いちばん失敗した人決定戦

日本が韓国を植民地化している間は韓国語が禁止され、日本語と日本風の名前を強制されて同化政策が図られた・・・というのが通説となっております。
日本がハングルを広めたなどと言おうものならネット右翼のレッテルを貼られてしまうのが今現在の状況です。

ですが、そこで疑問があります。日韓併合が行われていた時代は1910年から1945年の35年になります。ですが、35年って結構長いですよね?併合開始時に産まれた人でも30代のいい大人です。終戦間際になると社会進出を果たしていた併合時生まれの大人が大勢いる事になります。
もし併合時に韓国語や韓国名が禁止されているとすると、併合時に産まれた人は韓国語を知ることもできずに日本語ばかりを喋り続け、韓国風の名前はつける事ができなくなります。
まあ、名前ぐらいなら終戦後に韓国風の名前をつければいいでしょう。しかし、韓国名も結局は韓国語に基づくものです。終戦時に独立を果たしたところで新しい世代の大勢の若者たちは韓国語を全く知らないのです。
そういった状態でどうやって独立時に韓国語を習得する事が出来たのでしょうか?民地支配されている間に生まれた世代は支配される前の言葉を知らないのですから、折角独立しても元の韓国語を喋れない人が殆どでしょう。そういった人たちが今まで覚えてきた日本語を捨てて未知の言語である韓国語をどうやって取り戻したのでしょうか?民族の誇り、だけで片付く程簡単じゃないですよね?
だからこそ、かつてイギリスに支配された国々は独立後も英語を引きずり続けることとなり、英語を公用語とする国が世界でもっとも多くなっているのですから。

まあ、これは日本と韓国だけの問題じゃないですよね。植民地支配される事でその国の言語を禁じられた国はどのようにして独立するまでの間に言語を残したのでしょうか?

PS:私は他の質問でネット右翼である事を自称していますが、この質問は日韓併合時に韓国語が禁止されたのは嘘だと決めつけるものじゃないですよ?
ただ単に、日本語が禁止されたのならどうやって独立した後に韓国語を取り戻したのか気になるだけですので、韓国語弾圧肯定説の人も韓国語弾圧否定説の人も自分なりの意見で回答してください。

A 回答 (21件中1~10件)

 日本の歴史学には2つの系統があります。

唯物史観・皇国史観と実証主義です。
 前二者は左翼・右翼系列の学者が自己の思想を正当化するために歴史を利用するという歴史研究学です。この二者は歴史を思想的に語るので読み物としては面白く、表に出やすいのです。簡単に言えば、
   唯物史観
日本による朝鮮統治は過酷を極めた。その代表例に創氏改名と朝鮮語教育廃止がある。
   皇国史観
日本による朝鮮統治で、創氏改名と朝鮮語教育廃止は彼らの希望により行なわれた。

 言っている事は同じです。『創氏改名と朝鮮語教育廃止』は事実であるという点です。これに強制だったのか。希望だったのかという著者の考え方が加わることで真逆の回答が出ます。

 一方の実証主義は、文書や関係者調書を基に事実はどうだったのかのみを探求します。研究論文は堅苦しく、一般人には読みづらいもので、読み物としてはつまらないものです。

 実証主義で上では『創始改名』はどう見られているのでしょうか?
   創氏は強制であるが、改名は自由である
 これは氏の創設です。氏とは源・平・藤原・豊臣など本姓の設定です。日本ではこの制度は完全に廃止されましたが、韓国では未だ生きています。10年前までは本姓が同じカップルは結婚できませんでした。近親結婚と見做されたのです。尚、氏と苗字は別物です。氏は全羅南道・金、姓は高木とするが出来ました。無論、金のままでも構いません。

ただそれだけです。氏と苗字を混同させてはいけません。

 私の私見ですが、日本国政府は韓国人・朝鮮人に対して創氏改名は誤った政策であったと標榜すべきだと思っています。同時に彼らが日本で用いている通名(創始改名の改名の部分)は大日本帝国政府の負の遺産であるので使用禁止とすると発表すべきです。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

歴史の認識という言い方からすれば唯物史観も皇国史観も正しいのかもしれません。
しかし、私たちに必要なのは歴史の認識ではなく歴史の真実なのでしょう。真実さえ理解できてないのに認識もへったくれもあったもんじゃありません。ましてや本当の歴史を知らないのに正当化も美化も捏造もありません。
そのためにも歴史の実証は大切なのですが、意外と軽んじられる傾向にありますよね。歴史の実証がなければ唯物史観も皇国史観も戯言にすぎないと思います。

お礼日時:2009/06/06 18:40

#10です。



韓国語が弾圧されていたということを声高に言う人は、現在日本語も英語に(事実上)弾圧されていることをよく考える必要があるでしょう。韓国語が日本語に弾圧されたのは悪だが、日本語が英語に弾圧されているのは善だと考えるのは明らかにダブルスタンダード(二重基準)です。

