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ローマやフィレンツェの有名な教会はバロック様式のものが多くフランスやイギリスにあるような天を突く塔の並ぶゴシックの大聖堂がないのはどうしてだろうと思います。(ミラノにはありますね)
ローマやフィレンツェに古いゴシックの時代の教会が無くて新しい時代の様式のものが多いのはなぜでしょうか。中世のローマやフィレンツェの教会はどんなふうだったのでしょうか?大聖堂はなぜ建てられなかったのですか?わかりやすくおしえていただけると嬉しいです。

A 回答 (4件)

ゴシックが流行したのは、北フランス、イギリス、ドイツなどです。


1150年~1250年位の時期が中心となります。
ゴシック様式が盛んな時期でも、イタリアではロマネスク様式が中心でした。
つまり、ゴシック様式の建築物は、一種のブームによって作られたものなのです。
イタリアなどでは、それまでロマネスク方式で、ほとんどの聖堂などが建てられていたため、その時期の建築物は多くなく、ゴシック建築が少ないのだと思われます。
しかし、ルネサンス以降の建築様式の発展によって、さすがに古くなった聖堂などの建替えが進んだのだと思います。
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます!
「ブーム」ですか!そういうふうに思えば理解できる気がします。キリスト教の歴史としてはフランスやイギリスより早いはずのローマにフランスやイギリスのより新しい様式の教会が多いのはどうしてだろうと思っていました。つまり以下のような解釈でよいのでしょうか?
イタリアはフランスやイギリスでゴシックの聖堂が建てられる時代以前にロマネスクの教会がすでにできていた。その後北ヨーロッパでゴシックの聖堂を建てるのが流行しても新たにその様式で建てようとはしなかった。でもルネサンス期になって建築技術が発達してよい建築家も生まれてきたのでその後バロックの時代にかけて、新しい様式で、多くの古い教会を改築した。
これだと、とてもよくわかりました。これで間違ってないでしょうか。

お礼日時:2007/11/21 23:55

あくまで想像なですが、、、



教会の建築物がいきなり多くなった理由は、フリーメイソンだと思うんですね。
彼らのシンボルは定規とコンパス。
建築に不可欠な道具ですよね。


彼らの発祥は中世だと言われていますが、もっと遡るとエジプトにあると思えるんです。

ここから怪しげな推理で申し訳ないのですが、、、、


ピラミッド。
現代の建築技術を持ってしてどうにかできるのに、古代の人たちが一体どうやって完璧なあの建造物を作ったのか といわれますよね。
フリーメイソン。

石工技術職のギルド(組合)。
どの人がどれだけの技術を持っているか、階級をつけることで、どれだけマスターしているかわかるようにした。

ちなみにイエスのパパ ヨセフは大工だとされますが、ピムという言葉がその系統だと思って大工とされたんですが、後にこの単語は測量関係の単位かなにかだったそうです。
従ってヨセフはフリーメイソンの前身、石工職人だったってことになります。


モーセなどはグランドマスターだったんじゃないかと言われています。
占星術や測量技術、はたまた他の地域から石を調達するなど、いろいろな能力を持っていたのでグランドマスター。

で、その門外不出の技術をモーセが外に持ち出した。
モーセは普通の人々を率いてエジプトを脱出したのではなく、職人達をひきつれ、エジプトを脱出した。
それで王は追いかけていって連れ戻そうとした。
(という風に考え聖書を読むとおもしろいんですね。)

で、モーセがエジプトから出て、その後子孫がとうとうパレスチナに巨大建築物を建てた。
それがエルサレム神殿。
エルサレム神殿は今ありませんが、かつてそこに3つの塔が立っていたそうです。
ちなみにピラミッドは墓じゃなく神殿だという説がある。


時は流れ、その神殿もローマ帝国が粉々に破壊した。
石工ギルドも戦争によって世界に散ってしまった。


さらに時が流れ、職人達はイギリスあたりに集まった。
そしてそこからいきなり天を突く塔形式の教会の建築物がニョキニョキ生えてきたわけです。

フリーメイソン(石工ギルド)はフランスにもいました。
同じく ニョキニョキ。


そしてめいいっぱい建築物を建てると、そこから建築物ではなく思想の神殿を建てることになり、建築するのをやめてしまった。

そしてフリーメイソンという思想集団が世界にロッジを持つことになり、神の家を思想上で建てることになった。 と。

何故イタリアに少ないのか?
フリーメイソンとなる石工職人がいなかったからじゃないかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA% …

いますね・・・
でも建築系じゃあ無いので、石工職人じゃなくなった後に参入したんじゃないかと。
建築をやめて思想集団になったのは17世紀頃からだったと思います。
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書いた後で、シシリアにはあるかとちょっと不安になり


ゴシック シシリア で検索したら、出てきた。
が、ホームページをつくった個人の誤解のようだった。

シシリアはノルマン人が、いったんノルマンディに定着したノルマン人が移ってきたり、神聖ローマ帝国のドイツ人皇帝が常駐したりしたので、ゴシックの可能性もあるのですが、やっぱりイタリアに来るとイタリア好きになるようだ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

キリスト教美術とか教会建築とかに興味をもって、いろいろ知りたいと思うと、次にはさらにそれが生まれる下地となった歴史もまたおもしろく思えて興味が尽きません。
いろいろ教えていただきありがとうございました!

お礼日時:2007/11/24 16:35

ゴシックとは



ローマ人A:おいおい、みたかい?北フランスとかドイツのあの尖塔
ローマ人B:ああ、みたみた、かっちょわるい。だめだね、田舎ものは
ローマ人A:そうそう、ゴート人の趣味だよ、まったく、野蛮人
ローマ人B:あいつらさ、森の中でどんちゃららってやってるから、街中まで、あんな木みたいな教会立てるんだぜ。

ということで、あのような様式をゴシック(ゴート式)と呼んでさげすみました。
無論、ゴート人は、イタリアからスペインを支配したゲルマンの一派で、北フランスやドイツとは直接関係ありませんでしたが、ローマ人にとっては直接イタリアまで攻撃してきたゴート人がゲルマン人の典型であり、野蛮人の典型でした。

そう思っているローマ人が、ローマにゴシック様式を立てるわけがない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!とてもよくわかってきました。
私はある時代に作られる建築物はすべてその時代に特徴的な様式で建てられるのだと思っていました。だから中世のイタリアの教会がないのが不思議だったのです。
ゴシックはひとつのはやりだったのですね。そして「ゴシック」という言葉の意味がそういうことだとも知りませんでした。
つまり、洗練された(と少なくとも自分たちは思っている)イタリア人のセンスから見たらゴシックは田舎臭い(ダサイ)もので、あんなものは作りたくなかったのですね。

お礼日時:2007/11/22 00:05

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