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東京大空襲や広島の原爆を目の辺りにした人は相当なPTSDになったのでしょうか?
しかし、「PTSD」「うつ病」などの言葉を知らなかったがために
甘えることができないから立ち直れたのでしょうか?

A 回答 (3件)

 あまりに日常が悲惨なこと、つらいことがたくさんありすぎました。


 人は、そして人同士は素朴な関係と情愛で付き合いました。
 生きるのに余裕のない、必死の毎日でした。
 状況の変化が激しすぎました。
 あまりに悲惨なことは、後で見る人にはそう見えますが、多くの方が、人の目に触れないように一生懸命、焼け跡などは隠したことも在ったと思います。
 肉親の遺体を探し当て、担いだり、リヤカーにのせたり、遠くの焼き場に真っ黒な煤だらけの全身で運ぶ、飲まず喰わずの行列。その長い行列は、痛いからの油で長い長い後が続いていました。
 焼き場も何日もかかって焼きました。
 焼き場近くのお百姓さんは部外ですから、正に地獄でした。
 しかし当事者は必死で地獄どころではありませんでした。
 病気になれないのです。
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この回答へのお礼

病気になる暇もないということですね。ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/12 00:58

周りに同じ体験をした人がいることで、PTSDとかうつ病になりにくいのだと思います。

 私の家族は東京大空襲の体験者でしたが、そのことで、精神的な病にはなっていません。当時は大家族で同じ体験者がそばに居るだけで、つらい体験を分かち合えるというか、「辛いのは皆同じ」と言ったような黙っていても相手の気持ちが分かる安心感があるようです。その安心感は、ひたすら一生懸命、前向きに生きてゆくためのバネになっていたと思います。
ただ、戦争から命からがら戻って来た人の中には、誰にもそのつらい体験を話すことが出来ず、神経衰弱や薬物に手を染める人が多く居たと聞いています。また、戦争から戻って来た人でも、誰かにその体験を話せたり、その話を聞いてくれる人が居るような人はうつ病などにもなりにくかったと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/12 01:00

アプレゲールになったいたと思うが。

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この回答へのお礼

初めて聞いた言葉なので調べてみました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/12 00:57

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