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こんばんは。
僕の学校の国語の授業の時間はよく賛成と反対に分れて議論をするのですが、議論に意味があるのかとても疑問です。
議論する人はまず賛成・反対を決めてその理由を考えまて発表しますよね?
そして反対の意見の人の意見に対して、その矛盾・反例を探して反論しますよね?
でもいくら議論しても最初賛成だった人が反対になったりその逆パターンもあまりないと思います。(少ない経験上)
だから議論は必要ないのではと思います。

自分の考えを持ち発表する事も大事だと思います。
相手の考えを聞くことも大事だと思います。
もし相手の考えが自分の考えと違った場合、
自分はこう考えるが、こういう考えはどう思うかと聞くのは良いと思いますが、そこでその話は切り上げるべきだと思います。自分の考えに対しこう考える人もいるのだななるほどと思った時点でやめるべきだと思うのです。
理由は上に書いた通りです。

でもアメリカではこれが当たり前だと聞きますし、
僕のような考え方は日本人の悪い癖だと言われます。

皆様はどう思われますか?
くだらない質問ですが、よろしくお願いしますm(__)m

A 回答 (5件)

こんばんは。


議論にも、いろいろあると思いますが、
国語的議論は、結論と言うものがなかなか出ないものであり(結論は無いかもしれません)どちらかというと、自分と良しと思った考えを述べると同時に他人の意見も良く聞き論点に対するいろいろな考え方を研究する機会ではないかと思います。
私の思う日本人の悪い癖は、自分の考え以上に優れた(と思われる)意見に直面した時にそれを素直に”すばらしい”と表現できずにそれまでの自分の考えに固執して反対し続ける若しくは黙ってしまうことだと思います。良い意見に出会ったときには素直にそれを"good idea”と表現できれば、良いのではないかと思います。
意義ある授業を・・・
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この回答へのお礼

>良い意見に出会ったときには素直にそれを"good idea”と表現できれば、良いのではないかと思います。
しっかり覚えておきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/12/22 20:47

自分の考えに対しこう考える人もいるのだななるほど、と感心する。

その上に、「じゃあ自分の考えと相手の考え、どっちが正しいんだろう?」って考えるのが大事なんじゃないですかね。
ひとつ意見を上げて、反対意見がでて、その二つからもっといい意見を出す、そのためにやるんじゃないですかね。議論は意見を交換するだけの場じゃなくて、意見を集めてもっといい案を作るためにあるんじゃないですかね。

他の回答者のかたも言ってますが、自分の意見に固執する傾向が日本人には強い。「道路工事はするっていったらするんだ」ってな感じで。
正しいと思うかどうかで相手の考えをじっくり味わって、自分の意見よりよかったら採用、自分の意見より悪かったらどこが悪いかを反証の材料にする。
そういう姿勢があればもっと楽しめるんじゃないかなと思います。
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この回答へのお礼

どっちが正しいか吟味する力を養うってことですよね。
でもなかなか客観的に判断するのは難しいんですよね(^^;
ありがとうございました。

お礼日時:2002/12/22 20:49

 ディベートのことだと思いますが、これは理解力・思考力・判断力・分析力・表現力などを鍛えるための極めて有効な手段です。



 どの小・中学校でも総合的な学習の時間が今年度から正式に始まり、つい最近、私が勤めている学校で、その中間発表会をしました。しかし、生徒からの質問は全くありませんでした。そうなると議論は成立しません。ただ、発表しただけで終わってしまい、考えを練り上げたり、思考を深めたり、あるいは新しい課題を見出すまでには至りませんでした。

 質問するためには、理解力・思考力・判断力・分析力・表現力などが必要です。したがって、うちの生徒はそういう力が育っていないんでしょうね。(正確には、我々教師がそういう力を育て切れていないわけですが)

 何でもそうですが、様々な力は何度も繰り返し練習しないと、簡単には身につきません。理解力・思考力・判断力・分析力・表現力などは、これから自分を生かしながらよりよく生きていくためには、欠かせない力です。

 それにディベートは、自分の考えと全く逆の立場に立って立論することもあるので、客観的態度を育てる効果もあります。そのような力を育てようとされている国語の先生は、とても素晴らしい方だと思います。
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この回答へのお礼

客観的というのはなかなか大変ですね。
先生さんなのですね。
かなり参考になりました。

どうもありがとうございました!

