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日本語史で、「江戸時代に契沖が定家仮名遣いの誤りを正した」、と習いましたが、どこをどう正したのか、具体的な内容まで教えてもらいませんでした。
定家仮名遣いは、どこが誤りだったのでしょうか。少しの例でよいので、ご存知の方よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 定家の時代には既に「い(i)」と「ゐ(wi)」、「え(ye)」と「ゑ(we)」、「お(o)」と「を(wo)」の発音の区別がなくなっていました。

しかし定家は、伊呂波歌にはその区別があることを疑問に思い、その使い分けの規準を定めようとし、その考えをまとめたのが『僻案(下官集)』です。もっとも用例が多く困難だったと思われる「お」と「を」の区別を、定家は『世俗字類抄』『色葉字類抄』などで行われている分類の仕方、アクセントの高低によって分類しました。
 ところが江戸時代に入って、契沖が自分のアクセントの高低によって「お」と「を」の分類を試してみると、定家の定めたものと異なる結果となりました。アクセントというのは時代によって変わるものなので当然なのですが、契沖はそれを知らないので定家の仮名遣いは理由がないと考えたのです。
 契沖は『万葉集』の研究を丁寧に行い、そこでは「お」と「を」がハッキリと区別されていることに気付き、一語一語奈良時代から平安時代初めの文献に残されている実例に基づいて『和字正濫鈔』をまとめました。

引用元 ――
・『古典文法質問箱』大野晋 著 角川ソフィア文庫 (p16~)
・『日本語はいかにして成立したか』大野晋 著 中公文庫 (p366~)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 16:28

(1) 平安の末期までには、「ハ行転呼」と呼ばれる音韻変化の現象がの日本語に起こっていました。



 簡単に言えば、語頭を除いて、ハ行がワ行の音に変った訳です。

 言い換えれば h(語頭以外)> w  です。

(2)ワ行の音とア行の音との区別が無くなった。

 このため 「お」と「を」、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」の仮名の書き分けが問題になってきました。「定家仮名遣い」の目的は、(1)と(2)の音韻変化によって生じた混同を、こう言う時にはこの仮名、ああいう時には、あの仮名、と決めた規範です。

 契沖は、万葉がなを調べているうちに、定家と古い仮名遣いの差に気づき『和字正濫抄』を著して、定家の間違いを正しました。

 言わば定家の規範的な立場を、契沖が実証的な立場から、批判したと言えるでしょう。詳しくは
 
 http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/rekish …

 また定家の『下官集』の一部は下記にあります。

 http://kstn.fc2web.com/gekwansihu.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/12 16:28

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