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関根正雄訳 ヨブ記第14章 第1節
女から生まれた人は
その生命は短く、不安に満ちている。

注釈には
『「女から生まれた」という言い方には人の汚れの考えが含まれている。』、との記述があります。
この注釈は「人の汚れ」といっているのであって、「女性の汚れ」とはいっていません。つまり女性については、直接には何も述べていません。「女から生まれた人は」は、つまり「神ならぬ人は」と同義なのだと思います。
さて、ユダヤ教には「女性は汚れている」といった考え方がありますか。その考え方が仮にあるとき、仏教や日本の神道と比較して程度の軽重を述べることができますか(仏教には、女性は汚れているとの考えはない?)。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

性差による汚れの区別はないように思えます。


ヘブライ語聖書における汚れ(タメー)とは、あくまで宗教的観点からのものなので、
神の前で汚れている、清いとは、神と交わることができるか否かが意味されます。
なので女性だから汚れた存在であるという考えには至りません。

比較に関しては門外漢なので、他の方にお任せします。

この回答への補足

締め切るに当たって
本日は4月4日です。質問以来、2週間を経たのを機に締め切ります。
その後、新たな回答がないのは、きっとこのご回答が妥当であって付け加えることがないからでしょう。
有り難うございました。

補足日時:2008/04/04 19:35
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この回答へのお礼

>>性差による汚れの区別はないように思えます。
分かりました。他の方の見解も伺いたいものです。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/03/22 21:18

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