お礼日時:2002/12/22 20:51

あなたの先生が行われているのは、ディベートですね。


まずディベートの目的は、相手を論破して相手にこちらの理論を承服させる
ことが目的ではありません。

ディベートはその議論を通じて
・与えられた命題に対して論理的に考えるようになれる。
・相手の話し(主張)をよく聞いて理解できるようになる。
・自分の考えを言葉にして表現できるようになる
などの力をつけていくトレーニングなのです。

日本人の悪い癖とかアメリカでは当たり前とかではなくて、
これから社会に出たときに、あなたの考えを上手に相手に伝え
そして、相手の話しをよく理解できる様になるための訓練だと思ってください。

ディベートはあくまで、議論をしあう力を養う、練習方法のひとつです。
もちろんこれで、全てではありません。
あなたのご質問のなかにある、どこで切りあげるかを見極める力も
重要です。この力はディベートとは別の方法で身に付けていかなければなりません。また平行線をたどる議論にいかに結論をだすかや、どうしても相手を説得しなければならないときにどう話すのか、も必要な力でしょう。
ディベートで身に付けた力に加えてこうした力も養っていきましょう。

参考URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~kurapy/debate.html

この回答への補足

こんばんは。皆様1人1人にお礼を書くつもりですが、お礼をかく順番が前後してしまうかもしれませんが、それでよろしくお願いします。

>まずディベートの目的は、相手を論破して相手にこちらの理論を承服させる
>ことが目的ではありません。
授業ではまず先に賛成反対の立場を明確に決めます。(こっちの席から向こうは賛成、その逆は反対、というように)
そしてその側の意見から相手に反論します。あくまで自分のたつ側は議論が終わるまで固定されます。
これはディベートでしょうか?ディベートという言葉ははじめて聞いたのでよくわからないのですが。
うちの学校のその授業はやはり論破を目的としているような気がします。
僕が質問文で使っている「議論」はディベートとは違うのかもしれません。

ありがとうございましたm(__)m

補足日時:2002/12/21 23:50
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この回答へのお礼

ディベートについて詳しく教えていただいてどうもありがとうございました。
ちょっと勘違いしていたところもあってごめんなさいです。
URLもありがとうございます。

お礼日時:2002/12/22 20:52

No.4での御礼を見て思ったこと。



あなたの学校の授業で行われたことは、もしかしたら、ディベートの形式を中途半端に取り入れた、議論かもしれませんね。(そうだとすると、中途半端で、あまりよくないのですけどね。)

ディベートの場合、議題とする題材は、「どちらの立場に立ったとしても、何とか資料を集めたり、論を組み立てたりするることができるもの」に限られるからです。(例えば、男が得か、女が得か。道路公団民営に賛成か、反対か、など)

議論によって、論破するというのは、相手にぐうの音も出ないほど完璧に自分の論を正しいものとして認識させることです。実際には、そのようなことは非常にまれです。

表面上は論破したように見えても、相手の心の中にわだかまりが残るとすれば、それは単に、論議が優勢に進められたに過ぎません。

ヨーロッパ、アメリカでは、徹底的に理論で優劣をつけることが、自らを守ることでもあり、武装することですので、ややもすれば、相手がどう思おうと、うまく言いくるめる力をもつことが自分のステイタスであり、会話も、コミュニケーションであると同時に、戦いでもあります。(ちょっと偏見あり。)

でもそれによって、確かに思考の交流が図られ、お互いの思考力、判断力、表現力、考えを整頓する力などが成長すると思います。

日本人は、「まあまあ、それぐらいで」民族です。完全な優劣を人目にさらすことを好みません。会話は、心の交流。ぶつかり合わないように進められます。私は、こういう風潮は好きです。

でも今述べたように、優劣をはっきりさせることこそが、議論の意味である、という価値観を持つ民族のほうが多いと思いますし、それによっていろんな力がつくことも事実です。ディベートなど見ますと、「そこまで相手のことを否定しなくていいじゃないか。相手への思いやりはないのかよ。」と思われるシーンにもめぐり合いますが、相手を傷つけてでも、はっきりさせなければならないということは、確かに世の中にはうじゃうじゃと存在します。

特に、中学生。

友達に気を遣ったつもりで、「仲間の悪口になるようなことを議論上で言ってはいけない」という雰囲気を作りすぎです。いつか、みんなで言ってやらなければならない、仲間の短所などがあります。それを言わずに、表面上だけ仲良くしようとする。

議論を持たない民族の最大の短所です。若いうちに、ぶつかり合って、傷を付け合って、初めて、言葉によるコミュニケーションや、本当の思いやりを覚えるのです。かわいそうになるぐらい論破する、というぐらいの気持ちで議論をすることは、大切だと思います。
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この回答へのお礼

今日タバコ吸ってた友達に注意しとけばよかったな(^^;
問題点を指摘しないのはよくないですね。
説得したいときはがんばるんですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2002/12/22 20:54

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