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第2次世界大戦前の西欧列強の植民地統治についてお尋ねいたします。日本の朝鮮・台湾の統治と比較した場合の特徴的な違いなどありますか?

A 回答 (5件)

植民地化には、3つの方式があります。


1つは、本当の殖民地
本国人を入植させ本国に統合、または本国と同一の文化を持った地区を作ってゆく方法
代表的なのは、ロシアのシベリアへの殖民、イギリスのアメリカへの殖民、スペインによるラテンアメリカへの殖民、ドイツ東方殖民などです。
植民地の人口が少ない場合によく行われます。
日本では、満州への殖民、台湾がこれに近い状況にあります。

2つ目は、本格的殖民は行わず、経済的支配のみを目的に行われた植民地
植民地をあくまで本国の利益を得るだけの存在として認識し、本国で必要とされる物資の供給と本国生産物資の市場としての機能のみを追及した植民地です。
特に植民地の文化が著しく本国とかけ離れており本国への統合が不可能の場合に行われます。
欧米のアフリカの植民地や東南アジアの植民地がこれにあたります。
ほとんどの場合、植民地が独立しても植民地化されている間に経済状態が本国依存の状態にされてしまっているため、本国依存からなかなか抜け出せません。

3つ目は、一定の文化を持った国や地域を占領という形で支配した植民地です。
この場合、ほとんどが軍事的支配を必要とします。
この手の植民地は、現在では無くなっています。
独立後は、旧本国と敵対関係になっている場合が多くなっています。
ロシアのカフカス地区・中央アジア地区、イギリスのインド、フランスの北アフリカ地区、アメリカのキューバ、中国のウイグル・チベット地区、日本の朝鮮・韓国などがこれにあたります。
最近のラテンアメリカの反米化もこれに近いものがあります。

日本では、2つ目のタイプの植民地を持ちませんでした。
また1つ目のタイプの満州は、3つ目のタイプを兼ねているもので、スペインのマヤ、インカ地区への殖民化と似た関係にあります。
いずれにしましても、日本の植民地化していた期間が、欧米に比べ短期間であった事が、特徴的な違いになっています。
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 それぞれの国の植民地支配の性格は、その国策に従って形成されます。


 
 その当時の国際情勢を知ることが、それぞれの国の国策を理解する近道となりますから、先ずそこから述べたいと思います。

 韓国併合の頃の世界情勢は、1等国といわれ広大な海外植民地を所有したり広大な国土を持っている、イギリス・フランス・アメリカの3カ国と弱体化したロシア(日露戦争とそれに続く革命騒ぎで1等国から脱落。)の勢力圏であったバルカン半島に勢力を伸ばし1等国として不動の地位を作りたいドイツ、ロシアの勢力圏であった満州を勢力圏とし1等国の仲間入りを目指す日本を軸に動いていました。

 すでに広大な土地を自分のものとしているイギリス・フランス・アメリカおよび、国土は広いものの国力が低下しつつあるロシア(革命後は混乱状態だったソ連)は、当時の国際情勢の現状維持が国益と考えていました。
 しかし、支配する土地が狭いドイツと日本は、支配地を広げないと、1等国の地位を失い、他国の顔色を伺う(それがいやでアメリカと戦争を起こした日本ですが、敗戦により軍事的には完全にアメリカの顔色を伺う状況になっています。)ことになるため、他の民族の居住する土地を新たな勢力圏にすることが国益と考えていました。

 他民族が多く住む植民地を支配する場合、その土地の民族を教育せず国土の開発も必要最小限にとどめるようにすれば、植民地からの利益の増加は少ないものの、ここの植民地の民族の力が弱いままになるので、本国に対する独立の動きをコントロールしやすくなります。
 フランス・イギリスの場合、個々の植民地からの搾取が比較的少なくても支配地が広大なため、本国の国力に対する貢献は大きなものとなりますから、この方法を選びました。(これが、一般に言われる植民地)
 
 支配地が少ない日本がこれらの欧米の強国と互角の国力になるためには、支配地を極力経済発展させ、本国と一体化することが必要不可欠です。
 その最初の実験台が、民族としての独自の歴史・文化の形成が未熟であった台湾でした。
 この台湾を日本と同化して、経済を伸ばす政策はかなりの成功を収めました。

