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直接雇用か間接雇用か

度々お世話になっております。正社員が事実上無理として。

【最優先】長く働ける事。社会保険あり。
【次の優先】
 ・仕事内容 (契約切れになった時、次へつながるか)
 ・募集企業そのもの (↑も含めて)
 ・時給の程度 (交通費支給の有無も含む)
  (↑掛け金や手取り額など社会保険との兼ね合いも関わりますが)  
の3点を、個々に総合的に検討しています。

基本、こういう視点で求職しています。

(呼び方は様々ですが契約社員等の) 直接雇用か、
いわゆる派遣の間接雇用か、
非正規の場合、一般的にメリットとしてはどちらが多いのでしょうか。
若くはない、40歳手前の独身女性の場合です。
かなりネックです。

派遣の場合、
長期の更新限度のない "26業務" に就ければ
パート等よりも良いとも思えますし、
次へ応用が利かず、その案件や企業のみで通用する内容では、
長期とはいえ私の立場では危険に思えます。

例えば、直接雇用の場合、
以下の求人があったらどの選択が賢明でしょうか。
(全て事務業務ですが、詳細はここでは割愛します)
3と4は正社員ですが、
規模が小さく、倒産や廃業、従業員との相性も気になります。

【1】公的病院での事務 (パート)
   双方合意で年度ごとの更新の可能性あり (更新回数限度なし)
   時給は低いが週30時間勤務になる為、社会保険あり
   交通費実費支給 (上限あり)

【2】業界大手の健診事業の財団法人 (フルタイムパート)
   初回満了後1年更新の可能性あり (更新回数限度の有無未確認)
   常勤登用制度あり(試験受験要)
   1より時給は低いが社会保険あり、賞与時寸志あり
   (↑勤務時間が長い為、月給換算では1より高い)   
   交通費実費支給あり (上限なし)
              
【3】会計・税理士事務所 (医業コンサルティングほか)
   正社員での事務 (従業員2・3名)
   フルタイム月給制、社会保険あり
   交通費実費支給あり (上限あり (足が出る))

【4】非営利団体での事務
   正社員での事務 (従業員2名)
   フルタイム月給制(3より低い)、社会保険あり
   交通費実費支給(上限あり (足が出る))
    
これらの求人にこだわっている訳ではありません。

給与は悪くても、
専門性を身につけられ経験となる事務をモノにすべき、
長く勤められる事を最優先にすべき、
何よりまずは、派遣よりも直接雇用が良いか、
業界や仕事内容を検討し直し (自治体系の臨職や嘱託も含めて) 、
改めて自分の中で整理しています。

事実上、正社員が難しいとして、独身高齢女性の立場から教えて頂ければ嬉しいです。

A 回答 (25件中1~10件)

書き込みありがとうございます。


あなたが悪いのではありません。
今回の私の書き方が悪かったのです。
そして、サイトでのやり取りには限界があります。

あなたのことを馬鹿にしてはいません。
とても努力家で、尊敬もしています。
以前から言ってるじゃないですか。重度の強迫を持ちながら、自分を病人にしないで社会に立ち向かっているあなたを、とても他人とは思えません。
私自身がかつて、重度の強迫性障害であり、社会からドロップアウトしたことは以前書いた通りです。
だからなんとか、前に進んでほしかった。
文章では伝わらないのはわかっていました。よく、メールでカウンセリングなどをするカウンセラーがいますが、私はそれは効果がないと思ってます。誤解だけが広がって、かえってクライアントを悪化させることもあることを、私は誰よりもよく知っているのです。
だから、この場所で文章でやり取りを始めてしまったのがそもそも間違いだったのです。
でも何年も前からこのサイトであなたのことを見てきて、本当になんとか力になりたかった。
だからつい「よけいなお節介」をしてしまいました。

