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死刑廃止論者の人に質問です。
もし、あなたの子供が
酒鬼薔薇聖斗に首を斬られ、
あなたの子供の生首が校門に置いてあっても、
酒鬼薔薇聖斗の死刑に反対しますか?

A 回答 (14件中1~10件)

はい。

反対します。
現在、元酒鬼薔薇聖斗は少年院から出ています。
もしかしたら貴方の近くに居るかもしれません。
それに対して「酒鬼薔薇をシャバに出すな」だとか、「死刑」など言う人の考えは、
また事件を起こすだとかの心配からきてると思います。
しかし、殺人を犯すのは酒鬼薔薇聖斗だけではありません。
貴方も貴方の家族も友達も、誰でも殺人を犯すことが出来ます。
そんな心配ばかりしているなら酒鬼薔薇聖斗に限らず、
周囲に酒鬼薔薇聖斗がうようよしていると、考えろ。といっても過言ではありません。
それに私たちもいろいろな動物を殺しています。
動物から見ると私たちのやっていることはまさに地獄絵図なのです。

この世に「殺し」を無くすには地球から生き物を消滅させるしか方法はないのです。
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勿論、反対します



死刑を廃止すると殺人が減ります
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>罪を犯した者に罰を与えることは当然で、最も重い罰が死刑ですから、



死刑は軽すぎる、と被害者の家族は思うでしょうね。もっと痛めつけて苦しめてやりたいと。
身体的に、精神的に、死は極楽への道ですから、死なないようになるだけ生殺しに。

それに対し、身体的に痛みを感じても、精神が苦しまない狂った奴もいます。
考えるだけで苦しむのは、被害者ばかり。

母親だったら、子供が自動車事故に会っても精神を病みます。
娘が監禁されて殺され、ドラム缶に詰められたら発狂するでしょう。
犯人だけではなく、犯人の家族、学校の教師、すべてを呪うでしょう。

個人の恨みに埋もれていても、世の中冤罪があるのは確実なのです。割合は少なくとも、無実のまま15年服役した後、実行犯が逮捕された事件がありました。(アザリア・チェンバレン事件)

死刑にならなくてよかったです。

宗教や国の違いで、いい加減な自白強要で、罰として目に釘を打たれたり腕を切り落とされたら、もう遅いです。
はい、日本の話に戻りますが、長野のサリン流出で、日本の警察もゴリ押ししましたよね。

だから、酒鬼薔薇聖斗だけの件にこだわらず、全般を見渡したら、死刑執行は法としてものすごく微妙です。
そして、私の気持ちとしてはやはり反対です。

中国やインドネシア、シンガポールは死刑執行が速いです。しかし、平等に人権に基づいて裁かれているとも思えない節が多々あり、世界的に死刑廃止運動の方向に向かっている、日本もその一つだと思います。

前出の『瞳の奥の秘密』ですが、殺された被害者の夫は犯人を許しませんでした。ぜひ、見て下さい。
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質問者さま、これは矛盾ではなく、結論を出す為の流れです。



雨が降りそうなので傘を持って行く事にした。けど、鞄に入らないので持って行かない事にした。
ね、矛盾じゃないでしょ。

制度としての死刑には反対です。

ただ、気持ちは酒鬼薔薇二度と社会に出てほしくないと思っています。ただし、命を奪うという意味ではなく。
2009年のアカデミー外国語映画賞受賞の『瞳の奥の秘密』というアルゼンチン映画はまさにその点をついています。(リンク張りましたが、予告編だけではただのラブストーリーに見えます)

小説でなら、洗脳するとか、脳手術するとか、化学物質注射で人格を変えてしまうとか、無害な別人にしてしまうこともできますが。

一部の人は、それが宗教でもできると信じていて、刑務所に魂の救済と言う名目で通っています。

私の家族の一人が神を信じて生き延びているので、それがなかったら多分死んでいました。必要な人はいるんですね。

参考URL:http://www.hitomi-himitsu.jp/
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この回答へのお礼

