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 コミュニケーションについて問います。

 【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?
 ☆ わたしの感触を述べますので ご見解を述べやすいように たたき台としてください。
 【A‐ω‐br.】 (1) 感性ないし情感を措いて考えるなら すべての人びとが納得するような理論は 提示し得るだろう。
 (2) ひとが納得するかどうかは 説得者の能力や努力の及ばぬところである。
 (3) よって 理論によって すべてのひとを 納得させうるが 説得し切れるかは 分からない。

 ☆ そもそも コミュニケーション論です。
 【Q‐α】 コミュニケーションとは どういう社会行為ですか?
 【A‐α‐br.】 対話です。三者の会話は 三つの対話から成るという意味です。

 ☆ 【Q‐ω】に付随して わたしの関心を持って知りたい課題です。
 【Q‐β‐1】 説得に際して 第三者は どんな役割をにないますか?
 【A‐β‐1‐br.】 (1) 対話の主体として 話し手(書き手・発信者)と聞き手(読み手・受信者)の関係を おのれひとりの内面に 機能させるために きっかけとなる。
 (2) その意味では そばにいて欲しいと同時に 仲介者の役をになってもらってもよいのだが 基本的に 説得行為ないし対話には その発言は 加わらないのではないか。
 (3) 前項は 第三者の存在が 重要であり大事だ。と同時に 一対一の対話の発言には 局外者となるのではないかという意味です。

 【Q‐β】 コミュニケーションの主体について どういう事項が 心得なければならないことですか?

 ☆ 研究論文などは読んだことがありません。でも コミュニケーション論として 実質的に 最先端を行く日本一の内容を目指します。問い求めの過程として 世界一を目指します。
 ふるってご投稿ください。おしえてください。

 なお これは 【Q:ぶっきらぼうは いただけませんか】および【Q:けんかをしては 何故 いけないのか】の続編です。

A 回答 (53件中51~53件)

こんにちはbragelonneさん



>すべてのひとを説得することができますか

これ、無理だと思います。

たとえば私が、有といえば、無という人がいるし。
私が無といえば、有という人がいるし。

このサイトにいた間も、それの繰り返しが多かった。

たとえば、普遍と差異。

私がコミュニケーションしたい相手といえば「母親」だけど
「母親」が望む回答を望まない人もいる。

その望まない人に配慮した回答をすると

「母親」が離れていく。

それだと私がつらい。
だからサイトからいなくなろうとしたし。

どうしたらいいんだろうね?

この回答への補足

 yukiyama20 さん ご回答をありがとうございます。
 yukiyama20 くん 気づいていましたよ。プラトンの質問で。いつぞやは ハローと言ってくれていたのに 気づかなかって ごめんなさい。事情は 書いたとおりです。

 ★ 母親
 ☆ も きみだったのか。それにしては 冴えない――焦点の合わない――文面だったもんだなぁ。

 さて
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >すべてのひとを説得することができますか

 これ、無理だと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ と来たのですか。
 ただし その説明は ふるわないものですね。理由説明にかろうじて なるか ならないかぢゃないですか。
 ★ 母親
 ☆ は あれかい? つまり 西川直子の引き合いに出していたJ.クリステワ゛のいうあれですか? なんて言ったっけ。すぐ忘れる。ル・セミオティック。原記号態。
 ま 四角四面の すぐに観念化しがちな 規範たろうとする理論を追うよりも 人間性のゆたかさには通じると思うけれど。ル・サンボリック(記号象徴態)では 精神の緑野が 見えなくなる。
 でも わたしは そのとき 書いたように 《母親》なり《原記号態》なりについて すっきりとした理解が得られていません。わたしには 説明が要ります。
 なお
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 たとえば私が、有といえば、無という人がいるし。
 私が無といえば、有という人がいるし。

 このサイトにいた間も、それの繰り返しが多かった。

 たとえば、普遍と差異。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは GUCCI ですよ。ぐち。つまり 愚痴。愚と痴ですよ。だめです。
 漱石でしたか。自己本位の四文字を掲げたのは。あなたは こんな愚痴を言っているようぢゃ 相手本位そのものだべさ。くだらん。一蹴。
 ★ どうしたらいいんだろうね?
 ☆ 修行が足りん。かつでもいれてみたまえ。

 ○ ひとを説得する。
 ☆ というのは 知恵を尽くし知識を尽くし心を尽くしと言われるけれど 問題は 納得できる妥当性のある中味を用意すれば もう九合目まで登ったことになります。あとは たしかに――わたしの経験と中間結論としては―― 放っておくしかないように考えます。
 でも さらに ここで 思ったことは その納得あるいは 心で同意するという理解 これは 必ずしも 相手や他人から おしえられたり さとされたりするという問題ではないと考えます。自分で自分の内面に聞いてみて その《内なる人》によって むしろ わたしは おしえられる。他人は ただ 記号としてのことばを こちらに よこしただけ。(アウグスティヌス:『教師』)。

 こんなところにて。

補足日時:2009/05/09 19:36
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ご質問のベクトルがいろんな方向を向いていて回答しにくくなっています。



