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旧約聖書・箴言1章7節、「主を畏れることは知恵の初め。」という聖句の意味を教えてください。なるべく詳しくお願いします。
でも、そんなに詳しくはない、という方でも回答をお願いします。

A 回答 (1件)

「主を恐れることが知識の始まりなのに、愚かな者達は知恵と訓戒を蔑む。

箴言1:7」。                                                                                        初めの人であるアダムは神様を模って作られました「創世記1:26」。しかし、罪を犯すことによって神様の似姿を失いました。だから、今の私達は神様の似姿を失ってしまったアダムの姿を似て生まれたのです「創世記5:3」。つまり全ての人は罪の中から生まれるのです。                                                                                              だから、ダビテは「御覧なさい、私は罪悪の中から生まれ、罪の中で私の母は私を身ごもりました。詩篇51:5」と告白しているのです。                                                                                                    また、ローマ書5:12は「このような訳で一人によって罪が世の中に入って来たのであり、その罪によって死が来たのです。そうして、全ての人が罪を犯したので死が全ての人に伝えられたのです」と明かしています。                                                                                            だから、私達がやるべきことは、何よりも先ず罪を赦して下さることが出来る神様を信じることです。                                                                                                                    罪がある人は神様に近寄ることが出来ず、かえって死を持って自分の罪の代価を支払わなければなりません。                                                                                                                                            神様は罪を憎みます。罪の身代わりになって神様自身が殺されるほどに罪を憎みます。                                                                                        ヘブライ書9:27は「一度 死ぬことは人に定められてあることであり、その後には裁きがあります」と言われております。                                                                                                      ですから、罪の人は地獄に送り、罪が無い人は楽園に送る神様を恐れることが知識の始まりであるわけです。                                                                                                                         このような哀れな罪人である私たちのために神様はこの世に来られ、私達の罪の身代わりになられ十字架の上で血を流すことによって私達の罪を赦して下さったのです。                                                                                                            この知識が無い人、これを信じない人は愚かな人です。
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