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「社会学」とは客観的に研究可能な学問なんでしょうか?
皆さんの意見を聞かせてください。
出来れば、例を挙げて説明してもらえると嬉しいです。

A 回答 (3件)

「客観的に」という意味がもうひとつ不明瞭ですが、「科学的手法にのっとって実証的に」というようなニュアンスで使われているのでしょうか。



物事の説明というものには実は多様で様々なパターンがあります。一例として「赤信号で車が止まる」という現象を説明する場合を考えてみましょう。
まず、機構によって説明ができます。これはつまり、車が止まるのは運転手がブレーキを踏んだ結果である、といった機構(メカニズム)による説明です。このメカニズムは、例えばブレーキパッドとディスクの摩擦係数や路面抵抗がどうこう…といった具合に、物理的かつ実証的にいくらでも細分化して分析することができます。この機構による説明は科学的な側面が強いですから、説明として受け入れやすく、また説得力もあります。通常、科学的といった場合にはこのタイプの説明がなされる場合が多いのです。

しかし、同じ現象でもまた別の側面に着目するとまた異なる説明が可能です。
例えば機能的な説明です。つまり、「赤信号で車が止まることが事故を防ぐことになるから」というふうに、問題となる事象をより広い環境や社会の条件との関係で説明しようとするものです。交通システムという社会的条件の中で「車が止まる」という現象の意味や機能を説明しようとするわけです。その名の通り、社会学ではこの種の説明が多いことはおわかりになるでしょう。

これら2種類の他にも、歴史的な視点からの説明など、幾つかの説明が可能でしょう。
ただ大事なことは、説明の視点と仕方が色々と違っても、説明として価値に上下があるというわけではないことです。対象に応じて使い分けることも重要ですし、対象によってはある説明パターンが意味をなさないこともあるからです。

例えば、「何で人は死ぬのか」といった問題は単線的なメカニズムではなかなか捉えにくい現象です。細胞の老化、心臓停止、脳細胞の死滅うんぬん…という機構的な説明は、それ自体は間違いではなくても、問題の核心であるより大きな意味の回答としてはほとんど無力なことがわかるでしょう。

機構的な説明というものはモデルを極力単純化して雑多な部分を切り離して考えようとしますし、いきおい要素還元的に計量可能なプロセスに分解して捉えていきますから、根源的な“大きな問い”には不向きなのです。つまり、機構的な(つまり俗に言う意味で科学的な)アプローチがもともと困難な事象もこの世界には沢山あるわけです。こういった領域がむしろ社会学の答えるべき本分でしょう。

同じように、別のところでデュルケームの自殺論について回答しましたが、「何で人は自殺をするのか」といった社会的な問題は、社会全体の広がりと意味のネットワークを踏まえたうえで、その中で意味の連関を探っていく(つまりモデル構築を行う)というアプローチが必要になるのです。この意味は、ジンメルのいった「多集団の交錯と個性化」でも、ミルズの「動機の語彙」でも何でも社会学の有名な命題を幾つか並べてみればおよそ見当がつくでしょう。

このことは必ずしも社会学が非科学的で非実証的だということではありません。ポバーの言う反証主義のようなことを求めだすと厄介なはなしになりますが、大きく見れば社会学にも現実を説明づけるための理論的骨格とそれを現実に適応させたモデルが求められることは、他のあらゆるジャンルの学問的態度と共通するものです。世界内の現象の多様性を考える時、社会学的なアプローチでしか意味を探れない現象があるのだし、その範囲において社会学的アプローチは十分科学的なのだと私は思っています。

補足的に書けば、社会学の中でも構造的なアプローチはかなり機構的説明に近づいている部分あります。特に、記号論理学的手法を用いて極めて数学的なモデルが構築される場合がありますので、機能的とか機構的といった説明手法は相互に対立しあうものではなくて、多分に補完関係にあるとも言えます。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。

neil_2112さんの意見も参考にしながら、自分なりに少し考えてみました。
そうして、やはり社会学は客観的に研究可能なものだという結論に達しました。

neil_2112さんが別のところで回答なさっているデュルケムの『自殺論』のことを思い出して、こういう結論が生まれたのです。デュルケムは「人は何故自殺するのか?」という問題を考える時に、個人の心的要因からだけではなくて、経済変動率など社会的事実を用いて、自殺の原因を“客観的に”分析しています。

そして、No.2のbonnnouさんがおしゃっているマックス=ウェーバーによって定式化された社会科学の認識のための方法的手段である「理念型」は複雑多様な現実を論理的に分析するためのものであって、客観性があります。

こういったことから、私の中では社会学は客観的に研究可能だという結論が出ました。

本当に助かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/19 16:58

レポート等、宿題なんでしょう。


今日は、金曜日だから、明日、図書館か、本屋でマックス・ウエーバー(Max Weber)の本、解説書等を入手して、読んで、日曜日にまとめれば、いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

レポートでは無いのですが、文献を探して、読んでみたいと思います。
デュルケーム・ジンメル・マルクス……など、私が今思いつくだけでも
社会学者はたくさんいますが、やはりウェーバーの本が良いのでしょうか?

お礼日時:2003/07/12 00:19

こんばんは。



社会学とは基本的に考現学、つまり現在の事象を中心に、
過去、未来を含めた社会状況や現象、制度などを
検証していく学問ですから、

>「社会学」とは客観的に研究可能な学問なんでしょうか?

というご質問なら、当然YES,です。

しかも、社会学は「これを研究してはいけない」
というタブーはありません。(そこに意義があるか、注目されるかは別としてですよ)
ですから、言葉は悪いですが、「何でもあり」な
わけです(笑

たとえば、
・便所の社会学
・酒場の社会学
・ファッションの社会学
・駅前の社会学

などなど、あらゆることが研究の対象となり得ます。

……お答えになっているでしょうか?
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この回答へのお礼

確かに、社会学はありとあらゆる物が研究対象になり得ますし、
「何でもあり」なので、客観的に研究も出来ることになるかもしれませんね(^^)

とても参考になりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/12 00:18

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