死刑廃止論者は
(仕返しは愚か・抑止力にならない・冤罪者まで死刑にしてしまう・今後の社会発展や人間進化の妨げ・加害者の更生)
ということが理由みたいですね。
しかし、罪を犯した者に罰を与えることは当然で、最も重い罰が死刑ですから、酒鬼薔薇聖斗が大人だったら死刑になるのは人として生きてる以上当たり前のことです。
それでも酒鬼薔薇聖斗の死刑に反対する人はマイノリティです。
子供を残虐に殺されたことへの憎悪や苦しみを、他人の事例の受け売りで酒鬼薔薇聖斗を許すことにより、人間として正しい道だと考えてしまうんですから。
マイノリティの意見を無視することは、社会の発展や人間進化の妨げになることは理解していますが『罪を犯した者への最も重い罰が死刑』その結果、被害者による報復を合法的(間接的)に行ったことに繋がるのです。
(死刑は仕返し制度ではなく、罪を犯した者への罰則)(死刑の結果、抑止力に繋がる可能性はあるが、抑止力の為に死刑があるわけではない)(冤罪者は無罪有罪の決め方が問題であって、死刑廃止の理由にするのは幼稚過ぎる)(加害者保護は更なる凶悪犯の増加を招き治安悪化に繋がる)(加害者の更正より被害者及び残された親族救済を優先するのが人として有るべき姿)

お礼日時:2010/09/02 11:43

死刑は100%確実なら賛成ですが、この制度がある事で冤罪の人まで死刑になる可能性がゼロではないからです。



酒鬼薔薇の場合という特定するなら、死刑にしたいです。世の中に出て欲しくないです。

しかし制度は個人毎に変えられる物ではないですから。

アメリカのドキュメンタリーで見ましたが、40人の女性を拷問暴行殺人した犯人に対し、20年後に再審の際、被害者の父親が『この20年間恨み続けたが、このまま生きて行けない。お前を許す事にした。』と告げたのです。

それまできつい目で前を凝視していた犯人が、はっと父親の顔を見返した表情が忘れられません。犯人の目に涙が見えたのです。

犯人への仕返しよりも被害者の家族が心配です。憎んで恨んで、般若の思いで残りの人生も生きている気がしないでしょうね。
呪いの気持ちのまま、生活していけますか。ガチガチに固まって、食事も通らないでしょう。

他の被害者の親は、一生お前を呪ってやる、といってましたが、この静かな父親の言葉はその場をシーンとさせました。テレビを見ながら、私の息子も目が潤んでました。

私も二人の子持ちですから、ダーティハリーなみの仕返しをしてやるんだと、よく家族で話してましたが、殺して気が済むのか、というと今は違うと気がつきました。

気の狂ったやつに子を殺されて、仕返ししても子の霊は浮かばれない、という事。
殺された子は、残された家族にそれでも残りの人生を幸せに暮らしてほしいと思ってないかな。

犯人を許す事は、恨みにがんじがらめになった自分を解放する事でした。

神か仏が、この世の地獄から残された家族を救ってくれたのですね、この父親の場合。

結果、死刑なんかなくてもいいです。
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この回答へのお礼

(酒鬼薔薇聖斗は死刑にしたいけど、死刑なんかなくてもいいです)ってことですか?
矛盾してますね?
それともアメリカのドキュメンタリーを見た結果、酒鬼薔薇聖斗の死刑に反対という理解をすればいいということですか?

お礼日時:2010/09/02 09:48

反対もなにもAK君は14歳だから死刑になりようがないですよ。

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No.4です。



なんか会話みたいで長くなりそうなので、さっきのお礼の問いにのみ回答します。

自分の子供が殺されても
報復(主観)より先に
今後の社会の在り方(客観)
を優先させるのですか?
>理想はそうであろうと思います。報復ほど愚かなものは無いですから。人間はただの動物とは一線おく存在。理性があり、言葉を喋り文明を築いてきた存在。やられたからやり返すというのはそこらの動物となんら変わりない行動です。人間はもっと進んだ対応(大人な対応)をしなければならんと思います。
社会がある以上その発展と平和に向けて、個人は時として犠牲にならなければならないときがあろうと思います。公共の福祉か個人の幸福追求と感情か…この問題は非常に難しいと思います。しかし、ヨーロッパを中心に死刑廃止が進んでいます。近い将来その波が大きなものとなって日本に押し寄せてくるのは確かです。その国際的な流れに逆らうかどうかは、未来の国民が決める事です。僕は今17歳。死刑廃止には将来的には賛成の方針です。
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No.4です。



