『天皇独白録』(文春文庫)では(「西園寺公望と政局」)からの引用で
>昭和13年7月11日豆満江北岸の張鼓峰での日ソ両軍衝突の際、天皇は明確な統帥命令を下している。
「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条溝の場合といい、今回の最初の盧溝橋のやり方といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてあるまじき卑劣な方法を用いるようなこともしばしばある。まことにけしからん話であると思う。このたびはそんなようなことがあってはならんが・・・今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」
 と書かれてあります。それのも関わらず、翌年満蒙国境で関東軍はノモンハン事件を半ば意図的に起こし、大敗を喫し、それを国民にはひたかくしに隠し、かつ上記の本でも天皇に正確な戦況報告を入れたとも思えません。
 司馬遼太郎氏もノモンハン事件が昭和の転換点と考えていますが、正直に大敗したことを国民に報道していたら、国民は開戦にOKを出したでしょうか?
 国民は情報操作で戦争やむなしと思ったようですが、戦前、戦中を通して嘘で固められたら国民は戦争責任のとりようがないように思っています。大日本憲法では国民主権が保証されていない以上、国民にも責任があるとは法的にも考えられません。国民に責任を押し付けるのは、やはり軍部の責任を軽減しようとする卑怯な考え方と思います。

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A 回答 (12件中1~10件)

大日本(帝国)憲法では「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」とあります。


人ではなくて神なのです。そして、「犯スベカラズ」なので、責任もとらせることができません。
開戦しましょう、と多数決で閣議決定をもちこんだ内閣、つまり「天皇を輔弼(ほひつ)する臣下」に責任があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 天皇を「玉」としてしか位置づけなかった関東軍は一番の責任があります。天皇の気持ちなど「どこ吹く風」でした。

お礼日時:2009/04/16 10:12

質問者様の質問内容は首記の題そのものでいいのですね。


日本は明治時代から議会制民主主義を採っていましたから、国民の総意でなされる対外戦争に国民の意思が全く反映されていなかったとするのはやはり無理があるのではないでしょうか。
近年多くの昭和史とその時代の分析が出版されていて、対米戦争の直接のきっかけになった瑣末な内部事情なども多く知られるようになって居ます。これらはこれで非常に貴重な歴史として興味があり、未来を考える上での糧ともなると思いますが、(対米戦において)誰が引き金を引いたのかというようなことは余り意味がないようにも思うようになってきました。むしろそれはほとんどオートまチックな動きになっていて、その原因をたどれば、次々に過去へとさかのぼることになってしまうようにも思われます。
つまり、対米戦争の原因究明は日露戦争以後の日本の国民の国民感情の変遷と世界の動きを大きく捉える視点がなければ間違うのではないでしょうか。比較的自由な言論が出来た大正期から昭和にかけて、日本国民の思想やら対外感情に好戦的な思いがなかったとはとてもいえないと思いますし、それを軍部の誘導やジャーナリズムの責任に全部を押し付けることも出来ないとは思います。
ともかく一国を動かす大きな動きは単なる一高官の言動だけではどうなるものではなかったろうということです。だからこそ彼らは言語統制や様々な議会工作をして国民多数を味方に引き込み、侵略の合法性を着々整えていったのでしょう。
対米戦争そのものは米国の意思と様々な(米国での)国内世論工作、対外工作があって、日本はその罠に嵌ったという面が大きいと私は思います。だとすれば、質問者様の仰る「戦争責任」というものはむしろ米国において大きいともいえるのでしょうね。
昭和十年台でも、あの不自由な言論統制の時代にあっても、ごく少数の政治家、言論人は危険をおかして議会などで反軍部演説を行ったりしています。これらをよく取り上げるジャーナリズムがなかったというのも、やはりつきつめれば国民のレベルの問題であり、国民多数に真の国益というものをを考える力がなかったということなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>日本は明治時代から議会制民主主義を採っていましたから、国民の総意でなされる対外戦争に国民の意思が全く反映されていなかったとするのはやはり無理があるのではないでしょうか。
 明治までさかのぼろうとはおもいません。昭和の初期からと考えています。軍部が張作霖爆死事件張本人河本大作を厳重に処罰できなかったことを始めとして強引な戦略を大陸で取り出したころからです。
 
