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いつもお世話になっております。
今回は「書いてある」と「書かれている」の違いについて質問させてください。
友達と会話で「電話番号どこに書いてあるの?」は言いますが、
「どこに書かれているの?」は言わない気がします。
辞書の説明を引用するときにいつも悩むことがあるのですが。
「書いてある」と書くべきか。「書かれている」を書くべきが。
今一分かりません。「辞書には(書いてある?)(書かれている)」
どちらでしょうか?

日本の方が書いてくださった説明を引用します。

A:「書いてある」=書いた人物、書いた行為に焦点を置いている。
「書かれている」=書かれている文字に焦点を置いている。
といったような違いかと思います。

B:「書いてある」その書いてある「文・文字」そのものに話のポイントが
あります。それを「書いた人」のことは、問題にしていません。
「書かれている」その文や文字などは、「誰かが書いたものである」
ということを多少意識しています。

回答が正反対の回答なのですが。皆さんはどう思われますか?
回答お願いいたします。^^

また、質問文に、間違っているところがありましたら、直していただければ幸いです。^^

A 回答 (7件)

key00001さん



受け身の説明についてですが、「書かれている」の主語は書かれている何かじゃないでしょうか?
例えば、「紙に書かれている」だったら主語は紙になりますね。
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「ある」「いる」と言う動詞と、「(ら)れる」と言う助動詞の、2つの問題ですね。



まず動詞。
「書いてある」「書かれている」の「ある」「いる」は「おる」などと同じく、状態や存在を示す動詞です。

いずれも等しく使うことが可能です。
「どのに書いているのだ?」「どこに書かれているのだ?」
「どのに書いてあるのだ?」「どこに書かれてあるのだ?」
「どのに書いておるのだ?」「どこに書かれておるのだ?」


続いて助動詞。

「れる」「られる」は「受け身」「尊敬」「可能」「自発」の意味を持たせる助動詞です。

受け身と解釈すれば、「書かれている」は、質問者様が仰っている通り、「書く」のが「人」で、「書かれる」のは「文字」だから、主語は「文字」ですね。
「書かれて」の場合、この解釈が最も一般的だと思います。

しかし、仮に主語を「先生」とした場合、「れる」「られる」は敬語(尊敬語)になります。
「先生は、文字を、どこに書かれているのだ?」

ただ、発言者に先生に対する敬意が全く無ければ、例えば「先生の文字は、どこに書いてあるの?」と言う文章になってしまい、やはり文字が主語となります。

ここまででも充分にややこしいのですが・・・。
更に「どこに書かれるの?」と表記すれば、「どこに書くことが出来るの?」と言う意味で、「可能」の助詞である場合もあります。

「書く」と言う具体的な動作を示す動詞に接続する助動詞「れる」の場合は、「自発」の意味は無いと思います。
自発は、「(自然と)昔がしのばれる」とか「(自然と)思い出される」など、主に感情的な動詞(「思い出される」の場合は複合動詞)に接続します。

「自然と」と言う言葉を足して、しっくりくる場合には、自発の意味で使用されている可能性があります。
普通は「自然と書かれる」と言う状況は考えにくいですが、でも文学などなら有り得ます。

「書かれている」の場合、間違いでは無いですが、この様に沢山の意味が解釈されてしまいます。
それは助動詞「(ら)れる」に4つの意味があるからです。

少し、まぎらわしい表現なので、違和感を感じたり、間違いと感じたりするんだと思いますよ。
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「書いてある」と「書かれている」


の2つを比較するのであれば、どちらかといえば A が正しいでしょう。

しかし、A の解説が正しいのは、「書かれている」が受身であるから、という理由にすぎません。
受身である以上「書かれたもの=書かれた文字」に焦点が置かれるのは当然のなりゆきです。
A の解説は間違ってはいませんが、「ある」「いる」の問題とは無関係と私は思います。

つまり、
「書いてある」と「書かれている」を比較することによって「ある」と「いる」の違いを検証しようとするのは、少し無理があるような気がするわけです。


ご参考までに、
「電話番号どこに書いてあるの?」
と、
「電話番号どこに書いているの?」
を比較してみます。
この場合は、B の説明がほぼ正しくなるのではないでしょうか。

私見を加えると、
「○○てある」も「○○ている」も共に、○○の動作が完了していることを示す表現です。
「○○てある」
は、【完了後の現在の状況】に焦点が当てられており、
「○○ている」
は、【過去における○○の動作自体】に焦点が当てられている。
このように言うことができるように思います。
 
>「どこに書かれているの?」
:と尋ねることが稀であるのは、
「書いた(書かれた)という過去の動作」に焦点を当てる必要性が生じるシチュエーションが少ないからでしょう。
そのようなシチュエーションの例としては、たとえば、
秘密の暗号を巡ってのサスペンスドラマなどでしょうかね。
「あの暗号は・・・一体、どこに書かれているの?早く白状しなさい!」といったような雰囲気。
日常的な電話番号に関してこの表現を使うと大げさになってしまうでしょう。
サスペンスドラマに限らず、電話番号に重点的に意味を持たせたいシチュエーションであれば使用されても自然でしょうし、また使用されてもいるはずです。


