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ご回答者さん こんばんわ。

大学のレポートで「学級崩壊」を調べることになりました。

最新の本がないので、「学級崩壊をどうみるか」という
NHK出版の10年前の本を読んでいます。

これによると、
「家庭や社会にも原因があるが、大きな原因は、家庭や社会の変化に
影響を受けた子どもを教育できない教師の力量不足」という結論です。

知り合いの複数の校長も同意見でした。

ただ、この本の前半では、
「力量十分の教師をもってしても、学級崩壊を起こし得る」と書いて
おり、内容として矛盾しています。

ということで、結論が分からず混乱しております。
学級崩壊は教師の力量なのか、ということです。

そこで、何か参考書籍をご存知の方、
参考意見をお持ちの方がいらっしゃいましたらお教えください!
よろしくお願いします!

A 回答 (12件中1~10件)

小学校で勤務しています。


自分自身は幸い、学級を崩壊させてしまった経験はありませんが
周りに崩壊してしまった学級をたくさん見てきましたし
自分の学級がいつそうなっても不思議ではないと思っています。

hokutotukusiさんも、いろいろ勉強してお感じになったと思いますが
「学級崩壊の原因は、100%○○です!」という答えはありません。
教師の力量不足、家庭の教育力低下、社会の変化…と、様々な要因が絡み合っていることは確かです。

ただ、hokutotukusiさんのご質問は
「(ある一人の)子どもの問題行動」の原因ではなく
「学級崩壊」の原因、ですよね。
そう考えると、やはり
子どもを学級という集団として受け入れ、まとめていく立場にある教師の力量は、その原因の大半を占めるだろうと、私は考えています。

図に描くとわかりやすいと思うのですが…
学級崩壊の要因を、仮に【学校体制・学級・教師】【家庭】【地域・社会】の3つの側面から考えてみるとします。

【学校体制・学級・教師】
(良い状態)個性の違いを認め合える人間関係が築けている、児童一人一人が安心して自分らしさを表現できる環境がある、児童と担任の間に信頼関係が築かれている、生活面でも学習面でも教師の指導力が高い
(悪い状態)自分と違うところを認められない子が多く、人間関係がギスギスしている、周りからバカにされることを恐れて自分の気持ちを押しこめて我慢する子がいる、児童と担任の間の信頼関係が崩れている、教師の指導力が成熟していない

【家庭】
(良い状態)子どもが学校でのできごとをよく話す、また、話しやすい環境を親が作っている、友達や先生の悪口も受け止めながら、同意するのではなく前向きなアドバイスをする、我が子の言うことを盲目的に信じすぎない、保護者同士・保護者―学校間のコミュニケーションがよくとれている
(悪い状態)学校のことを話しづらい雰囲気である、その結果子供があまり学校の様子を話さない、我が子の言うことを盲目的に信じ、子どもと同じレベルで友達や先生の悪口を一緒に言う、保護者同士や学校との良好なコミュニケーションが取れていない

【地域・社会】
(良い状態)地域の大人たち(商店街・町内会など)に子どもたちを見守ろうという姿勢がある、学校の行事や学習に協力的である、子どもたちが挨拶ができる大人が地域にたくさんいる
(悪い状態)地域全体が子どもや学校活動に無関心、子どもと地域の大人の交流がまったくない

などなど。私の思いつく限りですが。

この3つの場において、それぞれが「良い状態」にあるならば、学級崩壊は起こらないでしょう。
でも、1つでも「悪い状態」にあると、少しずついいバランスは崩れていき、学級崩壊の原因になるでしょう。
ましてや2つ、または3つとも「悪い状態」であれば…どうなるかは容易に想像できますよね。


問題の原因を一つに求めることは、とても危険なことです。
また、その要因に関わりながら、自分の立場を棚に上げて他にばかり原因を押し付けることも、大変危険です。
なので、私はそうならないよう、自分の対処法、指導法をふり返り、よりよくしていく努力を続けているつもりです。
その上で初めて、家庭や地域にも協力を求めることができるのですから。

話がそれたかもしれません。
hokutotukusiさんの研究と、それが生かされるであろう将来に
少しでも役立てば幸いです。
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「家庭や社会にも原因があるが、大きな原因は、家庭や社会の変化に


