【大喜利】【投稿~11/12】 急に朝起こしてきた母親に言われた一言とは?

神は矛盾したものでもつくれるのか?

神は「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を
同時につくることができるのだろうか?
仮につくれるとしたら、その盾をその矛で突けばどうなるのか?

もしこれがつくれないとなると、神にもできないことがある。と
いうことになり「神は完全」というのが怪しくなりはしないのか。
完全であるからこそ神ではないのか。

ちなみに僕は最近、大事な図書カードを紛失したり、寝違えて
首を痛めたり、よくないことが続いているのだが、ひょっとしたら、
神に疑問を持つことに原因があるのではないだろうか?

A 回答 (14件中1~10件)

神は矛盾したものでもつくれるのか?




○神は人間にとって矛盾そのものですよ。人間に矛盾を与えることで神のようになることを望んでいるからですね。
例えば、進歩と調和、自由と平等,こんなのは矛盾の矛と盾と同じものですね。
進歩を追及すれば調和などありえないですし、自由を追求すれば平等など存在できるよすがもありませんね。全て相反する矛盾なんですね。自由と平等の文明実験が旧ソ連やアメリカの姿ですね。相容れなかったですね。「進歩と調和」は科学技術愛好家と自然愛好家ですね。これも相容れないとこありますよね。
神はあえて矛盾を投げ込んでいるのですね。
矛や盾の話は矛盾していることは子供にもわかるでしょうが、日々声高々に教師や政治家、哲学者がいっている多くの言葉に矛盾を観ないことは単に智恵が足りないからですね。盾と矛だけが矛盾の意味じゃないのですね。矛盾こそが神の本質が正しいんですよ。

例えば、風船を膨らます時は風船は丸くないんですね。少しすると丸くなるのですね。大きな風船を作るためにはその繰り返しですね。そこに進歩と調和の矛盾が常に存在するわけですね。
調和だけでも文明は滅びますし、進歩だけでも文明は滅ぶ、進歩と調和、自由平等などの矛盾を日々解決しながらの文明のみが存続するようになっているのですね。神は矛盾の両方をたくみにあやっているのですね。
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神は完全ではないです 人の心 つまりは頭の中に在って人を導くものです



現実には矛盾は生じません 在り得ないから矛盾というのです

しかし人間の頭の中には矛盾が生じます 人間が不完全だからです

正直の頭に神宿るというように 神も人間の精神に宿ってる以上 矛盾します

>「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を同時につくることができる

と言います それでも無害 あるいは有益な事もあるのです 安心したりします

ですから神には疑問はつきものですが 役に立つ事もあるのです^^
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何物も貫く矛が貫けないものがあるなら、それは不完全であり不合理


何物もツナ抜けない楯が貫かれたら、それは不完全であり不合理

完全な神が居れば、不合理なものは作らないから
不完全で不合理な矛や楯は作らない。

・・・ということです。

図書カードをなくした、寝違えた・・・
良くないことだと考えればバチでしょうが
大難を小難に変えて頂いたとすれば天恵でしょ。
貴方が真剣に考えていたなら、それは天恵であろうし、
茶化そうと思って考えていたならバチかもしれません。
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完全なんだから矛盾作っちゃだめなんじゃないの?

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あくまでもその時点では完全に造られた…それは完成した時点で理論を離れて存在が確立されます。

しかし時間とともにサビなどにより朽ちていきます。

もしも超常現象を考えているなら、物理的な法則は通用しない…そもそも何も造る必要がありませんね。(神を試してはならないらしい…)

欲望は果てしなく…ないものねだり
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不確定性原理



シュレーディンガーの猫
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rin00077さん、夏バテですか?



