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唯物論と唯識論の接点は?在るでしょうか?

唯識における精神は唯物で言えば何?

A 回答 (16件中11~16件)

唯物論は、「物質が世界の本質=心は二次的に物質(脳)の中に生じる」とする立場で(一般の人が日常なんとなくそう感じているのを素朴唯物論という)、観念論(唯識論、唯心論)は、「心が世界の本質=宇宙は心の中に生じている」という立場です。



物理学は、物体の性質を本質的に追求していくものですから、基本的に唯物論ですが、量子論の根本として不確定性原理が明らかになり、その「不確定性」が二次的に生じるのではなく物質の本性が確率波動であるとするコペンハーゲン解釈、さらにその確率性が有限化(存在性)するのは観察においてであるという事実の延長に、「人間原理=宇宙は認識を可能にするようにできている」という立場が(かなり宗教がかっているにもかかわらず)アカデミックに認知されるようになったのです。

「唯物論の物理の追求の果てに、観念論に至った」と言っても良いのかも知れませんが、それは「心が先」という事ではなく、「自我仮説(心)と時空仮説(物質)が、(不確定性原理の相補的不確定性を介して)相補分化している=全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完である」という事なのです(心が「先」な訳でもなく、先にあるのは無)。

全ての存在性が量子的な確率波動に基づくなら、無限につめ込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇の中に、仮想的な認識体の断面を切り、その仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完(相補的不確定性)としての時空仮説を認識するのです。
(詳しくは過去の回答をご参照下さい↓)
http://okwave.jp/qa/q5741329.html
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この回答へのお礼

私の考えは唯物論かもしれませんねえ

不確定や観察の問題は科学の一つの問題であって 哲学の世界に任される事もあるのではと思います

しかし現代科学の最先端の解釈を教えてくださって どうもありがとうございます

これは現代に生きる人間として知るべき解釈だと思いました

はっきり言って最後の方はやや分からないような表現も在りましたが

自分なりに考えてみました ありがとうございました<m(__)m>

お礼日時:2010/06/10 20:14

ん?これは・・


普通に、脳、じゃないでしょうか・・

識ー精神作用、認識能力かな・・ 仏教の唯識ですよね?


唯物論と唯識論は、兄弟のように思います。でも唯物の方が視野が狭いように思います。
なので、唯物論は、唯識論に、部分集合として含まれるのじゃないでしょうか?
唯物論は唯識論で説明できるが、その逆は無理、という意味で。

論理のループの輪が、唯物論の方が小さく閉じてるようなー。間違いじゃないですけど。そういう印象です。
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この回答へのお礼

なるほど唯物が唯識に含まれるような感じですね

第一印象では 唯物は客観的 唯識は主観的という感じですが

そのどちらの方が正しい見方という事は言えないかもしれません。

私が思うに唯物の中に人間の脳と言うものも在って そこに根拠を持つ精神世界が広がっている

唯識だと自分の識しか捉えきれないのではとも思います

尤も唯物も精神世界を認めなければ人間も分からない気もします。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/06/10 19:53

http://homepage2.nifty.com/Hiroshi_m/book2.htm
「意識」と「意志」の項目を見てください。

 「波動の法則」という本に一応の答えが書いてあります。
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この回答へのお礼

取り合えず読みました 僕のHPと共通することも在って勉強になり 嬉しくもありました

ただ中性子が意識で調和 陽子が意志で愛 と言うのは意味は在ると思いましたが

そこまで決定付けられるものかどうかは分かりませんでした。

素粒子何とかという考えにも近いのでしょうか?

私は性質とエネルギーはそれぞれの法則に従っていると思い

存在とは「個性ある性質を持ったエネルギーだ」と思っているのです

つまり中性子もエネルギーであり性質を持つと思います

しかし中性子が調和 陽子が愛と言うのは成る程面白い考えだと思いました。

御紹介どうもありがとうございました 感動しました(*^^)v

お礼日時:2010/06/09 23:25

No.2です。



>私も貴方も精神であり(識)物質の性質によって出来ていると言うものです。<

この考えは仏教の「唯識」思想に似ています。

量子力学が「唯識」というのは私の考えで、「物はなく関係性のみある」というのが量子力学の考えだからです。

質問者様の見解の「識物質」・・識質といった方がいいかもしれません・・も「関係性」の事だと考えれば解りますが、「精神」というものは単なる脳の働きだと言う事はすでに生物学会・医学会では定説になってしまいました。

ただ「人間」が「精神」によって生きていると言う事は明らかな事実です。医学会も心理学会もこれを肯定しています。哲学もこの方向によってくるでしょう。
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この回答へのお礼

速い投稿を本当にありがとうございます

色々と頭が整理できてありがたいです

「識物質」 「関係性」ですか なるほど

もう一度失礼ながらお聞きしますが 貴方は脳の働きに過ぎないと思いますか?

あなたは 誰ですか?

お礼日時:2010/06/09 22:47

物理学ではニュートン世界は唯物論、量子力学世界は唯識論、その接点は超ひも理論をはじめとする重力量子力学(まだ完成していません)。

・・アインシュタインはその接点を考えた最初の人だと思います。

今の物理学の最先端はまさに唯物論(これは基は古い共産主義の哲学的思想ですが・・)と唯識論(これは仏教哲学の一派の議論を指す名称ですが・・最近の脳科学はこちらに軍配を上げています・・)の統一という命題の研究に費やされています。
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この回答へのお礼

分かりやすい認識をありがとうございます。量子力学世界は唯識なのですか それはよくは知りませんでした

共産主義と言えばマルクスですかね 仏教が唯識 色即是空空即是色ですか・・・

実は僕は自分なりの考えを持っているのですが 質問して置いて申し訳ないのですが

私も貴方も精神であり(識)物質の性質によって出来ていると言うものです。

もしまたお考えが進めば 或いは批判がありましたらよろしくお願いします(^^)v

お礼日時:2010/06/09 21:07

あると思う。



精神の貧弱なやつは肉体が弱い。
精神の一部が欠落してれば肉体の一部が欠落している。

精神が蛆虫に陥る場合の「肉体」や「国籍」や「境遇」を考えていた。

>唯識における精神は唯物で言えば何?
等価。

この回答への補足

健全な肉体に健全な精神が宿るですか

精神が蛆虫にというのは強烈ですねえ

国籍というのは?

精神は唯識でも唯物でも 精神は精神ですからねえ

等価という事ですかねえ。

補足日時:2010/06/09 19:32
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