影響を受けた子どもを教育できない教師の力量不足」という結論です。
知り合いの複数の校長も同意見でした。
責任感や,指導力の全然ない校長だと思います。
上記のような認識をもつ管理職には,幸いなことに出会ったことはありません。(つりだとは思いますが。)
実際には,管理職・関係の職員等連携して,解決をしようとしています。

崩壊については,皆様が書かれているように
学校 地域 家庭 この関係が崩れてきたことが原因と言われています。
崩壊に関する新しい教育書が多く出版されています。新刊書を読むことをお勧めします。

hokutotukusi様が学生ということなので,別の視点からみてもレポートが書けると思います。
付属や私立校・大手の学習塾でも,公立学校と同じように一斉型の学習形態で授業をしています。しかし,授業が成立せず崩壊したという話は聞こえてきません。なぜでしょうか?
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学級崩壊の原因はコレだ!と理由付けして解決。


はい終わりみたいな流れに持っていかせたいようなレポート問題ですね。
ほかの方々の一部も書いている通り。「原因は100%コレです!」みたいな答えは当てはまらないと思います。

私的の考えを述べますと、教師の力量も関係しているでしょうし、子供の考え・感情・欲望、そしてその親の身勝手さ、及び感情・希望などなど色々なものが混ざり合って、じゃぁ何を第一に優先するのかという選び方にもそれぞれの考えがあり、それぞれのケースによって違ってくるのではないでしょうか。十人十色という言葉があるように全員が同じものを見て、同じ考えになるというわけではありませんし。

青緑の絵を見て、
・青
・いいや緑
・青だけどちょっと青みたいな緑も入ってそう
・青1緑9
・青2緑8

例を挙げるときりがなくなりますが、ほんの少しの微妙な考えの違いが人間誰しも含まれているわけです。僕はこうこうこういうことを考えているし、○○君も賛成してくれてる。絶対こうに決まってる。
ここ最近で似たようなわかりやすい発言がありましたね。
小沢幹事長の「天皇陛下も絶対こういうに違いない」と言っていたあの発言も自分の考えの正当性を相手に言い放つ。言い方を変えると強要していると感じる人もいれば、同じ考えだぁと納得する人もいる等々

学校内は、比較的教師が偉いという表現が正しいかはわかりませんが、家庭のような見方をすると、先生→親 生徒→子供 ですよね。

先生のいう事を聞き、従い、そして学ぶわけです。
保護者も、先生に任せているという点でも先生は責任重大だと思います。勝手に、全部を先生に押し付けないで欲しいと考える教師も中にいるかもしれないですし、いないかもしれないですが学校というシステムがこういったものが前提にあるというスタンスで成り立っているものだと私は理解しています。そうやって育ちましたから

だから、最近の先生がどういう風に考えているかというのも、私自身の想像でしかないわけです。人の心を覗けるようなものは存在しませんからね。だから、教師の表面を見て判断するしかないわけです。心にもないことを発言していても、疑わずに信じるしかないんです。まさか犯罪思想を持っている人が教職に就くなんて思うわけもないですしね。
でも、生徒よりも自分の生活自分の給料いかにラクしてお金を稼ぐかなどそういう自己優先な教師が増えていることは否定できないと思います。

そして、学校に預けたらいちいち口出さないっていうスタイルも最近は変わってきていますよね。何に対しても親が口を出してああしろこうしろというのも目立ってきています。それが全面的に悪いとはいいませんし正しいとも言いません。

ただ、冷静に考えて発言しているか?と考えるとどうなんだろう?という疑問は強いですね。一方的な自分の感情任せにその場限りの発言を軽々しく口にする親も増えてきてますし、更に徒党を組んで多勢に無勢のような攻撃方法を使用される方も中にはいますし…

そういうのを見てる子供でも、そういった後ろ盾。バックに強いものがいるからと調子に乗る子供だって出てきますし…絶対にこうである!みたいな決め付けをするのは間違っていると思います。

書けば書くほどまだまだ書き足りない終わりのない問題ですが、長すぎるのも読む気をなくしてしまうかもしれませんね。
ということで、無理やりまとめますが、レポートで提出しなければいけない。じゃぁそのレポートは絶対に原因がこうである だからこれが悪い!というような結論に絶対しなければいけないのか?ということです。
どれが原因かは、探せば探すほどキリがない。どれもこれも問題で、そして新たな問題が出てくるといったような結論で提出するという選択肢もあるのではないでしょうか?