本を読んでもらったらもっと話が通じやすかったのです。
あなたがうまく文章で表現できないのと同じように、私も(おわかりだと思いますが)文章が下手くそです。
そんな私が人に説明しようとするのが間違いでした。
私自身、強迫が強かった時は、人の話を聞いてもまったく理解できませんでした。
私は有能なカウンセラーと対面して、そしてあの本を読むことで、やっと自分が強迫であること、どうしたら脱却できるかが「実感として」理解できたのです。

実際、あなたがどれほど理解しているのか、理解していないのか、それは私にもわかりません。わかりようがありません、サイト上の文章では。

私が言うことではありませんが、良かったら本だけでも読んで下さい。
陰ながら応援してます。あなたの悩みを自分のことのように考えていた人間がサイバー空間に一人はいたことを、忘れないでください。
ではお元気で。

この回答への補足

本当に根気よくお付き合い頂いて、有難うございました。

補足日時:2011/04/01 19:56
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この回答へのお礼

遅くなってすみません。
まだ本を読み切った訳でありませんが、
もうこれは締め切ろうと思います。

私は元々、本を読むスピードが遅く、
更に今はそれだけに専念できる状況でもないので、
読んでは、次に読む時に少し前に戻って読み返し、
読んでいる最中も、何度も前に戻ったりしているので、
本当にスピードが遅いと感じています。
自分でも、早く最後まで読みたいのに、
流し読みみたいにできなくて、もどかしいです。

今、改めてこの質問を全て読みなおしました。

以前とは少し違った感じ方もします。

追いかけられているようですが、
それだけ自分の事のように応援してくれている、とも思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/01 19:54

今回は本当に私も凹みました。



やはり、ここで強迫について説明するのには限界があります。

だから本を早く読んでほしかったのですが・・・・
ネットで買い物なんて、誰でもやっていることをあなたはしようとしない。
通販で物を買うと親に怒られるとかそういう事情があるなら仕方ないと思います。それにどこの誰かもわからない私が勧める本をわざわざ買いたくないのかもしれませんし、それも仕方ないと思います。


あなたにその気があれば、図書館ででも借りてください。
あるいはどうしても本屋で買うというなら、本屋に取り寄せをお願いすればいいと思います。

絶版した方は買えませんから、『自分が「たまらないほど好き」になる本―「自己創造」の絶対ルール (知的生きかた文庫)』(三笠書房)でお願いしてみては?

(こんなことまで助言しなければならないことに、もう疲れています)

本を読まないで、強迫についてまったく理解していないあなたとここで水掛け論をしていても、無駄です。

あの本は外国人が書いたものの訳書ですから、少し読みづらいものです。けれど逆に、加藤諦三の主観が入らず、淡々と強迫について書かれているところが、あなたのためにはなると思うのです。
あなたがどうして強迫を持つようになったかという過去への分析が書かれていますが、過去の分析はそれはそれとして「今、この瞬間から」行動することで強迫は直せるという、その方法が書かれています。



あなたがちっともわかっていないと思うのは、いつもお礼に「気付かされました」と書くところです。
気付いたことは気付いたのでしょう。でもそれは頭でわかったということですよね。

気付かされても、行動しなければ何も変わらないのです。
前回の書き込みでも、「気付かされました」ので「仕事を手に入れることですね」って・・・・
それって今までもやってきたことでしょう?
これまでと同じことを延々と繰り返すのではないでしょうか。

あなたはいつも「心」を変えようとしているのです。心は変わりませんよ。行動を変えないと。


「行動」の意味がわからないのでしょうが、「逃げ」も「逃げない」も行動です。どちらを選択しますか?ということです。
今この瞬間、あなたが何もすることがなくてボーッとしているのも、それも「行動」です。
そしてそれがあなたの自然体ならば、その行動は未来のあなたの心をプラス方向に導きます。
「ボーッとしてちゃいけない、こんなんじゃ厚みのある人間になれない、何かしなくっちゃ」と焦りから行動するなら、その行動は未来のあなたの心をマイナス方向に導きます。強迫が強くなるということです。