神は何も作りませんよ。
自然界のルールを決めただけ。

そのルールにしたがって、人間どもやコレラ菌どもが戦うのを見て面白がっているのが神だな。

大事な図書カードを紛失したり、寝違えて首を痛めたり、するのは、夏バテですね。
エアコンを26℃のクールドライにセットして家でおとなしくいることです。
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 こんにちは。

お久しぶりの感じがあります。

 さて:

 神は ひとり満ち足りた存在です。

 矛をつくるのも盾をつくるのも それらであらそうのも 人間です。
 神にすがるのも 神の話をつっぱねるのも やはり人間です。

 ★ ・・・ひょっとしたら、 / 神に疑問を持つことに原因があるのではないだろうか?
 ☆ 神は 自分に疑問を持たれようと すがられようと あるいは 人間が矛をつくろうと盾をつくろうと 何も問題はありません。それゆえぎゃくに ひとによっては あなたが心を痛めているときに 神が憂えないことがあろうかというふうに言ったりもします。

 ★ ・・・「神は完全」というのが怪しくなりはしないのか。 / 完全であるからこそ神ではないのか。
 ☆ 《神は完全》というのは それを言うひとの問題です。神には何の関係もありません〔とも言えるし きちんと捉えるように何とかしてやろうかと神も思っているよというふうに言ったりもします〕。

 言いかえると 《神は完全》というのは 《神》のことをただ人間の理性や感性を総動員して推理し想像したことを人間の言葉で語っただけのものです。またその思い(観念)です。人間の観念は 神ではありません。

 こういった神と人とのへだたりを 出発点として行って欲しいのですが どうでしょう。
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あくまで私論だが。



質問者の疑念、「神は矛盾したものでもつくれるのか?」というのは、(『神が存在する』、という大前提の下で)私も無理だと思っている。

と言うか、これは昔から、神の完全性を否定しようとする無神論者や、「悪魔の代理人」と呼ばれる人(神の存在の論証を強化するために、無神論者の唱えそうなありとあらゆる批判を考え、これらに対する想定問答を作る者)がしばしば持ち出す説。とっくの昔に解決されている物である。

解決法であるが、「神の完全性も、論理的矛盾には勝てない」ということを認めることにする(その意味では、神は完全ではない)。そしてその上で、次のように考える。
「神は、同時には無理だが、別個の事案としては『(その時点では)どんな盾も突き抜く矛』と『(その時点では)どんな矛も防ぐ盾』を造ることができる。よって、交互に矛と盾を造っていけば、次第により強い武具が得られることになる。
しかも、それらはもちろん人間の鍛冶屋には打てないほどの強度である。
人間のできないことを易々と、しかも好きなだけの達成度で成し遂げることができる、これこそが『完全性』と考えるべきである」
こう考えれば、素朴な完全性こそ消散してしまうが、神の人間に対する優越性は損なわれることはなく、神の威厳は保たれる。

さて、この問題の本質は「神は、矛盾した状況を生み出すことができるのか」についての疑念にあった。いささか面白くない議論だが、論理こそ神に勝る、最強の存在のようなので、このように考えざるを得ないのである。
となると、この問いに対しては、(神も歪めることができないであろう)論理は、(神なら自在に変えることのできそうな)感情や物理法則に優越するものである。そのため、「思念」や「量子物理」を持ち出すことは、問題の解決に何の効力もないのではないか、と思う。

>僕は(中略)よくないことが続いているのだが、ひょっとしたら、神に疑問を持つことに原因があるのではないだろうか?
神父や牧師にも、よくないことは起こる。
もし、彼らに不信心な者と違うところがあるとすれば、それは「どんなよくない事でも、神の試練などと考え、一概によくないとは考えないこと」にあるのではないか。
ともかく、神に疑問を持とうが持つまいが、悪いことは起こるものなのだ。
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神は存在しないと考えることもできれば、神は存在しても無力だと考えることもできます。

所詮、人間が考えることですから、如何様にも考えられるのでしょう。信じるも自由だし、信じないも自由です。自然の力を神だという見方もできます。これが最も原始的な神かも知れません。
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