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日本書紀と古事記は両方とも勅撰の史書でありますが、なぜ古事記は正史と呼ばれないのでしょうか?
やはり神話や伝承を重視した古事記に対し(まあ、偽書であるとか、その信憑性はやはり怪しいものがあるようですが)、国威を示すための史実の記録を重んじた編年体の日本書紀の方が、歴史的にも正当性があるからでしょうか?
記された年はあまり大差ないのに、日本書紀の方を正史とするのはなにか腑に落ちません。どっちも正史にしちゃっていいじゃん、と感じています。
どなたか詳しい方、アドバイスでもよろしいので教えてください。
ちなみに、私はあくまで古事記は712年に完成されていたと思っています。

A 回答 (6件)

お初です


"勅撰"と言う事では「記紀」ともにその通りだと思いますが、成立の過程が少し異なるものと思われます。「古事記」は序文に拠れば元明天皇から勅命を受けた太安万侶が稗田阿礼の暗誦していた帝紀・旧辞と言われる古い事柄を書き記して編集したもので、日本書記は舎人親王を中心とした編集者が多くの帝紀・旧辞と中国・朝鮮史書を参考に(引用も多数)記された歴史書(所謂正史)です。
古事記を偽書とする説もありますが、上代特殊仮名遣いが厳然と残っている点を踏まえると簡単に偽書だとは言い難いと思われます。ただ、日本書紀に比べると露出度は格段に落ちる事から神皇正統記のような性格のモノでは無かったかとも考えられます。だとすれば「続紀」に記事が無いのも頷けます。
また、古事記は純然たる漢文体ではなく万葉仮名のように1字1音表記が多い事、多くの歌謡が採取されている事から外に向けたものではないと考えられます。

「正史」云々の件は、大和朝廷が"国内統一"を完成させ安定した体制になったことから中国史書を真似て編纂されたものが日本書紀であると思います。
つまり、国家としての大事業で、中国史書に倣い、編年体で記述されたものを「正史」として扱うようにしたのではないかと思います。古事記はあくまで天皇家のプライベート用だったのではないでしょうか
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この回答へのお礼

アドバイス、真に有難う御座いました。
古事記のことは現在でも色々な研究が為されているようで、一概に「こうである」と決め付けることが出来ないのは予予承知しております。
kenkeyさんの意見はとても参考になりました。

お礼日時:2007/11/18 19:25

「藤原氏の権力を正当化する」古事記と, 「それをよしとしない勢力による」日本書紀, って対立を指摘する説はあったような (これでよかったと思うけど... 逆だったかな?).


ちなみに古事記と日本書紀では, (特に) 神の名前の表記が全く異なっており, このことからこれらにおける神の「意味=立場」の違いが指摘されています. これを念頭におくと, 「両方を正史とする」のは無理がありそうです.
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この回答へのお礼

アドバイス有難うございました。
参考にさせて頂きます。

お礼日時:2007/11/20 22:34

古事記はなぜ作られたか?



不明です。

上宮記が正史でないと同じように、古事記は正史ではないということです。

直感的には、日本書紀を書く上での、太安万侶の備忘録ではないかとも思います。
古事記伝などで、日本書紀には唐心が入っていると指摘されています。中国基準で潤色する必要があったのが日本書紀。語り部が率直に語った内容が古事記ということではないでしょうか。

正史を作るに際し、まず、語り部の語る内容を変体漢文で書かれたのが古事記。それも元にして、中国人に出しても恥ずかしくない内容にしたのが漢文で書かれた日本書紀ではないかと。
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この回答へのお礼

成る程、成る程。
御回答、とても参考になりました。
私はアマチュアですので、古事記も日本書紀も読んでいません。しかしこの二つの相違点というか、相互関係を知るためにはやはり自分で二つを読み比べるしかないのかな、と質問をして改めて感じました。もっとも、残念ながら私にはそれほどの時間もあるとは思えませんが。

研究者すら断定出来ない内容をあまり深く考えるのも雲を掴むようなものですが、色々な意見を聞き自分で考えるのも勉強と思いますので、私の質問に丁寧に回答して下さる皆様にはとても感謝しております。

お礼日時:2007/11/19 00:15

正史の世界


中国および中国の政治的影響下にあった地域の政権が、自己の正当性を証明する道具、それが正史です。
中国の史書が基準でありますから、その基準に合わないものは、その政権が史書を正史として作る意味がありません。
正統性の証明は、当時の最強国である中国に対して行いました。なので中国基準でないものは意味がないのです。
720年の日本書紀成立後、朝廷内で日本書紀に関する講義が行われていますが、古事記にはありません。講義があるというのは、当時で言えば唐との外交で「きみんとこの 正統性は?」と聞かれたら、国家公務員たる貴族は、さくっと答えないとならなかったからです。これが正史の存在理由。

近代史で例を考えれば、明治期に不平等条約を改正するために、帝国憲法を作ったようなものです。欧米諸国と同じ原理で国家を運営している国ですよと、証明する道具が 帝国憲法であったわけです。
この帝国憲法が欧米の書式でなく「厚く三法を敬え」などと、聖徳太子の書式でやっては意味がありません。

古事記の勅撰性
基本的には自称です。

続日本紀
42代文武天皇から始まります。これは41代持統天皇で終わっている日本書紀を受けているのではないでしょうか。
古事記は33代までの記述です。続日本紀が書かれた平安初期に於いて、「正史を書こう」となれば、その前の正史の続きとなります。日本書紀からはつながるのですが、古事記からだとつながりません。

平安期における認識
昔読んだ書籍にあった話なので、ネット上で裏がとれないのですが。
平安時代においては、日本書紀の解釈本はあったが、古事記の解釈本はなかったかのようにありました。
http://inoues.net/shoki/kojiki_shoki6.html
上記のURLでも書かれています。

この回答への補足

再び回答して頂き有難う御座いました。
しかし、NO1で私が付け足した補足内容と、tanuki4uさんの回答内容が若干ずれていると感じましたので、今一度御回答頂けないでしょうか。
NO4の回答で正史である日本書紀の存在意義はだいたいわかりました。しかし、私は古事記の必要性(どうして作ったのか)を聞きたかったのです。
この質問には唯一の答えが無いと思いますけれど、tanuki4uさんはどうお考えになりますか?

補足日時:2007/11/18 19:25
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正史=史実ではありません


時の権力者が認めるかどうかです

この回答への補足

時の権力者と言うと天武天皇からの天皇のことでしょうか?
回答NO1の補足でも述べましたが、古事記、日本書紀共に天武天皇からの勅撰の史書であるはずですので、認めていないという事に違和感があります。
ちなみに、私の持つ歴史資料集には古事記の成立に「元明天皇の命により、」という記述があります。

補足日時:2007/11/18 11:25
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正史とは何か?



国家公認で、編年体で書かれたものである。

当時の外交上の必須アイテムとして、「中国並みに、日本でも歴史(=国家の正統性)がありますよ」として作ったのが正史です。

この回答への補足

tanuki4uさんの意見は、外交上のアイテムとして古事記はふさわしくなかったという解釈ですね。
しかし、一応古事記だって勅撰であるはずです。それならば、なぜ古事記を作ったんですか?どうして必要だったんですか?
出来ればそこを踏まえて回答頂ければ嬉しいです。

補足日時:2007/11/18 11:03
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