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 歴史上の人物の名前が地名・施設名に使われることは珍しくないかと思います。
 個人的にはその点ではアメリカが一番なのかなと思います。なにせ人名がそのまま首都名になってますし国名も人名由来ときてます。兵器の名前にも人名が使われまくっています。通りの名前やら公園の名前にもふんだんに使われているイメージがあります。
 ソ連(≠ロシア)も大都市に人の名前をつけていましたし、同じような傾向があったように感じます。
 対して日本は全くといっていいほどその傾向がありません。私が知らないだけで、実際は皆無ではないと思いますが、少なくとも大都市の名前に人名が使われているという例はないですし、旧日本軍の兵器にも全く人名は使われていないと思います。思いつくのは東郷神社くらい…
 ヨーロッパの国々についてはよくわかりませんが、地図を見ると、人間の名前(主に王家?)が結構使われているように思います。チャーチル戦車なんてのもありましたし。
 中国、韓国はどちらかというと、日本に近いように感じます。北朝鮮はまた別ですが(汗)。
 
 これらの違いは、どのような背景に由来するものなのかなと思い質問させていただきました。はっきりと答えが出るものではないと思いますが、皆様のお考えを教えていただきたいと思います。いろいろなご意見を伺って参考にしたいと思いますのでよろしくお願いします。

A 回答 (8件)

北海道の「定山渓温泉」。


「定山渓」の定山は、美泉定山(みいずみじょうざん)と言う、温泉宿を開いた「お坊さん」の名前だそうです。
日本に関しては、確かに少ないですね。

全くの私見ですが、昔の(特に貴族や武家階級の)偉い人たちには、「忌み名」の風習が長く残っていたと聞いた事があります。
「三国志」時代の中国にも有ったようですが、例えば諸葛亮は諸葛が姓、亮が諱、字を孔明。
「諱」は軽々しく用いられることは忌避され、日本に入って「忌み名」と訓じられたらしく、武家社会では明治維新まで、その風習が残っていたそうです。

つまり、日本の偉い人たちには、
「俺の名前を、軽々しく用いるな」
と言う、暗黙の風習(?)みたいなモノが有ったのでは?、と考えるのが、自分の私見です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
「忌み名」という観点ですか、なるほどと思いました。中国・韓国が似ていることも説明できますし。ただ挙げてくださった温泉のように、細かい(?)ところでは色々あるんでしょうね。教えられないとわからないようなものが多いのかも?アメリカのそれとはちょっと性質が違いそう。
 
 以下は自分で考えたことですが、特に使いたがる国は、歴史の浅い国(∵古来からの地名がない)、共産圏(∵個人崇拝)といった共通点があるかなと思いました。
 質問ではヨーロッパをひとくくりにしてしまいましたが、ヨーロッパでも傾向の強弱がありそうですし、またアジア・アフリカ・中南米についても詳しい方に教えていただきたいと思います。

お礼日時:2009/02/16 18:16

回答にならないかもしれませんが、回答します。



日本人は「氏名+名前」ですよね? その氏名にしても平民が名乗れたのが明治時代と言われています。その同時期に廃藩置県があり、政府が県名は命名しています。

江戸時代より前に氏名がある人ですと、貴族(藤原氏など)がいますが、例えば全国に藤原町は存在します。藤原氏の誰と言った由来や、そもそも藤原氏と縁があったかどうかはすべて調べてみないと分かりませんが、その他、少し調べてみただけですが橘氏(橘町)などもありました。

ついで、戦国大名などの場合、関東だと宇都宮氏、結城氏、小山氏、那須氏、佐野氏など栃木周辺だと今も地名として残っています。これはもともと「○○庄に居る△△」というようなニュアンスの土人だったという意味です。もちろん宇都宮氏のように貴族の末裔の場合もあります。

東郷平八郎氏ですが、愛知県・鹿児島県・鳥取県など5つの自治体がありましたが、東郷氏のお名前をいただいてると記憶しています。平成の大合併で今あるのは愛知県のみですが、愛知県東郷町の隣には日露戦争で活躍した戦艦の名前から日進市と言う自治体もあります。

あとは会社名なのか、個人名なのか分かりませんが、愛知県豊田市は昔は挙母町といい、その後豊田市に変わっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
あーたしかに藤原町ありますね。あれはやはり藤原氏由来なのだろうか…
あと、栃木の例については、むしろ地名が先というものが多そうですね。足利氏は足利というところに住んでいたかららしいですし。
どちらにしろ、個人を示すものではないのでアメリカのそれとは意義が違いそうですね。

