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エコを考えるならば資本主義を見直さなければならないのではと最近考えています。

なぜならば競争をすることはそこに無駄も生じるからです。
たとえば自動車業界でトヨタがホンダが日産などがハイブリッドや電気自動車の開発をそれぞれの会社でします。
それぞれで研究するということは当然各々で二酸化炭素等が出るわけでそこはエコでもなんでもないです。
本気でエコを考えるならば研究機関は共同で1つでいいはずです。それこそ国の機関として研究開発機関を創設していけばいいと思います。

しかし、そうしてしまうと資本主義の意義がなくなってしまう気がするし、しないのであれば
エコって言葉がただの庶民を馬鹿にしている言葉になってしまう気がします。

エコってほとんどの企業や国(政治)は売り上げを上げたり、人気取りの手段に使われているだけなんでしょうか?

今のままの資本主義で自然環境を守ることが出来るのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

論点がいくつかありますが、主題は


『エコを考えるならば資本主義を見直さなければならないのでは』
ということになるかと思います。

この考え方は正しくて、今の資本主義は19世紀の産業革命が原点の
石炭を燃やしたり石油を燃やしたりすることによって経済を動かすという、
言ってみれば19世紀型の資本主義です。

運良く1世紀にわたって19世紀型の資本主義が続きましたが、
経済の発展に伴って消費する資源が増えて、
資源の量に限りがあることから19世紀型の資本主義が限界に達しています。

そこで21世紀型の資本主義が必要になってくるわけですが、
それがどのようなスタイルになるのかは私には分かりません。
一応考えられることは、持続可能なエネルギーと再利用可能な
資源を使って経済を動かすことになると思います。


副題の、研究開発についてですが、
この説明はとても難しいので結論だけ書くと、
「結果を出せない研究機関は無駄」ですし、
「結果を出せる研究機関はいくつあっても良い」です。
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この回答へのお礼

主題をわかりやすくしていただきありがとうございます。
資本主義はエコと共存しないならば資本主義を修正していくしか道はないと思います。
私自身どのように修正すればよいかなんてわからないですが
21世紀型の資本主義を提示するリーダーが出てくることを期待しています。

>「結果を出せない研究機関は無駄」ですし、
「結果を出せる研究機関はいくつあっても良い」

ですね。

お礼日時:2009/08/04 03:19

NO.11だよん。



>>競争はムダが大きいって前提

>誰もそんなこと思っていないのでは?!

そうかね。あなたはそう書いているけど。

>共有できるものであれば同じ業界に関わらず採用していけば無駄は少なくなる。

これって、競争している状態のほうが共同研究に比べてムダが大きいって趣旨だろ。

>それぞれで研究するということは当然各々で二酸化炭素等が出るわけでそこはエコでもなんでもないです。

たしかに、重複する部分はムダに見えるけど、それは近視眼的なことだね。
大きく長い目で見れば、競争があったほうがムダがなくなると考えるのが普通。
研究段階では重複してムダがあるかもしれないけど、
より性能がいい電気自動車や、燃費がいいガソリン車を開発するために
必死に競争してるわけだろ?
結果的にはムダがない、エコロジカルだってことになる。

もしトヨタとホンダと日産が合併したら、エコロジカルな製品を開発するインセンティブは低くなるだろう。
極端な話、世界に自動車会社が一つしかなければ、燃費が悪い自動車を
自由に値段を上げて消費者に買わせることができるんだよ。
旧東欧圏の自動車産業を考えればわかる。
もちろん、競争による弊害もあるけど、どちらがより良い状態かといえば、
競争がある状態だと思うね。

競争とエコロジーと資本主義は論理必然的に結びつくものじゃない。
資本主義は単なる仕組みであって、反エコロジー主義じゃないんだから。
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ローマクラブを読んでみてください。

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この回答へのお礼

読んでみます。

お礼日時:2009/08/04 03:23

 同様のことは、社会福祉にも当てはまります。


 本来の資本主義の精神と社会福祉は矛盾します。

 今日、私たちが「資本主義」として扱っているものは、「修正資本主義」といって、資本主義のひずみを社会的な仕組みを作って吸収しようというもので、行き過ぎた資本主義の理念が、人間個人の幸せを無視してしまう点を補ったものです。

 同様の観点から、資本主義がひずみとして、人間の生活環境を危険にさらすなら、「環境修正資本主義」(=現在、そのような用語は、未だ使われていませんが)が世界経済の主流となっていくでしょう。
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この回答へのお礼

資本主義の理念は今後変わっていく可能性はあるんですね。
排気量等を取引していくのは資本主義そのままですが、こういう取り組みではない
資本主義の修正による環境保護の取り組みを提示できるリーダーが出てくることを期待しています。