>質問者様の仰る「戦争責任」というものはむしろ米国において大きいともいえるのでしょうね。
確かに日本移民拒否などアメリカで排日運動があったのが遠因といえなくはありませんが、それは戦争責任を負わせる事件といえば強引過ぎます。
 満州帝国でさえ当時のアメリカでは仕方なく認知しそうであったし、ノモンハン事件についてはアメリカはほとんど関心がなかったということで、アメリカに戦争責任を押し付けるなど考えられません。
 私のいいたいのは、軍部が国民に嘘をつくようになったということです。国民の怒りが怖かったのかもしれませんが、ノモンハン事件の戦況にしろ正直に国民に報告すべきでした。日本の国力分析を、列国との比較して報道すべきでした。敵を過小評価し、自らを過大評価したままで国民をひきずっていったのです。国民に情報公開もせずに(大日本帝国憲法からいえば問題ないのですが)、国民に責任を押し付けられるかというのが私の質問の要点です。
 また、統帥権でみられるよう皇軍と称されるように、天皇の平和の意思に沿うべきでした。 

お礼日時:2009/04/16 20:45

 回答番号:No.10


 ☆まだ民主主義の面倒くさいけど大切な一票の重みを理解していないのですね。こんど大事件があったら国民の責任は問われることでしょう。
 ★常に歴史的転換を経ていますね。縄文や弥生の流れは悠々汪汪でしょうが、時代が下がるに従い、その流れは、河も水も急激な変動をしております。常に大きな変化に直面しております。
 その中で生きる国民に一面、仕方ないのだという同情と、多面是認をしない批判をしているわけです。
 そういう国民という多の中に埋没させないで個を自覚しなければいけないと、責任性を受けてたつ人が、昔と量的にどれだけおりましょうか。
 どういう資質と判断力、そして情報の批判力を持って、その責任性を自覚している人がいるのでしょうか?
 法制度としての国民という所属属性は希薄ではないでしょうか。
 空しいことばになってきました。
 どこかの国のように隣国を仮想敵国にしたり、煽ったりしていればみんな敵愾心で所属観念も強化するのでしょうが。
 国民ということばは、歴史的には正体がないのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

ちょっとわかりにくい文面なので、どうお礼を述べればいいのかこまっていますが、国民というものは正体がない?といっていたら何も始まりません。
 情報公開でいえば、ソ連ではそれをきっかけに共産主義体制は崩壊しました。真実を知ると不誠実な、うそつきな国家は転覆されるのです。
 中国でも、国家権力を維持するために情報を制限していますし、北朝鮮では明らかに嘘をいっています。
 たとえば北朝鮮が外部の圧力で崩壊したら、国に騙された国民にも責任があるといえるのでしょうか?私の判断では国民に責任はないと思います。責任性を受けてたつひとがどれくらいいるかと疑問に思っておられるらしいのですが、歴史を観察して現在と未来を考えてみれば、たとえば選挙制度のある日本で国民年金の問題が起こりましたが、あれを国民が監視を怠ったからと非難する人はどれくらいいるでしょうか。
 あれは数字を操作した役人に責任を求めます。真実を公開されなければ責任のとりようがありません。国家の政策によって、大いに国民に利害関係が生じています。借金が多くなれば、最終的に国民につけが回されます。所属属性が希薄であれば税金を負担しなくてもいいのなら別ですが、そんな呑気なことを言っていると役人にしっかり搾り取られます。

お礼日時:2009/04/16 18:02

 歴史の責任ですから、不可抗力の責任ではありませんか。


 一定の思想などから、戦争に反対して方々もおりましたが、その特別な切断面での判断だったと存じます。
 まだinterコミュニズム思想と運動という事からの判断もありましたでしょう。

  今次、大東亜戦争はゲルマン移動や十字軍、そして大航海に引き続く西欧の東洋とアメリカ大陸の領土拡張と、食い物化に原因があり、その防衛の一環がわが国の政治の役目でありました。

 近隣の諸国も西欧の食い物にされないような状況であれば、わが国が西欧の侵攻に敢えて不安を持つことも無かった。
 そういう中でなお、一般国民として反省することを強いてあげれば、以下のとおりと存じます。