結果的に自分の納得したものをまとめるのがレポートだと思います。大学行っていない身なのでどういうものかを理解していない点もありますが…
本などを読み、それを参考にするというのはいいと思いますが、それ全部を鵜呑みにするようなことはしないほうがいいと思います。
その本を書いた人の考えがぎっしり詰まっているものであり、いやらしい表現でいうなれば、自分の都合の良いように書いているとも言えるんです。今回書いている私の文章も結局は私自身の考えで書いているわけで、やはりそれも都合の良いように書いているではないか!と指摘されたら否定できませんし、むしろ否定しませんし(笑)

色々調べるということは、労力を使い疲れることだとは思います。そして、参考になる本などを見るというのは自分で一から手探りで探すという労力に比べるとはるかに手間のかからずにラクに進めれるというモノであり、人間誰しも、後者を選びたがるものでしょう。私自身も参考になるものは優先して見ますし。ただ、その参考になるものを見てどう感じたかそして、その参考になったものをそのまま信じるか、ソレを元にまた調べるかなどは人それぞれになってしまいます。

相談者が大学生という身分であると思って書いていますので、学生のうちにもっと色々な方向性から考えて調べてみたほうがいいと思います。

レポートを見る教授の育った時代と、大学生である相談者の育った時代、そして色々と回答してくださっているほかの方々の育った時代と、すべてにおいてそれぞれ違っているんで、毎年毎年変化していってるんですよ。教育方針から考えから何もかも。

なので、どの年代のどの部分を取り上げてこうである!という結論よりも、現在進行形の問題であり、決め付けて完了する問題ではないと思います。

長くなりましたけど、まだ書き足りないですけど、きりがないので終わります
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以前から言われていたことですので、詳細は割愛しますが、


低学年、中学年、高学年の学級崩壊の原因は異なります。

また、近隣の小学校では保護者が率先?して学級崩壊のように仕向けている(保育園VS幼稚園出身)など児童が巻き込まれているケースもあるので、本当に児童、家庭、教師の力量、学校の姿勢など複合原因の結果です。

参考書籍としては昨年度(2009年9月)
「小学生の生活とこころの発達」:心理科学研究会

などもいかがでしょうか。直接的ではありませんが、学級崩壊にも触れています。
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 学級崩壊が生ずるようになった原因はいろいろあると思います。


 教師の資質や力量不足は彼らだけの責任ではない部分もあると思います。

 一人の指導者がグループの動態を完全に把握し、問題が生じても集団をコントロールできる管理限界は20名とされています。このことから、欧米などの先進国では20人以下の少人数教育をしています。20名を超えればアシスタントがつきます。日本の場合、まともであった時やテレビやネットがない時代は情報も少なく、多人数教育でも良く、問題はなかったと思います。教育に掛ける予算も先進国と比較するとかなり低く、この影響もあると思います。教員の数を増やすとか、これから高齢化が進み、地域でボランティアを有効に活用する方法もあると思われます。

 1980年代に文科省が高校の教育内容の削減政策を行いましたが、約30年経過、極端な言い方をすると専門以外は中学時代のレベルの知識しか持たない人間がそれぞれの分野で中核な人物になりつつあります。専門以外は中学レベルの教授も出現している可能性もあります。そのような教授に教わった学生が卒業して小学、中学、高校の教師になります。いろいろな事件を見ると、すでに、学力低下の連鎖反応が生じていると思います。また、卒業する学生の割合、米国2割、ドイツ3割、イタリヤ6割となっているが、日本の場合はかなり甘く、学生が勉強しない、学力低下の原因の一つになっています。本気で教育システムを変えないと取り返しがつかなくなると思います。

 また、都会に企業等が集中した結果、核家族になってしまった。そして、自然環境がないコンクリートの箱の中での生活。本来、三世代同居でしきたりや伝統が受け継がれてゆくものと思っている。地方では状況的には三世代同居可能であるが、仕事が少ない。三世代同居でモンスターペアレントもかなり減らせるのではないかと思う。情報が発達した現状では、産業構造も地方に分散する政策も可能と思われる。限界集落と言われる現状であるが、経済中心で社会が成長した結果、都会への一極集中で、地方は人材も文化も経済も奪われたと思っている。本気で地方を再生することを民社党に
期待したい。

 謙虚で、勤勉で、礼儀正しい日本人を取り戻したいものです。
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体罰容認になる事は、もう無いのでしょうから


