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脳は物質だから意識は必然に過ぎない

人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。

これは正しいですか?
特に
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
という部分が焦点だと思います。
この論理だと、思考だけでなく、すべての事象が必然であると言えます。

A 回答 (40件中21~30件)

 不思議なご質問です。

私も参加させてください。
>脳は物質だから意識は(物質的な)必然に過ぎない
物質(脳)とその機能(意識)とが混同されているようです。例を挙げるとはっきりするでしょう。テレビ受信機(物質)が画像(機能)を決定しているのではありません。物質的な制約は確かにありますが。画像を主に決定しているのは物質でもない電力と電波でしょう。言い換えると電力と電波が受信機を通して画像を与えているのでしょう。デジカメ画像はデジカメ自体が決定しているわけでは有りません。「撮影意思」がカメラを通して決定しているのです。
 「何を思うか何を意志するか」は、「何かの衝動」が脳を通して思いや意思を決定しているとも考えられますね。質問者様は「何かの衝動」の由来を改めてお探し下さい。
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追加、いいですよね・・?



脳が物質である、これは間違ってる、と言ってもいいと思います。

脳が物質でできてる、と言われたら、そうやなーと思います。
でも、脳=物質、と主張されたら、下にいろいろ例を挙げたとおり、それは極論であり、
言葉の言い回し含まれるニュアンスにも因りますが、そう言いきってはまずいです。

タンパク質、神経繊維に、脳内ホルモン脳内麻薬、流れる電流まで電子の流れです、その点では物です。

でも、そこに発生する電場磁場は、物質ではありません。(と思うのですが・)
電磁場の働きがあるからこそ、電子は移動しますから。
もちろんクオリア問題もあって、あるニューロンの発火が、どうしてクオリアを作るのか、全く分かっていませんしその意味でも、
つまり、質問者さんも、脳がタンパク質でできてるからと言って、大豆や牛肉と同じ意味で脳と言ってるとは思えません。

つまり日本語で脳と言うとき、脳の機能も含めて、「脳」です。
そして、脳の機能働きまで含めてしまうと、これは物質だけとは言えません。
脳の機能は、まさにクオリア問題に於いて、説明不能なのです。


なので、脳は物質だ、というのは、厳密に言えば間違いです。
おおざっぱな曖昧な言い方であるなら、正しいと思います。
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この回答へのお礼

物質についての私の認識はNo15のところに書きました。

お礼日時:2010/05/05 15:18

済みません、文が長すぎて、いろいろと・・



さらに補足です。
3つほど下の投稿で、
>すべては必然、というのは、この世の有限性を下敷きにする話。
と書いていますが、
この世の有限性とは、つまりバーチャルリアリティーを作り上げている脳が、把握のさいに主に使う道具である概念、ということといえます。

概念は、有限で、把握できて、実に使い回しのいい道具です。でもそれに手を出してる地点で、偏っています。
科学はそうやってできています。
wikiの、科学的方法、という項目で  「測れるもののみが科学の対象」という言葉がありますが、これが、上の話と似た意味の言葉です。測定できる物だけ、と限った地点で、さらにそれは偏りがきつくなり、そしてさらに、安全パイです。
それは、そのフィールド内に定住する限り、間違うことがないからです。前提を容認すればです。


概念は、もちろん有限です。形あるものですし、だからこそ知ることができます。
で、それを基礎に、この質問文は組み立てられています。

別に目に見えないお化けがいるんだ、とか言う訳じゃなく、
人の認知能力の貧弱さを分かって欲しい、という風な意味合いです。
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もうちょっと補足します



天動説地動説の例えとは、脳が何かを把握することが、すでに自己中心的であり、それは歪んだ偏った捉え方であって、脳が把握した地点で、完全に現実とは別の物です。それは現実を元に作り上げられたイミテーションです。
言換えると、脳は、現実を把握できません。脳は、自分が作り上げることのできる概念を当てはめることでしか、目に見えることを捉えることができません。
それはその地点で、偽物だ、と、厳しく言えば言えないこともありません。

脳が知るのはバーチャルリアリティーです。残念ながら。
脳が、真理を観測してくれるなら、本当にみんなこんな苦労しませんしー。


質問文を読むと、質問者さんと反対の意見になりますが、
僕は、科学は、自分の限界を、数学のようにはっきり定義する時代が来たら、
そのあとは、宗教、哲学、科学が、棲み分けの時代になると想像しています。
はっきり、論理的に限界が規定されることにより、混乱なく、必要なときに必要な考えが導入される、なにもかも科学で解決するのではなく、なにもかも宗教で解決するのでもない時代が来ると思います。(と想像します)