No.6のお礼に書かれている「これまでのように、契約終了後の事まで考慮していない自分がいます。」

この時、あなたは仕事に対して純粋に取り組もうという気持ちになっていたのでしょう。
純粋に仕事のための仕事をするつもりになれたのでしょう。

けれどいざ入社してみたら、人間関係がうまく行かなかった。すぐに強迫が発動してしまって、「仕事のための仕事」ではなく「強迫行動」になってしまった。
その仕事を辞めたことをあなたは「逃げ」だと思っているようですが、辞めることは逃げではないんですよ。
仕事なんて何回辞めてもいいのです。むしろ辞めたいという気持ちに正直に、会社に「辞めます」と言えたのなら、それはプラスの行動として未来につながるのです。

だから、辞めることがいけないのではなくて、強迫が発動してしまった時に、できるだけ仕事に集中するように努力する。「苛められないように」という目的ではなく、「仕事のため」という目的でスキルアップに努力すべきなのです。
ほんの少しでも努力して、ほんの一歩でも前に進んでから、仕事を辞めるのはよいことなのです。



私が伝えられるのはこれが限界です。
本を読む気があるのなら、本を読んでからまたお話ししましょう。
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この回答へのお礼

ネットでの買い物云々もそうです。
誰でもしているのにしないのは普通じゃないとか、
親に怒られるとか、関係ありません。
(普通じゃないなんて言っていない、なんて言わないでくださいね。
強迫性障害の私ではないからそんな事は言わないと言われるでしょうが)
本屋で取りよせとか普通に考えています。
ここまで言われるのは、
本当に読んで強迫を理解してほしいからこその発言だとは思いますが、
別に、見知らぬ人から薦められているから読みたくないとか、
買いたくないとか、そういう事ではありません。
読みたい、興味があると言っています。
このくだりもまた、重箱の隅、言葉ジリ、言い訳と言われるのかな。

>絶版した方は買えませんから、『自分が「たまらないほど好き」になる本―「自己創造」の絶対ルール (知的生きかた文庫)』(三笠書房)でお願いしてみては?

(こんなことまで助言しなければならないことに、もう疲れています)

助言有難うございます。
本の検索等をして、他の書籍を色々知りました。
書かなかっただけです。

他の事に関しても色んな諸事情があります。

心理カウンセラーはなぜ辞めたのですか。
臨床心理士の苦悩は想像できます。
でも、簡単に想像できるなんて言っては、
何も分かっていないくせに安易に分かったような事を言うな、
とも思われるかもしれません。

以前、この質問ではなかったと思いますが
私の書き込みで回答者様自身も救われる
(とは言っていなかったかな)、教えられる、というような事を仰っていました。
理由は書きませんが、嬉しかったものです。
何度もこの質問の回答も全て読み返しました。
それだけに今回はショックです。

また、横道にそれた事を書いてしまいました。

分かった事、分かっていた事、それを説得力を持って書けません。
理解していないからでしょう。行動力がないからでしょう。
幽霊の正体もわかりません。
全てが崩れ落ちました。というか、ショックです。
でも回答者様のせいではありません。
今回のせっかくの投稿に対しても、書きたい事はあります。
でも止めます。
傷つきたくないし、傷つけたくありません。
不快にさせたくありません。私もそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/23 17:46

>人と話す時や手紙や何かを書く時、マイナスな事や自分の欠点を敢えて表現する事が多かったのですが、最近は、明るい事、前向きな事、楽しい事を表現しようとします。

そうすると、ネガティブな性格は残っていますが、同時にプラスの感情を感じる事もあるのですが、こういうことでしょうか。

全然違います!!
私が書いたのは、「強迫行動は強迫をさらに強くする」「強迫でない自分の自然な行動はさらに自分の自然体を創る」ということです。
明るいこと、前向きなこと、楽しいことを手紙に書いたりするのは、あなたの場合、「作為的」ではありませんか?前向きになろうという。つまりリベンジですよね?
つらい時にはネガティブでマイナス思考で自分の欠点ばかりな手紙を書いたっていいじゃないですか。無理にプラス表現な手紙を書くのは、それは上に書いた「笑顔で挨拶」や「お菓子を配る」と同じことなのです。