その件とは分離して考えなくてはならないのでしょう。

わたしが思うに、最近の教師は嗅覚が悪いような気がします。
問題行動しそうな児童を、あらかじめ抑えて置けないというか
見つけ出す事もできない。要するに無責任なのです。

能力の無い教師は、直ぐに全体責任を口にする。
小賢い子供は、そうなる事を分かっているから
なるべく責任を分散するように仕組む。
気が付いた時には手遅れ、という図式でしょう。

つまり人生経験が足りないと言う事。
子なり、親なりを見れば、何をしそうか
分かりそうなものを見過ごしている。
一包めに考えずに、個々で捉え
その家庭にある様々を理解してから
意見や苦情を聴く努力が必要だ。

校長が教師達の鏡とするところを、教師の事すら把握していない。
やはり原因と責任は、この辺りに帰属するものと思われる。
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  件の書籍、少し前に読んだ物です。

そして現在、小学生に通う子供を抱えています。

  先生のお子様化現象も崩壊を引き起こす一つの要因かと思います。保身や事なかれ主義に走った結果、児童たちの気持ちに沿う事をせず、統裁力を持たない管理者:教師は少なからずいますね。また若い先生の中には、世の中のスタンダードと思うレベルがお粗末にも緩い人がいたりで。どうやら我が子のクラスの場合、前述の緩いスタンダードの先生に指導して貰っており、親としては幾度も論点が違う! と申し入れをさせて頂いたり、管理職に相談したりはしていますが、児童たちがどうやら白けている様で崩壊には至っていません…

  指導力、クラス運営能力に長けた先生の場合、しっかりと児童たちと意見を交わし頭ごなしで無い指導をした結果、イジメの目の摘み取りに成功した例を聞いた事もあります。ある面において、指導力・クラス運営能力の低さは崩壊への近道と言えるだろうと当方は考えます。

  
  一つ置き去りにしてはいけないのは、児童たちの家庭環境かと。崩壊が始まると、自分より弱い立場の人間をターゲットにして憂さ晴らしをする児童が出て来ます。そしてそれに釣られて行く児童。弱い者イジメをする児童の家庭環境を聞くと、ネグレクトであったり、アビュースがあったり。家庭の中で存在価値を見出せず、虚ろな気持ちを抱いているから、どう対処したら良いのか判らないイライラに振り回されるケースがあるかと。褒められると言う形での自己実現が行われた場合に、知っている事例では崩壊原因となっていた児童に良い変化が表れたと聞いています。家庭内環境、これを外部の人間が“指導”した所で、目覚ましい変化に繋がるとは思えないのですが、崩壊を何とかしようと思うのなら、満たされずに苛立つ児童の心の隙間に、身近な大人である先生がスポットを当ててあげる対応は好ましいと思います。

  先生側の高い観察力、大きな視野での流れの判断、包み込む強さ、必要であれば助けを頼むなどが有りましたら、きっと崩壊学級数も減少させて行けるのでは? と当方は思います。しかし残念に思うのは、誰をどの様に動かしたら、どの様な方向に向かえると言う推測が立てられない人が教師にも保護者にも多い事です。こう言った独り善がりに気付かない大人が是正されずにいる事が、崩壊の根底にある理由の一つなんだろうと当方はボンヤリ思います。児童も、彼らを取り巻く大人も、深呼吸して思いやりの余裕を持ったなら、相手を許す度量の広さを持つ事が出来たら、学級崩壊のみならず色々な事が違っているのでしょうね。と偉そうに言いながらも、感情に振り回されるシーンがままある当方です。発展途上人として、取り敢えず EQ に関する書籍を読んでマシな人間になれるよう心掛けて行きます!


  と言う所で、当方の考えは、ケースバイケースかと思います。問題行動の児童が居たため、数多く居たために崩壊したケースもあるでしょうし、逆に教師側の指導力によって誘発されたケースもあるかと。いずれ人間同士の事柄ですので、白黒などの決着など付かないと思います。そして崩壊した学級に関与する児童も教師も管理職も、悪い方向に向かわせないために出来た事柄がそれぞれあると思います。ですから、一人ひとりの結論と言う事で間違えを声高に言えない事だと思います。

  ご質問への回答になっているのか判りませんが、当方の考えとして一筆寄せさせて頂きました。質問者さんはこの先、教職に就くお考えなのでしょうか? 素敵な先生になって下さいね。
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 教育講演会などに参加することがあります。