ちょうど、西洋医学と、東洋医学(鍼灸、漢方薬)が、最近やっと使い分けられるような時代になってきたのと同じように、という意味です。
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続きです。

-

で、そうですねーまとめると、よく分かってないのに無理に結論を出すのは良くないのでは? と言いたいんです。
科学や学問が解明してきた、その範囲内だけのことを材料に理論を組み立てるなら、いわれるとおりになるし、正しいのは当り前です。
いずれ科学や学問が、分かってない他のことも解明する、と言うのを人が言うのを聞いたことはありますが、それも半分本当で半分うそでしょうねー。

ーーー


そうそう、一例です。今思いついたので。
天動説と地動説があります。ガリレオの例の話です。

地球の周りを太陽が回ってると思ってたけど、実は、太陽の周りを地球が回ってる、という話です。
でもそれはうそです。
それでは、今度は太陽を中心とした天動説に移動しただけなんです。
すべてのものは今度は太陽の周りを回っているかというとそうではありません。
じゃあ、銀河系の回転中心が真ん中か、というとそれも違います。次は銀河を中心とした天動説になってしまいますよね? らちがあきません。
水の入ったバケツを回転させて遠心力を発生させる、というたとえ話もありますが、
つまり、どこから見ても天は動き、それを客観視すると今度は地が動いているように把握できる、じゃあ本当のところどうなっているんだ?  というと、どちらでもない、というのが現実です。
天動説と地動説の問題は、まとめると、人が対象を認識するには切り口が必要なんだ、ということです。それは露骨に脳の機能の限界から発生しています。
これは、ようはこの問題は人の認知、把握、などの脳の働きに依存している、ということです。つまり事実でもなければ、現実でもありません。
そういう概念の制限を、脳が勝手に作っている、といえます。

この視点から質問者さんの提起を見るなら、
世界が必然なのは、正しいのではなく(正しいと言ってもいいのですが)、そうとしか見えない解釈できない脳の限界だ、といえます。
one of them なんです。
脳科学が進めば、その当たりもはっきりしてくるのでは? と思っています。
科学が科学自らの限界を定義する日が、遅かれ早かれ来ると思っています。(とこれは僕の独断です)
僕も人のことは言えないのですが、そういう意味で、自分の思考パターンを客観視するのも、ひとつの手段かも、と思います。


説明下手ですね、僕・・ ダメかなーこの文では・・ 
一応、ばちっとした具体例も、抽象論も入れた、つもりなんですが。
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エンタングルや量子テレポート等、因果の破綻した現象もあります。

 量子論で説明はできますが、それは質問者さんが言うところの因果関係ではもはや無いはずです。
量子力学でも、それはそういうものなのだ、自然はそうなってるんだ、としかいえない部分です。
というか、科学がもっと本気で進めば、因果が破綻した現象は、日常に普通に見られるようになるのではないでしょうか?
因果関係が破綻してるのは、やはり量子力学や、相対性理論での特異点、因果の地平などがあります。
これらはおとぎ話ではなく、現実であり、物理はまだこれを解明してないのです。
宇宙論から言うなら、宇宙の生まれた原因は分かりません。
というより、時間空間がミックスされた状態で、因果もへったくりもないはずです。そんなところに因果があると思われます?

そんなのは日常生活に関係ない、と思われてるのでしょうが、現実を見るなら、これも是非見て欲しいです。
というより、こういうややこしい問題を避けるために、物質の性質に執着してるのではないでしょうか?
物理に限るなら、物質だけではなく、時間空間、エネルギーエントロピーなどを全部考慮に入れたら、全部必然なんて一体どこから出てくるの? と思ってしまいます。
それはどう見ても、物質を中心に据えて、全体を構成するからこそ、初めて構築できる論理なんです。
でも、物質や意識が最優先事項だ、なんて確証はどこにもありません。それは独断です。前提を、好みで勝手に選んでいます。


これらを見ないようにして、あるいはそう思う自分自身は観察の対象からほおり出すことによって、
一見上手く行く論理モデルは作れます。
グレーゾーンを切り捨ててるので、極論だなーと思います。
自分を含むのなら、すべては予定通りであり、この質問も人の存在も必然であり、特別な価値などないので、ここで声を大にして言うほどのことではない、と言う変な結論になります。
すべては必然なら、あなたは居ない、ということになりませんか? ここで議論するなんの必要があるんでしょうか? それに気付いて質問を止めたとしたら、それも必然でしょうか? という自家撞着です。それはもう、右に転んでも矛盾、左に転んでも矛盾、前に進んでも後ろに進んでも矛盾です。
だからこそ、というかうすうすそれはわかっておられるからこそ、質問文に於いてこれが絶対の真理だ、と声高に主張されることになってるのではないでしょうか?



