あなたの習慣について教えてください!!

学年で誕生日が遅い人は不利になり、線引きを直すべきだ

年度内の違った月に生まれたとしても、それら同年齢の人達と同じ環境で過ごしてきたのだから、20歳の誕生日で選挙権の有無を区別するのは不平等ではないか。


私は11月生まれの中学3年生ですが、選挙権は実年齢でなく学年で分けるべきではないですか?

私のとある友人(先輩)は19歳なのですが、同級生で4~6月に生まれた人にはすでに参院選から選挙権が与えられているようです。
でも、同じ学年ということで同じタイミングで教育を受けているのに、選挙権に関しては誕生日で分けるというのは不公平ではないですか?
選挙権に関しては実年齢ではなく、学年年齢(義務教育就学終了から4年)で分けるべきだと私は思います。

「20歳を迎えた人から選挙権を得られる」というのを、「今年度に20歳を迎える人は選挙権を得られる」に変えるべきだ。

もちろん選挙権だけでなく、飲酒・喫煙・補導or逮捕のボーダー・少年法適応のボーダー・結婚・各種免許に関しても学年で分けるべきだと思います。

学年年齢のほうがより精神的な成長に比例します。
そして、精神的な成長も個人差は超えないものです。(酒も医学上は15でいいけど、20位なのはいまは責任能力の意であろう。)

そして、現在不平感を持っている方々はたくさんいるわけです。

年度内の違った月に生まれたとしても、それら同年齢の人達と同じ環境で過ごしてきたのだから、20歳の誕生日で選挙権の有無を区別するのは不平等ではないか。

学年は義務教育の際の線引きですが、義務教育終了から同じ期間、社会経験を持っているわけですから、同じ時期に義務教育を終了したものに同等な社会的権利がないと不公平だと思います。


ご意見よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

法学部出身者です。




皆少々揚げ足を取るような回答が多いですね。


私の意見は 賛成です。

現在の「満年齢」では法の線引きが不公平という考えを重視し
少なからず出るであろう「学年引きだと 生きてきた時間に差異が生じ不公平」
という意見に傾いても 時代を考えるとそちらを妥協し、
学年で線引きをすることが今後必要になるかも知れません。

ではなぜ 「満年齢」で線引きをされているのか 私がいままで読んだ文献から
参考にしますと 昔は今まで以上に 「満年齢」というものに重きを置きました。
そして 「学年」にしてもそうとうあいまいで
「うちの子は勉強ができないので留年させてください」というような形もあり
同じ学年に 年齢のちがう子がいることも珍しいことではありませんでした。

同じ学年のなかに 早くに誕生日を迎えた人間を「自分もはやく大人になりたい」とか
「自分より 早くに生まれているから」と敬ったり…

そういった考えの中でやはり 満年齢で法をくくるということは自然だったと思います。



しかし時代は違います、どうしても同じ学年で法の解釈が人それぞれになってしまう溝は
法の大きな落ち度だと思います。
この大きな落ち度が それぞれ有利に働くこともありますが 多くは不利益と考える意見が出ることは
社会の一員として とても心強く立派です。

中学三年生とおっしゃいますが 法律を変える革命家かもしれない質問者様を
無視することは 法学者としてできません。


回答者様のなかに「では登校拒否のひとは?」などありますが そういった意見は
賛成をした人が煮詰めていく問題で 否定している人の意見できることではありません。


法律家になることを強くお勧めしたいくらいです。
なぜなら 法を愛する人よりも 「疑問視する人」の方が法の世界は向いています。

法は「疑問視」するととても楽しくなります、しかしこういう考えの人が日本を変えられる
限られた人間なのです。


私は 法律をまなんだ立場から意見しますと おっしゃるとおり筋はきちんと通っていると判断できます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私の意見に共感していただけて、真にありがとうございます。

やはり、今重要になってくるのは、生きてきた長さより、生活における扱いのほうであろうと思います。
早く生まれたと言っても、同じ環境で過ごすのだから、その場合、社会生活で不利になるという状況を見過ごすわけにはいかないと思っております。

お礼日時:2010/07/10 20:27

中学生としたら、なかなかの見識とは思いますが、平等と公平の概念の問題で、質問者様は、平等と公平の使い方が、少々乱暴ですヨ。



「線引き」とは、いかなる尺度で線引きしても、必ずどこかに「不平等」が生じます。
選挙権を学年基準にした場合、今度は同年生まれの中で不平等が生じますし、同環境の教育を施されたことを理由に、同程度の学力基準であると解釈した場合、質問者様くらい見識が高いにも関わらず、選挙権が与えられないことが不平等でしょう。

