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私はすでに10年くらいこの病気と関わっているものです。
初めてかかったのは、おそらく高校生くらいのことなのですが、病気と強く認識するのが遅く、3年程前から心療内科に通い、薬を飲むことになりました。3つ行った病院の全てで、強迫神経症と判断されました。薬は毎日パキシルを飲み、調子の悪いときはレキソタンを頓服で服用していました。

たまに薬を飲み忘れるときや、期間の開いてしまうときもあり、仕事を始めてからはそんなに病気のことが気になりすぎることはありませんでした。しかし仕事の都合上海外で働くようになり、薬をやめてしばらくした頃、また症状が気になるようになりました。

日本の先生は、海外では精神障害の症状も全く異なるから、現地でパキシルやレキソタンといった薬を手に入れることは難しいだろう、と言っておりました。そのときは、そんなに病状が強くなかったので気にしていなかったのですが、ここへ来てまた頭を悩ませております。

ちなみに、症状は強迫観念の方で、確認行為といったものは全くありません。ただ、日常の些細なことにも優先順序を付けて順番どおり1つ1つ片付けていかないと気が済まず、メモ書き等をして整理しようとするのですが、書いたメモの存在がまた気になる、という悪循環です。

サイトをあれこれ見た結果、行動療法を行うのが良いのかな、と思ったのですが、行動療法は強迫観念の症状には適用するのが難しいようなので、途方にくれているところです。何か良いアドバイスがありましたら是非お聞かせ下さい。

A 回答 (7件)

続けての回答になりますが、貴方が、私の言った事を、ある程度理解しようとしていますので、もっと、奥深い事を話します。

多分分からないかも知れませんが、それで良いかと思います。只今は、分からなくても将来、分かる時が来るかと思います。

「平常心是道」という言葉を聴いた事が在るかと思います。この「道」という意味は、「あたりまえの心」ということです、神経症との対比なのです。お釈迦様の言った「一切皆苦」と言うのは「神経症」の事なのです。嫌な事、或いは、忘れられない事等を、「意識」して心から排除しようとして、楽しい時でも、楽しいという、感情が沸かなくなってしまう事、なのです。普通の人は、明けない夜は来ないとか、冬来らば春る遠からじ、そんな言い方をします。意識し続けて、不安を恐怖にまでしてしまい、地獄まで作ってしまう。それが、人間には宗教が必要と言う事なのです。

ところで、貴方の神経症の事ですが、貴方の症状は雑念です、妄想です。貴方が、勝手に作り出しているものです。ですから、雑念はそのままにしておくことです。雑念をそのままにして、受け流す事です。そして、普通に生活してゆくことです。症状(雑念)を大事にするか、目の前の事(平常心)を大事にするか。この事が、神経症になるか、普通の生活になるかの、分かれ道となります。

平常心と言う事が分かった時には、貴方は神経症を脱した時です。その事がはっきりと分かったなら、その時は「見性」しているかも知れません。私が学んだ森田療法の師である鈴木知準先生が言っていた事を言います。「ノイローゼは悟りを開かないと治らない。」貴方には将来分かる日が来ると思います。今は、良くても喜び過ぎないように、落ち込んでも、落ち込み過ぎないようにして、ただたんたんと目の前の生活に、励んでいってください。
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この回答へのお礼

強迫症に森田療法は向かない、という話をどこかで見たことがあるんですが、どうやら正確ではなかったようです。実際どんな治療をするのか結局あまり理解出来ていませんでした。このような教えを通じて雑念を受け入れるよう慣れさせていく方法なのですね。何か妙に納得してしまいます。

>嫌な事、或いは、忘れられない事等を、「意識」して心から排除しようとして、楽しい時でも、楽しいという、感情が沸かなくなってしまう事

というくだりは、あまりに当てはまっていたので驚きました。自分の感情をコントロールしようとするあまり、本当に大切な感覚を損なってしまっているんだと思います。ただたんたんと過ごすことが何か悪いことに感じもがくのではなく、それを受け入れる勇気がいつか解決への糸口を与えてくれるものだと信じます。

