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大河ドラマ「天地人」でもハイライトを向かえつつある「東北の関が原」ですが、ここで疑問。ナゼ上杉軍は引き返して行った家康を追わなかったのか?

会津征伐と称して進軍しながら、小山にて反転西上していった東軍。これに対し会津から打って出て追撃せんとした上杉家中を、景勝は(というよりドラマ原作者or脚本家は)「追い討ちは義に背く行為で謙信公が最も嫌った」云々言って結局制止させましたよね。

これは意味不明な言い分かなと。背後に最上や伊達を始めとした強大な敵対勢力を抱え、旧領越後には堀氏、関東への道程たる宇都宮には結城氏が詰めていますし・・実際、奥羽勢は小規模な侵入をしてきてましたし。
そもそも迎撃専守を構想していた状況で追撃は不可かなと思うのですが、それに伝承される謙信公の戦いはむしろ積極果敢に速攻・奇襲の類も大いに駆使した事は枚挙に暇がないですし。
「義」をテーマとし、主人公側に寄る解釈が当然のドラマとはいえさすがに寒い脚色かなと思いました。単純に「背後の敵で手一杯、上杉の限界、三成あとは中央でガンバってね!」でいいじゃないかと。

歴史的には、この時の上杉の行動はどう見られているんでしょうか?山形攻略への方針転換は正攻法だった気がするのですが・・

当方、昔から大の上杉ファン?ですが、過度な上杉賛歌は好みません。直江が主役のドラマでありながら前田慶次も最上義光も出てこないこの大河にはそろそろキツいものを感じてきました。

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A 回答 (12件中1~10件)

再度です


結局は なんのかんの と言ってみても
「兼続があほう」が結論だと思います
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あほうの根拠
・上杉は関が原後に120万石から30万石へ減封されて
 小大名におちぶれました
・家康が勝てば、当然上杉家は滅亡状況にされてしまうことは
 容易に予測されているはずだから、兼続が絶対にやらねば
 ならないことは「家康を殺す」「三成に勝たせる」
 ということしか無かったはずです
・それなのに兼続は「領土防衛・拡大」を最大の目的に
 してしまいました
・いくら 拡大してみても家康が勝った場合は元の木阿弥・クタビレモウケ
・逆に伊達軍に領土を取られても三成が勝っていれば、伊達を改易
 して領土は取り返せる
-----------------------------------------------------------
ですから、兼続がなすべきことは
・家康を暗殺(忍者などで)
・江戸へ攻め入り江戸を火の海にする(家康を家無き子にする)
・福島、細川、山内などの東軍武将へ密使を送り家康裏切りを薦める
・長躯、日本海側を通り関が原へ一気に乱入する
 (関が原よりも300年前に北畠顕家が東北から京都へ攻め入り
  足利軍を撃破しています)
・毛利輝元に対して「あなたも本気に戦わないと戦後に家康から
 全領土を奪われるハメになりますよ」と脅す
などだっだはずです

そのようなこともせずに結局は自国の大幅減封の目にあいました
結局は「アタマが悪い」です
信長、秀吉、家康、毛利元就などに比べる数段アタマが悪い
(ある本によると信長はIQ180以上あっただろうと思われる
 と記載されています)
-------------------------------------------------------------
こんな能力の無い人が大河ドラマの主人公が務まるはずがありません
そもそもが NHKの人選ミス なのです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
とても造詣深い様子に感銘を受ける次第であります。ただ私の至らぬ故に、何点か不明な事がありました。

>減封されて小大名におちぶれ
同じ西軍の長曾我部・宇喜多・小西は減封どころか取り潰し・・むしろ戦のキッカケを開いた上杉が減封に留まっただけ敗戦交渉が上手くいったとは考えられないですか?勇将好きな家康に本庄繁長を交渉役に立てた兼続の妙でしょう。
>「領土防衛・拡大」を最大の目的にしてしまいました
「してしまいました」じゃなくて迎撃専守は孤軍の会津が唯一まともに戦える方針。家康を追撃できない事情がある以上、侵攻してくる奥羽勢に戦線変更をするのは当然、定法。先の皆様にご提示して頂いた流れを無視しているのでは。
>いくら拡大してみても家康が勝った場合は元の木阿弥
これは結果論。天下分け目を好機と全国の地方諸侯が戦端を開いてましたが?自らが勝つ方に賭けて結果負けた。九州では黒田如水がここぞと版図を急拡大させましたが、戦後上杉と同じく拡大分は「クタビレモウケ」になっちゃいましたよ?