東郷さんはかなり使われているんですね。さすが大日本帝国最高のカリスマですね。

お礼日時:2009/02/16 18:23

日本や中国・韓国で人の名前を地名・施設名に使用しないのは、まず間違いなく忌み名の呪詛性にあると思います。



逆に名前を使用したがる傾向のある国は、同じ名前を祖父・父・息子とつけるような国に多いのではないでしょうか。
これは、名前自体が誰の子孫であったかをつたえ、その家族血縁の誇りを永続させることを目的としているからです。

>ヨーロッパの国々についてはよくわかりませんが、地図を見ると、人間の名前(主に王家?)が結構使われているように思います。
これは逆というか、苗字と土地名は同じなのは世界共通でしょう。ヨーロッパは貴族制が産業革命後ものこっていましたし、現在でも上流階級として、昔のように税収権も優先権もないものの貴族がその土地を守っているということもありますので、土地名=苗字というのはありえるでしょう。

日本でも、武士階級が興った最初の頃は、地名=苗字だったはずですが、いろいろあって今では名残があまりありません。地方にいけば、地名と同じ苗字のところがあるでしょう。(私の妻の実家も、地図に載っている地名と同じでその土地に本家があります)

名前を子孫に語り継ぎ、名誉を守る(語り継ぐ)ような風習をもっている文化なら、通りの名前や軍艦などに実在の人物の名前をつけることもあるでしょう。それはとても名誉なことだからです。
しかし、日本のような忌み名の文化の地域では、自分と同じ名前がつくということは、自分の分身であるということになります。
大げさなようですが、hortensia様と同じ名前が着いた飛行機が墜落したら、「縁起でもない」と思うでしょう。
それが忌み名の文化です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
やはり忌み名の文化がキーのようですね。
ヨーロッパについてですが、なんたら○世とか明らかに個人の名がつけられているケースも多かったのでやはり日本とは違うように感じました。
飛行機の喩えはすごくわかりやすいです、たしかに縁起でもないことだ…。
軍艦について調べていたら、明治天皇が「軍艦に人の名前をつけるのは(沈んだりした場合)失礼」といって名前をつけさせなかったというエピソードを目にしました。やはり日本人共通の感覚なのですね。

お礼日時:2009/03/06 01:49

日本の兵器で制式名に個人名が付いているのは、村田経芳少将考案の「村田銃」だけのようで極めてすくない国です。


地名もすくないのですが、主要な地は有名人が住み着く前に地名がついているためです。    ある外国のように地名を簡単に変えるという習慣がないからでしょう。
地名を苗字にする方が普通でした。  江戸氏、豊島氏など。
しかし室町期以降、新田(しんでん)など新開地は開拓者の名がつき、現在まで残っています。(いましたもあり)    苗字をもつ庄屋の開拓地は苗字がつき、苗字のない小農民は名がついています。   栃木の地名、徳次郎など。   道頓堀(道頓が掘割の掘削を手がけた)や有楽町(織田有楽斎の屋敷跡)など全国には数多くあるでしょう。

この回答への補足

日本かどうか微妙ですが「間宮海峡」を思い出しました。大物(?)の地名では数少ないですね。

補足日時:2009/03/06 01:50
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この回答へのお礼

ありがとうございます、村田銃!そんなのもありましたね~。すっかり忘れていました。
 間宮海峡もそうですが、製作者あるいは発見者、開拓者の名前をつけることと、無関係に偉人の栄誉を称える意味でつけられることと分けると、日本では前者はなくはないが後者は滅多にありえないという感じでしょうか。

お礼日時:2009/03/06 01:59

拳銃の「ニューナンブ」も人名由来だそうです>#4.