 しかし当時、このことを要求することは難しかろうし、具体的な方法や行動が考えられるとは思えません。
 西欧とその連合であるに過ぎない国際思潮はこのための行動や判断をとることを許すものではなかった。

  1)対外圧力に影響されて、対抗する思潮に乗っていったこと。
  2)ジャーナリズムの論調と報道に批判をする能力と情報、そしてそういう傾向を持ち得なかったこと。
  3)自国の存立を過大に偉大なこととした。そういう思潮への客観的視点を保持できなかったこと。

 以上のことが責任と存じます。
 戦争責任は欧米とその指導者の側のものと存じます。
 欧米からの歴史観では太平洋せんそうと呼称し、私もそういう教育をされてきました。
 西欧的民主主義とともに正しいとされてきましたが、このことこそ、あらためて振り返る必要のあることと存じます。
 軍国主義や、昔の天皇制の中の政治を懐古し、復古を願うものでは決して無いが。 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 敗戦で得た国民主権の民主主義であり、有り余るくらいの情報が得られるのに段々低下する選挙の投票率をみると、まだ民主主義の面倒くさいけど大切な一票の重みを理解していないのですね。
 こんど大事件があったら国民の責任は問われることでしょう。

お礼日時:2009/04/16 11:55

ノモンハン事件ですが、これはソ連崩壊によって東側資料が公開され、多くのことがわかっています。



まずこれはどちらかがが一方的に仕掛けたものではありません。
系争地での遭遇戦闘がどんどん拡大していったものです。
軍として、撤退命令が中央からでない限り、領土保全のため戦うのは当たり前のことです。
そしてこれまで日本の大敗と思われていましたが、ソ連にとっても辛勝もいいところ、倍程度の戦力を繰り出しておきながら日本の倍近い損害を出しています。やられてもやられても次から次へと戦力をつぎ込むというソ連お得意の戦いでかろうじて勝ったに過ぎません。しかもそれで得たのはただの草原と砂漠です。
そしてこの戦争で軍部現場の問題と考えられるものは、許可無く相手の領土まで踏み込んで航空攻撃をしたことだけです。これも中央の指令で中止されています。

大本営発表のようなことが行われたのは事実ですが、軍の独断専行の例としては不適切です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。新しい資料の内容は知りませんが、司馬遼太郎対話選集6「戦争と国土」(文春文庫)で1990年ノモンハン事件を日本とソビエトの両資料をもとに調査研究してしたアルヴィン・D・クックスとの対談では、クックスは >ノモンハン事件のときのタンク(八九式中戦車)はジャンク、がらくただった。>日本は要するに肉弾攻撃。肉弾攻撃は安いからだったのでしょうか。
とのべ、司馬は>このノモンハンでもわかるように、日本軍がひどい条件下でなんとか持ちこたえたのは上等兵以下の力でしょう。威張っている偉い人は全部だめ。参謀肩章を釣った辻政信たちなど、全部だめでしょう。ノモンハンの状況では、普通の国の軍隊なら、ほとんど一日で崩壊しています。70%以上の死傷者を出しながらなんとか形をつけていったのは、小学生しか学歴のない兵士や下士官でした。
 と述べています
上記の「天皇独白録」の天皇の意向は無視されてもよかったのですか?
統帥権をあげる以上、天皇の意向を尊重すべきでした。
 天皇自身もノモンハンは明瞭でない国境線が原因であると認識され
>この事件に鑑み、その後命令を変更して国境の不明確なる地方および僻遠の地方の国境は厳守するに及ばずという事にした。
 とのことです。ただし、このときの日本側の被害が甚大であったことを報告されていたのかどうかは明記されていません。なお、天皇の分析した敗戦の原因は、以下のごとくで、正解と思います。やはり、陸軍の首脳部はいけなかったということです。
1)平方の研究が不十分であったこと。即孫子の、敵を知り、己を知らなば、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと。2)余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した事。3)陸海軍の不一致。4)常識ある首脳者の存在しなかった事。
確かに日本兵が火炎瓶ーサイダービンに詰めたガソリンなど兵士が勝手に工夫した武器で被害を与えたのは事実ですが、あまりの被害の大きさに指揮官の更迭、責任をとっての自殺がありました。
 質問者の資料ではソ連の辛勝であったとしても、日本側の甚大な被害を国民に伝えなかったことは事実です。
 関東軍を抑制しようとした永田軍務司令官は、陸軍省内で白昼、皇軍派の将校に暗殺されています。中央の命令でとまるような戦争であったら「大東亜戦争」に発展しなかったでしょう。