お礼日時:2009/08/04 02:54

エコ・・・


これはですね、人類共通の目標設定。
環境保護や地球温暖化問題に直結してますが、冷戦後の自由主義陣営の引き締め・連帯を促す政治プロパガンダの意味合い「も」強いです。

ちょと前まではソビエト連邦が自由主義陣営の共通の敵。陣営内の国家が一丸となって共産主義と戦った。冷戦として。

その冷戦終結後、自由主義陣営、いわゆる資本主義国家の共通の敵がなくなりつつある。
一応中国なる蛮人国家がありますが、コイツを敵に回すと本当に危ない。味方に引き付けて置いて毒を飲ませながら奴隷の代理としゴミを買わせておけば、ソッチがまし。

そこで資本主義自由主義陣営共通の敵が必要になった。
その敵は宇宙人でも良い。宇宙人なら全地球人がまとまれる。だが宇宙人は日本にしか居ない。鳩山由紀夫次期首相(単なる予想)しか、宇宙人は地球には存在しない。

なので頃合も良く、「地球温暖化説」を大々的に宣伝する事により陣営の連帯を高めよう…これがEUの特に英国が主導する長期プロパガンダ作戦。米国から世界覇権を奪うソフト的戦略でもあった。
温暖化は共通の敵である。エコで連帯を! とかね。

ざっと考えてみても、エコ・地球暖化防止は資本主義自由社会だけで特に盛んに行われてますよね。

これが全ての解答。


なので、エコを考えるなら共産主義はおかしい。
それはエコや温暖化防止の真の目的とは異なる。
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この回答へのお礼

私もエコを考えるならば共産主義はおかしいと思います。
しかし、昔から変わらない今の資本主義では経済、環境、差別、健康など
多くのことの最善のベクトルが他方向に向き、歪んできてしまっているのではと考えているのです。

資本主義にかわる新しい資本主義といいましょうか資本主義と共産主義での比較ではない道がないのでしょうか。

お礼日時:2009/08/03 23:31

エコったって、結局はなんのためかといえば、


自然環境が破壊されて人間に住みづらい地球になるのはマズいからであって、
人間のためのエコであって、それ以外の何者かを第一に考えたもんじゃない。

自然が破壊されたらオレらがマズいと思う人が増えれば
環境にやさしい製品が売れるだろうし、資本主義なら売れる製品を開発しようとする。
だったら資本主義でもいいんじゃないの?
結果オーライならそれが一番だろう。

まず、競争はムダが大きいって前提は考え直したほうがいいと思うね。
ムダがあったら競争に負けると思うのが普通だと思うよ。
競争をしている研究機関よりも独占的な研究機関の方が
効率的な研究ができることはまずありえない。
独占状態だったら、そこで働く研究員だってのーんびり研究してても
給料はもらえて地位は安泰だしね。

「オレたちの方がよりエコでよく売れる製品を開発できる」って
自負を持ってる人たちの開発活動を禁止してあえて親方日の丸みたいな
お役所的な研究機関に研究を一本化することに意味があるのかね。
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この回答へのお礼

>エコったって、結局はなんのためかといえば、
自然環境が破壊されて人間に住みづらい地球になるのはマズいからであって、
人間のためのエコであって、それ以外の何者かを第一に考えたもんじゃない。

その通りですね。
私は今のままの資本主義を貫くならエコなんて思想を考える必要はないと思います。でもこのままでいいわけないんです。

>競争はムダが大きいって前提

誰もそんなこと思っていないのでは?!
大きいの小さいのではなく実際に無駄があるということ。
共有できるものであれば同じ業界に関わらず採用していけば無駄は少なくなる。ライバル企業に対し0からの独自開発に拘りすぎなんじゃないでしょうか?ということを言いたいのです。

とにかく今の資本主義ではエコとは共存できないのではないかと思うのです。

お礼日時:2009/08/04 03:04

私は資本主義を考えるならば、今世間で言われている


エコの方こそがおかしいと感じます。

他の奪い合いで成立する経済思想とは異なり、
資本主義とは信頼によって成り立つ経済思想なのです。
その信頼を構築するために、取引には嘘があってはならないのです。



取引における嘘、というのはつまり『価値の無いもの・あやふやなもの
を売る』ことに尽きます。すべて価値というものは、正確な論拠により
構築しなければいけないのです。もし、価値の無いもの・価値の測定が
難しいものを売ってしまったときに何が起こるか。

最も端的な過去の例を見れば、それが過剰に評価されればバブル経済に。
過少に評価されればデフレスパイラルへと陥ってしまう。これがどんなに
悪い結果を社会にもたらすかは、すでに我々自身が経験している
のではないでしょうか。






ものの価値というものは、いくつかの測定方法が
あります。労働時間、消費された資源、あるいは需要・供給の偏り、
そして、販売者や消費者が負うリスクなどにより計測が可能です。
ですが、"エコ"の商品価値を測定する方法というものは、
原理的に存在しません。何故か?