ロシア帝国でわかりやすいのはペテルブルクとエカテリンブルク. ペテルブルクはロシア語の「ペトログラード」→ロシア革命の「レニングラード」を経て今では元の「サンクトペテルブルク」に戻ってます. エカテリンブルクはず~っとこの名前だった模様.
空港とかサーキット, スタジアムなどにも人名が付いてることがあります.
豊田市は人名由来なのか企業名由来なのかちょっと不明. 「挙母町」→「挙母市」→「豊田市」ですね. ただし, この「豊田」そのものは地名に由来するらしいです.
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
 おっしゃるようにソ連はじめ共産圏は多い印象がありますね。一時期の東欧には各国1個「スターリン市」があったと聞きますし。人名をつけるということ以外に、ころころ変えすぎという印象があります。それも文化的背景があるのかも。

お礼日時:2009/03/06 02:05

明治時代以降の日本では、さすがに大きな都市の名称そのものにはありませんが、人名を地名につける例は少なくないように感じます。

転勤族の私がこれまで住んだことがある都市に限っても、熊本市の辛島町や辛島公園は明治時代に名市長と言われた辛島格(からしま・いたる)の姓にちなむものですし、神戸市中央区の加納町は明治の初めに私財を投じて生田川の改修などを行った加納宗七(かのう・そうしち)の姓に由来します。

しかし現在の熊本市民や神戸市民で辛島町や加納町の名称の由来が人名であることを、それぞれ知っている人がどのくらいの割合を占めるかといえば、相当低いことは確実です。(私は市民の1割以下ではないかと考えています。)ご質問に関して言えば「人名を地名に使いたがる国・そうでない国」が存在するのと同時に、「地名に使われた人名を覚えている国・忘れがちな国」があるのだと思います。そして日本は後者の分類でいえば、明らかに「地名に使われた人名を忘れがちな国」ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
なるほど、埋もれているだけで実際は意外と多いということはあるんでしょうね。挙げてくださったもののように確かに忘れられる例が多いように感じます。
 同時に、忘れられるのは下の名前が入っていないからという理由も大きいように感じます。「忌み名」は下の名前に適用されるものなので、下の名前は使わない→どうしても忘れやすい ということで、結局は忌み名の文化に由来しているものかもしれないと感じました。外国ではフルネームを使う例も多いぽいので。

お礼日時:2009/03/06 02:13

日本人も昔、侍がいたころは、ミドルネームを持つ


ひとがいて有名な服部半蔵、半蔵はミドルネームで
服部半蔵正成が有名になったので正成のあと二代
半蔵を受け継ぎ史上に服部半蔵は3人いたそうです。
その服部半蔵は、地名にもなって東京の半蔵門がそれ。
日本は侍の時代は領地替えが、ひんぱんにあったので
地名が前の支配者の人名だと次の支配者は地名を
変える手間があるため地名に人名を当てるのは
不人気だったかもしれません。
服部半蔵正成にしても伊賀忍者の親玉のような印象が
ありますが、彼は三河の服部家の出で
三河の服部家も元は伊賀の服部から
松平清康(徳川家康の祖父)が
伊賀の服部ナニガシを召抱え三河に移住させ
その子孫が有名な服部半蔵正成で、このひとじしんは
忍者というより普通のサムライとして松平、徳川に
仕えたひとで、先祖の縁で家康に伊賀忍者たちを味方
させる交渉をやり忍者の組頭も兼任したそうです。
また、伊賀は服部が独占支配したのではなく
百地と藤林の家が服部と同等に伊賀を分権統治し
藤林と百地は織田の伊賀征伐で討たれて
服部は半蔵正成の次の代が伊賀衆の一揆を起こされて
失脚、その次の代で大久保長安の獄の関与で
服部家は改易、伊賀は藤堂高虎が拝領して
伊勢の津を本拠にした藤堂藩が伊賀上野城に代官を
おくかたちで伊賀の統治は江戸幕府がなくなるまで
続いたそうです。
改易いこう服部は伊賀忍者の頭は、やってなかったようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、半蔵門!言われてみればという感じです。
そういえば、伊賀上野の方に服部川という川があったということを思い出しました。

お礼日時:2009/03/06 02:18

No.4です。

     旧日本軍の兵器
南部拳銃(南部式自動拳銃乙型、改良し14年式自動拳銃)
村田銃(18年式村田小銃、22年式村田連発銃)
弥助砲(山砲)
個人名のつくもの、拳銃、小銃、大砲各1種、少ないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
やはり全く使われていないわけではなかったですね(汗)。でもアメリカの軍艦や戦車が大物軍人の名前のオンパレードになっているのと比較すると皆無といってもいいくらいですね。
書いていて思いましたがアメリカでも軍用機には人名が使われていないような…理由があるのでしょうか。

お礼日時:2009/03/06 02:24

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