お礼日時:2009/04/16 11:45

 「戦争責任」などという、曖昧模糊とした一体何なのか分からない、そもそもそんな概念が必要なのかどうかすら分からないものに、「国民」というこれまた抽象的な概念を組み合わせたら、はっきり言って殆ど言葉遊びの世界になるのではないでしょうか。

「軍部」ですら大ざっぱ過ぎると思います。議論の実益があるのは「天皇」だけではないかと。
 と、回答にもなってませんしこんなこと恐らく承知の上でのご質問だと思いますが。
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この回答へのお礼

沢山の国民が死んだことにどう「落とし前」をつけるのかといえば、戦争責任の言葉しかないでしょう。
言葉の遊びといっておられるのは、「戦争を知らない子供たち」になっておられるからだと思います。
 やはり「賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ」を念頭におきたいものです。
「天皇独白録」などみると、現人神である天皇も情けない存在でしたね。

お礼日時:2009/04/16 10:19

>国民は開戦にOKを出したでしょうか?


国民主権が保障されていないなら、NOも出せないでしょうね。

>国民に責任を押し付けるのは
いいえ。全部大本営と軍部に押し付けているだけですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 >いいえ。全部大本営と軍部に押し付けているだけですよ。
回答者の皮肉も感じられますが、そのまま受け取っておきます。
 「統帥権干犯」というアイディアを考案して、国事を壟断した罪は万死に値すると考えます。

お礼日時:2009/04/16 10:26

ちょっと待ってくれ。

当時すでに普通選挙が実現していたのを忘れてもらっちゃ困る。国会が東條内閣に対し、「国民の総意」として全会一致で開戦を要求する決議案を叩きつけたのを質問者はご存じだろうか。議会の議員を選んだのは国民である。チャーチルはこう云ってるぞ、「戦争責任?そんなもの、戦争に予算をつけたやつにあるに決まってる」
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この回答へのお礼

>チャーチルはこう云ってるぞ、「戦争責任?そんなもの、戦争に予算をつけたやつにあるに決まってる」

 正直に情報を国民に流したく国では生きている科白です。ノモンハン事件の顛末をひたすら隠した経緯をみれば、陸軍が心配したのは戦意が下降することであったのです。戦時中国民の戦意を高揚させ、維持するためうその情報を流し続けたのです。陸軍の佐藤賢了などは国会で、軍部を批判するような演説があると「統帥権干犯!」と叫んだそうです。
その一方で、批判的政治家に対してはテロを含めた恐喝をしているんです。中野の反軍演説などありましたが、結局辞職に追い込まれ、残ったのは大政翼賛会でした。
 保坂正康『大本営発表という権力』(講談社文庫)
>私の見るところ、近代日本で昭和8年ごろから十五年ごろまでの“日本社会という空間”は正常な感覚を失った病的空間になっていたと思う。それが太平洋戦争を肯定する国民的心理に転化していったと断言していいであろう。国民をこのような酩酊状態に似た、つまり正常な感覚を失った状態にするには、四つの条件で縛り上げれば苦もない。
 その四つの条件とは、「教育の国家統制」「情報の一元化」「弾圧立法の適用」「暴力装置の発動」である。