>>あなただって強迫による確認をした時に、とりあえずはホッとしますよね。
>>石橋を叩いて壊れたら、「叩いてよかった」と思いますよね。
>実は、そうではない時もあります。
>渡っておいたらよかった、確認しなければよかったと。

ああ・・・また・・・
あなたの「言葉尻をとらえる」のにつきあっていたら、何も話が進みません。
強迫行動は麻薬のようなものです。あなたはやりたいからやったのです。
橋を叩くのも、確認をするのも。
ニコチン中毒の人はタバコを吸いたくて吸いたくて、吸ったらホッとしますよね?でもその直後に後悔する。あなたが↑に書いたのはそれですよ。

>やって後悔する後悔と、しないままで後悔する後悔とは違う、という事だと思います。

全然そんな話じゃないのです・・・・
石橋を叩くという行動は後悔しようとしまいと、「するべきではない」のですよ。強迫行動なんだから。

>これは同じ後悔でも、するかしないか進むか止まるか、状況判断をきっちりして、どうせなら質のいい後悔ができるようになりたいと思います。

そういう分析はやめましょうってば。
状況判断なんてあなたにできますか?自分が強迫性障害であることに気付いてもいないのに。(強迫の人はほとんど気付いていないのです。No.14に書きましたけど、拒食症の人は体重30キロになっても太ってると思い込んでるのですから。自分の異常性に気付いてないのです。なぜ気付かないと言うと、強迫行動は快感だからですよ。ニコチン依存の人はタバコが吸いたいから吸っているのです。)

あなたは自分が強迫であることに気付いてもいないし、強迫というものをまったく理解していません。
だから下のような↓ことを考えるのです。

>今なら。働き方や条件にこだわらず、とにかく長くできる仕事を手に入れる、
ことなのでしょうね。

仕事をすることがあなたの「本来するべき行動」??
だったら、仕事に就けなかったらあなたはいつまでも自然体になれないということですか?
生き方に条件をつけることは、強迫なんですよ。
あなたの「本来するべき行動」は、あるがままの、強迫でない行動です。


本を読んでもらわないと話にならないのですが・・・

「心」は変えようと思って変えられるものではないのです。誰も心に命令はできません。自分でも。だって感情って、自然に湧いてくるものでしょう?「こう思え」と言われてそう思えるわけではありません。
でも心は変えられないけれど、行動は変えられます。行動は命令ができるのです。
そして、心を変える唯一の方法は、行動なのです。

あなたに「過去の出来事のせいにするな」と言いました。
それは、過去の悔しい思い、人への恨みなどを「忘れろ」と言っているのではないのです。悔しさや悲しさや恨み憎しみは、自然な感情です。それは持っていていいのですよ。今でも「う~悔しい!」と思い返していいのですよ。それがあなたの自然体なのですから。

でもそれと行動は別です。過去の出来事のせいにして、今、行動しない言い訳にするなということです。
私が若いころ、小さなゴミを捨てずに置きっぱなしにしていたら心理カウンセラーの師匠に叱られた時、「うちの親は躾が甘かったし、私も少しずつできるようになりたい」と言いました。すると師匠は「目標っていうのは遠くの山にあるのではなくて、今、この瞬間に行動すれば、君はもう目標を手に入れたことになるんだよ」と言われました。
ゴミを捨てるとか、コピー取りを覚えるというこの瞬間の行動が、未来の自分を創るのです。