論旨はねじれてます。
すべては必然、というのは、この世の有限性を下敷きにする話。
必然であるからには、必然と決める根拠がある、理解できる、と言うことを言っておられます。
で、この世は有限でしょうか? となったときに、全く違います。
極大も極小も、全く結論は出ていません。
この世は有限であり、必然だ、というのは、それがおそらく先に前提として思いとしてあったと思いますが、
有限で、計れる、メカニズムとして理解できるからこそ必然だと思われるんでしょうが、
残念ながら、前の投稿にも書きましたが、全然分かっていません。物理も、化学も、生物学もクオリアも、まーーったくです。
それは前回も書きましたが、「自分の知ってる範疇」のことだけを対象にします、とあらかじめ宣言してるような物です。そういう前提条件を使うなら、それは論理的には正しくなるでしょうー。

これらを理解できないからと行って度外視する、あるいは、大勢に影響ない要素だと、自分に言い聞かせて除外し無視してしまう、というのは、間違いです。
それらが、一見、ほとんどこの世界のことが理解できた現代に於いて、ほんの残りかすのような些細な問題に過ぎないと感じられるのは、
人間は、易しい問題、解ける問題から順番に、解いていったからに過ぎないんです。
数と質は比例しません。
つまり過去に解かれてきた問題の数と、まだのこって解かれてない問題の数を比べたとき、残っている問題はわずかじゃないか? ほとんど分かったも同然、というのは間違ってます。
残った残りかすのような数少ない問題は、現代では解くことができない難問ばかりです。
そのわずかの問題が、既存概念ではどうしても解くことのできないハードプロブレムであり、解けずにのこった残りかすのような問題が、世界をひっくり返すパラダイムシフトにつながるというのは、過去の科学の発展の経緯を見れば、間違いない所だと思います。

僕の書いた文に対して、上のあたりを意図的に返事を避けておられるように見えたので、書いてみました。
それくらい構わない、と思っておられるのでしょうが、それが質問者さんの主張の生命線になっていると思いませんか?
ここが崩れたらがらがらと壊れるんです。だからこその極論です。 続きます
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この回答へのお礼

いまいち論旨がわかりません。

どうやら物理がご専門とのことなので、私の主張が崩れるような因果の破綻した物理現象のたった一例でもいいから説明し、間違いを証明すればよいと思うのですが、それをしないというのはなぜなのでしょう。
それが最もスッキリ私を論破できる方法だと思いますし、私にとっても理解しやすいはずです。
私の思想の持ち方自体を批判していらっしゃるようですので、教育者の方でしょうか。

因果が破綻している、とおっしゃいますが、人間には因果が見えないだけ、ということは考えられないのでしょうか。

仮に宇宙に本当に因果の破綻している例があるとして、それによって人間に自由意志があると言えることになるのでしょうか。おそらくならないでしょう。

たった一例でも、私が反論できないような、因果律の破綻した現象を説明してください。

お礼日時:2010/05/05 15:14

>これ自体が意思ではなく、物質が自分自身の性質をもって行っているので、自由意志ではありません



 受け取る刺激で自分の思考やそれによる判断・振る舞いを変えることができるなら、自由に意思を変えることができます。

>自由意志など存在できません

 自由意志はないかもしれないが、意思を自分の望む、好ましいと思う方向に誘導する・変えることはできるのでは?そして、そうやって変えようとする意思は、自分で自由に意思を変えようとするか・しないかにあるのだと思います。

 おそらく、真実は自由と不自由の間にあるのでしょう。
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この回答へのお礼

>受け取る刺激で自分の思考やそれによる判断
これ自体が物質の法則によって行われているので、自由に考えているつもりでも、実は予定されている答えしか導き出せていません。

