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遷都するばそれまでの都は都でなくなってしまいます。
都って当時は賑やかでにぎわってたんでしょうが、遷都されたらそれまでの都はただの田舎になってたんでしょうか?人も新しい都に代わる人が多かったりしてさびれていたんでしょうか?
今は古都である京都も都会ですが。もちろん一番の都市は東京で京都は単なる一地方都市ですが。
人口を考えれば今なお都会である京都の様な町もありますが今の様な人口じゃない当時はどうだったんでしょうね。

A 回答 (3件)

現在の地名で


飛鳥、橿原市、大津市、奈良市、木津川市、大阪市、奈良市、京都市
と渡っています。
各場所で今も栄えているのは、奈良、大阪、京都位でしょうか?
他の都市も一応ちゃんとした所ですが、木津川市は奈良県の北側で草深いところです。
遷都後は、町ごと捨てられたんでしょう。
貴族などが移った後、残された人々の頑張り方で今の姿になったか、その後の歴史の偶然に因るのでしょう。
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遷都の際には、宮殿その他の建物の資材は可能な限り再利用されていたと聞きます。



つまり都が移った後には、大した建物も残らなかったのでしょうね。

水の便などは悪くは無いだろうし、一定の開けた土地なので農耕地として普通の農村になったのかも?

奈良や京都になると、都であった期間も長く地場の産業も成長したり、移転後も残った住民も多いだろうしと言うことで今の様な形になったのでは?
大規模な仏教寺院があるのも一因かも
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都ではありませんが、彦根築城には佐和山城の石垣などを


かなり利用したとされていますし、
他のお城なんかでもそういう話は聞きます。

平安の昔では、建築物を解体移築して再利用する
というのは当り前に行われていたでしょうから、
残された都は廃墟同然と言う感じだったことでしょう。

ちなみにうちの地元平城宮跡なんかを見渡すと、
朱雀門横に銅像がたっているのですが、それをみると、
近代にはいるまで、あのあたり一帯は農地だったそうです。

それをみかねた地元の歴史家が保存の意義を訴えて
私財を投げ売って活動をしたそうです。
http://www.sankei-kansai.com/2009/09/23/20090923 …

少なくとも東京に都が移るまでは京都に長らく都がおかれたわけで、
そこに至るまで、短期間で遷都を繰り返し行っていたところをみると、
離宮や一時的な築造と言えるものも含めて、元の荒れ地にかえった
とみてもさしつかえないかもしれません。
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