お礼日時:2009/04/16 10:06

質問者の方に一つのエピソードを紹介したいと思います。



東條英機が首相になった際、昭和天皇が彼に願っていたのは、陸軍の強硬派を抑えて、アメリカとの戦争を回避することでした。

天皇の意を受けた東條は開戦を回避すべく動いたのですが、当時の世論は開戦に向かって傾いており、和平を目指した東條は国民から弱腰だと非難されたのです。

『日本の戦争』(著者:田原総一郎)から引用。
<引用開始>
わたしはかつて東条(原文ママ)の用賀の家で、東条の娘光枝を取材したことがある。畳の部屋で行李一杯の手紙やはがきを見せられた。日本国中から寄せられた一般の国民からの郵便物だった。内容は二つに大別された。「米英撃滅」「鬼畜米英を倒せ」「猶予は亡国、即時立て」といった戦争を強く促す内容と、「何をぐずぐずしておる」「弱虫東条」「いくじなしはヤメロ」といった「ぐずぐずしている」東条批判である。東条が首相になってから開戦までの50日あまりに3000通以上来たということだ。
<引用終了>

昨年末に、ビートたけしが東條英機を演じたドラマを見た方も多いと思います。
どうもあれが、史実に近かったようです。

日本はヒトラーのドイツやスターリンのソ連と違い、開戦当時も議会制民主主義の国でした。
2.26事件以降、軍部の政治への介入が強まった結果、議会政治がきちんと機能しなくなったのですが、国民に責任がまったくないとは、とても言えないのです。

今もそういう雰囲気が一部にありますが、国民がマスメディアに煽られると、冷静かつ理論的な考えから逸脱する傾向にあります。
戦前の日本を開戦へと追いやった最後の一押しは、間違いなく世論の圧力でした。
そして、部数拡大のために開戦を煽った新聞各社、その新聞を盲信した当時の日本人すべてに責任があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 議会制民主主義が戦前まであったとのことですが、陸海軍が統帥権干犯の旗を振ったため、政治家が押さえ込まれてしまったんです。
 広田弘毅の後の林銑十郎内閣以降は露骨になっていきます。貧乏な日本にとっては過重な軍事費を国民は望んでいなかったとおもいます。

>戦前の日本を開戦へと追いやった最後の一押しは、間違いなく世論の圧力でした。
 もし、ノモンハン事件での大敗が国民に知らせたら、国民は開戦に同意しなかったのではないかと考えているのです。情報操作という近代戦争独特の手法が登場し、一元化され、操作された情報で責任を負えるかというのが論点です。

 「天皇独白録」(文春文庫)では
>戦時中国民を鼓舞激励するために詔書を出していただきたいといふことを、東条内閣の末期、小磯、鈴木と引き続き各内閣から要望があった。
が、出すとなると、速やかに平和に還れとも云われぬからどうしても、戦争を謳歌し、侵略に賛成する言葉しか使えない、そうなると皇室の伝統に反する事になるから断り続けた。
 この際私が17年12月10日伊勢神宮に参拝した時の気持ちを云って置きたい、あのときの告文を見ればわかるが、勝利を祈るよりも寧ろ速やかに平和の来る日を様にお祈りした次第である。
 
それをみても戦意高揚を煽っていたのは軍部で、国民は耐乏生活に疲労困憊していたことが窺える。

 

お礼日時:2009/04/16 09:31

難しい問題ですね。


強制的なものがあるからそこに巻き込まれる人間はなにも責任がないと言えるのかどうかという質問に換えてもいいでしょうね。
戦争が始まり、情報も限られている中で、また、是非を言う権利がないのだから、その時点では責任がないでしょうね。

だが、戦争に巻き込まれる中で、何をしてきたかは検証すべきでしょうね。殺戮や強姦が戦争を理由に行われた時に、責任はなにもないと言えるのかどうか、

もっと単純に、会社でいじめがあった時に自分はそこに加わらずに冷静に判断し、それを止めさせることができるのか?派遣切りが行われるときに、それはおかしいだろうと言えるかどうか?