>江戸へ攻め入り
宇都宮は?ここですでに全滅の可能性あるんでしょ?
>長躯、日本海側を通り関が原へ一気に乱入する
先のお答えにありますよね?長期遠征できる組織ではなかったし、そもそもこの時代、それを可能としたのは信長・秀吉ぐらいで家康ですら困難だったと。何より行軍における最重要要素「補給線」を考えてます?会津から関が原まで何百キロを途中の補給もなく?旧領とはいえ反上杉の急先鋒、堀氏の詰める越後を簡単に突破できる?お家大事の北陸前田領が協力しくれる保障は?
ちなみに北畠顕家の例は比較になりません。時代も周辺事情も違う。立場上、天皇の詔を受けて官軍として下向する顕家に沿線国司からの補給はある程度確保されていたようで。

>家康を暗殺(忍者などで)
これは冗談ですよね?前田家を屈服させた口実として、自演的に家康暗殺の嫌疑を利長に負わせていまが、自ら暗殺という言葉を意識利用している者にそれはないでしょう。まして忍者って。。
>信長はIQ180以上あっただろうと・・
これが一番笑えます。IQ180?米国では観測史上で成人にIQ185以上を計測した事例がないというのに計測不可の脳みそを引き合いに出すとは。そもそも知能指数で戦国武将の優劣決まっちゃう?
抱腹絶倒。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/26 22:14

引き返していったことにホッとしたことでしょう。

とても勝てません。
自分のプランどうりに、戦ができるわけはありませんしね。
なんせ家康の背後にしては、三成は遠すぎますしね、挟み撃ちにもなりません。上杉は、むしろ袋のねずみ状態でしょ、家康はむやみに突っかかったりしないでしょう戦国の風情を色濃く持っている人ですからね。自分以外は、若造なんでしょうからね。それに徳川、最上、伊達の奥羽勢に360度方向から時を合わされれば、防げない 三成は上方で、モサモサしている。各個攻撃で、間に合うぐらいの余裕があったように感じますよ。もうこの時点では、とても家康の敵ではなかったんでしょう。安定感、押し、お家大事の各大名も誰について行けばよいか、答えを出した上で、ついて行ったとおもいます。大阪はボンボンの輝元だし、前田のように恫喝一発で吹き飛んじゃう。
三成と兼続に携帯電話を渡してぐらいのハンデをやって、いい勝負はいいすぎかな。家康はもっとも嫌いな武将だけど、この時点では誰も相手にできない。
実際は追撃なんてだれも考えなかったことを、つまぶき君の兼続の見せ所にして、景勝に啖呵を切らす。とりあえず背後の敵をひとつでも減らすべく行動を起こしたことは定法で、特別なことでもないし、西軍に内奥者がひとりもいないという前提でプランが練られているとしたら、
おそらく兼続も景勝も三成も、単独で戦国を生き延びることは出来なかったでしょう。格がはじめから違うということを、ぼやかして、若さと義に戦国を駆け抜けさせるという設定だから無理が出てくる。あなたが感じておられるキツサがあるということです。実際の格差を曖昧にしたところにこの大河の間延びがあり、興味を落としている所だとおもいますね。敵を前にして絶対負けませんようにとの思いが愛染明王の愛。
そんな愛を現代の愛とごちゃまぜになるような脚本はちょっといただけない。臭いものに蓋を全部したら、歴史の醍醐味はもうない。どうでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

私、昔から上杉好きですが同時に強かな家康の生き方も好きでした。特に、この関が原の時期、秀吉死後の豊臣政権下の中でも家康のキャリアはひとり別格の勢いだぜ、イエス!と大いに同感いたします。
辺境にこそ長曾我部元親や島津兄弟など、数カ国に自力で覇権を有した英雄も健在でしたが、生き残っている大名レベルで、群雄割拠の元亀天正といった戦国最盛期を生き抜いた経歴としてはやはり家康がひとり頭抜けてたかな?と思いますよね。

近年のホームドラマ大河からは、緊張感が伝わってこないというか、配役とか演技とかそういうレベルではなく、こう全体的に軽いのが好きではありません。プロデューサーや脚本段階のものでしょうね。