 その成功例を繰り返すことを目指し、独自の民族としての長い歴史を持った朝鮮を、同じように開発し朝鮮人を日本人化し、日本の国力を増大しようとしました。
 
<朝鮮支配の結果>
 民族意識の出来上がっていた朝鮮で日本人同化政策を取った結果、当時の日本の法の多くが朝鮮半島に住む朝鮮人にも適用され、問題の発生原因となりました。

 この頃の日本経済は、財閥による独占資本主義の時代で、日本では労働運動・社会運動・女性人権運動などを、ロシアに起こった革命と同じことが日本に起こるのを恐れ、政府は厳しく監視していました。

 1923年関東大震災では、焼け野原となったため東京の治安が大きく悪化し、デマ・うわさ・憶測で多くの悲劇が起きました。
例を2つ
1.甘粕事件。
 社会運動家の大杉栄・伊藤野枝および大杉栄の甥、橘宗一(当時6歳)、憲兵隊により惨殺。橘宗一がアメリカ国籍を持っていたため、アメリカが関与し、問題が表面化しました。
2.震災後の朝鮮人虐殺。
 うわさに踊らされて、被災した人々が作った自警団が朝鮮人と疑われた人々を虐殺。真相不明・被害者も日本人を含む多数でした。

 このような時代を背景に、国民の不満・不安をコントロールするための飴と鞭として「普通選挙法」と「治安維持法」が成立しました。(1925年)

 この「治安維持法」によって、多くの新しい考え方をする人々が、社会的治安を乱す恐れのある考えの持ち主として、思想犯・政治犯として逮捕・取締りを受け、取調中の拷問・獄中死などが続発しました。

 日本本土では社会主義思想家・労働組合幹部などがその対象となりましたが、朝鮮半島ではそれに加えて、「朝鮮独立」を口にした人々が、その取締りの対象となりました。
 朝鮮独立=併合によって一つになった日韓の分離独立の考えを他人に広めることは、当然治安の維持に反する行為なのですから。

 この法律によって、多くの高等教育を受けた指導的な朝鮮知識人が、投獄されることになりました。
 
 当時の日本にとって、治安維持に反する行為を取り締まる、当然の法の運用でしかありません。(「朝鮮独立」を唱える人々のほとんどが朝鮮人であったのは当然ですが。)
 また後に、1945年に戦争が終わって朝鮮半島に朝鮮民族による独立国家ができた結果、治安維持法のもとで獄中死・刑死した人々が、「独立」の先駆者として、英雄となり迫害による殉死者とみなされるようになったのもまた、自然の成り行きなのです。

 尚、日本が朝鮮半島に投資し建設したせっかくの産業基盤も、その後に起こった朝鮮戦争で、ほとんど破壊されてしまったので、現在生きている韓国の人々には、日本が投資した産業設備の恩恵を韓国が受けていたという実感は、ほとんど与えていません。

<参考>歴史は繰り返す
 歴史では同じようなことが、繰り返されます。
 
 フランス革命によって、力を得たナポレオンがドイツに軍を進め古いドイツの小王国が倒れた結果、その影響下で新しく改革を進めたドイツ国民は、民族意識に目覚めフランス人をドイツから追い出す運動を始めました。

 最近でもイランの王様が、石油を売って得た多くの収入を使って、アメリカの技術を使って経済開発をしたり、国民教育をしたところ、国民が民主的になって「国王が直接政治をしているのは、おかしい!」と言い出して、国から追い出されてしまいました。

 イギリスやフランスは、それがいやだったので、植民地の人をあまり教育しない(1年間の儲けは少なくなりますが・・・)方針を取りました。
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西洋は植民地で現地民を奴隷化し、搾取するのみでした。

日本は植民地を整備し自国化しようと努力しましたが現地民が協力しなかったためにうまくいきませんでした。
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西欧列強は、植民地にしたあとその国の国民を奴隷化した国も有ります(ベルギーはコンゴでこれを行いました。

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西欧は獣動物の住んでいる土地を統治しただけです。


人間扱いしていません。
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