端的に、購入者に明確な見返りを与えない取引であるためです。
気温上昇を抑制できる、という名目は一応ありますが、
そもそも、"CO2を何グラム削減すれば、気温を何℃下げられる"
という部分が判然としていないのです。

こういった価値の測定できないものを売った場合、どうなるか。
たとえば、実は新品であるのに『再生紙』として高額で販売する。
CO2削減材質で作られたとされる冷蔵庫が、実は従来と変わらない物
であった。さらには廃棄・処理費を受け取った業者が中古品として
海外へと輸出する。こういった明確な詐欺に対しても、
消費者は的確な判断を行えないのです。






またもっと悪いことに、"排出権取引"を作ろうという動きもあります。
価値の無いCO2排出権を市場価額により価値を測定しようという考え
ですが、これもやはり成立しません。

株式や証券取引は会社に対する支配権や求償権といった"実際の権利"があり、
市場価値が暴落しても、一定の権利は保障され、また、各社各期の成績は
比較され、判断を誤らせないよう様々な情報が提供されるのです。
それが最終的な市場の崩壊を防ぎます。

しかし、"CO2排出権"は実際の利得にはなりえないのです。
不況による生産調整により、工場が停止すればCO2排出権はダブつきます。
そこに権利が発生するのか?そもそもCO2を排出する権利など、誰が持ちうるのか。
こういった部分が全く明らかではなく、バブル経済を容易に誘発します。
他の証券と比べてより容易に"CO2市場"は崩壊し、社会から流入したお金も
消滅してしまうのです。





嘘や欺瞞を平然と認める思想こそが"エコ"です。
これはすでに信頼を重視し、そのために正確な情報により
合理的な価値評価を常に追及する経済思想、『資本主義』では
ありえないのです。お互いに得をするのが資本主義ですが
お互いに損をするのがエコなのですから。



それでも"エコ"を行うというのであれば、それはもはや宗教の教義と
なんら変わるものではありません。私は宗教家の存在までを否定しませんが、
彼らが徒党を組んで、形式のみ資本主義を利用し、その教義である
悪辣な詐欺を横行させることは、自然よりまず社会を守ることを
難しくしていくのではないか、と感じます。

自然の守手が人間しかおらず、そしてその社会環境が悪化していけば、
自然環境どころではなくなります。
結果として自然は破壊されていくのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

資本主義とエコは共存しないという事が私の意見の根底にあります。
私は見せ掛けだけのエコに対して懐疑的です。

>、"CO2を何グラム削減すれば、気温を何℃下げられる"

確かに具体的なことには言及されていませんね。
そもそもCO2の排出量なんてはっきりとわかるんですかね。
考えれば考えるほどエコは経済発展の餌に過ぎないのかもしれません。

お礼日時:2009/08/04 03:12

>今のままの資本主義で自然環境を守ることが出来るのでしょうか?


 ・人類が存続する限り、自然環境は守れない・・主義には関係ない
 ・エコは自然環境を守るためのものではない(結果としてその様に見えるだけ)
 ・人類の存続をする為の一手段です(エコの目的)
 ・人類の存在自体が、自然環境を破壊するのですから→結果として人類の存続に影響する→エコにより自然環境の破壊の進度を遅らせる、もしくは停滞させる→人類の存続を図る
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エネルギー利用効率を考えるなら国際基準資本主義は


おかしくないですか?

◎という意味の質問ならおかしいと思うのに同感です
エコを進めるのにもっとも有効な手段は日本に輸入される
エネルギー量に上限を設定すれば済む事です。この時の

エネルギー量には輸送エネルギーを含みます。
あとは何もしなくても資源やエネルギーの利用効率は上がります
江戸時代の無駄のない社会は偶然では無いのです

外部からエネルギー補給が無ければ適切化が進むものです
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共産主義の中国の方が公害はすごいです。

ロシアも原子力潜水艦捨て放題です。研究機関よりも生産工場の方が2酸化炭素出してます。共産主義や社会主義になるといい加減でダメですよ。第3セクターなんかもいい加減だったし。自然環境が、こりゃーやばい、と言うところまでいかないと、環境ビジネスもなかなか広がらないかもしれませんが。形だけのリサイクルじゃなくて、3Rとかもっと締め付けないとダメでしょうね。エコも競争は必要だと思います。
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