が、まあ、それでも撮影規模や時代考証・衣装の精巧さは民放の比ではありませんし、何より、取り上げれた主題のご当地(天地人なら主に新潟の上中越ですが)への経済効果は相変わらず無視できないモノがあるので、ブーブー言いながらも大河ファンではあります。
武田勝頼や高坂弾正、北条氏政すら豪華俳優で映像化する序盤の大判ぶるまいに、最上義光は誰ー!?と期待を大にしたのがこの落胆の根幹な気がします。
フィクションとはいえ、ある程度のリアリティすら期待しにくくなった以上、せめて地方の英雄をしっかり配役ブッキングしてくれー!というワガママでした。

お礼日時:2009/09/26 20:16

そのまま結城秀康がカマをかけて、上杉が受け流す話にしたほうが面白かったでしょうね。

登場人物が増えるから面倒だったのかな?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ドラマ制作は大変なんだろうなーとは思いますが、ハイライトなんだからしっかりやって欲しかったかなあと。

無駄に登場回数が多く、「自分は勘定方が身の丈」とか言いながら、上杉の重要会議にしゃしゃり出てくる兼続父の存在感をアップしてないで、
せめてワンカット
「殿、宇都宮の結城秀康がカマかけてきました」
「当方、東北で戦う。『謙信公以来の義で追い討ちはかけない』そう返事でもしとけ。」
というシーンでもあれば、今となっては思う次第であります。

お礼日時:2009/09/25 10:53

>「追い討ちは義に背く行為で謙信公が最も嫌った」云々言って結局制止させました



これは、ドラマ原作者or脚本家の創作ではなく『会津陣物語』の記述です。
『会津陣物語』には、「上杉が7万の大軍で追撃してくる」とのウワサを聞いた宇都宮城の結城秀康が、「その気があるのなら戦うので、こっちから攻撃するか、そちらから攻撃するか、上杉側で決めてくれ」という手紙を送ってカマをかけますが、その返答に「上杉家は謙信以来、背を向けている敵を攻撃した事はない。あなたが向かってくるなら戦いますが、そうでないなら攻める気はありません」と景勝が送って来たと書かれています。

おそらく、この逸話を採用したものと思われますが、古文書の記述が真実かどうかは、現代の私たちには判断できません。

実際に、追撃しなかった理由は、先の回答者さんが答えられている通りさまざまにあるでしょうが、ドラマなのですから、それが事実かどうかという事よりも、この逸話を採用するのであれば、その前後のつじつまが合うようにドラマの構成をせねばならなかったわけで、見た側が「意味不明な言い分」と思ってしまうような造りになってしまったのは、やはり造り手のミスだと思います。

この回答への補足

たいへん有意義な思案が出来、とても納得の感動でいっぱいであります。一部脱線の事は当方の不出来ゆえにご容赦下さい。
どれも甲乙つけがたく皆様に均等にポイントを差し上げたいのですがルール上そうもいかないので、大変心苦しいのですがポイント付与に関してはご了承いただけたらな、と思います。

皆様この度はどうもありがとうございました!

補足日時:2009/09/26 22:30
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

おお、なんと「会津陣物語」の記述を採用していたとは知りませんでした!これは勉強になります!
なるほど、結城秀康のカマかけに対する返答という逸話があったんですねえ
なら尚更、こんな面白いエピソードを採用するならしっかりと説得力もたせて劇中に展開して欲しかったかな、とちょっと思います。

いやーとても目からウロコのご回答を頂きました!ありがとうございます!!

お礼日時:2009/09/25 10:45

結論としては出ているようですね。

つまり、上杉軍には長期外征を行える組織ではなかったということだと思います。また、実際問題として地盤が磐石な越後ではなく転封された米沢の地では領国を長期間空けていると謀反が起きる可能性も充分考えられたところもあると思います。

