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哲学というのは言葉で表現するので哲学と言語は切っても切れないような存在ですよね?
頭で思考している間も言葉で思考していることがほとんどだと思います。
けれど言葉になかなか表現できないような、現在の言葉では補いきれない思考などが浮かぶこともあります。
私は哲学に関して専門的な勉強はしていないので是非哲学を専門に学んでいる方達に教えてもらいたいです。
歴代の哲学者達の本など(入門書に近いものですが)読んでみると、“言葉を数式のように扱い、答えを説いていく”と感じるような文章が予想以上に多くて、数学者に似たようなものを感じました。
数学者の方達も数式を解く時、提唱する時、数式はイメージ、ヴィジュアル、直感で浮かび、またそれを直感で解けるもの、解けないもの(存在し得ないもの)との区別感じとり、解けると感じたものを信じてその数式に挑んでいくと聞きます。でもなんとなく理解できますよね?
漠然としていて文章もめちゃくちゃなんですが哲学者と数学者は結局同じことをしているように感じます。
はっきりとした違い、境界は何かを教えて欲しいです。
どんなめんからでもいいので根本的な違いを教えてください。
酷い質問の仕方でスミマセン。よろしくお願い致します。
A 回答 (13件中11~13件)
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No.3
- 回答日時:
私も哲学の素人です。
>哲学というのは言葉で表現するので哲学と言語は切っても切れないような存在ですよね?
一応、ここでは「哲学」を徹底的に考えることと定義しておきますね。
すると、言葉なくして思考できませんから、言葉以前に「哲学」もそのカケラもないと言えます。
そして、言葉は言葉である限り、辞書と文法に認められる規範性、制度性、抽象性という一面と、言葉が誕生した瞬間にそうであったような具体性、一回性、絶対性という一面という両面を併せ持っているはずです。
だからこそ、他者同士なのにコミュニケーションができたり、それと正反対に、ある一人がその人固有の想念や心情を表現することもできるわけです。
>“言葉を数式のように扱い、答えを説いていく”と感じるような文章が予想以上に多くて、数学者に似たようなものを感じました。
純粋な詩人でもない限り、良くも悪くも、哲学に限らず、各業界で共有されている専門用語?を無意識に自明の前提として使いたがる傾向があります。
でも、多くはないですが、その悪弊をより自覚できている哲学者、用語の定義の根拠の根拠をさらに掘り下げたがる哲学者がいることも確かです。
でも、数理哲学をはじめ、いくつかの共通概念(定義)を共有していた方がより理解しやすい、時間の節約になることがありますので、業界用語を軽視するには及びません。
>漠然としていて文章もめちゃくちゃなんですが哲学者と数学者は結局同じことをしているように感じます。
>はっきりとした違い、境界は何かを教えて欲しいです。
「哲学者」と「数学者」との間にある差異と言っても、結局はそれぞれの用語(概念規定)の差異以上に根本的な差異などありえようがないはずです。
いずれにせよ、より深く考え、それをより明快に記述したり、論証したりした方が“言葉を数式のように扱い、答えを説いていく”方よりもエライとしか言いようがないと思います。
と同時に、どんなにエライ哲学者・数学者でも、すべてのことがらについて、あらゆる前提をチャラにして、ゼロから記述したり、論証したりするなんてことは不可能でしょうから、言葉についても、程度の差こそあれ、誰しも多少は数学的記号を扱うように扱わざるをえないところがあるかと思います。
大変明快にが尾回答していただきありがとうございます。
とても理解しやすかったし、大分質問する以前と比べ様々なことが整理された様に感じます。
>純粋な詩人でもない限り、…その悪弊をより自覚できている哲学者、用語の定義の根拠の根拠をさらに掘り下げたがる哲学者がいることも確かです。
そういえばデカルトは多層にでもわかりやすく文章が書ける人(違う人だったかもしれない)でも有名、というかそのような才能も持っていましたね。
他の方とのやり取りのうち言葉と数という扱う道具の差異を追求したいと書いたのですが、さらにそこから発展できました。
ありがとうございます。引き続き様々な意見、感想お待ちしております。回答順がぐっちゃぐちゃで申し訳ない。
No.2
- 回答日時:
質問の中に複数の議論があるように思われ、そのすべてに満足のいく回答をすることは難しいのですが、論点を思考の言語に対する依存性にある程度絞ってお答えしたいと思います。
