プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

今回の選挙などを見ているとよくわかるのですが、
社会システムに依存する気持ちが逆に生活上での不安定さを呼ぶのではないでしょうか。
派遣労働者に対する法整備の不備はあるでしょうが、そもそも派遣労働とは不安定さを含んでいます。
法整備という安定願望が、派遣労働という不安定を呼び込む結果となっているように思います。
法によって自分は守られているという錯覚を与えてしまいます。

安定願望によってシステム依存となり、
システム依存とは結局のところ自己逃避ではないでしょうか。
自己逃避を続けている限り、安定はありえないと思いますがどうでしょう。

A 回答 (14件中1~10件)

shiftさん。

こんにちわ。
よく分かります。
わたしもそう思うときありますから。

たとえば
派遣労働ってのは不安定すぎる、誰か何とかしたまえ!
しかし派遣労働ってのは必要である、誰か何とかしたまえ!
あそこで立ちしょんをしているやつがいる、誰か何とかしたまえ!
あそこにキセルしたやつがいる、誰か何とかしたまえ!

とか言って「任せっぱなし」にしているうちに
システム・管理者(政治家とかおまわりとかですか)が増殖し、
システムやら管理者やらの質は下がるわ、
そこに支払う税金は増えるわ、
そりゃもう不安定極まりない状況になるってこともありそうです。

今話したことは「依存」であり「逃避」なわけで、
おっしゃるとおり安定はありえないと思うのですが、

システムを、こ・っ・ち・が、選択して、使い、
(世話になる、と言ってやってもよろしい)
安定を目指すこともできる、とも思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

人任せにしないという事は大事ですね。
ご回答を読んでいてそれが本来の民主主義なのかもしれないと思いました。

お礼日時:2009/09/18 23:10

いろいろなご意見があってとても参考になりました。


ありがとうございました。

>今のフリーターは将来のホームレス予備軍ですよ。
かなり現実的な未来像だと思います。

なるほど、何か現実をみすえる洞察力を感じますね。しかしですね、

やはり私達には選挙権があるわけです。そう、クールにかまえてばかり
いなくても。時には熱く、皆様はまだ若いのですから

私の家の蛇口をひねるとですね、なんと水が出るのですよ。それも、
衛生的な飲める水が。
それとですね、なんと、週に2日燃えるゴミをもっていってくれるん
ですね。これで、家の中がゴミだらけにもならず、外にすてて不衛生
な環境にもなることがないのです。
病気になったらですね、病院に気軽にいけるわけです。3割負担で
道路も昔と違い凸凹がなくって、走りやすいですよ。まあ、しかし、
道路については何だか、一時期ですけど、ほじくりかえしは、舗装して、また、間もないうちに、同じところほじくりかえしては、舗装し
てって、
ちょいとちょいと、いったい何してるんですか?なんてこともありましたね。しかし、それもシステムの改良で今はほとんどみられません。

これらはありがたいシステムとはいえないでしょうか?このシステム
の中で生かされていると思うのですけど。

そして、そのシステムの不具合を少しでも良くしていこうということは、自己逃避とばかりは、、、、どう思われますか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

システム自体は否定しません。
便利ですから。

問題は人間側です。
安定願望が強くなれば結果的に他人や国、システム等々に頼る(依存)ようになるのではないでしょうか。
もちろんすべてを一人でこなすことはできませんが、助けあうということと依存するという事は別のことではないでしょうか。
同僚の手助けをする社員と、会社にしがみつく社員といったら分かりやすいでしょうか。
自分の権利ばかりを主張して、結果的に周りから煙たがられ居場所がなくなる。
そんなプロセスを質問にしてみたのです。
色々なことががより良くなっていく過程で、モラルハザードに陥りやすいのが人の性、或いは弱さなのかと思います。

お礼日時:2009/09/19 22:08

「安定願望を充足する手段として、システム依存する」ということは、たとえて言うなら親子関係の子供のような行為で、社会の構成員が対等な立場である民主主義ではシステム自体に対して矛盾するような気がします。

このような意味で安定はありえないと思います。
これが自己逃避によるか、甘えによるか、能力の不足によるか、怠慢によるか等は個別のケースによるのではないでしょうか。

法律について、法律の改正によってシステムを準安定状態から準安定状態へと漸進的に変化させるものだとおもいます。
資本主義において本質的に不安定な景気や株価に雇用が影響されやすくしてしまったことは、明らかに失策でしょう。ダメ法律とダメ法律が成立した原因を分析してこれを排除し、その教訓を生かしてよりよい法整備をすればよいのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

人間というのは勝手な生き物ですからね。

お礼日時:2009/09/18 23:07

#6です。



>ぼろは着てても心は錦ということですね
:感覚的には非常に共感できます。
おっしゃるように、完全なシステムは存在しませんから、社会システムがどうあろうと、自存独立という精神性は必須でしょうね。