《回答が正反対の回答なのですが》(△)
『内容が正反対の回答なのですが』
とすると自然な表現になります。

また、その前の
《日本の方が書いてくださった説明を引用します。》
も、
『日本の方が書いてくださった回答を引用します。』
のようにしたほうが良いでしょう。
この部分を変えないのであれば、後ろのほうは、
『内容が正反対の説明なのですが』
とします。
いずれにせよ、「回答」または「説明」どちらかで統一したほうがすっきりした印象になります。
 
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no1eunさん、あんにょんはせよー



本件は、おそらく、日本人の半数以上が、ちゃんと説明できません。
そして、Aさんの説明も、Bさんの説明も、あまり正しくありません。

まず、
単純に言えば、「書い・て」は能動態です。「書かれ・て」は受動態です。
しかしながら、どちらにしても、
する人⇔されるもの
という関係は成立していますから、能動態と受動態で主語と述語の関係はひっくり返るものの、文の意味としては同じになります。


実は、「ある」と「いる」の意味がポイントとなるのです。
どちらも補助動詞ですが、意味は・・・

「ある」
1.以前に動作が行われた(完了した)。
2.以前に完了していた結果(影響)が今でも残っている。

「いる」
・現在、継続中である。(いつから始まったのかは、あまり意識しない)

となります。

したがいまして、
「書いてある」は、
「以前に誰かが書くことを完了した」あるいは、「以前に誰かが書いた文字が、現在の瞬間でも残っている」というニュアンスであり、
「書かれている」は、
「今、そこに文字が存在している(継続中)」というニュアンスです。



>>>友達と会話で「電話番号どこに書いてあるの?」は言いますが、
>>>「どこに書かれているの?」は言わない気がします。

そんなことはないですよ。
「どこに書かれているの?」とも言いますよ。

「どこに書かれてるの?」という言い方ならば聞いたことがありませんか?
日常会話で普通に使われていますよ。
それは、「どこに書かれているの?」がなまったものなのです。



>>>
今一分かりません。「辞書には(書いてある?)(書かれている)」
どちらでしょうか?

どちらも正解です。
電話番号と同じです。



>>>また、質問文に、間違っているところがありましたら、直していただければ幸いです。

「回答が正反対の回答なのですが。皆さんはどう思われますか?」
の部分ですが、
「回答が正反対の回答なのですが」は、
「二つの回答が正反対なのですが」か、あるいは、
「互いに正反対の回答なのですが」としましょう。
そして、
間は、丸(。)ではなく点(、)でつなぎましょう。


以上、ご参考になりましたら幸いです。
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「書いてある」はオーソドックスな日本語で、完了した行為の結果の存続を表します。


「書かれている」は英語などの受動態の翻訳から生まれた表現です。

使い方に微妙な差がないことはありません。
「書いてある」は「書いてない」の逆だという意識があります。
[……と](ちゃんと)【書いてある】
のように、聞き手に伝えたいのが【書いてある】ということである場合には、「書かれている」はあまり使われません。
【……と】(いう内容が)[書いてある/書かれている]
のように、聞き手に伝えたいのが、書いてあるか書いてないかではなく、【何が】書いてあるか(=書かれているか)という場合には両方の表現が可能です。
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どちらも間違いではありません。



「書いてある」は客観的な言い方でやや口語的な言い方です。
「書かれている」は「書く+れる+現在進行形」です。
助動詞「れる・られる」には4つの用法があり、今回の場合「尊敬」と「受身」である可能性があります。
受身は記されているものを主体にした表現で、尊敬は書く人を主体とした表現です。
つまり「書かれている」は、書いてあるもの主体を置き「(辞書に)書かれている」とする場合と、書いた人に敬意を払い「(誰々によって)書かれている」とする場合があります。
その時、当該「書かれている」以外の文節がすべて文中に盛り込まれることがあります。
その場合、「れる」が受身か尊敬かは、主体がどちらにあるかということになります。

以上を踏まえ、辞書だとわかりにくいので、別の例で検証してみたいと思います。
「松尾芭蕉によって奥の細道に(書いてあるor書かれている)俳句」
という文章だとします。
この場合、松尾芭蕉について語っていれば、尊敬の「書かれている」
奥の細道について語っていれば、受身の「書かれている」
俳句について語っていれば、客観的に「書いてある」
がベターだと思います。

ただ、冒頭にも言いましたが、どれでも間違いではないと思います。
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どちらも同じことです。



こうした言葉を言い回しと言いまして、悪評高い日本語の曖昧さを表す言葉でもあります。

受け止め方で肯定文にも否定文にもなる曖昧さじゃなく、同じ意味なのに違った言葉を使う場合が、あるのです。

もっと穿った言葉で説明しますと、「書いてある」は、日常語。
「書かれている」は、丁寧語です。
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