それともうひとつ、ニコチン依存の効果的な治し方をご存知ですか?
「う~吸いたい」という気持ちは否定せずに、でも吸わないのです。つまり心に命令はせず自然体に、行動にだけ命令すると、一番効果的に禁煙ができるんですよ。理解できますかしら?
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この回答へのお礼

石橋のくだり、確認のくだり、本意を書ききれませんでした。
全ては、強迫を理解していないからと言われたら、もう何も書けません。
強迫の人は気付いていないという事ですから。
強迫を理解していない事は理解していないのでしょう。
意識して強迫と思われる行動を止めようとしている時、
これだと思う事はあります。
心に命令してはいない、その心を否定してはいない、
行動するように行動する時に命令している、と言っても、
それは違う、理解していない、と言われるかもしれません。
その理解・行動も否定されるかもしれません。
違うといわれるかもしれません。
他にもたくさん書きたい事はありますが。
自分で探せと言われたように、聞いても無理でしょうが、
敢えて、幽霊の正体ってなんですかね。
ここで今論点としている事以外の事も、書いてしまうから、
伝わらないのかもしれません。
否、違うといわれるかもしれません。
そして、これも分析と言われるかもしれません。
書く事が怖くなりました。

お礼日時:2011/01/23 16:55

>過去の職場での事を受け入れなければ・・・というのは、最終的に退職した事で「逃げ」たに過ぎない自分というかその「逃げ」た「対象・原因・事柄」から逃げないようにするというニュアンスです。



また、重箱の隅をつつき始めました・・・・
ニュアンスなんてどうでもいいのです。あなたはいつも100%を目指して細かい言葉の意味にとらわれ、そして一番大切なことが見えていないのです。

>加藤諦三氏の本を読んだ、というのも、愛読というレベルではなく

「愛読」という言葉が気に入りませんでしたか?100%ぴったりの言葉でないと受け入れないのですか?だからあなたの言うことはいつもコロコロ変わるのです。

>はやく本を手に入れて、1人でも解決して進んでいけるようになりたいです。ネットでの買い物はあまりしていないので、本屋で手に入れたいです。

何度も言ってますけど、絶版なんですから本屋では売ってません。アマゾンなどで中古品が簡単に手に入るでしょ?いつまでも本屋を探すつもりですか?


>過去へのリベンジですか。同じことから逃げないようにする、というのは同じ逃げの繰り返しからの脱出(前進)ではなく、リベンジなのでしょうか。

そうです。あなたは「そこから逃げないというニュアンス」などと苦しい言い訳をして「過去のせいにしていない」と言いたいようですが、過去に視点があるということが、すでにリベンジなのです。
「同じことから逃げないように」というリベンジですよね。
東大に入れなかった父親が息子を東大に入れたいのと同じですよ。


>でも、実際は私の場合、その想像が当たっている事が多い。
>変に洞察力がありすぎる。

いいえ違います。あなたが洞察力があるのではありません。
あなたのは100%「妄想」です。「妄想が現実になっている」と言えば理解できますか?(多分できないでしょうけど)
たった一回の「失敗」だけでは、苛められたりしないんですよ。
けれどあなたは初めての失敗を指摘されたりしたら、もうそこで恐怖が出てしまって、雪玉を転がし始めるのです。それが妄想なんですよ。あなたが雪玉を転がす(なんども確認行為をする)から、本当に苛められるんですよ。妄想が現実化するのですよ。

>ならば、「知らぬが仏」とは違うかもしれませんが、そんな事よりも、違う事に視点を持っていき、自分の人生を描いて歩まないと、今の状態から抜け出せない、と思います。気付きました。

いえ、気付いてないと思います。自分の想像が当たっているとか洞察力があるといった、分析自体を止めましょう。
あなたの分析そのものが、自分への言い訳です。あなたは今でも自分が重症の「強迫」であることに、気付いてないのです。
言い訳をしていると、いつまでも強迫に向き合うことができなくなります。

>入力内容の確認(自分の作業内容の確認)は、それが重なって苛められなくないというのもありますが、間違えたくない、間違って二度手間になりたくないというのもあります。

こういう分析も止めましょう。「間違えたくない、間違って二度手間になりたくない」というのも強迫です。「人に苛められたくないのとは違う」と言いたいのですか?そんな細かい分析をして、どうするつもりですか?


