「1」は、存在しているに決まっていると誰もが思うでしょう。
子供でも、1個のリンゴや1匹の犬などから、「1」を理解していますと言うことができます。
しかし、「1」を理解していることと、「1」が存在していることとは、厳密には違います。
「1」の存在は、証明されていますか?
それとも、「1」の不存在が証明できるのでしょうか?
たとえば、この世には、完全な円形や球形の模型がありません。
すべて近似表現型に過ぎません。
円や球は、概念であって、実在の有無を問わないようです。
「1」も概念であって、実在している必要はないように思います。
「存在」の定義が、違っているために、混乱しているだけでしょうか?
実在していなくても、我々の頭脳・知能において、概念として存在しているということでしょうか?
すると、実数1も純虚数iも、存在という点では、大差無いように思います。如何でしょうか?
A 回答 (44件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
「1」という「数そのもの」は、おっしゃる通り概念的な存在で、物質として実在するものではありません。
その意味では純虚数iと同等の存在です。1とiの存在価値が違って見えるのは、1は自然数の基本となる数であり幼児でも容易にその概念を理解できるのに対して、iはある程度高等な数学についての知識がないと理解できない難解な概念であるというだけの違いに過ぎません。尚、「1」という「数を表す記号」に関しては、記号として存在していると言えると思います。
そうですね。「ひとつという概念」としての存在だと思います。
そして、記号としては、現在では「1」が一般的ですね。
「物質として実在するものではありません。」には、異論ありません。1の模型は、見たことがありません。
1をテーマにした芸術作品も知りません。
ただし、唯一絶対の象徴は、色々あるようです。
これは、蛇足ですので、これ以上は書きません。
1が存在するのは、進化して頭脳・知能の発達した生物の能力が「論理空間」を形成できた場合であり、その論理空間において存在していると言えそうです。その際にどのような記号を使用するかは、任意ですから、必ずしも「1」とは限りません。たまたま、「1」が使われているようです。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
1とは量を定義する時に定義される最小単位であって、証明するものでも必ず実在する物体でもないのではないでしょうか。例えば長さを測るとき、「ここからここまでの長さを1とします」というのも定義ですよね。
「このように決める」のですから証明するとすれば、その定義に反していないことを証明することになります。
定義は常に一面的なものですから、別の視野から見た場合は定義その物を新しく作る必要があるでしょう。
「1」は、定義なので、証明するものではないという発想は、別名「規約主義」というのだと思います。
規則が先にあり、そこから出発する説明ですね。
それだと、思考停止であり、信仰と同様です。
三平方の定理も、証明があります。
当然だからとか、定義だからというのではないと思います。
「1」の存在を証明できるのかできないのか、はっきりさせたいという質問です。
「1」はどのような存在の仕方なのでしょうか?あるいは存在しようがないのでしょうか?そのような問いです。
そのヒントをいただきたいと思います。
よろしくお願いします。
No.3
- 回答日時:
お礼見ました。
おっしゃる理論展開からすれば、「1とは自然に存在しているものではなく、定義に基づいて作られる存在である」と言うのが正しいと思います。
したがって存在を証明する事はできません。
なるほど。
「1」の存在を証明できないということですね。
なぜならば、定義として創造された概念に過ぎないということですね。
証明は出来ないけれども、「定義されたこと」として存在しているという視点のようです。
では、「1」はどのように定義されていますか?
念のため、記述してみてください。
よろしくお願いします。
No.5
- 回答日時:
数学カテのような問答ですね。
「1」の定義ですか。
三平方の定理が証明される。であれば、「1」の定義は、円周内の三角形の図形から lim(x→0)[sinx/x] を1の定義とすればよいでしょう。
つまり、lim(x→0)[sinx/x] = 1 とするですね。となるのではなく、と定義するですね。(この定義の仕方は参照: http://izumi-math.jp/Y_Hirata/radian/radian.htm で提案されてます。)
この意味はサインカーブの原点での傾きを1とするというものですね。この[1の定義]からパイなどのラジアン表示が導かれます。だから、これは存在を前提とした数学的な1の定義になり得えますね。当然、傾きは比の値ですから定義の1を基準にしてどのような値もとりえますね。このように「1」は数学的に定義できるものですね。
参考程度に
こちらも面白い定義です。
傾き1から「1」を定義してみるという発想ですね。
だとすると、n/nの方が、もっと簡単に定義できて便利そうです。
「n個の商品をn人で分配する時の一人当たりの配分個数1」という意味付けで解釈可能だと思います。
様々な定義が可能でしょう。
では、1の存在証明は不可能でしょうか?
