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脳は物質だから意識は必然に過ぎない

人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。

これは正しいですか?
特に
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
という部分が焦点だと思います。
この論理だと、思考だけでなく、すべての事象が必然であると言えます。

A 回答 (40件中11~20件)

==sheep67さんに誘発されて==


物理学の量子力学で因果律が破綻している場面があり これを引用して脳は全てが因果律では説明できないかもしれない という主張は的外れと思います。まず量子力学が全て正しいとは証明されていないのです。また、この因果律破綻の部分は 現在から確率的に未来が現れるということであって、未来が過去を決定する果因律ではない のです。今の不完全な物理学は 近次解とし将来は完璧に近くなるとして 因果律は確率解釈をとりいれ 脳内は因果律の有限個の繋がりで構成されていることが明らかになると想定します。それは論理の世界になっているのですが 非常に複雑な構成で完全に理解することは不可能に近いのです。そこで現在のピープルの脳理解としては 科学(論理)として捉えるか 宗教(信心)としてとらえるか 哲学(認識論)として 捉えるか その他として捉えるか の選択になっている と思います。勿論、個人としては複数の選択もあり です。これらの選択意思は やはり因果律に従う物質(素粒子、物質の組み合わせ、物質の変化 など含む)に因っていると思います。以上は 物質因果律の脳理解です。
いや そうではない ある量以上の有限個のニューロンの変幻自在の組み合わせは 例えば 高速コンピューターの演算では時間が掛かりすぎて計算不可能 のように 因果律では理解できない と考える立場もあるとおもいます。それは 宗教、哲学、 感覚による認識などに なるのでしょう。が 科学の発展にともない 少数派になるかもしれません。
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論理学では、


質問者の言われてることは、アブダクション(仮説推論)、じゃないかと僕は想像します。
wikiに
>アブダクションは、関連する証拠を――真である場合に――最もよく説明する仮説を選択する推論法である
大事なのは、前提が真である場合、最も良い仮説を提供する、ということです。


僕自身は、帰納的推論が好きです。これは先にあるデータ前提が最優先ですし、仮説ではなく、前提条件をいかにうまく説明し得るか?というスタンスです。
それは、結論優先ではなく、経験優先です。


し、もちろん哲学で普通に使う演繹や 弁証法や、止揚などの、とても重要な概念もあります。

というか、単純に何が正しいか間違ってるか、というので測るなら、論理学が一番正しいでしょうね。論理学と比べれば、数学も物理もレベルが落ちますし。
でも論理学でも絶対ではないことは、wikiのページだけ見てても分かりますし。

lu-muさんのわれるのは、マルクスの唯物弁証法、に近いと思います。
この辺りも頭のいい人がこぞって考えているので、正しいか間違ってるか、というのなら、正しいですね。現在になって若干発展してるとは言っても。

あるいは、右翼左翼の主張を聞いててもそうですが、どちらも正しいし、お互い正しい意見をぶつけ合って、自分が正しい、というだけでは、仕方ないのに、と思います。もちろん主張にはそれなりの背景もありますが。

つまり、正しさは一個しかない、という思いこみがポイントかしら、と思わないでもないのですが。
だからこそ、正しさが導かれる前提条件を自分で認識する必要があります。
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>宇宙に本当に因果の破綻している例


特異点じゃダメなんですか? 宇宙がうまれる前も? 破綻してる、あるいは、そう考えられてる、あるいは、誰も知らない、ということですが。

わからないなー。
ここに言及すると、質問者さんは、生活には関係ない、と言われるのですが、関係ないという証拠は上げられないと思います。だってどうなってるのか誰も知らないのですから。関係ないかあるか、すら、誰にも分からないはずです。そのあたり厳密さを欠きます。細かいところをはしょるから極論だと言っています。
それは、物理学や数学の厳密さと、日常生活の曖昧さを、無意識に使い分けておられるように見えます。

ただいわれるとおり現在分かってる範囲の物理に限定するなら、必然的とも言えます。同時に偶然的ですが。ある種の、逆ニヒリズムだなーと思います。すべては偶然なんだー意味なんて無いんだーの逆ですね、すべては必然だ、という主張は。



ただ、物理だって、過去ニュートンの法則もひっくり返されています(正確には前提となる概念の拡張ですが)

なので、どれか一つ、というのではなく、極論では、物理学全体が、確かな物とは言えない、といえます。将来、量子論や相対論がどうなるのか、言われるように大統一理論ができて、しゃんしゃんと手を打てるような結末を迎えるのか、分かったものじゃありません。希望的観測は入れない方が良いです。そこも厳密さを欠きます。
そういう厳密さを欠く部分を取っ払ってしまうと、話が成り立たないのではと思います。