戦争中よりも自由な現代で、正当な権利を主張できるかどうか?
何でもない一人一人が自分の考えを持ち、主張できるかどうか?
戦争責任の問題は昔の問題ではないように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 城山三郎『男子の本懐』(新潮文庫)をみると軍人以外の政治家は過剰な軍事費の出費に苦しみ、だれも戦争を好んでいません。
 軍部という猫にどうして鈴をつけようかといろいろ対策をねった政治家はテロに倒れて行きます。
 軍部+メディアに煽られて、次第に戦争へのめりこんで行くのです。

お礼日時:2009/04/16 08:56

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陵墓参拝のご案内
原則,年間を通して参拝できます。
ただし,次に掲げる日は,参拝の取扱いをしていない陵墓がありますので,事前に各陵墓監区事務所までお問い合わせください。
(1) 土曜日及び日曜日
(2) 国民の祝日に関する法律に規定する休日に当たる日
(3) 12月29日から翌年1月3日までの日
(4) 行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日
留意事項 
(1) 参拝時間等
 ア 多摩陵墓監区事務所所管の陵墓
    午前9時から午後4時まで(参入は午後3時30分まで)
 イ 桃山・月輪・畝傍・古市各陵墓監区事務所所管の陵墓 
    午前8時30分から午後5時まで
   (一部異なる陵墓がありますので,事前に各陵墓監区事務所までお問い合わせください。)
 ウ 陵墓の規模などにより,拝所までの所要時間が20~30分かかる所もあります。
(2) 参道は,玉砂利敷き・階段状・坂道等の所もあります。
  (車いすでおいでの方は,ご注意願います。)
(3) 車でおいでの方は,駐車場の有無をご確認ください。また,路上への駐車は,交通の支障及び近隣の迷惑になりますのでご遠慮ください。
(4) その他
 ア 喫煙等火災の危険がある行為はしないでください。
 イ 動物(盲導犬,介助犬及び聴導犬を除く。)を連れての参拝は,ご遠慮ください。
お知らせ 
 嵯峨天皇皇后陵においては,参道への落石のおそれがあるため,現在,参拝を停止しております。


以上、宮内庁のHPからです。

ちなみに昭和天皇は武蔵野御陵に祀られています。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/124/

陵墓参拝のご案内
原則,年間を通して参拝できます。
ただし,次に掲げる日は,参拝の取扱いをしていない陵墓がありますので,事前に各陵墓監区事務所までお問い合わせください。
(1) 土曜日及び日曜日
(2) 国民の祝日に関する法律に規定する休日に当たる日
(3) 12月29日から翌年1月3日までの日
(4) 行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日
留意事項 
(1) 参拝時間等
 ア 多摩陵墓監区事務所所管の陵墓
    午前9時から午後4時まで(参入は午後3時30分まで)
 イ 桃山・...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q昭和天皇の統帥権について

9/11の讀賣新聞1面に次の記載がありました。
・戦前、天皇は統帥権の「総攬者」とされ、陸海軍の最高司令官「大元帥」でもあった。だが、1931年の満州事変以降、軍部は「天皇は陸海軍ヲ総帥ス」とする明治憲法第11条の規定を盾に取り、内閣のチェックは統帥権には及ばないとして暴走。30歳代だった昭和天皇は、大元帥でありながらそれを抑えられない立場に置かれた。
これに関して2つの質問があります。
(1)内閣のチェックは統帥権には及ばないとは?
  陸海軍は天皇が統帥するので、内閣は陸海軍には口出しできないという意味ですか?
(2)30歳代だった昭和天皇は、大元帥でありながらそれを抑えられない立場に置かれたとは?
  昭和天皇は、当時30歳代と若かったので大元帥であるのに、軍部の暴走を抑えられなかったという意味ですか?以上、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず前提を書きます。君主と政府と軍の関係についてです。

君主国であれば、軍は「王様の軍隊」であり、王に忠誠を誓い王の命令でどこにでも行きます。君主国なら、政府も王がすべてを決める権限がありますので、議会や長老会議などの諮問機関があっても王様が決めれたことが政府の政策になります。

このような君主国であれば総帥権(指揮権)は当然王に属しており、王様が命令する、ことに誰も口出しできません。

逆に民主国(共和国)においては、軍隊は「国民の軍隊」です。政府も国民が主体となって運営します。このような場合、武器を持っている軍隊が暴走しないように、文民統制が敷かれます。
古代なら、軍隊は首都に武器を持ったまま入ることができない決まりを作って、クーデターを未然に防いでいましたし、現代なら、アメリカなどは軍隊が軍事行動を始めたことを24時間以内に大統領や議会長に知らせる(敵から攻撃があれば応戦するしかない、と言うときです)、と共にその軍事行動について議会の承認が得られなければ60日以内に撤退する、と決められています。

共和国では民主的に選ばれた議会や大統領が軍隊を指揮できように、文民のほうが軍隊よりも偉い、というつくりになっているのです。

で、戦前の日本の総帥権です。
(1)内閣のチェックは統帥権には及ばないとは?
  陸海軍は天皇が統帥するので、内閣は陸海軍には口出しできないという意味ですか?