コミュニケーションは相互理解、意思疎通、共感、相談などをイメージするのに対して
説得は、説き伏せ、論破、洗脳などですね。前者は双方向、後者は一方向。

第三者も、コミュニケーションのおける第三者と、説得とでは様相が異なります。

それともコミュニケーションをお互いに説得し合うこととらえるのでしょうか。

この回答への補足

 bananasand さん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。《説得》という言葉の意味を 広く取ってください。
 たとえば次の休みに どこへ行こうかという《対話》になったとき こちらだ いや あちらだという互いの見解ないし主張を 互いに 納得させる話し合いとして捉えてください。 そうすれば
 ★ それともコミュニケーションをお互いに説得し合うことととらえるのでしょうか。
 ☆ という見方で 行けるのではないか。こう思ったのですが?
 ★ 洗脳
 ☆ は ないですね。(と言っても 今は この言葉をも 広く解しているように思えます)。
 ★ 一方向
 ☆ 対話であれば 一方が たとえ 受け身であっても けっきょく 説得されるかどうかは 自分で決めるわけですし 時には 逆に 説得し返すという場合もあるでしょうから そういう意味で 広く 《説得のし合い》という捉え方で 対話ないしコミュニケーションを わたしとしては 捉えました。

 ★ ご質問のベクトルがいろんな方向を向いていて回答しにくくなっています。
 ☆ これは ですね。じっさい はっきり言って コミュニケーション論の全部を 視野に入れたいとは考えています。
 いま わたしが知りたいのは 
 【Q‐ω】 人間は すべてのひとを 説得することができますか?
 【Q‐β‐1】 説得に際して 第三者は どんな役割をにないますか?
 ☆ この二点です。問題意識として 実際上の事態です。
 そうして 全領域を いづれは 扱うのなら ここに
 【Q‐α】 コミュニケーションとは どういう社会行為ですか?
 ☆ から そもそも 始めることとし もう一点
 【Q‐β】 コミュニケーションの主体について どういう事項が 心得なければならないことですか?
 ☆ なる主体の問題を 《第三者》の問題から広げて 設けておこうと考えました。

 といった設問事情ですが けっきょく どこからでも ご回答を寄せていただいて けっこうなんです。わたしの主要な関心事は じつは これなんだとか コミュニケーションといえば 何とも言っても これが 重要なんだとか 一般に あれは そうは言われているが じつは 間違っているよとか そういうふうに入っていければよいと思います。
 【Q‐β】の《主体》論については わたしは あまり それとして 考えたことがありません。でも ご投稿の内容にしたがって 勉強し(ぶっつけ本番ですが) ついてまいりたいと思います。

 つまりは 質問としての課題・論点を 【Q‐γ、δ、・・・】というふうに 加えて行っていただいても いいわけなのです。
 そういう出で立ちです。どうぞよろしく。

補足日時:2009/05/09 12:43
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この回答へのお礼

 補足です。

 ご回答に際しましては bananasand さんなら たとえば

  【A‐ω‐ba】 【A‐α‐ba】 【A‐β‐1‐ba】・・・

 のごとく 中心となる命題については 示してくださると 分かりやすいと思います。

お礼日時:2009/05/09 12:48

オコリザルです。


聞き手に理解してもらったらその後の説得はいらないでしょう。
ところが何らかの誤解などにより、ほどほどの理解しかえられなかった場合はその後に説得する権利が発生します。
あなたがこう言ったから、私はこうしたんだ。なんて言い訳を聞かなくていいようにするためです。

第三者の役割は不明です。
共通の話題に共通の理解が得られる進行が理想ですが、反則攻撃と乱入による場外乱闘が実際に多いようにお見受けします。
私はどちらかというと乱入するほうですね。
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この回答へのお礼

 primeape さん ご回答をありがとうございます。第一番ですね。

 ★ 聞き手に理解してもらったらその後の説得はいらないでしょう。
 ☆ まぁ こう言われてしまえば そうなるしかないでしょうかねぇ。
 ★ 聞き手に理解してもらう
 ☆ これが そもそも 《説得する》ことなのでしょうね。
 ★ 誤解の可能性
 ☆ をも 考慮すれば けっきょく 対話の継続 ということでしょうか。

 ★ 第三者の役割は不明です。
 ☆ そうですか。必要かどうかというよりも ほとんど つねに いるものでしょうかね。
 第三者が いない場合というのも あるには あるでしょうね。そういう場合のためにも
 ★ 共通の話題に共通の理解が得られる進行が理想です
 ☆ と たしかに 考えられます。
 ★ ・・・理想ですが、反則攻撃と乱入による場外乱闘が実際に多いようにお見受けします。 / 私はどちらかというと乱入するほうですね。
 ☆ あぁ そうですか。これは 仲介者や調停者としての第三者では 必ずしも なくて 野次馬に近いのでしょうか。失礼ながら。
 ただし 《乱入》にしても 入り方の問題は 別とすることができるでしょうから 当事者どうしの説得ないし対話が そのまま 基軸となって 展開されるといいでしょうね。
 ま 《場外乱闘》も 見世物としては 人びとの興味を引くようにも見えますね。

 といったところで 滑り出したでしょうか。

お礼日時:2009/05/08 23:55
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