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太平洋戦争中における米軍が日本軍よりも大量にパイロット・船員を育成量できた原因はどのへんにあるのでしょうか。歴史に詳しい方教えてください。

開戦時には、日米の飛行機や艦船数の差はそれほど大きなものではなかったと思われます。(だからこそ勝ち目があると考える人がいた)
これが終戦時には米軍は日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船を運用しています。
工業力に優れる米軍が、日本軍の10倍、20倍となる飛行機や艦船というハードを作る事が可能であった事は理解できますが、ソフトとなる
飛行機の搭乗員や船員を育成するには相当の時間が必要と思われます。
単純な人口比で言えば、米国は日本の2倍程度ですので日本軍と同様の育成システムであれば、ハードはどんどんつくっても、動かす人(ソフト)が足りずにせいぜい、日本軍の2倍程度の飛行機や艦船が運用可能となると思うのですが。
中盤以降、日本軍はどんどん消耗していくので相対的な倍率は差がついてしまうとは思いますが、米軍の飛行機や艦船数の膨張率も相当と思いますので、これに追いつく育成方法があったのでないかと思うのです。

A 回答 (13件中11~13件)

まず機械に触れる機会が絶対的に多かったことがあります。


自動車、航空機についてアマチュアといえる層が絶対量として圧倒的に差がありました。

船員についても船舶の絶対数に越えがたい差がありました。

これらの環境条件に加えて標準化やマニュアルによる学習システムが発達していました。
パイロットの養成は確かに時日を要しますが、訓練に金をかければ短時日でも可能です。 実修に必要な機材、整備員が豊富であれば可能なことです。  事実日本でも基本的な技術については促成していました。
パイロットの飛行時間が意味をもつのは実技が重要だからです。

さらにハイオクタン燃料や機材の改良速度がかなり違っていたとおもわれます。  しかも防御装甲や自動消火装置、防弾タンクの技術が基本的に違っていました。

日本軍は攻撃優先で非力なエンジンしか開発できなかった為防御を度外視せざるを得ませんでした。  これが結果的に損害を増大させたのです。  
基本的に投資効率と重点目標の差が物をいったのだとおもいます。
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この回答へのお礼

パイロットの養成は確かに時日を要しますが、訓練に金をかければ短時日でも可能です。 実修に必要な機材、整備員が豊富であれば可能なことです。  事実日本でも基本的な技術については促成していました。
パイロットの飛行時間が意味をもつのは実技が重要だからです。

まさにこの部分が質問の主意です。
基本的な技術については、教える中身を取捨選択すれば促成は可能だと思います。
しかし、実技の部分については米国でも1日は24時間であり、人間工学からそれなりの休憩時間を与えなければならない事を考えれば日米でそれほど差が生じるとは思えないのです。
むしろ人権意識の希薄な日本の方が無理やりな詰め込み教育が可能だったのではないかと思うのですが。

お礼日時:2007/12/02 00:30

アメリカ軍の搭乗員育成は徹底していました。


客船を改造した2隻の練習用空母(『ウォルバリン』と『セイブル』)をミシガン湖に浮かべ、充分な発着艦訓練を行なった上で、戦地へ送り出したのです。初歩的な技量を持った艦載機パイロット17820名が短期間に育成されました。艦載機より楽な陸軍機搭乗員は、さらに多数だったでしょう。
アメリカ軍は戦場で、パイロットの疲労を防ぐため1機につき2名ずつの交代制にしたり、長期休暇を許したりしましたが、対する日本側は疲弊したパイロットへ軍医が「栄養剤」と称して覚醒剤を注射・・・地力が違うというより、合理性の差かもしれません。
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この回答へのお礼

そうですね。日本軍の場合正面戦力を重視して離陸は出来るが着陸は出来ないパイロットでも実践配備しようとしますが、結局一回限りの使い捨てですよね。
あちらさんは、一応離着陸出来るパイロットを作って、出来るだけ長く使おうという発想をするのですよね。
合理性の差ですか、なるほどです

お礼日時:2007/12/02 00:22

開戦時、軍艦の数は日本とアメリカでは大きな開きはありませんでしたが、民間船舶はアメリカのほうが20倍、イギリスのほうが10倍ほどありました。

つまり船員についてみれば、土台開戦時から数が違うのです。平時に日本は中国、朝鮮と本土の間の貿易が大半で、原油をカリフォルニアやインドネシア(結局米蘭資本)から輸入していたくらいです。それに比べアメリカはヨーロッパとの物流、あるいは西海岸と東海岸を結ぶ物流を海運に頼り、イギリスはインドや中国との貿易を海運に頼っていたのです。

 パイロット育成ですが、これは確かに開戦時にそこまで大きな開きはないです。アメリカでは郵便などを空輸に頼っていたことなどもあり、確かに日本よりは開戦時も数が多いでしょう。ただその後の膨張は、日本より大規模に育成していたこと、ベテランパイロットの戦死率が低く、教官となる人材が日本より多かったこと、戦闘機についていえば一撃離脱戦法が主流で要求技量が低かったこと、といった理由があると思います。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
民間船舶の土台が違うという点は理解出来ますが、米国はその量が必要であり、またそれなりの民間船舶量を維持していたから圧倒的な飛行機や艦船の生産が可能であったのだと思います。
民間船舶の人員を根こそぎ軍に持ってくれば、軍の船員は充実しますが民間船舶が細くなり、歴史が示すよう生産量は不可能だったのではないかと思います。
パイロットについては、教官となる人材が多かったことはなるほどと思いますが、それが短期育成につながるとは思えません。例えば優秀な先生を集めた場合、工業高校のような実技を伴う教育でも3年の教育課程が半年で済むとは思えません。
要求技量が低かったという点は、大きな意味があったと思います。

お礼日時:2007/12/02 00:17

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