従い、法律における線引きは、もともと平等を期す目的では無く、公平を期す目的と言うことです。
平等と言うのは、差異を容認せず、全てを等しく取り扱うということです。
一方、公平と言うのは、多少の差異は容認するが、全体として、その中で、なるべく差異を小さくする様に努めることです。

年齢制と学年制を対比した場合、いずれが公平か?と言う視点で、質問者様の意見に一理はありますが、それとて完全に平等では有り得ませんし、また年齢性基準と言う公平さを完全に否定し得るものでも有りません。
例えば、早生きの方が、残存余命が長いワケですから、「生涯で投票に行く回数をなるべく平等に付与する」と言う視点からは、極めて合理的になります。

法とは一つの線引き作業であり、「法の下の平等」とは、線引き(基準)の中での平等性は担保されねばならないということに過ぎません。
また、概ねの不公平さを解消すれば、多少の不平等さは許容されるべきと言う考え方であり、何より「完全に平等な線引きなど出来ない」と言う視点でも考えてみて下さい。

非常に良い視点はお持ちだから、極論(片方だけ)に偏らず、対極側からも考えて、本当の意味での「公平な視点」を見つけて下さい。
世の中には、反対側から考えても、許されざる不公平も沢山ありますから。

それと早生きは、若くして社会に出られるワケだから、損なばかりでも無いです。
逆に言うと、定年退職日が遅い可能性も高いので、出世とかのチャンスも多いし、生涯年俸で1千万円単位の差が付く場合とかも有りますヨ。
    • good
    • 0

 選挙権は、主権者としての国民の基本的権利で、いつ、どこで義務教育を受けたかとは関係がないと考えられます。

かりに、義務教育を受けていなくても、選挙権はあります。

 義務教育の「義務」とは保護者の義務を指していて、本人の義務ではありません(憲法26条)。したがって、義務を果たさずに権利はないという主張は成り立ちません。

 また、義務の内容は6歳から15歳までの就学のことで、小学校6年、中学3年の課程を修了することではありません。言い換えれば、年齢と学年は別のものです。

 質問者のいうように、義務教育修了後4年目の4月から選挙権を認めるとすると、19歳ちょうどから19歳11ヶ月の者が該当することになり、ここでも不公平感が生じることになります。成人式なら笑って済ませる事もできますが、選挙にかかわるとなると、現状を変えることにたいする抵抗は大きいでしょう。

 国民投票法の制定に伴い、選挙権を18歳に引き下げることが決まっています。それにも関わらず、19歳案がでてくる根拠が分かりにくいですね。

 グローバル化が進んでいる今日、免許など他の年齢制限も学年で決めようという井の中の蛙的な発想は頷けません。婚姻年齢や少年法まで及ぶとなると、国際問題になります。成人との境界を満年齢で決めるのは、いわばグローバルスタンダードです。サッカーやフィギュアスケートも、満年齢で出場資格を決めています。高校野球にも年齢制限があるはずです。
    • good
    • 0

私の意見です。

参考までに。

大人な意見があるようなのでそれはよろしいとことと思います。ただ、社会的地位をもつということは同時に責任や義務が付いてくるので子供側の意見でいえば不利とは思わないと思います。

年齢により保護者が責任をかぶるのですが保護されている側はそれを不利と思うでしょうか?

権利を主張するのはよいのですが同時に責任や義務について考えたことはありますか?選挙権を得るということは大人の意見では投票の義務が付いてきます。そのほかいろいろあいますね。

選挙に投票して国政に参加できると思っているのでしょうが、そもそもその候補者が間違った政治を行えば投票した人はその責任として生活を圧迫されることもあるのですが、その辺は織り込み済みでしょうか?主張は立派です。でも、同時に反対の心配が出来ないなら責任感のないただの主張になります。
あなたが不利というからにはそのことについて「義務や責任取れます」ということですね?
    • good
    • 0

う~~ん。


理解出来なかったかな?