証明は出来ず、定義のみ可能なのでしょうか?
No.6
- 回答日時:
地球が1個存在する。
そりゃそうだ。
1個のリンゴが存在する。
どこに?
1円が存在する。
どこに?一円玉?銀行口座?ウェブマネー残高?
「1」が存在する。
どこによ。
ウェブマネーが存在しているんなら、「1」だって存在してるじゃん。
だって、現に、こうして「1」のことを回答してるじゃん。
そうです。そうです。
概念として、「1」を使いこなしています。
「1」の存在は、疑いようがありません。
でも、「どこによ。」この問いが大事です。
どこに存在しているのですか?
これが、今回の問いのテーマです。
よろしくお願いします。
No.7
- 回答日時:
私は数学には無知なのですが、ちょっと引かれる質問なので・・・
実数の概念規定というものになるのでしょうか
規定する基準が相対的に証明できうるものとして認知できているのかが前提となると思います。
証明できうる基準があって、規定が成り立ちます。
仮にその基準そのものが存在したとしても、対象との比較判断に用いるものとして認知していなければ、規定する、或いは規定したという認識が生じる事は無いものと思います。
通常においては
「1」は等量的な単位の最小のものとして扱われています。
これは既に実数の概念が植えつけられている結果であると思います。
実数の概念全体の認識が基準となって「1」という規定の認識を生み出しているものと思います。
この場合に「1」は、基準無しには「1」ではあり得ず
また、基準の対象としての「1」としか扱う事ができないものです。
「1」は相対的な規定の「1」であり、「1」そのものにおいては「1」と規定できないものです。
「1」は相対的な概念の規定において存在する認識であり、「1」という認識が同時に基準とする、実数の概念全体を規定する基準にもなりうるものと思います。
「1」は対象の認識における概念の所産であり、「1」の認識を基準として対象に向けた時に、「1」の存在が成り立つのではないでしょうか。
>「1」も概念であって、実在している必要はないように思います。
その通りと思います。
対象の認識以前においては、必要もなければ、必要もないという意識すら無いと思います。
対象の認識において、始めて「1」の概念が生じ、「1」の存在が成り立つものと思います。
物理の世界では、観測者効果、という言葉があるそうですが
それと似たようなものなのでしようか?
ちょっと迷いながら、あれこれ書いてしまいました。
所詮、数学は素人です、ご参考にして下さい。
認識からのアプローチですね。大変、参考になりました。
「1」が相対的な「物差し」の役割を果たしているというように解釈させていただきました。
前にあった他の回答でも、「最小単位」という表現もありました。
基準や物差しとして存在しているらしいという指摘は、面白いです。
つまり、相互関係性、相対的関係の中で、捉えていくということがいいです。
「1」単独での存在証明とは違う、全体との関係(縁起にも通じる発想)で、捉えていくというアプローチだと思いました。
「多あればこその1」とでも言うべき観点でしょうか?
でも、「1」単独での存在証明は、やはり不可能でしょうか?
No.8
- 回答日時:
哲学にも数学にも素人ですがお邪魔します。
高校のときに郡数論というのを習った記憶があります。
郡を構成する集合においては次の4つの性質が存在するという定義だったように思います。
・零元の存在(その数(零元)に集合内のどのような数(要素)を乗じてもその数(零元)になるような数(要素=零元)が存在する)
・単位元の存在(その数(単位元)に集合内のどのような数(要素)を乗じても乗じた数(要素)になるような数(要素=単位元)が存在する)
・逆元の存在(0(零元)でない数(要素)は足すと0(零元)になる集合内の数(要素)が必ず1つ存在する。)
・加減乗積が集合内で可能
ここに「存在する」と書いていますが、その内実は「概念として存在する」という意味と理解していいと思いますので、質問者さんがおっしゃるような理解でいいのではないでしょうか。
あるX軸上の単位元(1)は、点ですので幅も太さもありません。目に見える太さを持ったものとしての「1」はどこまで追いかけても追いつけない不可思議な存在です。
それは概念として存在するのみと考えていいように思います。
虚数は苦手ですが、同様に考えて概念として存在するので「1」と一緒ですよね。
確か、i×i=-1となる数iを純虚数というのでしたよね。
数直線上にモデルを描けない数字なのでどうしても苦手でしたが、数学を専門にされている方は、この虚数がイメージできるのでしょうね。
実数1も純虚数iも、「概念として存在するのみ」という結論に、異論ありません。
つまり、認識能力の進化によって獲得したのが、おそらく「概念操作」であり、この「概念操作」の展開できる「(ウィトゲンシュタインの言う)論理空間」が、存在の「場」であろうと思われます。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
計算する犬をテレビで見たことがあります。
その犬は、論理空間を認識するほど脳が進化しているとは思えません。
しかし、ボードに書かれた足し算や掛け算ができていました。
数が分かっているようです。
その答えは、すべて「ワン」の繰り返し回数でした。
たとえば、「2×2」は、「ワン、ワン、ワン、ワン」です。
計算とは、概念操作なのでしょうか?