そもそも、物理学がよくできた仮説だ、というのは常識ですよね?
つまり、仮説と検証、において、その実験における検証には精度がつきものですし、ニュートンの理論がひっくり返ったのもそこでした。あるオーダーの測定の精密さで成り立つのが、物理法則です。
物理学がみんなあやしい、と言えば、極論そういえますもの。(別にそうは思ってないけど、物理好きだし)
物理学は壮大な仮説なんです。

一般的にこんなことは言わないのですが、質問者さんの主張内容は、こういう極論をぶつけないといけないほどの、極論だと言えます。


あと、物質ですが、物質のほとんどは、力です。物質素粒子という本体がほとんど無いのはご存じでしょうか? ニュートリノが地球を通り抜けるのもそのせいです。
素粒子の直径とは、力の及ぶ範囲そのものですし、物質存在、というのは、かなり怪しい概念です。
全部振動するひもだ、と言われても、もはや理解不能ですし。
個人的には素人意見としては、そもそも宇宙の始まりはただの揺らぎだったことを考えると、揺らぎ=変化=力、こそが本質で、物質存在の元になる素粒子は、間違いなくそのあと生まれたのですから、物質存在は2次的なものだろうと想像してます。もちろん今このときにおいてもです。という想像です。


ようするに、分かってない、ということですが、現代でも。この先一体どう転ぶのか?
おもしろいです。
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この回答へのお礼

>質問者さんは、生活には関係ない、と言われるのですが
そのようには思っていません。
私達はこの世界から隔離された空間に存在しているわけではないので、どのような小さな変化も、私達に何らかの影響を与えていてもおかしくないと思います。


この問題は非常にシンプルです。
この世界にひとつでも因果から外れた自由な存在があるなら、この世界は偶然の産物である。
もしそうでないなら、すべて必然である。
いずれにせよ、人間に意思などなく、ただの物質の現象にすぎない。
もしすべてが必然であるなら、今誰かがこの文を読むのも、ここに何かを書き込む、書き込まないも、すべて決定されたことであると言えます。

お礼日時:2010/05/06 18:01

もうちょっとうまい説明、かどうか・・


意識が論理を作る、というのはいいでしょうか、因果関係を作ります。
ただそこにはいろいろ前提条件が入ります。
前提条件の違いにより、宗教、哲学、科学などが生まれます。
つまり、この3つは、論理的には同じだけ確からしいです。
どれも全く無矛盾で、否定のしようがありません。
だからといって、自分だけが正しい、と言っててはらちがあきません。

みんな正しいのですから。

そして、これらの違う論理を生む全体条件の違いは、はっきりしません。
というより、そこに何かあるとしても、論理を越えた論理、論理を生み出す母体なので、まずわからないと思います。

例えだと、数学の演繹と帰納などがあります。2つの論理は絶対に正しく、また前提条件が違い、一切相交わらない、という点に於いて、上の3つとよく似ています。

前に例を引いた、だまし絵の原理などもそうです。多義図形ですが。論理より先に前提があることをわかってもらえたらいいんですが。
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また追加で、


論理的に考えると、因果関係は必然だ、というのは、省略すると、「論理は正しい、と論理が言う」という構図になってませんか?

それなら、もう絶対に正しいのですが、何か意味があるのだろうか? という話になります。
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追加です・・



僕の、ちょっとなんというか、独断です。
意識は、有限の存在ではなく、因果関係の外の事柄です。僕は、無限小、と思っています。
なので、要素として取り上げられないし、因果もないと思います。
ただその意識の性質に対応した脳の機能は、見つかるのかも知れませんが、それも虚偽の原因の誤謬に書いてあるような問題を生じます。


クオリアと同じで、説明不可能じゃないでしょうか?
本当に、主観と客観の間の壁は、論理では越えられませんし、チャレンジするのはおもしろいのですが。
論理で越えられないからこそ、論理に閉じこもる、というのは、ちょっと象牙の塔的です。
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こんにちは。


NO15にいただいた返事の返事です。
大事そうなのを選んで書きます。

>意識というのは、物質の性質
そうかも知れません。でも、対応関係と因果関係があるのは別です。
ある物質の性質だから、意識の発生が物質に原因を求められるという物ではありません。
wikiに 虚偽の原因の誤謬  という言葉があります。多分当てはまるんじゃないかと思うんだど・・専門じゃないのでなんなんですが。