>ただ、笑顔の挨拶やきっかけづくりのお菓子は、職場の状況によっては適度にしたいと思うのですが。「黙々とした仕事人間と映ることへの緩和剤」としたい訳ですが、でも、助言を総じると、やはり裏には、孤立したくない、よく思われたい、という心理が働いていて、ひいては仕事に集中していないという事になりますよね。バランスの問題という事でしょうか。

バランスの問題ではありません。
笑顔やお菓子を配るとか、やりたければやればいいじゃないですか。あなたは本当に重箱の隅をつつく人です。
私が「笑顔で挨拶やお菓子を配ったりするな」と書いたのは、それが強迫行動だからという説明をするためです。あなたが強迫ではないと思うのなら、やればいいのでは?

>>自分を見失わないようにしているのです。
>そうですね。ミスや失敗に対して、それにとらわれないという事ですよね。

違いますよ。「ミスや失敗にとらわれない」という心の問題ではなくて、それを修復(リベンジ)しないという行動のことを言っているのです。
つまり確認のチェックを何度もしないということです。あなたのように「ミスや失敗にとらわれない」と心では理解しても、行動できなければ、何の意味もありません。
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この回答へのお礼

今回はかなりショックです。
語彙力がありません。表現力がありません。
以前にも書いたと思いますが、私が言いたい事が伝わっているか自信がない部分があります。その不安が的中しました。
その理由を書いてもおそらく、重箱の隅をつついたとか、ニュアンスとか、100%の言葉でないと受け入れないとか、言われると思います。
そして、こう書いている事も重箱の隅、言葉ジリ、受け入れない、100%ピッタリの言葉、言い訳・・・・・・と。

100%妄想とか、強迫とか、洞察力ではないとか何故断言できるのですか。
洞察力だけに関して言えば、現に複数の友人、身内に言われていました。
勘が鋭いとも言われました。
これも、全く洞察力がないと言っている訳ではない、私がお礼に書いた部分に関しての洞察力について言っている、と言われるかもしれません。

橋を叩く、確認の今回のくだりは、本意が伝わっていないと思いました。
苛められるからとか、分析とか、その辺のくだりもそうです。
すごくショックです。

心と行動。ストンと自分の中に落ちてきた、漠然とだけどわかった、要はこういう事だとは理解できるとか、書きたくないです。
何を書いても多分伝わらないと思います。せっかくの説明の労力を何だと思っているんだという気持ちを起こさせるかもしれません。
全否定された気持ちです。

書きたい事は沢山ありますが、遠慮します。

お礼日時:2011/01/23 16:37

もう一度、強迫について整理しますね。


何か恐れていることがあって、その恐怖を回避するために強迫行動をします。それによってよけいに恐怖が強くなります。
(「行動によって、その行動の動機となった感情をより一層強める」という原則から)
恐怖が強くなったのでまたさらに強迫行動を繰り返します。そしてさらに恐怖が強くなります。(雪だるま)

あなたの例に当てはめてみますね。
何か恐れていることがあって⇒職場の人に苛められる、嫌われるなどの恐怖
その恐怖を回避するための強迫行動⇒「入力内容を何度も確認する」「みんなにどう思われているかを質問サイトで聞きまくる」
それによってよけいに恐怖が強くなる⇒「職場の人に苛められる、嫌われる」
また強迫行動を繰り返す⇒「入力内容の確認」「質問サイトで聞きまくる」

