、隙間を狙って突くというのは非常に難しいです。
なので組打、相手を押し倒したりしてから、刀で止めを刺すという事が多かったようです。
今は無くなっていますが、昔の剣道では組打があったのは、こういう理由でしょう。
柔道が国技となるまで発展した理由は、ここにもあると思います。
騎馬武者の場合ですと、槍は取り扱いが馬上では難しいので刀が主になりますが、その際相手の顔を撫で斬りにしていたそうです。

私が剣道と槍術を教えていただいている先生からお聞きした内容から、お答えしましたので史実ともしかしたら異なるかもしれません。
ただ、ここらへんの話は、非常に面白い(思っていた事実と異なるという意味で)ですよね。
疑問点があればお気軽に^^

Q時代劇スターに期待すること

不況ですね。ということで時代劇スターにでもなろうかと考えています。


そこでお伺いしたいのですが、
●次の時代劇スターにはどんなことを求めますか?どんな人物なら見たいと思いますか?時代劇スターに特有のものって何だと思われますか?

●時代劇のなかでも喜劇やら勧善懲悪物などいろいろありますが、これから見たいジャンルは何ですか?どんなストーリーがいいですか?

少しでもお答え頂ければうれしいです。
※あくまで日本の時代劇においてお考え下さい。

Aベストアンサー

(1)
衣裳がハマる方だと「おお!」と思います。
ただ、洋服で素敵と思わる体型より、がっちり・ふくよかな感じになると思うので、本当に時代劇だけという人じゃないと難しいかもしれませんが。
立ち居振る舞いも、無理が見えずそれっぽいと素敵です。

(2)
あんまりマンガっぽい設定じゃない方が好みです。
「実は強い主人公が、悪党をやっつける!」というわかりやすいのがすっとします。(笑)
あと、おいしそうなものが出てくると楽しいです。
池波さん作品が好きなので!

不況→時代劇スターとは、面白い発想ですね。
実際の難しさはわからないのですが、時代劇好きなので答えさせていただきました。
素敵な時代劇スターになってください^^

Qテレビで時代劇を見るとしょっちゅう盗みや殺人が起きていて、今で言う警察

テレビで時代劇を見るとしょっちゅう盗みや殺人が起きていて、今で言う警察みたいな人たちもあまり頼りにならなくて、ものすごく治安の悪い時代のような印象を持っています。実際の江戸時代はどんな治安だったのでしょうか。教えてください。

Aベストアンサー

揉め事は
訴訟を起こしても
原告被告とも負担が大きく
また刑法犯罪は
罪人を作っても後の処置が大変だったので
金銭で示談あるいはうやむやにした。
従って表向きは犯罪は少なかった。
100万都市に24人の定町廻同心では治安の維持は無理でしょう。
銭形の親分のような人達は同心がポケットマネーで雇っていたので
それだけでは生活できず、
他に博徒のような事をしていたり
市中見回りで賄賂を受け取って生活していたので
元々は裏社会の親分さんが多く
従って裏社会にも通じていたということらしい。
大家と言えば親も同然と
街中にもその様な人達がいて
揉め事を仲裁したりしていたので
問題が大事にならなかったり
時々、大火事があったりして
公共事業や民間の工事で市中の職人達にも仕事があって
比較的賃金水準が高かったので余り気持ちが荒んでいなかったのでは。

役人は何もしないので内々で済ませたから
表立った争いの記録が少ないのではないでしょうか。

落ちても救助されないことがわかっていれば、
手すりがない橋はわたらないか気をつけてわたりますよね。

Q時代劇のテーマって何がありますか?

最近、キムタク主演だった「忠臣蔵1/47」を見て時代劇に興味をもちました。

ただ、私の時代劇のイメージというと
水戸黄門、大岡越前、忠臣蔵、新選組
の4つ位しか思いつきません。

他によくある時代劇のテーマってなにかあるでしょうか?
あと、おすすめの時代劇があれば教えてください(できればDVDなどで見れる物で)

Aベストアンサー

時代劇といっても色々なジャンルがありますね。

剣劇(チャンバラ時代劇):剣(日本刀)による殺陣を主軸とするもの。時代劇の大多数を占める。
剣術・武士道や忠誠などをテーマとしたもの
股旅もの(任侠もの)
捕物帖(勧善懲悪)もの:テレビの時代劇は、これが主流。悪人サイドが家老や藩主やその跡取りといった場合は実在しない藩になる。水戸黄門シリーズは藩主まで悪人になることはないため実在の藩が登場する。
将軍もの(副将軍ものを含む)、奉行もの
「鬼平犯科帳」は奉行ものであるが、勧善懲悪よりもドラマ性や風俗描写を重視しており、下記の文芸ものの要素が高い。
岡っ引もの、同心もの、十手もの
義賊もの
合戦もの:戦国時代の合戦や大名の興亡を描いたもの。『影武者』やNHK大河ドラマ、TBS『関ヶ原』など。
文芸もの:小説などの文学作品を脚色したもの(ただし、剣劇を除く)。
江戸文学の映画化:西鶴一代女・近松物語・西鶴一代男など大映の時代劇に多い。
江戸市井もの(東映「冷飯とおさんとちゃん」など)
大奥もの

以上ウィキペディアより

テレビはあまり見ないのでドラマはあまり知りませんが、
映画でお勧めは・・

藤沢周平原作の映画は若手俳優が起用されています。
「武士の一分」(木村拓哉 檀れい)
「花のあと」(北川景子)→最近観ましたが良かったです。
「山桜」(東山紀之 田中麗奈)
「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」も有名です。

人情ものでは「あかね空」(内野聖陽 中谷美紀主演)も良かったですね。

ちょっと変わったところでは「武士の家計簿」(堺雅人 仲間由紀恵)
宣伝コピーは「刀ではなく、そろばんで家族を守った侍がいた」

「忠臣蔵」といえば最近公開された「最後の忠臣蔵」は見ごたえがあったと思います。
佐藤浩市、役所広司主演。
「忠臣蔵」を題材にした映画はこれまで沢山作られています

役所広司の「どら平太」もおもしろかったです。

もう放送終了していると思いますが、
市川由衣主演の「桂ちづる診察日記」がおもしろそうだなと思いました。
都合があって観られませんでしたが。
女医の主役の時代劇は珍しいと思います。

時代劇といっても色々なジャンルがありますね。

剣劇(チャンバラ時代劇):剣(日本刀)による殺陣を主軸とするもの。時代劇の大多数を占める。
剣術・武士道や忠誠などをテーマとしたもの
股旅もの(任侠もの)
捕物帖(勧善懲悪)もの:テレビの時代劇は、これが主流。悪人サイドが家老や藩主やその跡取りといった場合は実在しない藩になる。水戸黄門シリーズは藩主まで悪人になることはないため実在の藩が登場する。
将軍もの(副将軍ものを含む)、奉行もの
「鬼平犯科帳」は奉行ものであるが、勧善懲悪よ...続きを読む

Q原始時代から平安時代までと 奈良時代から室町時代までの 間にそれぞれ何がありますか?

原始時代から平安時代までと
奈良時代から室町時代までの
間にそれぞれ何がありますか?

Aベストアンサー

原始時代から平安時代までには「(古墳時代と飛鳥時代と)奈良時代」
奈良時代から室町時代までには「平安時代(と鎌倉時代)」がありますけど、試験範囲でしょう?
多分「そう言う話じゃない」はずで、事象は多岐に及ぶので、教科書や年表・資料をもう一度読み返しましょう。
としか言い様がないです。


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