>観察観測ができなかろうが、変化は起きるし世界に影響を及ぼすわけですから、何か問題が起きるのでしょうか
世界に影響を及ぼすのは、観測するからだ、というのが観測者効果です。
因果関係というのはちょっと微妙な言い方なので、つまり、観測が現実の方に影響を与えるということは、決定論的ではない、という意味かなと思います。
あらゆることが人の目に触れて観測されまくるわけではなく、そういう見えない現実の部分は、不確定です。因果関係すらあるかないかわからない。
この世のほとんどのことは未観測だと居うのが、正しいと思います。
人が見たところだけはっきり決定するのですから、
少なくとも、観測したら決定するし、決定したら因果関係が成り立つのだから、あとは質問者さんのいわれるとおりです。
もっともと、物理学自体不完全な物で、今暫定的にそういえるだけですが。

ちょっと哲学的にいうと
あと、すべて必然なら、すべて偶然だ、というのと変わらないのでは?
つまり必然、とするには、そう認定する主体が本質だ、という考えが見えます。
誰かが必然と思わないと必然じゃないですよね?  意識も必然なら、もう必然とも言えないです。
必然だという人がいないからです。

観測できようができまいが、という部分では因果が成立してない、あるかないかわからない、というのは認められるのでしょうか? それはだって決まってないのですから。

そして、その上でそれでも外に影響を与えるのだから関係がない、問題があるか?と言われてますが、問題ないから因果が成り立ってるというわけではありません。

>物理がご専門とのことなので、私の主張が崩れるような因果の破綻した物理現象のたった一例でもいいから説明
これが返事として帰ってくるということは、僕の意図が伝わってないと言うことなので、言い方がまずいのか。
例を挙げられないのは、物理世界にはそれが破綻したような現象はないからです。というより、因果関係が破綻しないように成り立っているのが物理なのに、そこから事例を上げろとは無理いわれます。

というより、そもそも僕は物理学の外の話をしています。というか、ここは哲学のスレだし。
あと、物理が専門っていうのはとんでもない、ただの素人ですよ。概念的なことは大好きですが、数学が弱くてー。

>因果律の破綻した現象を説明
こういう言葉は、ある種の自己矛盾です。言葉そのものが因果なのはわかってもらえるでしょうか?
言葉で説明できる、概念が当てはまる、観測できる事象、ということは、因果関係がある、ということなので、そういう中にはないのです。

なので、そうですねー問題は世界観、ということになりますでしょうか?
因果関係の世界観で世界を測るならその通りとなりますが、でもそれでは必然と思う人も居なくなる、というのは上に書いたとおりです。

どうして具体的事例を上げないか、というと、そんなの認めない、で一蹴されそうだからです。
例えば、幽霊とか共時性や、まあ曖昧模糊とした一般的な宗教哲学心理学関係の話などですが、質問者さんは論外ですよね? たくさんあります。
いっても仕方ないと思ったので言いませんでした。

そんなことより、直接言われてることに直面した方がいいと思ったので。

この手の問題は、有限が本質か無限が本質か、という点に集約されます。
それは、意識とは何か? という部分が通るか通らないか?
 あるいは、心や人格の性質とは何か? というのが因果で説明可能なことばかりなのか、ということに因ります。

この世のあらゆる問題を意識の有りよう一つに集約することができますが、
上にも書いたように、その最後の一点ポイントで破綻します。
それ以外は、いわれるとおり、因果関係を持って成り立ちますが、それは人の感覚器官がそうできてるから、と言うのが僕の考えですね。

そうでした、解釈論と同じく、大勢に影響ないと言われそうですが、一応上げておきますと、不可弁別性、という量子力学の現象があります。
これも因果の破綻ですが、ミクロに於いて、つまり極小に於いて破綻してても、マクロに於いて人間世界に置いては関係ない、と言われそうですが、関係ないかどうか分かるとは僕は思えないです。というより、関係あると「分かる」というのがすでにややこしい表現です。
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この回答へのお礼

>意識の発生が物質に原因を求められる
いえ、物質の性質そのものが意識だと考えているんです。
性質そのものなので、発生というのとは違います。

>そんなの認めない、で一蹴されそうだからです。
より合理的で納得のできる説明ができるのであれば、認めないということになると思います。

>世界に影響を及ぼすのは、観測するからだ、というのが観測者効果です。
具体的に説明をお願いします。
観測者当人にとって影響を及ぼせないだけであると思うのですが、世界に全く影響を与えないということがありえるのでしょうか。

>この手の問題は、有限が本質か無限が本質か、という点に集約されます。
理由もお願いします。世界が無限だと因果律が壊れるのでしょうか?

