No.2ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
政子は駆けた。
暗闇がどこまでも続き、そぼ降る雨が容赦なく政子を打った。我が家の家人たちの追っ手も、もうそこまで政子を捕らえようと迫っていた。
履いている草履も擦り切れ、両足のいたるところから血が滲んでいた。
それでも政子は必死に走り続けた。
愛する男性(ひと)、頼朝さまはもう目の前にあった。
政子は必死の形相で追っ手を振り切り、ついに熱海の「伊豆山神社」の境内にたどり着いた。
当時、伊豆山神社には、古くより僧兵が強い力を持っており、追っ手も伊豆山神社に踏み込むことは、戦を覚悟しなければならなかった。
追っ手は、鳥居の下までは来たが、神社の境内を取り巻く僧兵の一団を見て、少ない手勢ではこれ以上の無用な戦いは避けねばならず、すごすごと引き返して行った。治承元年(1777)のことであった。
政子は、保元2年(1157)、伊豆の豪族で平氏の流れをくむ北条時政の娘として生まれた。
なお、政子という名前は、頼朝と一緒になり、幕府が力をつけていた建保6年(1218)に朝廷から従三位を贈られたとき、父時政の一字「政」を取って命名されたもので、それ以前は何と呼ばれていたかは不明である。
頼朝と政子の出逢いは、平治元年(1160)に起きたいわゆる「平治の乱」に頼朝軍が破れ、同年3月頼朝は伊豆の「蛭ケ小島」(ひるがこじま・現、伊豆の国市)へ流され、監視役であった北条時政の館に呼び出された時、その接待役として政子が酒宴の席にはべったことから、政子は一目で頼朝の将来のあるべき姿を感じ取ったとも言われている。
頼朝が伊豆に流された、とは言っても、決して「土牢」などに閉じ込められるわけではなく、伊豆付近から出なければ割合自由な身であったのである。
そして、頼朝は源氏の本流の嫡男(棟梁)であったため、時政に呼び出されたとは言っても、詮議は形ばかりで、それ相応の扱いであり酒宴が開かれたのである。
しかし、父時政は「大番役」という京都の朝廷を守る役目であったため、まもなく京都へと出立をした。
政子は、この時とばかりに頼朝との密会を重ねていた。
そのことを手紙で知った時政は、伊豆で平氏一族の目代(代官)となっていた山木兼隆と婚姻させるべく手を尽くしたが、政子は、心に決めた頼朝への想いを断ち切れず、ついに、屋敷を飛び出し、かねてより打ち合わせてあった伊豆山神社へと駆け込んだのであった。政子21歳、頼朝31歳の時であった。
やがて、政子は娘を出産し、父時政も二人の仲を許し、北条氏は頼朝の有力な後援者となったのである。
娘は大姫と呼ばれたようであるが、元々は高貴な人の長女を大姫と呼ぶ慣習もあり、実際のところは不明である。
養和2年(1182)8月には、2代将軍となる男子(万寿・頼家)を出産。
当時は一夫多妻が当たり前であり、頼朝も伊東祐親の娘(八重姫)との間にも男子が生まれたが、平氏一族の怒りを恐れた祐親は、この幼児を殺害している。
また、政子の妊娠中に頼朝は「亀の前」と呼ばれる女性と親密になるが、これを知った政子は怒り心頭して亀の前が寄宿していた伏見広綱の屋敷を打ち壊させ、亀の前はほうほうの体で逃げ出したという。
頼朝は他にも多くの女性と関係を持っているが、政子の嫉妬により、ことごとく引き裂かれている。
その後、寿永3年(1184・治承8年)2月7日に摂津国福原および須磨で行われた戦い(一ノ谷の戦い)や治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱(壇ノ浦の戦い)で平氏を破った頼朝は、ついに、建久2年(1192)7月征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた。
そして、政子も「北の政所」(きたのまんどころ)と呼ばれ、頼朝を良く援けた。
頼朝の死後(建久10年(1199)1月11日に出家し、18日に死去した。享年53歳)は、2代頼家や3代実朝なども援けたが、実質的には北条氏が実験を握り、その中でも政子の権勢は一際大きく「尼将軍」とさえ呼ばれたという。
建久3年(1193)、頼朝は富士の峰で大規模な狩りをしたが、その時、頼家が鹿を射ったことを大層喜び、早速、使者に手紙を託して政子に知らせたが、政子は、
「武家の跡取りが鹿一匹を仕留めたくらいで騒ぐことではない」
と、使者を追い返したとの話もある。
嘉禄元年7年(1225)7月11日死亡。法名安養院(あんにょういん)。合掌。
この回答へのお礼
お礼日時:2010/06/27 16:49
わあああああ!!!感謝感激です!これ以上の言葉はありません!本当に有り難うございました!
自称なんてとんでもない!本当に感銘を受けました。
作家活動どうか頑張って下さい!
ありがとうごあいました!
No.1
- 回答日時:
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