話を大河ドラマに戻せば、今回の大河ドラマは脚本家も女性ですし、出演者もイケメン俳優がずらりと並んでいます。つまり、女性向けのドラマなんですね。実際、私の周囲でも大河見てるのは女性ばかりですし、昨年の篤姫のヒットもあり最近は「歴女」という歴史好き女性がブームなんていわれてもいます。
女性は理屈じゃないですから「行きたくても理屈上行けねーんだよ」という演出より「そんなことをしては義に背きますぅ!」という感情的な演出のほうがグッとくるんでしょうね。そもそも、歴史好き男性をターゲットにしていないのが見え見えなので歴史好き男性がゴタゴタいってもしょうがないでしょう。
個人的には、兼続はあのドラマの主人公のような「義と愛の人」ではなくもっと熱血漢であったと思います。伊達政宗が相当嫌いだったらしく、政宗と面と向かったときに挨拶しなかったのを咎められると「戦場では後姿しか見たことがなかったから顔を知らなかった」と返答したり、政宗が金の大判を自慢して見せびらかすと「戦場を駆け巡った手が汚れる」と扇子の上に乗せてそのまま政宗に投げ返したとか、あるいは領民が殺人事件で揉めて賠償金を提示しても(賠償金の釣り上げを狙って)それに応じず「金ではない、命を返せ」と要求されると一族の者を連れてきて「閻魔大王殿へ この者を使いによこすから命を返してやってほしい 恐々謹言」と書いた手紙を持たせて斬り殺したとか、結構そういうエピソードを残したお方です。
そのへんを意識するなら、政宗を腹黒い大悪人にして、背が低くて隻眼であばた面でコンプレックスの塊の政宗があれこれ策謀をめぐらすけど兼続にことごとく阻止されてムキー!のほうがたぶん歴史的に正解に近いでしょうが視聴率は恐ろしいことになるでしょうね・笑。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

確かに確かに。転勤後数年ですもんね、確かに領内で反乱とかは大いに考えれたでしょうね。言われてみればこれも要因のひとつかもですね。

個人的にですが、今回の大河は「利家とまつ」「功名が辻」など昨今の現代的反戦偽善な脚本のホームドラマ大河に比べればまだ大崩れすることもなく・・イケメン大好きなんで見た目の華もありますし。
たしかに女性向けというか、あまり歴史に関心がないであろう層にもアピールすべき作りとなっているのは近年の特徴ですね。これは視聴率や展開を考えれば当然ですよね。
個人的に近年では「風林火山」(川中島クライマックスはグダグダすぎて残念でしたが)や「葵 徳川三代」とか好きでした。

そして、政宗。松田さん演じるダーティーオーラがバリバリな感じ好きなので、もっと理想に燃える兼続とリアリスト政宗の好対照ライバル構図みたいなのをクローズしてほしかったかなとも思います。
黄金と扇子の逸話や裁判のエピソードはなんかカットぽいですが。

お礼日時:2009/09/25 10:36

こんばんわ。


NO1.です。

>>中央の政争話は再三の他大河などで描かれているので、せっかく地方にクローズする機会を得た「天地人」なのですから、中越以外にももっと地元ローカルに焦点を当てた話を見たいというのは・・まあ全国放送にあってはワガママですよね・・新発田の乱とか期待したんですけどねー

そうですねぇ。もう少し地方の出来ごとを前面に出した方が良かったような気もしますね。
初めの頃の天正13年の「富山の役」などは、かなり詳しく放映されましたが、
天正15年の越後領内での新発田重家を滅ぼしたことや、
天正17年佐渡平定、
また、景勝の経済的バックボーンである、「鳴海金山」や「佐渡西三川砂金山」、
なども取り入れたら良かったかもしれませんね。

実は、私は佐渡の出身で、逆に、佐渡攻略を佐渡勢の立場から、今、本にしようと書いている最中です。

天正17年6月1日、富永備中守長綱が、かねがね渡りをつけていた沢根城主本間摂津守高継の城へ3,000の兵とともに渡海入城。
6月3日より、まず、一番近い河原田城を攻略するも、その後、青田を駆け巡る戦いで佐渡勢の抵抗にあい、6月12日には、景勝自ら、さらに、1,000騎の兵をつれて渡海。直江兼続も同行。
6月16日、佐渡勢の中でも勢力の一番強かった羽茂(はもち)城本間対馬守高貞と交戦し、わずか1日で攻略。

と、まあ、こうしたことを今書いています。

NHKの脚本では、「愛」をテーマとしているにもかかわらず、兼続の「家族愛」は長々と描かれていますが、もっと領民への「愛」なども欲しいところですね。
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この回答へのお礼

再びのご回答ありがとうございます!!