同じ経験をされ、立ち直られた方から親身になってお応えをいただき、救われる思いでした。何とお礼を申し上げてよいか分かりません。
道のりは長いかもしれませんが、時折いただいたアドバイスを思い返し、根気強く付き合ってみようと思います。
心より感謝申し上げます。

お礼日時:2008/02/14 09:25

神経症を30年くらい前に卒業した者です。

14歳から18年懸かってしまいましたが、完治した者です。神経症とは、その元となっているものが、人生に対して、或いは自分に対しての疑問からかと思います。それが元にあって、不安を感じやすくなって、その事で不安を恐怖にまでしてしまいます。

人生に対する認識の誤りがその根底に在って、そういう風になります。自分は、一番症状が重い時に、「森田療法」に出会って、2ヶ月間入院しました。治ってから、約30年経ちました、神経症になった事も、入院した事も全て忘れていて、28年経って、インターネットなどで「神経症」で今も大勢の人達が苦しんでいるのを知って、何か出来ないものかと、考えています。ところで、貴方は強迫神経症との事です。神経症の原因と治りに付いて、説明したいと思います。その先輩として。

神経症の始まりは、意識するところから始まります。意識しないで、無意識にやれば、なんとも無い事を、意識してしまいます。その意識が頭から、離れなくなってしまう事です。それがどうして、起こるかと言うと、世の中の認識の誤りから来ています。どういう風に誤っているかと言うと、よい事と、悪い事とものを二つに分けて見る見方から起こります。

具体的に言いますと、自分の感情の事で説明すれば、分かりやすいと思います。「好きな事、楽しい事」をよい事として見ている事です。是だけでは、何とも有りません。ところが、嫌な事、好ましくない事等、そんな感情が沸いた時です。その時に、ただ嫌な事と受け流せれば「神経症」にはなりません。神経症になる原因は、それを受け流さない事です、妙に意識して、それを強く意識して、自分の意識から「排除」しようとします。それが、「神経症」の始まりです。

何か、嫌な感情が沸いた時に、それを意識して、今度はそれを排除しようとする。この事が「神経症者」の「人間の心」の認識の誤りと言えます。世の中を論理的に考える「クセ」が付いてしまった、現代の、又は人間の苦しみの始まりと言っても良いかと思います。貴方の他にも、沢山の様々な症状が世の中には有ります。ですが、その根本原因は、自分自身の心のメカニズムの無知から「人間」は苦しんでいます。

神経症の治りというものを、説明します。認識の誤りを正せば良いのです。悪いものと、良いものを二つにして見ていた、見方を変えればよいのです。具体的に言います、例えば、心地よい感情が沸いた時はどうですか、手を加えないはずです。悪い感情が沸いた時はどうですか、嫌だと思って手を加えようとしていませんか?そのままにしておく事なのです。良いものも、悪いものもそのまま受け取る事なのです。

従って、貴方が「神経症」を解決した姿とは、その「症状」を受け入れる事が出来た時なのです。ですが解決したと言っても「症状」は続きます。その「症状」がその症状を受け入れることによって気にならなくなる時があります。その時が、完治した時です。その時は貴方が自分自身を知る時です。そして自分自身を全て受け入れるときです。
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この回答へのお礼

目の前が少し明るくなった気がしました。
何故神経症が始まるのかということを分かりやすく説明していただけてありがたかったです。

余計なことは考えたくない、そして頭の中を整理させたいと思う気持ちが逆に神経症に導いていたんですね。出来るかは分かりませんが、排除したい考えも普通のこととしてあまり意識せず、少しずつ現状を受け入れられるようになるよう頑張ってみます。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/02/13 17:52