それと、民族固有の言語というのは、その民族のアイデンティティをもろに示すものなので、そう簡単に消滅するものではありません。その証拠に、アンデスのインディオは未だにケチュア語を使っています。スペインに占領されてから500年(!)も経っているのにもかかわらずです。
個人的に凄いと思うのは、ヘブライ語が死語となって1000年以上後に近代イスラエルが建国されてから、ヘブライ語がユダヤ人の公用語として復活したことです。

この回答への補足

スペインがアンデスを支配している間、ケチュア語は禁止されていたんでしょうか?その辺はよくわかりませんが。

それにしても、日本語が英語に弾圧されているというのはある意味面白い解釈だと思われます。日本語によるハングルの弾圧と同列かどうかはわかりませんが。

補足日時:2009/06/06 18:48
    • good
    • 2

#8です。


>朝鮮総督府が日本語を教えたというのは事実なんですよね。そこまでは他の国の植民地と変わらないと思います。

朝鮮総督府がハングルを朝鮮半島での小学校教育ではじめて教え始めたというのは事実なんですね。そのことは他の国の植民地と全然変変わっていましたね。

また、井上角五郎が、日本で鋳造したハングル活字を使って1886年に朝鮮半島で一番最初に漢字混じりハングル新聞「漢城旬報」を印刷したのも事実ですね。以下のURLのなかのフルテキストの部分をクリックすると,この新聞発行にまつわる詳細な学者による分析が書かれております。特に、井上角五郎がハングルを使った新聞を発行しようとしていた時の、朝鮮の人達による反対に付いて興味深い分析をしています。

参考URL:https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/handle/2 …
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ハングルを教えたのは日本人だと言っても韓国人や左派の人は信用しないでしょう。
ですから、ハングルが公に使用されたのはいつか、しっかりと調べるべきだと思います。
少なくとも、韓国で使われる言葉がハングルだけになったのはそんなに古い事じゃないですからね。
しかし、その実証を公に行おうとする人がいないのが残念でなりません。

韓国の古い文献はみんな漢字ばかりでハングルがないから、現代韓国人は解読が難しいと聞いた事がありますが、本当でしょうかね?

お礼日時:2009/06/06 18:46

>宮田節子先生



昭和13年を境にすると言う説は正しいと思います。
なぜならば、
朝鮮教育令の第二条は法とは認め難い条文を付加しており、
極めて違法性が高い物になっていたからです。

http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs13-103.htm
    • good
    • 0
この回答へのお礼

日韓併合における歴史の認識は確かな実証を経て正すべきだと思います。

ですが、日本が朝鮮に対して行った事全てが正しいなどというつもりはありません。
日本が韓国を強制的に支配した、というのはその過程が良かれ悪かれ事実ですからね。
国としての誇りを奪われた、というのはどう転んでも事実でしょうからね。

お礼日時:2009/06/06 18:43

>植民地支配される事でその国の言語を禁じられた国はどのようにして独立するまでの間に言語を残したのでしょうか?



 日本敗戦時の韓国は「韓国語を喋れない人が殆ど」という状態はなかったと思いますし、そのほかの植民地も、公用語が宗主国の言葉でも、現地住民の日常会話は現地語だったと思います。現在も宗主国の言語が公用語の国は、国内に複数言語あるから共通語として使っている場合もあります。
 というわけで、ご質問の実例はないのではないでしょうか。ただほとんど使われていなかった言語の回復ならば、ユダヤ民族のヘブライ語が公用語として復活した例があります。おそらく世界唯一の例です。
 残っていた文語をもとに、現代の話し言葉として再構築、その後普及していったようです。

この回答への補足

朝鮮総督府が日本語を教えたというのは事実なんですよね。そこまでは他の国の植民地と変わらないと思います。
韓国人が言ってるのは文化の剥奪ですから、肝心なのは現地語を禁止したという事実の有無です。

結局、私自身何が何やらさっぱりわけがわからなくなっています。
初期の朝鮮では二重言語で朝鮮語も同時に教えていたというのは確実なのですが・・・。

補足日時:2009/05/17 05:12
    • good
    • 2

情報ソースは平凡社の『朝鮮を知る事典』の『皇民化政策』の項です。


この回答への補足

少し気になったのですが、その本は一体どのようなものなのでしょうか?
人から聞いただけの二次資料が記されているだけのものでしょうか?
それとも、当時使われた教科書や総督府からの指示書など、そういった一次資料が記録されていたりするのでしょうか?
できたら後半のような資料が欲しいですね。

とりあえず図書館に行って探すことにします。ありがとうございました。

補足日時:2009/05/17 05:07
    • good
    • 0

ここの年表を見れば分かります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE% …

日中戦争が勃発すると
「日本の国民(日本臣民)である事を強力に前に押し出します。」

第一次に千名の志願兵を募り、
「たったの一回で千人の志願者です。募ればいつか数万の志願者が出る時が来ると信じて疑いません。」などと言う広報映画を流します。

次に、
朝鮮語教育を必須項目から除外し朝鮮語教育を廃止します。

ので、
朝鮮語教育が禁止されたのは
太平洋戦争突入寸前の1941年3月から敗戦までです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

まあ、韓国語を禁止した理由、もとい学校の授業で韓国語を廃止した理由としてはそれが正しいのでしょうね。

お礼日時:2009/05/17 05:06

当時、朝鮮の学校で使われていた朝鮮総督府発行の朝鮮語の教科書が残っています。



参考URL:http://photo.jijisama.org/hg.html

この回答への補足

うーん・・・、そこのページは私も見ましたが、他の質問を見る限りは韓国語が禁止されたのは日中戦争以降だそうです。その教科書は日中戦争以前のものですよね?