ただ、むかし、「一匹狼の会」を作りませんか、という提案がネットであったそうです。
まあ、笑い話の一種といえばそれまでなのですが、案外、それが人間の本質ではないのかな、という気もするわけです。
「一匹狼」という心意気ではあっても、「会」という社会的つながり(あるいは他者との精神的共感などの連帯)を(知らず知らずのうちに)求めるようなところがあるのでしょう。
ぼろは着て【ても】という表現自体にすでに、ぼろはなるべく着たくないという思いが無意識的に表れているわけです。
個人の心意気だけでは如何ともしがたい面の存在も示しているように思われます。
このように考えると心意気のみで解決できることには自ずと限界があるということになり、限界以上のことに関しては他者との連携・連帯にその解決を求めることも、自存自立のための正当な方策であるような気もしてきます。
べたべたした関係にならないためにはシステムという形態でそれを為すのが、むしろ理想的とさえ言えるかも・・・。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分の足で立って歩くという事を前提とするなら、
システムはなるべくシンプルなものが理想なのかもしれませんね。

「一匹狼の会」、ちょっと笑えますね。

お礼日時:2009/09/18 22:52

本当に、率直な意見が聞けてよかったと思っています。


ありがとうございます。

>累進課税は税金を取る側にとって都合のいい理屈で、収入の少ない納税者がそうだそうだと言って同調するのは単なるやっかみではないでしょうか。私はそう思っていました。

そうですかあ?いや、私は逆に最大多数の幸福を実現するという民主主義の基本だと思っていました。逆にいうと、底辺の部分は見捨てられて、頂点の人はとっても損する、真中ぐらいの人がまっいっかって感じるくらいがちょうどいいぐらいの

>こう言ったらなんですが、団塊の世代?の人たちは生活というものに対して異常なまでの執着があるように感じます。
公務員になりなさいとか、戸建の家とか、いつかはクラウンだとか・・・・
結果的に収入が人生のバロメーターになっているようなそんな人たちのように感じますね。
がむしゃらに働いたけど子供達から尊敬されることのない世代。

そういう一面確かにありますよね。ちなみに私は団塊ではないですけどね。

>古い世代の価値観は常に破壊対象とする、それが若さというものではないでしょうか。
だから、超豪邸が数件、その周りに掘立小屋が無数に広がるような風景もありだと思います。
どうせまたその価値観も次の世代によって破壊されるのですから。

この発言には正直いって驚きを隠せません。
本当ですか?本気でそう思ってますか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>本当ですか?本気でそう思ってますか?

そうですよ、だって事実わたしは同年齢と比べればとっても貧乏ですから。
今のフリーターは将来のホームレス予備軍ですよ。
かなり現実的な未来像だと思います。
でもそれも永遠に続くわけじゃないです、これでいいわけないと次の世代は思うはずですから。

お礼日時:2009/09/18 22:44

すみません。

例えば、累進課税って弱者が、強い者に、おんぶに抱っこしているシステムだと思いますが。

案外、今の若い人って、それさえも否定したい人がいるって、聞いたこともありますが、

やっぱり、過ぎたるは及ばざるがごとしというか、

例えば、日本という国が超豪邸が数件、その周りに掘立小屋が無数に広がるような風景、そんな超格差社会もちょっと嫌ですよね。
どうなんでしょう?
そこのところ今の若い人って、どういう考えなんでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

累進課税は税金を取る側にとって都合のいい理屈で、収入の少ない納税者がそうだそうだと言って同調するのは単なるやっかみではないでしょうか。私はそう思っていました。

こう言ったらなんですが、団塊の世代?の人たちは生活というものに対して異常なまでの執着があるように感じます。
公務員になりなさいとか、戸建の家とか、いつかはクラウンだとか・・・・
結果的に収入が人生のバロメーターになっているようなそんな人たちのように感じますね。
がむしゃらに働いたけど子供達から尊敬されることのない世代。

お父さん幸せって何?

古い世代の価値観は常に破壊対象とする、それが若さというものではないでしょうか。
だから、超豪邸が数件、その周りに掘立小屋が無数に広がるような風景もありだと思います。
どうせまたその価値観も次の世代によって破壊されるのですから。

お礼日時:2009/09/17 22:55

>ちなみに、生き甲斐を与えてくれるシステムってどんなのですか?



