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房総台地の隆起について:千葉市内の現在の貝塚遺跡は標高が海抜40m付近にあるものがありますが、この地盤の隆起についてご存じの方お教えください

A 回答 (5件)

陸地が隆起したのではなく、海面が後退したものだと思っていましたが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89% …
上記の地理の項参照
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この回答へのお礼

早速ありがとうございました!!

お礼日時:2009/05/15 13:01

●("千葉の大地"より)"千葉県の地形の特徴"→

http://www.tateru.co.jp/library/daichi/tikei.html
●(南房総資源辞典より、"千倉町の大地の生い立ち"の部の)"丘陵"の項→http://www.mboso-etoko.jp/dictionary/article.php …
をご参考に

因みに2段目のURLでは(千葉市界隈とは少し離れる千倉に関し)"今から2400万年前に丹沢造山運動によって(中略)房総半島北西部に達する細長い隆起隊(帯?)"云々との記述が見受けられますけども・・・

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございます
URL開いてみました、少し質問のポイントが曖昧でした
あまりに遠大なことは考えておりません
縄文貝塚期には海浜だっだ台地がいったいいつ隆起したのだろうか
ということでございます
当然紀元前5000以降のことと思いますがいかがでしょう?
千倉付近の土地の隆起は元禄地震と関東大震災で起こったと
千葉中央博物館で見ました

補足日時:2009/05/14 14:39
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縄文時代早期から前期(約6500~5500年前)に「縄文海進」と呼ばれる海面上昇がありました。


一般的には「温暖化による気温上昇」が原因とされ、現在よりも4m以上も水面が高かったと推定されています。
これにより現在の谷戸が入り江となり、海浜部や河の河口などが数多く出来て回の生育状況が良くなって貝塚の形成につながったと考えられています。
あくまで「貝を採取して利用した後に廃棄した場所」が貝塚なので「現在の標高40mまで海面があった」というわけではありません。
縄文時代の貝塚が内陸部にある主因は、「隆起」ではなく「海面上昇」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
現在住んでいる近くの貝塚跡が海抜40mほどです
その川の底からは貝殻がたくさん出てきます
昭和29年に学習院高校生などで発掘調査され貝塚の確認がされています
貝塚はともかく、河床でも海抜40m近くはありましょうから
この川が持ち上がったとしか考えようがないのですがいかがでしょう。
川というより台地全体の気がします

お礼日時:2009/05/15 13:07

縄文海進では、現在の海水面より3~5m程度高かったといわれていますので、これだけでは海抜40m付近に貝塚があることを説明できません。



おおよそ5万年前以降の構造運動によって、徐々に隆起して台地化したようです。下記URLのP22~25を参照してください。

参考URL:http://www.kubota.co.jp/urban/pdf/18/index.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます
昭和29年に私の在住近くで発掘がおこなわれ貝塚が見つかりました。
そのあたりから河床までは5m位で、河床にはたくさんの貝殻が見られます、昭和29年発掘時の内容と似たような貝だと思います
縄文人が川からどの程度高地に住んでいたものかわかりませんが
河床での海抜でも30mはございます、縄文海進は現在より2~3m高
といわれますので、縄文以後に隆起が起きたのではと思ったのですが
いかがでしょう?

お礼日時:2009/05/15 13:17

ANo.2の続きです。


房総半島では隆起も考慮しなければならないのは間違いないようですが、「縄文時代から40m近くも隆起した」と考えるのはちょっと厳しいです。
それだけ激しい隆起だど遺跡そのものが破壊されてしまうのではないかと思われますが・・・・。

また川底から発掘された「貝」が海生なのか川生なのかでも変わりますし、自然貝層である場合もあります。

いずれにせよ「総合的」に考えなければいけません。
なにか一つの事項で思い込んでしまうと事実を見極められなくるので注意が必要です。
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この回答へのお礼

いろいろありがとうございます

お礼日時:2009/05/16 13:41

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