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人にはそれぞれの境遇がある

その与えられたものを嫌々受けとめる

それができれば、なんて素晴らしいんだろう。

僕には無理だ

幸福なシジホォスは教科書の幻想

幸せって?

皆幸せになりたい

幸せになる義務があるんだ
辛いこと、楽しいこと、山あり谷ありの人生。

いつかいいことがあるよ

って

そう無意識に教え込まれてきたけど、

誰が決めたの?

辛いことばかりの世の中。
その中で幸せをいつまで待っていなければならないんですか?


自らを相対化することで、些細な当たり前なことに感動できる

それが幸せですか?

自分を受け入れる

人間はそんなに物分かりが良い生き物なんかじゃない。

他人がよく見える。それが本音だ。そう思えてならないからこそ、

自分の運命を恨む。

神話崩壊ですよ。

結局は綺麗事。

ただの妬み。


なんだろうか、お金が全てでないと堂々いえる人は、金持ちを経験した後にいえる言葉。


幸せとは幻想であり、夢であり、理想であり、結局は到達できないものだ。

僕は僕らしく泥臭く僕を拒みながら嫌々生きていくしかない。

大半の人間の幸せなんて、低俗な大衆文化に基づいている。
幸せだと踊らされているんだ。
見ていて哀れ。
なんだか、無理に自分は幸せだと信じ込もうとしているだけ。
自分の幸せ否定されたら、存在価値がないみたい。
それが怖いんだよ。

僕は幸せなんていらない。そう割り切れたら、少し自由人になれる気がする

A 回答 (1件)

本文が質問の態をなしていないようですが・・・。


題名の質問に回答すると・・・。


運命を受け入れれば幸せ、な~んて単純な話だったら誰も苦労してないですよね。

僕も貴方が本文で述べている事に共感します。(と思う。多分。)
要は、”自然に受け入れられる運命”を持っているなら、それは幸せと言えるかも知れない。
金持ってて(まあ、持って無くても良いですが)、身を削るような苦労も悲惨も解消し、望むもの全てを手に入れて。そこで殊更他人と比較する必要もなく自然と「ああ、今幸せだなぁ」と思えるなら、それは幸せと言って良いのかもしれませんね。

でも、自分から強引に受け入れようとするなら、それはウソだよね。
”そうは思っていない自分”がどうしても消えない。それは幸せというには程遠いわけで。

自分だけで何でも出来ると思ったら大間違い。それは、他者の存在を考慮していない。
自分がいくら運命を受け入れようと望んでも、それを許さない他者がいるかもしれないわけで。(殆どの人はこの状態。)他者というのは、まあ往々にして人間だったりするけどそれに限らず。境遇ってやつかな?
それは殆ど”運”とでも言うべきものですよ。自分の力が及ばない領域。ただ自分だけが”受け入れた”といって済む話でもない。自然に受け入れられる状態にする為になんやかんや努力しなければならない。(ココロの中の努力、じゃなくて現実的で物質的な行動の努力が必要。例えば、お金稼ぐとか勉強して資格取るとか友達作るとか)

そして、その”他者”というのは自分の中にもいる。自分がウソをついているその対象である”自分”がいるわけだから。



ウソも方便、ウソから出たマコト、とも言うけどね。
「俺は幸せだ。俺は幸せだ。俺は・・・」と絶えず念じ続ければ、いつか感覚が麻痺して幸せになれるかもしれないですよね。(世の中が提示し続ける”幸せ像”に無理に乗っかる)
まあ、誰にもバレないウソですよね。そういうのもありなのかなぁ?(な~んちゃって。僕はごめんです。)

この回答への補足

共感していただき有り難いです。

人の目を気にして生きているうちは、幸せではありません。

わかってるけど、無力。
物資的な努力といっているうちは、たどり着けない境地ですよ。

補足日時:2009/01/10 22:49
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