ローカル好きとしては、佐渡のような、戦国時代にあって辺境(といっては大変失礼ですが)に位置していた地域の世情などを取り扱ってくれると大いに興味を持ちます。定説のようなものも浸透していなく、詳しく知る由もないエピソードなら尚更です。

佐渡の戦国、いいですね!地元の方がお書きなるならよりその土地への愛情もあるでしょうし。本間氏とか、謙信時代から佐渡の対外関係がイマイチ不明でして・・こう、越後とは朝貢関係だったのかな?とか勝手に想像していました。こう面白く小説とかで明かして頂けるといいですね。
(賛否ありますが)司馬さんの小説「関が原」その中巻が、東西に対立した地方諸侯の動向を追った列伝みたいになっていてとても面白く読んだ記憶があります。佐賀の鍋島氏とか鳥羽の九鬼氏とか、普段なかなか知らなかったエピソードはとても新鮮で。
ということで粟島と色部氏とか、阿賀北衆の列伝もお願いします(笑)

とても脱線しました。失礼しました。

お礼日時:2009/09/25 10:13

みなさまが記載しているように、最大の原因は


「宇都宮の秀康軍」の存在ではないかと思います
(一説には3万とも言われています)
この軍団を相手にしていたら、とても関が原まで行けません
自軍が宇都宮で全滅の可能性さえあります

別の要因としては「伊達軍に留守の領内を襲撃される」
という心配が有ったのだと思います

結局は、「動くに動けない」状況
秀康と伊達政宗に対して的確な指示を与えた「家康の作戦勝ち」です
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

やはり宇都宮は曲者だったわけですね!
戦後、結城秀康は傍目には過剰ともとれる累進加増を受けましたけど、この関東への盾となった牽制の役割が実はとても重要だったという、その証左でしょうかね。

そして政宗の存在・・ほんとに厄介な存在だったようですねー
上杉とってもにも徳川にとってもも・・
この辺が家康はやっぱり1枚も2枚も上手ですよね。秀吉が東海地方に配置した親豊臣大名衆による大阪への盾が、この有事に全く機能しなかったのとは好対照な気がしました。

お礼日時:2009/09/25 09:58

まあ反転西上したと言っても、結城秀康、里見義康、蒲生秀行あたりが上杉の抑えに宇都宮に残されてますよ。


おそらく兵力は一万以上、こんなのが城に残ってたら、簡単には落とせませんし、徳川の追撃なんて不可能ですよ。
(正攻法で押しつぶせる兵力の参考は、野戦で3倍攻城戦で10倍です)
追激戦と言っても自領に進撃した敵を倒すのは有利ですが、敵領を追いかけると成ると、殿に残された部隊が城にこもりますので、これを潰してるうちに逃げられてしまうんですよ。
簡単に落とせない以上、関東に向かっても大局に影響を与えるのは不可能ですから、実際侵攻をはじめている最上、不審な動きを見せる伊達のいる北に向かうのは当然かと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

やっぱり家康が反転できたのも宇都宮の盾があってこそですね!
1万以上・・そんな後詰を残しておくのですから・・背後にも敵を抱え地理的にも物理的にもこれは追撃は無理ですねえ

ならばこの機に侵攻してくる山形勢を殲滅し最上領を奪取して飛び地となっている庄内との空間を埋める・・という方針の転換は想定事項だったのかもですね

お礼日時:2009/09/25 09:46

現在、山形旧最上領の一部の方は公共放送への受信料支払い拒否運動するほどの事態になっています。



 上杉軍は昔から秋になると周辺地域への掠奪を行っていました。東の関ヶ原こと慶長出羽合戦も酷い戦争で、米沢を出発した直江軍は次々と村を襲い、収穫直前の田んぼは全て刈りとって奪い、女は強姦し、男は兵役、拒否したら処刑でした。寺や神社は燃やされました。

 今回の大河は直江を主軸とした『愛と義の物語』です。彼が行った新発田の大虐殺、八王子の大虐殺、慶長出羽合戦は抹殺すべき事実です。何せ公共放送さんが出した直江本では彼の戦った10大合戦から慶長出羽合戦(総勢4万、死者3千という凄い戦争)は抹消されていました。

ちなみに米沢の学芸員さんも困っているようです。
実際の目的は掠奪じゃないでしょうか…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

たしかに過剰なまでに「愛」がクローズアップされていたり、上杉=完全な正義の集団的な扱われ方には大いに疑問をもちます。

貴方は、上杉は聖人集団の如き扱いで周辺への略奪行為が見過ごされているという偏見をお持ちみたいですね。むしろ「義をかさにきた、他家よりも略奪が人一倍凄惨った極悪人」みたいな印象を受けます。