ANo.3のthirdforce です。

よく理解してくれて、うれしいです。治ったと言うより、かなりましになりました。30年以上かかりました。ましになった原因は、母と姉と僕の3人暮らしで、母は介護で、家でなくなりました。本人も辛かったでしょう。よく怒りました、後悔してます。同じ介護するなら、笑って介護してやるべきで、今でも、後悔の念が消えません。その後、一年以内に、姉が脳の病であっという間に亡くなりうつ状態になり、テレビも、パソコンもする気も起きず、食事も、たべれなくなりました、僕の病気で経済的に,困ってました、姉は僕より8歳年上で、母と、姉をかねたようで、迷惑をかけて、本来なら僕が家計を支え、家族をやしなっていくべきそんざいです。その他、離婚などいろいろいやなことばかり続いて、この有様です。
良くなった原因は、正直いってよくわかりません。年をとり強迫行為がつかれたのか、母と姉が一年以内に亡くなり、頼る人がいなくなり、それが原因か、薬が徐々に効いてきているのか良くわかりません。
今思えば先にも書いたように、病に逆らわず、仲良く付き合っていくような、心構えがあれば、早く良くなっていたような気がします。
焦らず、落ち着いて誰にでもある、観念を無理に排除しようとせず、のんびり、そのうち良くなると確信して、過ごしてください。きっと早く良くなるはずです。さようなら。
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この回答へのお礼

自分も介護の経験がありますが、後になって振り返るとあぁしておけば良かったと、後悔の念が絶えないものですよね。
でも、そのときは自分に出来る精一杯だったんだと自分に言い聞かせています。

ケースは異なりますが、少しはこうした観念を受け入れる覚悟を持ち、
意識しすぎないように気をつけようと思います。出来るか自信がありませんが、頑張ってみます。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/02/01 17:12

森田療法については、「生活の発見会」という自助グループがあります。


会員になると機関誌「生活の発見」が送られてきます。
この機関誌を読むと、みんな努力していることがよくわかります。
上海にお住いとのことですが、上海に送っていただけるかどうかはメールで問い合わせるといいと思います。

以上

参考URL:http://www.hakkenkai.gr.jp/
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この回答へのお礼

他の方々の苦労や努力を知ることで、自分だけではないという安心感から、少し強迫観念から開放されるかもしれませんね、ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/01 09:51

海外へ行く場合、必ず、医師の、診療内容、投薬の薬、症状などを書いた書類を持って行くべきです。

国によっては、薬があるかないか、わかりませんので、期間によっては、出国時に、可能な限りの、量の薬をもって行った方が、いいでしょう。医師の処方箋があれば、税関を通してもらえるはずです。それと順序だてて、物事をやる行為そのものが、強迫行為です。メモ書きを利用するのも、強迫行為です。僕も強迫行為で悩まされています。しかし、メモでチェックしたり、などの行為は、返って、悪化するのです。そういった小手先の行為は、止めたほうが、ましです。なぜなら、チェックしたかどうかも、気になるし、順序だての行為から、頭は離れず、ますますとりつかれます。まずは、行動療法、カウンセリングなども、いいかもしれませんが、そういった行為を、自分の癖だと思い、誰にでも癖や。縁起担ぎなどありますので、それくらいの考えで、自分の場合は人より癖が多いと位、思い人生そういった時期があると、焦って治そうとか考えず、のんびりして、とおりすぎるのを待とうと、考えたほうがいいです。薬もいいのが、ありますし。
繰り返しますが、焦って小手先の、行為で治そうとしないほうがいいとおもいます。僕の強度の、強迫行為の経験上からです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、目から鱗でした。結局その順序立てた行動をしようとすることが強迫行為そのものだったんですね。メモで書いたりというのが良いという話もどこかに書いてあったので続けても良いのかなと思っていましたが、自分のやり方は確かに悪循環を招いていると感じました。
thirdorceさんは強度の強迫行為からどのように立ち直ったのですか?