>それは、意識とは何か? という部分が通るか通らないか?
>あるいは、心や人格の性質とは何か? というのが因果で説明可能なことばかりなのか、ということに
>因ります。
私はなんとなくそういったものと物質とのイメージが結びついています。
両者がそこまでかけ離れているように思えません。

>人間世界に置いては関係ない、と言われそうですが
人間世界において関係があるかないか、という部分だけを見ているわけではありません。
バタフライ効果もありますから、ひとつでも本当に因果で説明できないものがあれば、重要視します。

お礼日時:2010/05/05 23:38

>非物質の法則があるなら、世界が決定されていることに違いはないと思います。



 そうですね、非物質の法則を意思もしくは意識の法則とした上で、「意思と意図によりある程度は自分の運命を変えることができる と想いました。

>>意思を働かせて
>意思を働かせるというのはどういうことでしょうか

 感情を伴ったエネルギーを働かせる ということだと想います。

 感情というのは不思議ですね。人間の脳がコンピュータのCPUのような単なる情報処理装置だったら、感情など発生することはないですから。

 感情が脳から発せられるものでないとしたら、やはり人が個として存在することでの希望・願望が感情や意思となるのではと思います。

 そう考えると、そもそも原初の世界において唯一、一人で存在しているなら、すべては決まっていると考えられます。

 それでは面白くないから、他との関わりにおいていろんな偶然が生じるようになる世界を作ってきたのでしょう。

 また、人それぞれ個々の中で自分の世界(宇宙)が完全に備わっていると考えるなら、それぞれ完全・完結している世界(宇宙)同士が関わることで思いがけない偶然が発生するとも考えられます。

 少しまとまりのない文章となりましたが。

 全一者同士であれば いろいろなことが起こりえるのでしょう。

 ENERGAIA004
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===私の意見===


脳は有限個の物質(素粒子、電磁波などの波など含め)で構成され 現在は全ては明らかにはなってないが 全ての相互作用(量子力学の因果律の破れも含め)が 将来は記述されるされることになり、未来は 過去(現在も含め)から確率的に決定される のではないかと数学論理学的に質問者は主張されています。
 数学を用いて物理現象(素粒子レベルを含め)を表す方法は 究極 論理学の法則に従い、ゲーデルの不完全性定理に従う形か その解釈から派生する完全性定理(例えばユークリッド幾何学のような)になります。現状の大統一理論は 後者であります。大統一理論が完成したとしても その公理は証明されることはなく(公理が異なれば別の論理が成り立つ) まして ゲーデル数学の対象とする物理理論は はるか遠方にあると思います。ゲーデル数学においても その公理は 証明されない のです。 質問者の主張は 一つのユークリッド幾何学が構成されるはずである と理解されます。 私は 遠い将来 近次解としては できると思いますが 役に立つにものにはならないと思います。
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この回答へのお礼

役に立ちませんか。
未来を予測する手がかりにもならないのでしょうか?

お礼日時:2010/05/05 23:06

>>受け取る刺激で自分の思考やそれによる判断


>これ自体が物質の法則によって行われているので、自由に考えているつもりでも、実は予定されている答えしか導き出せていません。

 まあ、言ってることはわかるんですけどね。

「すべて起こる出来事はあらかじめ決まっている」と考えて 生きるか、

 「そうではない」と考えて生きるか。それによってはずいぶん自分自身の人生の結果は「実際に」変わってきそうです。

 「俺の行うことはすべて決まっているのだから、どんなことをしてもそれはしょうがない」と思って生きるか、「自分の意思で変えていくものだ」と思って生きるか。

 もちろん、それさえも「自動的に決まる」と言いたいのでしょう。

 しかし、脳で処理したものでない、何らかの意思を働かせて選択することができるのであれば、もちろん そう考えて生きたほうが良いですね。

 それに、物質の法則以外の、何らかの外部からの働きかけがあると仮定すれば、「予定されている答えしか導き出せない」というのは当てはまらないことになります。

 非物質の法則というものはないのでしょうか。物質の法則があれば非物質の法則というのもあるような気がするのですが。

 自分が知っている人間社会・世界だけで 物事は動いており、完結しているのでしょうか。
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この回答へのお礼

非物質の法則があるなら、世界が決定されていることに違いはないと思います。

>意思を働かせて
意思を働かせるというのはどういうことでしょうか

お礼日時:2010/05/05 01:56

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