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今年の4月に奈良・薬師寺の花会式にいきました。
花会式の最終日には鬼追式が行われます。

京都では鬼追式には四つ目の方相氏が登場して鬼を祓うことが多いです。

しかし、薬師寺では毘沙門天が鬼を祓っていました。
興福寺においても節分の鬼追式では毘沙門天が鬼を祓うそうです。

(1)他にも毘沙門天による鬼追式を行っている寺がありましたら教えて下さい。

(2)毘沙門天による鬼追式と、方相氏による鬼追式では
どちらが古いのでしょうか。

(3)なぜ毘沙門天による鬼追式と、方相氏による鬼追式があるのでしょうか。
宗派の違いでしょうか。

(2)(3)については、推論でもありがたいです。
ただし、推論なのか、そうでないのかを明記してください。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

(1)「鬼追い」と言うものの、鬼を追い出すのではなく、鬼が無病息災や五穀豊穣を祈る「鬼追い」もあります。


西の比叡山と呼ばれる書写山円教寺では、赤鬼は毘沙門天の化身であり、青鬼は不動明王の化身とされています。
「鬼」と呼ばれていますが、どちらも「悪鬼(災厄)を追い春を呼ぶ神」として登場します。
書写山のちょっと東に位置し、円教寺の支配下にあった増位山随願寺の鬼追いでは、赤鬼は不動明王の化身、青鬼は毘沙門天の化身です。

毘沙門天は、古くから北方を守る「軍神」として信仰されていますが、七福神の一人として「福の神」でもあります。
毘沙門天をどのように解釈して、鬼追いの行事に取り込むのかは、寺院のそのときどきの住職の思想で決まると推測しています。

http://www.shosha.or.jp/shushoue.html 書写山
http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/zuiganji_goma.htm 随願寺

(2)(3)については、次のサイトが参考になると思います。

追儺考
http://www.geocities.jp/edelfalter/recture/tsuin …

別件ですが、毘沙門天については少し調べています。
保立道久著『東アジアと平安日本 黄金国家』に、毘沙門天とムカデ信仰についての記述がありますので一部引用します。

982年(天元5年)藤原実資は、「蜈蚣ムカデ」が耳に入るという経験をし、そのしばらく後に、「黄金二五両」をもって「金の毘沙門天」を鋳造したという。(藤原実資日記)
この金の毘沙門こそが、『大鏡』がいう実資の富をもたらした「金色の仏」の一つであったにちがいない。
この史料は蜈蚣が毘沙門の使者と信じられていたことを示す初見史料でもあるが、毘沙門天は、このように10世紀には福神としての神格をもっていたのである。

この回答への補足

面白い回答でとても楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。

補足日時:2009/08/14 09:31
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
赤鬼が毘沙門天の化身で、青鬼が不動明王の化身ですか。
で、赤鬼が不動明王の化身で青鬼が毘沙門天の化身としているところもあるのですね。
知りませんでした~。
とても興味深い話です。

東大寺二月堂の修二会は見に行ったことがあります。

「走りの行法」が一種の追儺だったのですね。
その別名が「龍天」、「毘沙門天」、「鬼手」、「鬼走り」で
もともとは鬼を天部(龍天・毘沙門天)が追いかけ回すという儀礼であった!

ということは毘沙門天が鬼を追うというのがより古い形式だと考えられそうですね。

役にたつサイトの紹介をありがとうございます!

『東アジアと平安日本 黄金国家』
私も読んでみることにします。
おもしろそうですね。わくわくします。

毘沙門天はもともとはインドのクベーラという神であったようですね。
クベーラは夜叉を使役して鉱物を採掘させる神。
坑道のことを百足穴などといって鉱山のある地域では「百足を殺してはいけない」などと崇拝しているところもあるそうですね。

お礼日時:2009/08/14 09:22

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