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税に関する作文が夏休みの課題として出されました。
題材が見つからず、今までの入賞作品を参考にしてみようと思い目を流したところ、税について肯定的なものばかりが入賞している傾向にある気がしました。
なぜでしょうか?
税を否定しているわけではありませんが、全員が税を肯定しているわけはないし、作文は自分が思ったことを常識の範囲内で述べるものだと思います。
このような傾向があると、入賞したければみんな税を肯定しろと言っているかのように感じられます…
別に入賞は狙ってませんが、どこか理不尽な気がしました。
なんなのでしょう。。

A 回答 (6件)

「入賞作品を誰が選ぶのか」を考えれば, そうなるような気はしませんか?

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どこの入選作だか知りませんが、そういう傾向があってもおかしくはないでしょう。


恣意的に選んでると云う意味ではなく。

やってみれば分かりますよ。
税について建設的な作文を書こうとすれば、必然的にそういう内容になるんです。
確かに作文は自分の思った事を書けば良いのかも知れません。
しかし評価される作文というのは、説得力のある、建設的なものであるはずです。
無税を主張するということは、日本という国のあり方そのものを変える事意味しますからね。

まあ、学生なんですから無税を主張してみても面白いでしょう。
どこまでやれるか試してみるのも悪く無い、と個人的には思います。

かく言う私もひねくれた性格ですので、
自殺を肯定する作文を書いてみたり、アナーキズムを賛美する様な作文を書いてみたりしました。
真に受けた担任に真意を問われたりもしましたが(笑)。
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日本国民の義務って何でしたっけ


それを思い起こせば、きっと解は溶けるはず!
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>作文は自分が思ったことを常識の範囲内で述べるものだと思います。


>別に入賞は狙ってませんが、どこか理不尽な気がしました。

何か世の中が腹黒いと感じられているようですが、
例えば著名なカウンセラーが、「精神的に病むのは正義っぽい屁理屈の影響だ」と論じたらどうでしょうか。
もちろんこの屁理屈は成文化された法律も含みます。

これは「自分が思った」という主観ではありません。
常識では正義は守るべきです。
カウンセラーは患者の心を抑圧している物は何かを述べたのです。

ですが「正義を守るのは当然で、心理学者が悪を推奨してはいけない」という論理がまかり通ります。

税金は富の再配分やインフラの構築に使われます。
足らなくて毎年巨額の赤字国債を出しています。
そういう現実を軽視して「税をとるのはおかしい」という論理がまかり通っています。

私は、税金を取るべきでないと言う正義っぽい屁理屈に理不尽を感じます。
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税に関する作文は、作文の練習のためにあるわけではありません。


生徒が、税に対して改めて考え、理解を深めるきっかけとすることがねらいだと思われます。

「全員が税を肯定しているわけはない」のは確かでしょう。
でも、「全員が殺人を否定しているわけでは」ありませんが、これ、一般市民にとって非常に迷惑ですよね。それと同じで、税を否定されたら、一般市民は迷惑なのです。

お金がなければ、国や自治体は何もできません。だから納税は国民の三大義務の1つです。一番の基本です。作文をきっかけとして、今のうちに(納税者になる前に)、そこに気づいてほしいのでしょう。


もちろん、税ではなく、他のよい方法を考えて作文にしてもいいですし、税を否定し、国も否定するのだってかまわないでしょう。作文としてよいものが書けるかもしれません。

ただ、主催側が、目的を持って、人手・手間・お金をかけている以上、主催者の意図に合わないものは入賞させないでしょう。入賞させたら、その考えを主催者側が肯定していることになるからです。

極端な話、税を完全否定している作文を入賞させ、一般に公開し、それが共感を呼んで、税を否定する人が増えたとしたら……いったい何をやってるんだか……想像するのもバカバカしくないですか?
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税の作文は中学校の課題として流行っていますが、


良く言えば国語教師の仕事の合理化、悪く言うと怠慢なのです。
また、これ自体が税金の無駄遣いでもあります。
基本的に他人の作文は読むだけでも時間がかかり、それを評価する
となるとその労力ははかり知れません。ですから、そのような
仕事を国税局にやらせる教師は正解なのかもしれません。
また、この作文自体が税の無駄遣いではあります。国税局の天下り
先が業務委託委をしてやっていることです。

主催している団体を考えると「税」に肯定的なものが評価されるのは
当然でしょう。一人一人の力は小さくても、皆の力を合わせると、
橋がかかったり道路ができるんだ、という事を書くのがいいのかも
知れません。でも、今の税の使われ方を見て、全てを肯定できる
人間は偽善者か物事が見えない人です。

今ある「税」は正しいでしょうか?
室町時代までは人が通ると「通行税」、市が立つと「商業税」を
取るのが常識でした。これを全国的に廃止したのは織田信長です。
流通を盛んにして、経済全体を広げた方が利益が上がることを
見抜いたからです。また、豊臣秀吉はさらに経済眼が上でした。
武士の経済の基盤である領土を手放し、商売できる場所(大阪・堺)
を提供し、そこの乳の価値を上げることによって固定資産税が
増大することに眼を付けたのです。

今の国税局にこれだけの経済眼を持っている人間はいるでしょうか?
一時期、派遣労働が緩和されたとき、派遣労働者は安い賃金で
働かされていましたが、派遣業者(グッドウィル)などはそこから
3~5割の報酬を得ていたのです。このような不労所得に対する
課税も考えていかなくてはなりません。

ということで、ちょっと難しかったかもしれませんが、税に関して
何かのヒントになれば幸いです。
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