No.4ベストアンサー
- 回答日時:
大航海時代のヨーロッパの船は、ハンザ商人が使っていたバルト海のコグ船と、中国船の竜骨と、地中海の四角帆などが組み合わさってつくられました。
なので中国船が持っていなかった特徴があります。鄭和の船は真偽や誇張さえ疑われていたすぐれたものでしたが、近年になって巨大な舵が発見され、事実が確認されました。しかし、一部の面ではヨーロッパの船が優れていたのです。手元に史料がないのですが、航海技術も進んでいたようです。
しかし、スペインとポルトガル諸国が大航海事業に乗り出したのは、立地からなる事情でしょう。
イタリアの都市国家とオスマン帝国に地中海の権益が握られていた当時、一発逆転を狙うという形で、ポルトガルは国家的に沿岸航海に投資をしてアフリカ探索をおこなっていました。技術はあとから追いついた感があります。多少史実よりも船の技術が劣ろうと、彼らは大航海に乗り出していたと思われます。そのような発想は、アジアにはありませんでした。
ちなみに中国だけでなく、日本も倭寇の時代を経て、朱印船貿易時代に国際貿易時代を向かえ、各地に日本人町ができていました。なので、アジアにもそれが後に中断されただけであって、大航海時代があったと考えるのが自然ともいえます。
ご回答ありがとうございます。
なるほど。イタリアとオスマン帝国に地中海を押さえられていたのですね。だから、ポルトガルはアフリカへの航海を行っていた。特に技術が優れていたから、航海をしたのではなく、貿易規模を拡大すると同時に技術も付いてきたのですね。
新しい見解、誠にありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
羅針盤を航海で十分に実用化できたからではないでしょうか?
造船技術が優れていても外洋に航海できなければ意味ないですしね。
ご回答ありがとうございます。
確かに、いくら造船技術が優れていても、それだけでは外洋への航海は上手くいきませんね。なるほど。
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
中国の大航海時代は西洋のものより数十年前で、
明朝の永楽帝(1360年~1424年)の一大事業でした、
その後永楽帝が亡くなり、次の宣徳帝の命令が最後(7回目の航海)で、鄭和亡きあと、明は再び鎖国に入り、以降、海洋には乗り出してはいません(費用がかかりすぎるため)、なので、7回目の航海である1431年12月~1433年7月が明朝の大航海時代の幕引きでした。
船は当時の最新技術を駆使して作られ、「明史」によれば長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)という現在でも通用する巨艦であり、船団は62隻、総乗組員は2万7800名余りだったそうです。
1957年に南京にある宝船廠跡から長さ11mの舵軸が発見され、それから類推すると、「明史」の記述はほぼ正確だったそうです。
ヨーロッパの大航海時代は15世紀の中ごろなので、鄭和より少し後です。
現存する古い地図(西洋の物)の元になったのは、ほとんどが鄭和(1371年~1434年)が航海した時のものだそうです。
鄭和艦隊の航海の公式記録は、当時の官僚達が隠蔽もしくは焼き捨てたと言われています。
日本では、
室町後期から江戸初期までは、「安宅船(あたけぶね)」という大型船がありましたが、これは軍船で外洋航海には適していませんでした。
1635年(江戸初期)には「大船建造禁止令」が施行され、近海用の船しか作られなくなりました。
仙台藩が石巻で建造したガレオン船サン・フアン・バウティスタ号で慶長18年9月15日(1613年10月28日)に月ノ浦を出帆し、元和6年8月24日(1620年9月20日)帰国した、その時の正使はフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)で、支倉常長が副使として随行しています。
天正遣欧少年使節団についてはよく知りません。
ご回答ありがとうございます。
やはり、鄭和が乗っていた船はかなり大きなものだったのですね。
それにしても、総乗員が2万7800名とは驚きです。
とても丁寧な回答、誠にありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
造船の技術も大事ですが、さらに大事なのは、航海術です。
近くへ出かけるなら、陸地を見ながら行けますが、陸から遥か遠く離れた大海原では、コンパスや、天文図、気象学、などの知識が無ければ何処を航海しているかわかりません。
造船は内海用と、外海用とでは若干違います。外海用ではスペインのものが当時最高峰を行っていました。その当時の船の模型などを御覧なさい。
木造船の良し悪しは、復元力でです。大波に襲われたとき、横倒しになりますが、復元力が強ければ、ヨットのようにクルンと起き上がります。沈没し難いのです。
ご回答ありがとうございます。
なるほど。内海用と外海用では違うのですね。
鄭和が乗っていた船がとても大きかったと聞いていたのですが、やはり、大きければ良いというわけではないのですね。
ありがとうございました。
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