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英語学習には大量のインプットと少しのアウトプット?

こんにちは。英語学習には大量のインプットと少しのアウトプットが重要だと力説している人がおりますが、私は間違ってはいないものの、もう一つ重要な点を見落としているような気がします。先ず、これは分りきっていることで、学校で英語を学ぶにしても、自発的に実用的な英語を学ぶにしても 共通しています。

一つは、インプットと言うのが英文和訳で、 アウトプットが和文英訳という 日本語⇔英語の変換練習を続けても限界があることです。

もう一つは、英語は英語で考えられるようにするのが望ましいんですが、そのためのトレーニングは単純に インプットとアウトプットに分けられないことです。

そこで質問です。英語学習には大量のインプットと少しのアウトプットという考えに対して どう思いますか?

A 回答 (3件)

少し、割り込ませていただきます。



#1さんの
>>英語学習には大量のインプットと少しのアウトプットが重要だと力説している人がおりますが
>どなたが説いていらっしゃたのでしょうか?

確かに、ある一定の題材を論議したり質問したりする場合は明確にしたほうがよいと思います。想像やうろ覚えで、内容を変えて書く人がいます。間違った情報の元に、話を進めても、どの道、正しい結論も意見も出てきません。私があれこれ書くのは筋が違いますが、少し、私が思い当たるものを展開させてから、最後に意見を書かせていただきたく存じます。

ひとつは、昔、NHK英会話で出ていた講師で、松本亨氏が言っていたとされるもので、

"Write less, read more. speak less, listen more."

があります。ただし、それを本人が書いたのではなく、元同時通訳の松本道弘氏です。その時に、端的にインプット・アウトプットという言葉に分けたわけですが、Output--Write, Speak; Input--Read, Listen ということです。しかし、それが、どういうコンテクストで言っていたか、松本道弘氏は正確に書いてはいなかったように思います。

しかし、いずれにしても、学校の勉強の英文和訳や和英作文は、直接この範疇ではないはずです。

元の松本亨氏は、当時、オーラルコミュニケーションや実用英語が盛んな時代に、読むこと、聞くことの重要性を言ったもので、相対的なものだったような気がします。次で述べるような学習法とは違うし、松本亨氏は、絶対量を説いたものではないように思っています。

南カリフォルニア大のスティーブン・クラシェン氏の「インプット仮説(The Input hypothesis)」という英語学習法があるのですが、大量のインプットということより、その重要性を説いたものです。

>もう一つは、英語は英語で考えられるようにするのが望ましいんです
これも、同じく、松本亨氏の言葉のようです。

私は、思考言語が英語なのか日本語なのか、厳密な区分けはないのではないかと思っているのです。事実、この「英語で考える」というフレーズは、後々、多くの英語関係者から賛否両論されたものです。

私たち言語には、言語以前の思考があって、その後に、音声言語が伴なうのではないかと思います。一般的な生活では、音声言語そのものよりも、その意識が優先されるているはずです。しかし、それが、「英語で考える」とは言わないと同時に、「日本語で考える」のでもないはずです。私たちは、英語のような外国語を使用する場合は、母語である日本語そのものは意識しないほうがよいというだけだと思います。それは、松本亨が言っているはずです。また、どんなに言語を替えようとも、民族に伴なう意識や反応はそんなに簡単には消えないはずです。

>英語学習には大量のインプットと少しのアウトプットという考えに対して どう思いますか?

否定しても、肯定しても、それ自体が、一般論ではないし、ご自身が明確な情報をお持ちなのか分からない状態のままに、回答側では、なんとも書きにくいものだと思います。もちろん、love_pet2さんが、どういう英語の勉強をしていたか、また、ご自身がどういう立場であるかということも大事だと思います。まったく関係もない質問ではないはずです。

「インプット仮説」自体も、未だ、学説が全面的に肯定されているわけではありません。実際、それ自体を、賛成する・しないというよりも、それで成功した人は賛成するだろうし、そうでなければ、否定的に傾くのだろうと思います。実際に成功例もありますが、ここで、いくら主張したところで、理論展開出来るとは思いません。

ただ、私の経験では、聞いているだけ、読んでいるだけで、語学が上達するということは、かなり疑問に思っています。「インプット仮説」で成功している例は、一方的であっても、ネイティブの言語の環境で「生の英語」を聞くという、どちらかというと特殊なケースのように思います。少しのアウトプットというのが程度は分かりませんが、少々のWriting や Speaking 程度では、上達するとは思えない、というのが、私の考えです。月並みな意見ですが、アウトプットを意識したインプットをしたほうがよいのと、やはり語学は、バランス感覚は大事ではないかと思います。例えば、Reading していても、使える単語や言い回しはチェックしておいたり、会話を重視していたとしても、ビジネスや文学も読んだりすることしたほうがよいということです。
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No1、訂正です。


>言うなればアウトプットは練習で
インプットは実践ということになるので。

→いうなればインプットは練習で
アウトプットは実践ということになるので。

以上です。
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>英語学習には大量のインプットと少しのアウトプットが重要だと力説している人がおりますが


どなたが説いていらっしゃたのでしょうか?
その方の文献を拝見したいのでお名前をご提示していただけますか?

>先ず、これは分りきっていることで、学校で英語を学ぶにしても、自発的に実用的な英語を学ぶにしても 共通しています。
論理が通っておらず意味が取りにくいのですが、なにが共通しているのでしょうか?
補足説明お願いいたします。

>もう一つ重要な点を見落としているような気がします
>一つは、インプットと言うのが英文和訳で、 アウトプットが和文英訳という 日本語⇔英語の変換練習を続けても限界があることです。もう一つは、英語は英語で考えられるようにするのが望ましいんですが、そのためのトレーニングは単純に インプットとアウトプットに分けられないことです
見落としている点は一点ではなく二点ですか?

>英語学習には大量のインプットと少しのアウトプットという考えに対して どう思いますか?
この質問文における大量のインプットとは大量に英文和訳をすること、
少しのアウトプットとは和文英訳を少しすること、という定義でしょうか?
個人的にはどちらもアウトプットであると思うのですが。

インプットは文法や単語のことで、アウトプットとは和文英訳、英文和訳をするということなら
大量のアウトプット、少量のインプットはいいことだと思います。言うなればアウトプットは練習で
インプットは実践ということになるので。

質問文に曖昧かつ非論理的な個所があったので、質問内容を明確にし、
よりよいを議論を促すために指摘をしましたがご了承ください。
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この回答へのお礼

追回答の必要はありませんので、補足は見送らせていただきます。

お礼日時:2010/08/15 08:17

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