補足日時:2009/05/17 05:04
    • good
    • 0

「韓国語の弾圧が行われていないという証拠にはならない」



「韓国語の弾圧が行われていない」と証明するのは「悪魔の証明」で一般に不可能ですね。

「韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30 (文春新書)」
http://www.amazon.co.jp/dp/4166605208/
では
「『日帝は朝鮮語を抹殺した』と言われたら」
という項目で、
「日本政府、朝鮮総督府は朝鮮語を弾圧したのか」について考察しています。
韓国朝鮮側の「朝鮮語抹殺政策を合法化したのは、朝鮮語を随意科目とした、1938年の第三次朝鮮教育令である」という主張に対し、
「1938年以降も、『朝鮮語の弾圧』が行われたとは判断できない」と、いくつかの証拠を引いて反論しています。この本には参考文献も明記してありますので、読まれると良いでしょう。

「日中戦争以降に行われた創氏改名は創氏が強制で改名が義務であるという話はよく聞きます」

「強制」と「義務」は同じことだと思いますが?質問者さんが良く聞かれるという「話」は事実として不正確である上に、論理上もおかしいようですね。
また「創氏改名」と「韓国語の弾圧」は別な事柄ですよね。なぜこの二つをリンクさせるのですか?

『創氏改名』についてはその内容についていくらでも調べられますから、「話を聞いて」納得しないで、ご自分でしっかりした本でお調べ下さい。

先述の
「韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30 (文春新書)」
にも、
「『創氏改名で民族名を奪われた』と言われたら」
という項で具体的な証拠を示しての反論がなされていますが、より直接の情報として、

「別冊正論 第2号 反日に打ち勝つ! 決定版 日韓・日朝歴史の真実 扶桑社ムック」
http://www.amazon.co.jp/dp/4594604439/
に、
「元朝鮮総督府幹部が語る 『創氏改名』の真相」
として、2名の元朝鮮総督府の当時の若手官僚による、詳細具体的な証言が掲載されております。こちらをお読み頂ければ
「創氏改名は創氏が強制で改名が義務であるという話はよく聞きます」
などというのが「ヨタ話」のレベルに過ぎないことをご確認頂けるでしょう。

なお、ご紹介したいずれの本も新刊で入手できます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まあ、確かに日中戦争以前に二重言語だという証拠は存在しますが、日中戦争以降に韓国語が弾圧された証拠は見たことないんですよね。
朝鮮総督府が発行した日本語以外の教科書で日本語が使われていれば確実なんですけどね。

とりあえず、その本は参考文献として読んでみます。

>「強制」と「義務」は同じことだと思いますが?
すみません、創氏が強制で改名が任意の言い間違いでした。気にしないでください。

お礼日時:2009/05/16 18:26

日韓併合後の朝鮮において


「朝鮮語の使用と教授・学習が禁じられた事実」
「朝鮮人が日本風の名前への改名を強制された事実」
いずれも存在しなかった、というのが史実です。

例えば、日韓併合の期間に、朝鮮人によって多くの私立学校が設立または存続しています。これらの学校は朝鮮人を対象にした学校ですが、日本人による日本語での授業が行われていたとは聞きません。

現在の
高麗大学校:前身校は1905年に設立
梨花女子大学校:前身校は19世紀にアメリカ人宣教師によって設立。1925年に朝鮮総督府によって「梨花女子専門学校」として認可を受ける。

また、日韓併合期間に朝鮮人によって新聞が発行されていました。「朝鮮新報」や「東亜日報」は共に1920年に創刊されています。これらの新聞は朝鮮語で刊行されていたはずです。

当時の朝鮮の教育制度ですが、在留日本人の学校と朝鮮人の学校は分かれており、朝鮮人の学校では朝鮮語での教育が行われていたようです。
そもそも、日韓併合以前の大韓帝国にはまともな教育制度が存在しなかったわけですが…

「創氏改名」が「朝鮮人に日本風の名前を名乗ることを強制する」ものでなかったことは、既に「常識」となっておりますので説明を省略します。

なお、「創氏改名」以前においても、朝鮮人が日本風の名前を名乗ることは、朝鮮人自らの意思により、『私的に』行われていたようです。
これは、現在の在日朝鮮韓国人が、日本政府が認める日本風の「通名」を名乗っていることが多いのと同じ動機によるもののようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・私も最初は回答者様と同じ意見だったのですが、こうやって質問をすることで最初は二重言語、日中戦争以降は日本語のみと聞かされた以上、1920年に朝鮮語による新聞が発行されたところで韓国語の弾圧が行われていないという証拠にはならないんですよね。

まあ、同じく日中戦争以降に行われた創氏改名は創氏が強制で改名が義務であるという話はよく聞きます。

お礼日時:2009/05/16 14:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!