私たちが日常ものを考えるとき、頭の中に一定のイメージが浮かび、それを言語にする。こう考えることはきわめて自然なことで、事実過去の哲学においてはそういった言語観が主流でした。心の中の観念、精神的言説を実際の言葉にすることが発話と呼ばれます。言語は観念を表示する記号であるという立場です。この立場では思考ないし観念が言語に先行することになります。
以上の考えはある意味では常識的です。事実ほとんどの人が言語をそういったものとして考えているのではないでしょうか。しかしこの言語観を維持しようとするとさまざまな問題があることも確かだと思われます。
たとえば、「自動車」という概念を考えて見ましょう。これまでの言語観によれば、私たちが自動車という言葉を発するときには、心の中に自動車の観念が浮かび、そしてそれに言語を与えている、ということになります。
ここである人を考えてみよ。その人は、自動車という語を発話する際、心の中に自動車という観念が間違いなく浮かんでいる。しかし、実際に発話をする際、自動車以外のものを指して「あれは自動車である」と言ったり、または自動車を指して「あれは自動車でない」と言ったりする。またさらに、自動車がいったいどういうもので、何の役に立つのか等に答えられない。私たちは、こういう人に対しては、端的に自動車を理解できていないとするのではないでしょうか。
その概念を適用できるか否かという能力が、概念をもつということを構成します。心の中にいかなる観念、いかなるイメージが浮かんでいるかはまったく問題ではないのです。音楽や風景であれば心の中に浮かぶということは正しい。しかし、概念に関しては観念の出てくる場所はないのです。
別の例をあげましょう。ある数学の理論があり、ふたりの人間がそれを学ぶ。ふたりは数式を正しく適用し、記号を正しく適用でき、結果について完全に合意したとします。しかしここでこう考えよ。一方の人間はその数学の理論を利用するときにAという心的イメージをもっており、もう一方はBという心的イメージをもっているとします。言語=観念の記号説に従えば、彼らは完全に理論の使用において一致しているにもかかわらず、そこに結び付けている心的イメージが異なっているため、実際はまったく別のことをしているのだ、ということになります。しかしこれは不合理です。
表立って現れない観念、または心的イメージを言語に優先させる理論は、意味を伝達不可能なもの、表面上一致が見られるだけであって互いが互いについて完全に理解することはできないなにか、にすることです。しかし現代の哲学においては、言語を公共的なもの、社会的伝達の手段であるということをまじめに受け取ります。ある概念をもっているということは、その概念を適用する場面において、なにかしら観察可能な違いがなければいけない。
もちろん、非言語的活動というものもあります。たとえば、自動車を運転しているときなどです。ドライバーは周辺環境を即座に把握・判断し、高度な活動を行っていますが、これが言語的活動とはまず言うことはできないでしょう。ただ、こういった非言語的活動は基本的に空間的な運動をする場面において出てくるものでしょう。主張や判断、信念といった分野ではやはり言語的な側面からアプローチをせざるを得ない。
そして概念の分析において、主役となるのが心的イメージではなく、言語の使用や言語そのものの分析となるならば、そこから踏み出す結論は決定的です。すなわち、哲学は言語哲学として可能であろう、ということです。
以上質問者さんの論点からは大幅に脱線したように思いますが、雑駁に書いてみました。最後に関係ありそうな話題をひとつ。子供が「赤いリンゴ五つ」と書かれた紙を持って八百屋に行く、そして八百屋は即座にリンゴを五つ渡す。このとき、八百屋は「赤い」「リンゴ」「五つ」という心的イメージを順番に浮かび上がらせたのでしょうか。そうではありますまい。この八百屋は端的にリンゴを五つ渡したのであり、それで彼が意味を理解したことのすべてになるのです。数学においても哲学においても、なにか言語的活動をすることがすなわちそれに対応する心的イメージをもっているということはない、ということです。
とても参考になりました!
頭の一部分が少しすっきりした感がします。
わかりやすく回答して頂いてありがとうございます。
理解するのには相変わらずまだ時間がかかりますがここからまた自分でも考えていきたいと思います。
まだまだ色々な方の意見も聞きたいので引き続きよろしくお願い致します。
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