お礼日時:2010/05/03 10:40

また核心ですれ違ったような感じを得ています。


一人一人の個性があって、その記憶内容も異なっていますから、同じ刺激を与えても各人各様だと言うことは常識だと思います。
条件を絞ります。Aという人間がBという刺激を受けたら、どんな場合でも必ずCという反応が出るかといえば違いますよね。同じであることはただ一回だけ、2回目にはCかもしれないし、C’かもしれない。なら
>初期値が一緒で、処理するプログラムも一緒なら、結
果も同じになります。
とはいえないと思います。
一旦起こったことを時間を反転させれば当然同じことになるでしょうがそれは当然のことです。同じことは世間では2度と起こらない。貴方は決定論をいっておられるようですが、今世界は事実として多くの偶然性が支配していることは常識になっています。
脳内での情報処理が今のコンピュータのプログラム処理とかなり似通っているらしいことは確かだと思いますが、それでも、やはり違うのです。これは「不確定性原理」とも「ゆらぎ」とも「複雑系」とも異なったなんらかの原理があるかもしれないことは確かですが、まだ分かっていないと思います。

この回答への補足

なぜなら、これはある瞬間に対する未来は常に同じである、ということだからです。

失礼しました
正しくは

なぜなら、これはある瞬間に対する未来は常に決定されているということと同じである、ということだからです。

補足日時:2010/05/03 12:59
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この回答へのお礼

komaasさんのご説明はほとんど納得できます。
しかし、未来が決定されるには、この世界で全く同じ結果が2度起きる必要はありません。
>一旦起こったことを時間を反転させれば当然同じことになるでしょう
この部分に同意していただけるのなら、世界は決定されているということです。
なぜなら、これはある瞬間に対する未来は常に同じである、ということだからです。

お礼日時:2010/05/03 10:38

しっかりと意図が伝達されていなかったようですので、今一度書いてみます。


>何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております

の>何を思うか何を意志するか は、入力としての刺激があった後の状況として、何が”出力としての”思うこと、または反応的な現れとしての意志になるか、ということですよね。
単純な生物でもひとつの刺激に対して起こす反応は一様ではありません。学習するからですが、人間はさらに刺激からその反応としての行動までに膨大な脳内計算を行うのが常です。貴方がそういったシーケンス的反応を一様だと捉え、あらゆる入出力の解が最初から決定されていると仰るのならそれは少し違うだろうと言ったまでです。赤い色を見て、ある時は興奮を覚え、ある時は嫌悪感を感じるという人間の複雑さを私は言ったわけです。雑音やらエラーが必ずしも外部要因だけだとする理由もありません。人間の思考回路の分析はまだ途上であり、貴方が考えるほど単純ではないだろうと私は思っています。自由意志の可能性は(いずれ解明されるだろうとは思いますが)まだまだ残っていると思います。

おおむね貴方のお考えに賛同できるということは全回言ったとおりです。
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この回答へのお礼

>入力としての刺激があった後の状況として、何が”出力としての”思うこと、または反応的な現れとしての意志になるか、ということですよね。

そうです

>単純な生物でもひとつの刺激に対して起こす反応は一様ではありません。学習するからですが、人間はさらに刺激からその反応としての行動までに膨大な脳内計算を行うのが常です

そうだと思います。

>貴方がそういったシーケンス的反応を一様だと捉え、
それは違います。

>あらゆる入出力の解が最初から決定されていると仰るのなら
これは、最初から決定されていると考えています。

komaasさんは、私が事象を一般化して、AというものはBという刺激に対してCという答えを出すというふうに考えている、と捉えているようですが、それは違います。

まずAというものですが、A名づけられた集合の中からどれか一つづつとってきて、Bという刺激を当てれば、それぞれ違う反応が返ってくるのは当たり前です。なぜなら、ひとつひとつ個性があるからです。
また、仮にひとつのAに限定したとしても、時間によって異なった反応が出るでしょう。
しかし私が言っているのは、そのA(仮に脳という集合にします)の中のあるひとつ(私の脳)、が「今という瞬間」にBという刺激を与えられたらどうなるかということです。
今この瞬間、私の脳の状態は決まっていますね。もちろん科学的にどうなっているかなど現代の人間にすべては解明できませんが、ある状態になっています。では、その今の脳にある刺激を与え、仮にテープのように巻き戻して何度でも試せるとしたら、毎回結果は変わると思いますか?
変わるはずがありません。初期値が一緒で、処理するプログラムも一緒なら、結果も同じになります。
私達の世界というのは常に、瞬間の連続であるが故に、何が起こるかが決定されている、というのが私の考えです。

お礼日時:2010/05/02 11:57

ごめんなさい 無視行きって・・・



「無意識」でした。失礼しました。
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