新発田の大虐殺?八王子の大虐殺?笑止ですね。やらなきゃ自分がやられるわけです。別に「兼続だけ」がやっていたことではないでしょう。他家でも謀反があれば城下は一切焼かれ殺戮が起きます。それが戦国です。食って喰われてが日常のストイックな凄惨な世界。謙信公時代の毎年の関東出兵が農閑期の「出稼ぎ」の側面があったことは周知の通りです。
長谷堂の件にしても、篭城する相手を挑発するのに青田狩りや近隣を焼き払うのは戦国時代に全国津々浦々で行われた常套手段ですよ。その過程で強姦強盗が跋扈する「乱取り」は100%起きています。
同じ奥羽の政宗がその版図拡大を通して、米沢~会津まで一村すら焼いていないとでも?摺上原合戦でどれだけの村や集落が「目くらましの煙幕」として焼かれたかご存知ですか?天正上野の乱では伊賀一国が焼き払われ、まるごと略奪されましたけど?雑賀攻めは?信玄の志賀城攻めはどうです?

数年に何度かやってくる飢饉を克服するには肥沃な土地を求め収穫量を増やさなければ。侵攻とは略奪ですよ。生きることにひたすらストイックな世界。現代の倫理主観では推し量れないそういった再三の戦火を潜り抜けながらも当時の民衆は活力もって生きていたんです。当時の文化財の力強く雄雄しい事を見ればそれはわかるはずです。

もしかして兼続の「愛」を「LOVEの愛」とか思っていますかね?「LOVE」の概念は後年に欧米から浸透したもので、当時の世界には別の意味あいがありました。学説上では、謙信公の毘沙門天にならい、戦の神「愛染明王」「愛宕権現」の一字を取って前立てとしているとうのが大勢です。
兼続の、というか戦国時代の側面解釈を、まるで鬼の首取ったみたいに拡大吹聴すのは寒い限りです。

本当に
旧最上領にお住まいの人々は「受信料支払い拒否運動するほどの事態になっている」んでようかね?「米沢の学芸員さんも困っている」んでしょうかね?
事実無根の流言ならとても不愉快ですね。

お礼日時:2009/09/25 11:42

家康も、福島正則居城の清洲城での兵糧米が手に入ったから関ヶ原まで出張って行けた。

秀忠の上田城攻めも「金足りない、すぐ送れ」と江戸の家康に連絡している間の、暇つぶしにやっていたという説もある。
北條家だって、豊臣軍が長期包囲を出来るとは思っていなかった。
そのくらい、長駆遠征というのは、大変なプロジェクトだった。
信長=秀吉と数十年にわたって遠征軍プロジェクトをやっていた連中しかそのノウハウは無かったんじゃないかな。

閑話休題
火坂さんは高校の先輩で、私も新潟県人だから、謙信ラブ。阿部ちゃんの謙信は(ちょっと、やり過ぎもあるが)良かった。
原田芳雄の最上義光は、「あくどくやってますが、それのどこが悪い?」という凄みがあって、政宗の対比で良かったですね。
今回の大河は、上杉家家臣団がなーんかヘボイ。
火坂さんの原作も、後半だれていたからしょうがないのかなと思ったりする。

この回答への補足

たいへん有意義な思案が出来、とても納得の感動でいっぱいであります。一部脱線の事は当方の不出来ゆえにご容赦下さい。
どれも甲乙つけがたく皆様に均等にポイントを差し上げたいのですがルール上そうもいかないので、大変心苦しいのですがポイント付与に関してはご了承いただけたらな、と思います。

皆様この度はどうもありがとうございました!

補足日時:2009/09/26 22:20
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

ふむふむ、ノウハウか・・確かに信長勢の軍事的革新性は同時代を通じて別格の存在だったわけですしね
北条氏も謙信の関東大遠征軍を完封したり信玄の攻撃をシャットアウトしました実績が強みだったでしょうけど、秀吉のはまるっきり規模も違いますしね

ほー、なんと火坂氏のご後輩ですか!
阿部さんの謙信、なんか肖像画の謙信公を見ているみたいで良かったです。個人的には、画面中、一人だけファイナル・ファンタジーだったガクト謙信も最高でした。あの外見はもはやネタ!もう崇拝しちゃいますね!一番好きなのは柴田恭兵さんの無敵ナルシスト謙信ですね!
いつかもう一度、世界の渡辺謙さんに謙信を!と思います。
まあ、兼続主従を引き立てるためなのか・・上杉家臣団がヘボいといのは大いに同感です。史実なんだろうけど、中越時代の小姓出身で編成された連中には落胆でした。特に終始、阿賀北衆が完全に無視されているのはちょっと残念でした。とワガママ言えばキリないですね。はい。

お礼日時:2009/09/25 09:35

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