お礼日時:2008/02/01 09:50

海外での医療についていくつかできることとして


●日本の主治医に英文の診断書を書いてもらえないか
 お願いしてみる(ただし、日本語の診断書より費用がかかります)
●英文の処方箋など医師が薬について証明する文書を必ず携帯し、
 薬を持ち込むか、現地で似たような薬を処方してもらう

といった方法でしょうか。ただし、メンタル系の薬物の中には
国によっては持ち込み禁止になっているものがあるので、
持ち込み禁止指定になっている薬物を調べたり、代替できる薬にするか、
場合によっては在日大使館に問い合わせるのもいいでしょうね。

さて、森田療法については、外来と入院2つのやり方がありますが、
個人でやるのは難しいと思われます。外来でも「日記療法」といって、
自分が一日に起こした行動を日記にまとめ、それを治療者(医師など)に
見せてコメントをもらうというやりとりをとおして、自分を見つめ直す
という過程になります。「生活の発見会」という自助グループで行う
やりかたもありますが、書いた日記に森田療法的なコメントを
いただけるといったやりとりができなければ、個人でただ日記を
書くだけになってしまいますので、あまり意味がありません。
http://www.mental-health.org/mh13-3-11.html

ちなみに、森田療法と行動療法は全くの別物です。
森田療法は「森田神経質」といって、神経症患者にほぼ共通する
性格傾向に着目し、性格傾向からくるさまざまな不安や恐怖と、
その裏にある人間の「より良く生きようとする欲望」をも
受け入れることで症状を治していく、という心理メカニズムに
働きかけるものです。行動療法は「行動主義」という、数十年前の
心理学の一つの視点にたったもので、「人間の行動は学習の結果である」
という前提にたち、行動の学習の“やり直し”で症状にアプローチ
していくというものです。行動療法の場合、嫌なものにあえて
触れるなど、観念(とらわれ)よりは行動中心にやっていくわけです。

最近では、人間のマイナス思考の枠組み(スキーマ)に働きかけて
プラス思考を取り戻すという認知療法・認知行動療法というものも
ありますが、どの療法にも人によって向き・不向きがありますので、
できれば事前に医師と相談をしたほうがいいですね。
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この回答へのお礼

非常に貴重な情報をありがとうございました。
おかげさまで各療法につき、なんとなく理解することが出来ました。
やはり強迫観念を弱めるのはお医者さんが一番なんでしょうね。
もう少し勉強してみます。

お礼日時:2008/01/29 20:14

現地で医者にかかったらどうでしょうか。

薬はそんなに強くないものですから、似た薬でもじゅうぶんです。ソラナックス・デパスその他マイナートランキラザーは何種類も有りますから、そんなに心配はいらないのでは?レキソタンは不安神経症にも使われていますね。症状としては、薬を飲むのを忘れてしまうというのは、医者から見ればとても良い事ですね。今また症状がでてきましたが、その繰り返しでしょうね。意識はしないという事は無理なので、症状にひたされながらも、仕事や家事をするしか方法は無いと思います。あるがまま、なすがまま、にする。森田式等は行動療法ですが(森田~医者~が神経症になり、経験から生み出した療法。)これは何も与えないところで行動をさせるようにします。仕事が有る以上、避けては通れませんから、行動療法と同様、自分がおかれた環境の中でひとつひとつ行動していくしかないですが、それで良いのだと思います。脅迫も強度の不安もたいして変わらないし、薬も変わりません。メジャーをしようすることなく、あるがままに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
やはり現地にもおそらく薬がありますよね、、なぜ先生はあんなことを言ったのかは謎です。薬を飲んでいるときは症状は和らぎはしましたが、おそらく余計な観念は多少なりとも残っていました。語学の心配がありますが、このまま続くようでしたら思い切って病院に行くことも考えなければなりませんね。

私の場合、仕事が忙しいとき、やることが多いとき、切羽詰ったときというのはあまり余計な観念に捕らわれる余裕が無いのですが、時間のあるときに限って悩み込んでしまうんですよね、、厄介な症状です。

森田療法は、ちょこちょこインターネットを使って調べているのですが、なかなか実態がつかめていません。勉強不足です。個人で出来るものなのでしょうか。

お礼日時:2008/01/29 10:34

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