中学生には難しい問題かも知れないが「ここがこう不満に思う」と意見が出せる事は素晴らしいと思いますよ。

一つ勘違いしてる部分の訂正を・・・・
「社会的地位が同じなのに認められる権利が少なく不利になってしまう」
社会的地位とは、まず社会に出てから使う言葉です。
義務教育若しくは就学中は一般的に「社会的地位」はありません。
社会での位置づけは「学生」でしか有りません。

社会的地位が同じ=18才になったら免許取得可
ですからね。
これは条件としての公平さですから間違えない様に。

まず就学中の中学生が「同学年」を「社会的に同じ立場」と捉える事に問題提起上の無理があるのですよ。

この回答への補足

具体的に、現在、すべての就職・進学においてもそうですが年度扱いであるため、生まれた年度で着舞えるということです。

実際問題として、誕生日が遅いと、社会的に不利になる事実は変わらないのです。

補足日時:2010/07/10 00:48
    • good
    • 0

 《同年齢の人たちは同じ環境で過ごしてきた》という見方は、視野が狭すぎると思います。

あなたの同級生にも、健康上の理由や登校拒否、あるいは親の都合で海外の学校に転校する人はいませんか。

 日本では、義務教育とは学校に通うことですが、アメリカでは親が自主的に教育することも認めています。学年というのは、学校側の都合で決めたものです。

 参政権は、基本的人権のひとつで、それを制限するには、できるだけ公平で分かりやすい決まりを作るべきでしょう。

 この問題に取り組むより、投票権を18歳に引き下げるほうが趣旨に適しているのでは。

この回答への補足

あなたがデメリットとして挙げたものはいまの年齢による線引きでも当てはまるものですし、私は不平感をもっている方々はたくさんいますよね。最小限に不幸を留めるのが政治です。

補足日時:2010/07/10 00:49
    • good
    • 0

>>学年は義務教育の際の線引きですが、義務教育終了から同じ期間、社会経験を持っているわけですから、同じ時期に義務教育を終了したものに同等な社会的権利がないと不公平だと思います。



何故、義務教育終了時から同じ期間社会経験と言える?
義務教育終了以前に諸事情で15才で卒業出来ない人はどうする?
小学生・中学生の時に病気などで就学が遅れたり延長した人は、「延びた年数分」だけ選挙権が遅くなるわけですが?それは不公平では無いのでしょうか?
同じ社会経験と言うが、例えば自衛隊。
15歳で入隊と高校・大学卒後に入隊したものは「義務教育時に同じ年齢」でも後者が入隊時に7年もの経験差がありますよ。

なぜ『横並び』が『公平』なのでしょう。
機会の平等はあっても良いですが、結果の平等は無いでしょう?
運動会で横並びにスタートしても、一列にゴールしないのと一緒ですよ。

では『公平さ』期すためにはどうすれば良いか?
『皆が同じ年齢に達した時に選挙権を与える』で良いのです。
何故なら・・・・
生まれた日から20年と言うのは『誰にとっても同じ時間』だからです。

一番わかり易い『公平さ』だと思いますよ。
それこそ「義務教育終了から○○年間」などの制限の付いた条件では、戦前の選挙権「高額納税者は選挙出来る」と一緒ですね。

あと学年で横並びにすると「介護保険料納付」も早まる人が出ますので公平では無いですね(笑
会社等の定年退職も定年になる前に辞めさせられるハメになる人も出ます。
そうなると厚生年金の納付期間・額にも差が出て、貰える年金金額が減ったりする可能性も有りますね。

一慨に学年で横並びと言う発想は質問者サマがまだ中学生だからでしょう。
世の中に出ると如何に年齢で決まっている事が多いことに気が付くはずです。

この回答への補足

あなたは社会的地位が同じなのに認められる権利が少なく不利になってしまう状況を野放しにしろというのですね。
しかもあなたがデメリットとして挙げたものはいまの年齢による線引きでも当てはまるものですし、私は不平感をもっている方々はたくさんいますよね。最小限に不幸を留めるのが政治です。
第一、同じ時期に義務教育を終了し、その後の進度は全て年度単位なのにその後に均等に権利が有せられない場合、社会生活の場で機会の公平でないですよね。
あなたは生まれてから20年と言いますが、スタートは出生ではなく、義務教育の終了だと考えています。なぜなら、義務教育終了が自律する権利を有する時期であり、その後の進度も全て年度できまるわけです。たんに生まれの1ヶ月の違いより社会生活扱いの中で権利に多い少ないがあると不公平です。年度において進度が決まる社会で誕生日が遅いと社会生活において不利になるのはいうまでもありませんよ。

少しは誕生日が遅い人のことを考えてくださいよ。弱い立場のことも考えられる人間であってください。義務教育終了こそ自分で決める進度のスタートなのですからね。

補足日時:2010/07/10 00:00
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!