アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ふと疑問に思ったことです。

国民の権利として 教育を受ける権利 がありますよね。

最近では 学習権 への概念に重心が置かれているようです。

(学習権=ただ教育を受けるのではなく、教育を受け、学習することにより人間的に成長・発達していくものだという考え方に基づく、教育を受ける権利。)

この学習権を実現するために、憲法26条を通して、
教育制度の整備と 適切な教育を受ける権利を請求できるようです。

もし教育実習生の授業が「適切な教育」とは言えないものであったなら、
生徒は学習権を侵害されたとして、
教育実習生を訴えることは可能なのでしょうか?

「適切な教育」をどう判断するかも問題だと思うのですが、
基本的には事前に大学等で教育方法・専門知識を学んだのですから、
「適切な教育」と言えるのでしょうけれど、

たとえば予想外に時間が余ってしまい、
つい授業とは全く関係のない話をした場合、
「適当な教育」とは言えないのではないでしょうか?

憲法や法律に詳しい方、教えてください。
またもし実例があったら、教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

私も憲法や法律には詳しいものではありません。


教育関係に

教育実習生を訴えることはできないと思います。
実習を認可しているのはその学校の校長であるわけですから、訴えるとするならば学校長です。

また、授業が早く終わってしまい、全く関係ない話をしたからといい訴えることはできないかと。
こどもたちは決められた授業だけで心身が発達するものではありません。

もし道徳的に話すべきでないものを話した場合は、訴えるべきですが、たいていの場合授業内に授業と関係ない話をしても、こどもにとって成長するために必要な話であればそれは『適切な教育』と言えるはずです。
例えば人権問題や今の社会問題について話をした場合はどう思いますか?
その話はこどもの成長発達には良い内容ですよね。

また一見なんの意味もないように思える内容でも、なにかしらの意味は込められているはずです。
例えば実習生の体験談や自己紹介、ただのおもしろい話、、
そんなもの必要ないと思われますが、そういった話から先生(実習生)と児童生徒との人間関係が深まっていくものです。
家族や友達、担任の先生などの決められた一定の人と関わり、人間関係を深めていくこともこどもたちにとっては大切な学習だと思います。

学習権はただ教育を受けるのではなく、教育を受け、学習することにより人間的に成長・発達していくものだという考え方に基づく、教育を受ける権利 ですよね。
では『教育』とは何か考えてみてください。
学習指導要領で決められた授業だけが教育ではありません。

人間関係を育てることやコミュニケーション能力、感性を育てることも立派な教育です。
また皆さんがおっしゃられてるように、実習生の授業に落ちが見られたら、先生が補修を行います。

これらのことを考えると訴えたところで勝ち取ることはできないと思います。

また実習というものは、就職してから『適切な授業』ができるようにするための糧です。
専門職というものは経験がものを言います。
実習生の授業が多少の落ち度があってもそれもまた経験となるのではないでしょうか。

長い文章失礼しました。
    • good
    • 2

教員は専門職です。

専門職に携わる人間の前段階である実習生に、現任教員と同等の能力を求める社会のあり方に疑問をもつ、看護師歴11年の新人養護教諭です。

貴方は大学や短大を卒業し、仕事をしたことがありますか。仕事のし始め1ヶ月、貴方はどのような状況でしたか。何年もやっている人と同等の仕事をしたのでしょうか。実習生は、教育とは何かを実際場面で学ぶことを要求されていますし、給料も出ません。

憲法第26条第1項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」、第2項には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育はこれを無償とする」、とうたわれています。
憲法ができた背景、戦前の教育制度(戦争へと導いた国家主義の教育、家長制度があり、女子どもは普通教育を受けられるような平等思想がなかった)を、米軍GHQが民主主義国家建設のために指導した内容が盛り込まれたのです。戦後、女子どもは、憲法によって教育を受ける権利を与えられた、その事実がこの条文なのです。この条文がなければ、女は能力に関わらず高等教育まで受けさせることはなかった、子どもは教育が必要ではなく労働力、あるいは戦力としての能力を求められた、ということです。

憲法ができた背景を適切に理解していただきたい、とともに、仕事は勿論、家業もまた、教えられなければ適切に実施することが困難です。家業であれば、学校の調理実習を行ったのみですべて任せられる、というものでないと同じく、専門職業であるならば、机上の勉学のみで実習が現任教員と同じ能力を発揮できるものではない、それが現実ではないでしょうか。

成人期の発達課題は「親密さ対孤独」、「世代性対自己陶酔」(エリクソン)です。前者は結婚出産、後者は子育て、仕事の後輩を育てるなどです。「教育」は「学校教育」だけでなく、「職業教育」「社会教育」も含め、次代を担う人々を育むという営みです。
次代を担う者は、貴方のお子さんだけではありません。社会全体で次代を担う者を育てていかなければならないのです。
    • good
    • 0