そうですねえ。やっぱり教育でしょうか?(大人も子供も)
生かされていることの感謝、
自然への畏怖、
そこからポジティブな発想への転換

実は、本当にこれは個人的な意見ですが
私たちの世代からは、極端なことをいってしまうと、
もう年金だの何だかんだの言わずに、自分たちは勝手に死ぬから
若い人には夢や希望を持って将来を担ってほしいと
それぐらいいってやりたいと思っているんですね
理想でしかありませんけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

学校ですか・・・・
今はいろいろ問題があるようなので現実はどうなんでしょう。

将来を担うという感覚が若い人にはないかもしれませんね。

お礼日時:2009/09/17 22:39

最近こういう考え方を結構、主張される人いますよね。


足るを知れとか、自己責任とか
社会不安があまりない時代なら執拗にそういうことを言わなくてもいいわけです。
不安がある人を納得させるには良い思想だと思いますが
偏りすぎるのもどうかと、安定願望を無くせということは逆にどうかとつまるところ最近の人間は脆弱だと、そもそもそれが悪循環だと、

では自ら希望や、生き甲斐が見出せて、やる気がでる為のシステムを求めるのは

それもやはり依存でしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>つまるところ最近の人間は脆弱だと、

そう思います。

>自ら希望や、生き甲斐が見出せて、やる気がでる為のシステムを求めるのはそれもやはり依存でしょうか?

自らの希望なのか、システムによるものなのかはっきりしませんね。
システムを求めるならつまるところ、他力本願で依存という事のなるのではないでしょうか。
もちろんシステムは否定しません、便利ですから。
ちなみに、生き甲斐を与えてくれるシステムってどんなのですか?

お礼日時:2009/09/16 18:47

>安定願望は依存を生み、本質的に依存は不安定であるということを自覚することはアナーキズムとは別のことと思うのですが。


:依存とは何を意味するのかということにもなりますが、
何らかの形での「持ちつ持たれつ」という相互依存が社会契約だと思います。
社会契約という以上、恒常的なものである必要があるはずです。
>働く側がどのような心づもりでいるのかが重要だと思います。
:ということですが、これはあくまである程度の選択肢が用意されている場合の話でしょう。
実際のところ、どんな心づもりでいれば安定的生活を目指すことが可能であると思いますか?
さらに、安定を可能にするその心づもりが明示された場合、その心づもりを満たすような社会的受け皿が用意されているか否かは必須の要素ではないでしょうか。
現在の雇用形態がそれを満たすような、それこそ心づもりで確立されているでしょうか。
>主体はシステムではなく人間側
:とは軽々に言えないような気がします。

>法整備という安定願望が、派遣労働という不安定を呼び込む結果となっているように思います。
:こうおっしゃる意図について少し考えてみましたが、これはおそらく考え方の順序が逆転しているのではないでしょうか。
派遣労働者の(おそらく)大半は、そのまさに不安定さこそに可能性を見出していたように思われます。
あくまで当初はですが。
おそらく自由という可能性でしょう。
まさか昨今のような状況になるとは予想できなかったわけで、拘束が少ないという自由、社会契約の面から言えばモラトリアム的自由に惹かれた部分も大きいはずです。
この手の自由は、「持たれつ」の部分に多くを期待しない代わりに「持ちつ」のほうにも腰を据えて協力する気はない、という前提の上に成立しています。
刹那的な時間の積み重ねによって何とかやっていくということで、そこに恒常性、つまり社会契約と呼べるようなものは存在しません。
こういった刹那性を利用した企業側有利の法整備がなされたわけで、労働者側の安定願望から出てきたものではないでしょう。
刹那的自由という側面があるために反対されることも少なく、結果的に浸透していったというのが実態ではないでしょうか。

>システム依存とは結局のところ自己逃避ではないでしょうか。
:システムに全く依存しない生き方は自己逃避ではない、という意味に捉えたので、そういった生き方はアナーキズムに通じるのではないだろうか、と思ったわけです。
しかし、先述しましたように、依存するところはして、依存されるところはされる、というのが最も合理的な思考ではないかと。
「>法整備という安定願望」があるとすれば、不安定を極力含まないシステムを導入するよう目指すのが本来であって、安定願望そのものを否定するのは無政府主義(別に否定しているわけではありませんが)に通底しませんかね。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

依存を客観的に判定することは無理ですね。
哲学のカテなので衣食住での相互依存ではなく、心理的(精神的)な依存を指します。
だから、依存しているかどうかは自分の胸に聞け!!ということろですかね。
そこら辺の自覚がなければ自分の権利を主張するだけの存在であり、他人にしろ政府にしろ誰かに寄りかかってしか立てない存在ということでしょう。
これでは安定とは言えないと思います。
ゆえに安定的な生活とはいわゆる衣食住のことではありません。
心理的、精神的な安定を指しますので、システムとは切り離して考えたいのです。
ぼろは着てても心は錦ということですね(個人的には権利を主張するのはひどくプライドに触るのです)
社会的受け皿はもちろん必要でしょう。
最低限の衣食住を確保するのは必要だと思います。
しかし、人類はいまだそれさえも満足にみたせないのだから困ったものです。

派遣に関してはおっしゃるような側面はあるでしょうね。
リスクが表面化した途端に慌ててしまったのかもしれません。
だとすれば誰のための法整備なのでしょうね。

アナーキズム=無政府主義
と辞書で出たので主義?と思ったのです。
結果的には通底しているのかも知れませんね。

お礼日時:2009/09/15 18:48

そもそも安定などありえない。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/15 16:45

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