僕のいう現段階とは、今書き込みをしているこの段階です。従って理性がある状況という意味での"現段階"です。もちろん親族が殺されたら理性を保てるかはわかりません。保てる人もいれば一時の感情に流される人もいます。

もちろん、善良なる一般市民にとって死刑は最大の犯罪抑止力。だからこそ中国では死刑になる犯罪が多い。死刑を持って社会秩序を維持しようとしているのだと思います。自分が死ぬのが怖くない人などめったにいませんから。

ただ、日本は今や先進国です。戦争直後の不安定な日本とは違います。発展途上なら、危ない人物には死を!というのはわかりますが、この平和な日本で果たしていつまで死刑をやれば気がすむのかというのは疑問です。

昔から、死刑は憲法に反するか?という事が言われていますが、それ以前に人としてどうなのか?というのがあります。同じ生き物どうしが殺しあうのはどうなのか。人生の過ちを犯した殺人者を、正気である裁判官が死刑にするというのは裁判官にとっても最大の苦痛。自らの手で、人に死を宣告するのですから。
哲学的ですけど、死刑反対というか「死刑に疑問を持つ者」としてこう思うわけです。

ただ、さすがに親族を殺されたら死刑にしろ!って言いたくもなるでしょうね。きっと…
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この回答へのお礼

親族を殺されたら死刑賛成で、親族以外なら死刑反対ということですか?
自分は、死刑=抑止力とは考えません。
死刑=被害者感情の成就のみです。
死刑反対の人は思考の順番が違うし、客観性に重きを置いてる様に思えてなりません。
自分の子供が殺されても
報復(主観)より先に
今後の社会の在り方(客観)
を優先させるのですか?

お礼日時:2010/08/31 13:43

No.5です。



その現場にいあわせ、手に凶器でも持っていれば、実際に殺してやるかもしれません。(「首を切って云々に関しては合わせたいとは思いません。「同じ目」は傷害についてのフレーズに書きました)。

しかし、ごくありふれた市民であるぼくには、逃げている犯人を探し出して一人で追い詰めたり、格闘したりする能力も力もありません。また逆上して間違った人を殺すかもしれない。

だからこそ、被害者、その家族に成り代わって国が犯人を罰するということが、法律の重要な役割のひとつになっていると思います。

ゆえに「人を殺すようなやつは殺す」という大義名分がなりたつというのが死刑制度のひとつの側面でしょう。

しかし、最初の回答に書いたように“ぎりぎり殺さなかった”犯人は同じ目には遭わない。これは矛盾ではないかということです。(これがいいたいことです)。

イスラム法典のように、目をつぶしたやつは法律で目をつぶすとうことにすべきであるというのであれば、矛盾はありませんが。

しかし、これでは残虐非道な行いを国家もおこなうことになり、血みどろです。
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この回答へのお礼

単純に、報復の思いがあるのに死刑に反対する理由がわかりません。
今の日本の死刑制度が
残虐非道な血みどろ国家と同じだということですか?
死刑に反対することは
残虐非道な殺され方をした被害者より、残虐非道な殺人犯を擁護することと同じだと思います。

お礼日時:2010/08/31 11:46

死刑に反対するものです。



ご質問の件、法律によって死刑にならなくとも、心情的には自分で殺してやりたいとは思うでしょうね。

しかし、自分の子供がいたぶられ一生車いす生活を強いられることになっても、あるいは両目をドライバーでじわじわとおもしろ半分につぶされても、やはり殺してやりたい。少なくとも同じ目に遭わせてやりたい。

けれど、被害者が生きていると、ぜったい犯人には有期刑しか科せられません。もちろん五体満足なままです。
このような犯罪の被害者やその家族は、命があったのだからまあ我慢しなさいということでしょうか。

けっきょくのところ、報復は不毛であるといわざるを得ません。
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この回答へのお礼

死刑には反対で、少なくとも同じ目に遭わせたいということは

酒鬼薔薇聖斗の首を斬り
酒鬼薔薇聖斗の生首を校門に置くということですよね~

要するに自分で犯人を殺すという回答ですか?

お礼日時:2010/08/31 10:28

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