その中で学級崩壊の話も出て事があります。そこで感じたことを書かせて頂きます。

 先生の力量。これは関係してきますがある先生の取り組みを行っていて先生と生徒のつながりが強いと崩壊しにくいのかと思います。子供の意見や子供が思っていることを作文により感じている先生でした。またその作文を読むことで友達が自分で感じていることと同じなんだと共感するなども大切だと言う事でした。そういった子供たちが先生が替わってしまって先生と子供が意思疎通出来ない状態になったことがあり、いじめも行われている状態でした。誰もが不安な中にあったようでした。それをしった先生は子供の思いなどを作文などにから感じ取り話し合いをして解決させていったそうです。そして、子供たちは子供たちで解決できない程に相手がわからなくなっているようです。自分勝手ではなく、みんなが被害者でもあり加害者にもなっている状態で、わからないから無視をする、無視されたことで傷つき相手を信用出来ないという形が出来ているように感じられました。私の経験も含めて先生と生徒の信頼関係があり、子供同士が同じ思いをしている、悩んでいる事がわかることで集団としてまとまっているように感じられます。

 保護者の問題。
 家庭環境も様々です。親も様々なので、それが子供に影響を与えているのは確かですね。あまりひどいとモンスターペアレンツなんですが。そこまで行かないけどという家庭もあります。これも学校と保護者の関係の問題もありますが。
 それと父親の存在の少なさです。多くの学校行事など母親がほとんどです。私は二児の父親ですが私が参加するとものすごく喜ばれます。現在でもPTA会長にという声も多く困っていますが。
 崩壊した現場の先生がその父親が介入したことにより解決に結びついた事例を紹介されたそうです。ほとんど学校での子供の状態をしらないお父さんが多く、それをわかったお父さんが動いて、他のお父さんに声をかけて子供たちを行事を通じて心の交流など行ったそうです。そして解決へ向かって行ったそうです。今でもそのお父さんの集まりは続き、バンドも結成したとか。

 先生は学校という環境の中でしか動けません。学校と家とが協力していかないと駄目なんです。我が子は今学童保育というもう一つ環境にいます。そこでもトラブルが起きますが、現在の指導員が頑張ってくれているのと、そこで起きたことを包み隠さず報告するとで保護者同士の共通の認識も生まれます。保護者どうしで話し合ったりと子供に関わるすべての人々が考えて行動しています。おかげで我が子が行く小学校には学級崩壊など発せしにくい状態のようです。地域でも見守るという雰囲気もありますから。
 学級崩壊は全体でみないとわからないかもしれませんね。
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体罰を禁止するようになったからだと思います。


それ以外にも、授業を聞かない生徒を廊下に立たせたり、教室から追い出したりするような厳しい態度を教師が取ることがやりにくくなったことが挙げられると思います。

今までさんざん体罰禁止を訴えてきたマスコミが、体罰をなくしたおかげで学級崩壊が進んだなどと主張できる筈がありませんので、そのような検討を行うことさえタブーになっていますが、体罰禁止の活動が広がっていった時期と学級崩壊が広がっていった時期とは、確実に一致していると思います。
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こんばんは、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、私なりの意見を述べさせてもらいますと
遠因としては、学校を取り巻く社会環境の変化だと思います
 以前でしたら地域社会が機能していたため、教育力のない保護者であっても、子どもがある程度健全に育つ環境が、地域社会に存在していました。それが、都市化の波に寄って崩壊してしまい、保護者が孤立し、子育てを一手に担わなくてはならなくなりました。

 また、昔でしたら、「先生」というだけで尊敬されるべき存在であり、権威を持った存在でしたが、現在は、社会の中にそういった考えがなくなり、むしろモンスターピアレントなどに攻撃される対象となるほどです。(すべてではありませんが)

近い原因としては、教員の指導力の低下もあると思います。モンスターピアレントなどに代表されるように、子育てを放棄し、子どもの側に立ってしまい、子どもの主張を実現させることが、親の役目であるという間違った教育観を持った親などへの対応。本来の仕事でない、クラブ活動の指導等の雑務により、研修の機会がないことなどが考えられます。

また、ADHDなどの子どもなどが出てきたために、多様な生徒に手厚い対応をすることが必要となってきているにもかかわらず、集団教育を必要とされ、集団を育てることが難しくなっているのだと思います。

雑ぱくな意見で申し訳ないですが、だいたいこんな印象を持っています。
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