はい、憲法を解釈するとそうなっていました。明治憲法では、軍隊の指揮権は「天皇の大権」のひとつと明記されていて、その点では君主国のシステムになっていたのです。
ですから、議会や内閣などは「天皇がお決めになったことだ」と軍部に言われると、それ以上なにもできなかったのです。

(2)30歳代だった昭和天皇は、大元帥でありながらそれを抑えられない立場に置かれたとは?
  昭和天皇は、当時30歳代と若かったので大元帥であるのに、軍部の暴走を抑えられなかったという意味ですか?

違います。明治憲法は「立憲君主制」であり、天皇は立憲君主として行動を制御していたからです。
そして、この狭間を解釈によって突き、暴走したのが軍部の悪知恵だったといえます。

立憲君主制は、現代の日本やイギリスのように「君主」はいるけど、国の運営は民主主義に任せる方式です。「君主が居る」という以外は共和国と同じで文民統制も当然にあります。

しかし明治憲法は文民統制規定が明確になっておらず、立憲君主制における天皇の責任も明確に書かれていなかったため、軍部がそこを突いて暴走を始めたのです。

つまり軍部の解釈では「政府としての機能は、たしかに立憲君主制なのだろうが、軍事指揮権(総帥権)は天皇の大権であって、政府がそこに口をだすことは総帥権干犯であり、天皇陛下に対して不忠である」

だから、軍隊は天皇の指示しかきかない、ということだったのですが、当の昭和天皇が「立憲君主として、(軍隊を含めた)政治のすべては臣民に任す」と、口出しすることを嫌ったので、軍部が暴走してしまったのです。

またそのために軍部は「帷幄上奏権(本来は戦争の前線で指揮官に状況説明する権利)」を盾に、文民統制を迂回する形で、天皇に上奏し「このような状況ですから、こうします」と勝手に決めて、当の天皇は立憲君主制を守るつもりですから「うむ、分かった」とか答えなかったために、どんどん暴走していったのです。

天皇が「立憲君主」的な君主であることをやめて、直接指示をしたのは、たったの2回だけだったといわれています。
1回は2.26事件を収拾すること(激怒したといわれている)、もうひとつはポツダム電源の受諾です。

日本の政治畝居システムが「解釈」ひとつで、いくらでも変更できてしまう怖い事例だと思います。

まず前提を書きます。君主と政府と軍の関係についてです。

君主国であれば、軍は「王様の軍隊」であり、王に忠誠を誓い王の命令でどこにでも行きます。君主国なら、政府も王がすべてを決める権限がありますので、議会や長老会議などの諮問機関があっても王様が決めれたことが政府の政策になります。

このような君主国であれば総帥権(指揮権)は当然王に属しており、王様が命令する、ことに誰も口出しできません。

逆に民主国(共和国)においては、軍隊は「国民の軍隊」です。政府も国民が主体となって運営し...続きを読む

Q太平洋戦争を映像で学びたい

太平洋戦争のことを家族で映像で学びたいと考えています。そこで次のDVDのどちらかを購入しようとしています。「NHKスペシャル 太平洋戦争 BOXセット」、「秘蔵・太平洋戦争全史 前編、後編」。はなはだ稚拙な質問ですがどちらがおすすめでしょうか?

