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どんな参考書にも、うすぼんやりとしか書いてない信長の楽市楽座の目的とは、なんなんでしょうか?

A 回答 (3件)

欧風に被れただけです。



城下町の繁栄は、繁栄するほど人家も、人口も多くなり、防備上これほど堅固は無いからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/26 15:57

自国の経済が潤えば武器や兵糧をその分多く獲得できるので戦闘でも有利になります。


また他国の商人が免税を求めて移住してくる可能性もあるので、
その商人がもともといた国の経済力をそぐこともあったかもしれません。

座はスポンサーに公家や寺社をたのみ、彼らに上納金を納めることで特権的商売を行っていました。
信長は座をつぶしてしまうことで、敵である寺社や公家などの旧勢力の弱体化を狙ったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/26 15:56

こちらに、楽市楽座令(安土山下町中掟書)の原文が有ります。

安土の隣の近江八幡市が所蔵している物です。
http://novice-sj.com/newpage795.html

これを見ると、信長は自分の領国の軍事力を高めるだけでなく、日本全体の経済システムを根本から変えたかったのではないかと思われます。
原文だけを読むと、安土の城下町を日本の経済首都にしたかったとも読めますが、いずれ秀吉より先に全国を平定していたら、各地の主要都市にも同じような布令を出していたでしょう。

第1項に挙げているのは、No.2の方も言っている「座」という独占的同業組合の無力化です。
第2項で、近くを通る「中山道」を往来する商人は、必ず安土に泊まれ、とあります。
第3項と第4項は、公共工事や公用の輸送という労役を、農民や町人の義務にしないことが書いてあります。
第5項は、室町時代の後期によく行なわれた「徳政令」は、安土では適用しないとの条項です。これにより、安土で商売する商人は、安心して貸し売りや金融ができます。
第6項は、安土の住民はヨソ者を排除したり嫌ったりしないこと。
第7項は、安土では、喧嘩などのトラブルを熾さないこと。また、押売りや強引な買収を行なわないこと。
第8項は、馬の取引は安土で行なうこと、と決められています。

このように具体的な条文を見ると、楽市楽座の目的も想像できるのではないでしょうか。

なお、同ページの解説にも書いてありますが、楽市楽座は信長がオリジナルではありません。
信長が安土で始める20年前に、安土城と同じく現在の滋賀県安土町内にある、「観音寺城」の城下町「石寺」で、近江の大名「六角定頼」(源氏の末裔で、足利将軍家とも関係が深かった)が「楽市」を始めたのが最初です。
ちなみに、地理的には安土の城下町より上記の石寺の方が、中山道の本筋に直接面しているのです。

なお、紹介した「安土探求の旅」というサイトは、信長と安土の町が好きな設計事務所さんが、町興しに情熱を込めて作ったサイトのようで、かなり見ごたえのある内容になっています。

参考URL:http://novice-sj.com/index2.html
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/26 15:54

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