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明治時代の「皇室典範」で女性天皇が否定されるにいたった背景を説明してください。

A 回答 (2件)

公家の東久世通禧が反対したからというのが通説で



>仁孝天皇の皇女・和宮が将軍徳川家茂(いえもち)に嫁いだように、皇女といえども姓が変わり、王氏、王族ではなくなる。したがって女系継承は「万世一系の皇統」に抵触する

これに岩倉具視が乗ったということだったと思う。

それと諸外国を参考にしたということだから、イギリスのように女帝の子孫を継承者と認めない(現在のエリザベス2世はウィンザー朝最後の王で、エドワード皇太子は初代マウントバッテン=ウィンザー朝の王様)という事例も参考にして、女帝はよいが次代が困るという議論もあったのではないでしょうか。
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この辺の法律についてはプロイセンの影響が強いんじゃないかな. で, プロイセンならサリカ法典で女性君主が否定されているはず. もっとも, 実際には逆で「女帝を排除するためにサリカ法典を必要とした」ような気はしますが.


以下は余談:
イギリス (イングランド) ではすでに女性君主が存在していますし, 「女性を介した王位の継承」自体も想定されています... というか, 1701年王位継承法によって事実上イギリス (イングランド) 王位は「ハノーファー選帝侯妃ゾフィー (イングランド国王ジェームズ1世の娘の娘) およびその子孫」によってのみ継承されることになります.
ついでにいうと「エリザベス2世女王とエジンバラ公フィリップスの間に生まれた子供とその子孫」がマウントバッテン=ウインザーを名乗る (したがってチャールズ皇太子の家名はマウントバッテン=ウインザー) のは諸般の事情があったからで, それがなければおそらくウインザーの家名をそのまま使うことになっただろうし, 非常に厳密に言えば「エリザベス2世女王がウインザー朝最後」と決まったわけでもありません.
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