Aベストアンサー

私は両方持っています。他に「太平洋戦争史(上)、(下)」や「ドキュメント第二次世界大戦の記録(全巻)」も買いましたが、「NHKスペシャル太平洋戦争」が映像の質の良さ、量の多さ、解説の分かりやすさ等で圧倒的に良いと思いました。特に日米双方からの映像が取り入れられ、画像も補正されているようで画質も良いです。

「太平洋史」「ドキュメント・・・」は米国防総省の撮影フイルムを監修しただけの映像が多く、事態を短く淡々と述べるだけのものでした。画質も相当悪いです。でもNHK(日本)では放送しないような戦場の悲惨な状況の映像が入っていたりします。

どれが良いかは個人の見方、受け止め方によると思いますが、家族で学ばれるのでしたら先ずは「NHK・・」をお勧めします。更に個人的に勉強されるのでしたら、他のものも有用と思います。

Q現在の北朝鮮国民の金正日への想いは、第二次世界大戦時の日本国民の昭和天皇への想いと似ていますか?

現在の北朝鮮国民の金正日への想い、忠誠心は
第二次世界大戦時の日本国民の昭和天皇への想いと似ていますか?
私は戦後生まれなので昔の日本は知らないのですが
今の北朝鮮みたいな感じだったのでしょうか?

暇な時で結構ですのでご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

違うでしょう。
少なくても天皇は国民の幸せを考えていたでしょう。ただ軍部や軍閥に利用され戦争に引きずりこまれたのだと思います。
国民は天皇を尊敬・崇拝し、自分たちの親のように考えていたでしょう。

今の金正日は、国民を大切にしようという想いはないでしょう。国民からが、恐怖の専制君主でしょうね。逆らえば、少しでも悪口を言えば、すぐ政治収容所へ連れて行かれ拷問に掛けられるでしょうね。互いに密告、監視する仕組みが出来ていて、間違って密告されてしまったら、すぐ家族や親戚が引っ張られ強制労働に駆り出されれ拷問される恐怖政治が行われていて、誰も金正日には逆らえない状態だと思います。
かって理想郷として北朝鮮の朝鮮人妻として北朝鮮に渡った人々に対する酷い扱い、日本に帰りたいといっただけで政治収容所に連れて行かれ拷問され、亡くなった人が多いようです。そういったことは、脱北者や実態を世界に知らせようと活動している人たちによって徐々に実態の情報が漏れてきていますね。

どこの国でも権力者にとって都合悪い情報は国民に隠そうとすることを歴史が物語っていますね。

違うでしょう。
少なくても天皇は国民の幸せを考えていたでしょう。ただ軍部や軍閥に利用され戦争に引きずりこまれたのだと思います。
国民は天皇を尊敬・崇拝し、自分たちの親のように考えていたでしょう。

今の金正日は、国民を大切にしようという想いはないでしょう。国民からが、恐怖の専制君主でしょうね。逆らえば、少しでも悪口を言えば、すぐ政治収容所へ連れて行かれ拷問に掛けられるでしょうね。互いに密告、監視する仕組みが出来ていて、間違って密告されてしまったら、すぐ家族や親戚が引っ張ら...続きを読む

Q「アジア太平洋戦争」という名称について

先日、歴史の資料集を眺めていると、太平洋戦争について「太平洋戦争という名称が一般的だが、戦域が曖昧であることから、アジア太平洋戦争という名称が普及しつつある」という記述があったのですが、はっきり言って、聞いた事がありません。
この名前は本当に普及しているのですか?

Aベストアンサー

先の戦争の呼称についてはそれぞれの歴史観、イデオロギーと結びついている面があるので一概には言えないのですが、一般的に最も普及しているのは「太平洋戦争」だと思います。戦後、GHQの指示によってこの呼称を使うようになったためだと思うのですが、戦時中に日本は太平洋だけでなく、中国などとも戦っていた事実から保守派は戦時中に日本政府が使っていた「大東亜戦争」という呼称を用いる傾向があります。

そうした中で、ご指摘の「アジア太平洋戦争」という呼称がもっともふさわしいのではないかという意見が出てきているのですが、一般的な認知度は低いと言わざるをえず、また、日本がソ連と戦った事実を想起しにくいなど、必ずしも適切とは言えないため、今後普及していくかは疑問です。

Q映画「太陽」の昭和天皇

映画だとクセのある話し方と口を意味なく動かす変なクセをもっていましたが、本物に似ているのでしょうか。

Aベストアンサー

 映画は知りませんが、昭和天皇は喋るときに変な抑揚と間がありました。また喋り始める前に口をモグモグさせる癖もありました。


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