大変、不思議に思いました。そして、別の何かではないか?と漠然と感じたわけです。このもやもやが解消しません。
No.10
- 回答日時:
「存在」という言葉は多義的で厚みのある言葉ですから、それぞれの文脈の中でその意味が違ってしまいます。
ここでは、物理学的に見た1の「存在」に限って論じてみましょう。その場合、1には二つの意味が考えられます。そして、その二つの意味において、物理学者は1がこの宇宙に存在していると考えています。その一つは、この宇宙には不連続体が存在しているのか、それとも連続体でのみ出来ているのかという問題に絡んだ1の存在です。この宇宙の基本法則として量子力学が発見される前までは、この宇宙に不連続体が存在するかどうかが判らず、物理学者の間では論争の対象になっておりました。巨視的な世界で一つの粒子として見える物でも、それを半分に割ることができる。そしてその半分の半分もある。したがって、物の存在には1、2、3と数えられる物がないかも知れないという意見です。そうなると、1なる概念が物質的存在としての意味を無くしてしまい、頭の中にだけ存在するもっと抽象的な概念になってしまうように見える。
ところが、1900年にマックス・プランクによって光のエネルギーの存在形態としての量子の概念が発見され、この宇宙にも不連続なものが存在することが初めて明らかにされました。その後、1905年にアインシュタインがあの有名なブラウン運動の理論によって、液体を構成している物質には粒子という不連続な最小単位が存在しているとこを示す理論を提案し、それを肯定的に検証する実験が1908年にペランによって成されて、物理学者はこの宇宙には分子や原子と呼ばれる物質の不連単位が存在することを確信しました。実は分子という概念はそれよりも100年以上前に化学者達によって提案されていたのですが、それまではその存在を直接検証できる方法が発見されていなかったので、アインシュタインに多大な影響を与えたマッハの様に、物理学者の中には「不必要な仮説」として分子の概念を拒否する人達もいたのです。アインシュタインとペランによって不連続なものがこの宇宙に存在することが明らかにされたのですから、単に頭の中で抽象的に思い浮かべたものを数えるだけではなく、この宇宙の存在を語る場合に、物を数えるという行為が現実的な意味を持つようになった訳です。ですから、数学者にとっては1は単なる頭の中の抽象的な概念を論じるための定義ですが、それとは違って、物理学者にとっては1は物質的根拠を持って現実に存在していると考えています。
もう一つは、たとえ連続量であっても、その大きさ(長さ、重さ、速さ等々)を測るのには何を基準にして測るのかという基準を用意しておかなくてはならない。物理学者は、ある物の大きさを、その基準の大きさで割った物が数であると考え、その大きさがその基準の大きさと同じ場合に、大きさは1であると言います。そう言う意味で、大きさなる概念がこの宇宙に存在しているなら、1も存在していると考えます。
この宇宙を量的に捉えることに意味があるかどうかは、決して自明なことでは在りません。微分積分や高度な数学がまだ存在していず、せいぜい現在の小学校で算数として教わる加減乗除と、それ以外にユークリッド幾何学しか知らなかったガリレオが、まだそれを正当化できる証拠がほとんど存在していないのに、「数学は自然を記述する言語である」などととんでもないことを言い出したのは、私には神懸かりとしか言いようが在りません。しかし、その後の物理学の発展は、このガリレオの神懸かりがどうも正しかったらしいということを示しているようです。今までのところ、大きさという概念を使ってこの宇宙を説明できるという主張に反する事例に人類はお目にかかってはいないようです。ですから、物理学者はこの宇宙は大きさという概念で合理的に説明できると考えております。したがって、各々の事象で大きさの単位が存在していると考えており、それを1と呼んでおります。
なるほど。
分子や原子と呼ばれる物質の不連続体の単位として、現実に存在しているのですね。
また、たとえ連続量であっても、ある物の大きさを、その基準の大きさで割った物が数であると考え、その大きさがその基準の大きさと同じ場合に、大きさは1であると言い、大きさなる概念がこの宇宙に存在しているなら、1も存在していると考えるのですね。
しかし、これは証明ではなく、定義のようです。
定義には、様々な観点があるという例示にはなっています。
有難うございました。
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