わたしも法的には詳しくありません。


現場にいて、分かる範囲のことで書かせていただきます。

教育を受ける権利について、
学習指導要領は法律だそうなので、(法的拘束力があるそうです)
一年間で35週にわたり、決められた時間数の授業を受ける。
そのスパンで権利が侵されていなければ、
教育を受ける権利が侵害されたとは言えないと考えます。
しかも、その時数も強制ではなく標準。多少の前後は認められています。

学校で教育課程を組むに当たっては、行事や突発的な出来事を想定し、
35週より多い授業日数で組んでいる場合がほとんどです。
対して、教育実習生は本免でも、4~5週間で、
その間に行う授業は、10時間程度です。
tosa-bash様が述べているように、
> 実習生が行った授業で落ちがあれば、後で補足や補習を行います。
という点、年間授業時数等を考えると、
実習生1時間の授業が不適切であっても、
訴えて、損害賠償等を勝ち取ることは難しいのではないでしょうか。

ここから先は、ちょっと便乗です。
実際に実習生を受け入れるに当たって、この頃疑問があります。
実習生は、免許を持っていませんが、
では、監督者は誰になるのか。
教員は,教諭であっても教官ではありません。
国立大学教育学部付属のばあい、大学の教官兼教諭という身分なので、
大学生である教育実習生を指導する者という立場は明確だし、
業務としても、本務の一つであると思いますが、
公立教員の場合は、大学生を指導しちゃって良いの?
助言者ではあっても、指導者は、あくまでも大学の教官ですよね。
やる気がある後進を育てることは、とても大切だと思うし、
頑張って勉強してくれることも、嬉しい。
だから、夜遅くまで授業の相談に乗ってしまうこともしばしばですが、
本務とは別の無給のボランティアなんですよね、公立の現場って。

ただ、
教育実習生も、学生であり、学習権を持っているものと考えると、
たとえ失敗があっても、その失敗を通して学び、人間的に発達成長し、
という権利はあるのではないかと。

法律カテの方で聞いてみたい気もするのですが、
学校関係法規に詳しい方って、法律家の方にはとても少なくて、
その辺の憲法解釈やら、条文解釈やらの文献も、
教育法規に限って言うなら少ないと思うのです。

最後に、質問者様にとって、次のことは不適切であるととらえられてしまいますか。
今日の朝1時間目、健康観察のカードと、本人の顔色を合わせて、
検温、咳、鼻水、声、まぶたの腫れ、吐き気、頭痛・・・等の10項目をチェックしたところ、検温忘れの子が5名も居まして、ここまでで7分
教室に1本ずつ配られていた体温計で順番に検温。
一人微熱だったため養護教諭と相談し、戻ったときには1時間目が15分以上すぎておりました。
そのうちの8分間、子ども達はドリル学習等を進めてはおりましたが、
本来の授業内容からは若干離れてしまっています。

一日15分。三日で45分授業一時かん分。
公衆衛生が適切になされるから、授業を受ける権利が生まれるのか、
授業権を考えて公衆衛生は、ほったらかすのか。
今、削られている時間は、教育実習生が居て授業をやって
削られていく時間よりも、絶対に多く積み重なると思うのです。
    • good
    • 0

>憲法や法律に詳しい方、教えてください。



詳しくはありませんが、現に教育現場にいるものの感覚を述べます。小学校の教員(管理職)という立場です。

>教育実習生を訴えることは可能なのでしょうか?

制度上、教育実習生を訴ることは可能(自由)ですが、訴えても訴える意味は無いと言って良いくらいのものだと思います。むしろ、授業を受けた学校を訴えることのほうが意味があると思います。教育実習生の行う授業は、指導教員の指導にしたがって行うのが原則だからです。指導教員(最終的な責任は校長)の許可しない(or意図しない)授業にはなり得ないというのが常識的な姿です。(実習生が行った授業で落ちがあれば、後で補足や補習を行います。)

>「適切な教育」をどう判断するか
>事前に大学等で教育方法・専門知識を学んだのですから「適切な教育」と言える

基本的に授業の内容は、学習指導要領に合致した内容か否か、文科省検定の教科書に沿った内容か否かで判断します。大学で学んだ内容は、その人の素養であり、「大学で何を・どう学んでも」、教育現場で「授業で何を・どう教えてもよい」にはつながりません。(ですが「こんなにやりたい」は大歓迎です。)

>授業とは全く関係のない話をした場合、「適当な教育」とは言えないのでは

授業時間の最初から最後まで「全く関係のない話」だったら、ご指摘の通りです。それは授業ではありません。それ以上でもそれ以下でもなく「不適切」です。
ただ、引用として「全く関係のない話」をした場合は、内容・使い方・程度によっては「全く関係のないような話」で、むしろ有効な時もあると思います。私としては、「直観でわかる数学」の著者畑村洋太郎先生の書かれた「わかる技術」の中の「テンプレートの一致」という部分を一番思い起こすことです…。(参考まで)

まとまらなくて申し訳ありません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!