あなたの本当に恐れていることは「職場の人に苛められる」ではなく、もっと奥深くに本当の問題があるのですが(No.13で書いた「幽霊」です)、ここでは触れません。

とりあえずこの最近のあなたの職場での強迫については、上記のようなことだと思います。
わかってほしいのは、あなたの強迫を強めているのは、あなたの繰り返している「強迫行動」のせいなのです。そしてその行動は今すぐ変えることができるということ。

具体的に、あなたのすべきことを書きましょう。
これからあなたが就職した時に、純粋に「仕事のための仕事」をしてください。笑顔で挨拶とか、お菓子を配るとか、お昼休みに何を話すかとか、そういうことはすべて止めること。それは強迫行動です。
例えば入力作業をする場合、一度だけ真剣にチェックしたら提出すること。どんなに不安になっても二度目の確認はしてはなりません。それはあなたの「苛められたくない」という強迫行動です。
周りの人がなぜみんな仕事が速いと思いますか?あなたのような強迫行動をしていないからです。みんな、2回も3回もチェックしていないでしょう?
そして1回のチェックで提出して、もし万一、ミスがあったとします。その時は「すみませんでした、気をつけます。」と言えばいいのです。それだけのことなのです。
一回も怒られないとか、一回もミスをしないなんてことは、誰にもあり得ないことなのですが、あなたは一度怒られただけで「自己防衛」が発動してしまうのです。
私だって今でもミスをしたり上司に怒られたりすることはあります。その瞬間は凹みますが、「自己防衛」に走らないように、今以上に「仕事のための仕事」ができるように努力します。不安からチェックの回数を多くするなどの、自分を見失わないようにしているのです。

職場での在り方について書きましたが、就職しなくても、あなたの強迫を止めることは、今すぐこの瞬間からできるのです。というか、今すぐこの場からすべきなのです。
以前から私は言っていますが、家でひとりでぼーっとしている時は、そんな自分を肯定してあげてください。
人生は徒競争ではありませんから、何もすることがない時は何もしなくていいのです。
焦りや、人に嫌われないために、何かをすることはやめましょう。それが強迫行動なのです。さらにあなたの「恐怖」が強くなるのです。
その行動の動機となった感情、つまり「人に嫌われてしまう」という感情が強くなるのです。

本を読んでもらえばわかると思いますが、あなたという人間を創っているのは、あなたの毎日毎日、毎秒毎秒の行動なのです。
強迫行動をすればするほど強迫は強くなりますし、逆に前向きな行動をすればするほど、あなたは前向きな心に変わっていくのです。

だから、

>巨大化したあなたの強迫から、本来の自分の人生に戻すのは、相当な痛みを伴います。

この文章の意味もわかっていただけるかな?あなたが拘っている最初の会社のことではないのです。あなたの毎日の強迫行動によって雪だるまのように大きくなった恐怖を持ちながら、「前向きな行動」を踏み出すのは痛みを伴うということです。
強迫っていうのは、自分がそうしたくてしているのですから。自分が楽になることをしているのですから。
あなただって強迫による確認をした時に、とりあえずはホッとしますよね。石橋を叩いて壊れたら、「叩いてよかった」と思いますよね。
そこを「確認しない」「石橋を叩かない」というのは、とても勇気のいることです。

家でボーッとするのだって、焦ってしまって何かしたくなる、その衝動と闘うのはつらいことです。
でもあなたの未来のために、自分の本来するべき行動に軌道修正してみませんか。
自分を好きでないのは、自分の本意ではない行動ばかりしているからです。行動によってあなたの心は創られているのですから。
自分の本来するべき行動を積み重ねていけば、いつか自分のことも好きになれますよ。
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この回答へのお礼

入力内容の確認(自分の作業内容の確認)は、
それが重なって苛められなくないというのもありますが、
間違えたくない、間違って二度手間になりたくないというのもあります。
いわゆる完璧主義、これも強迫行動に通じるのですよね。

ただ、笑顔の挨拶やきっかけづくりのお菓子は、
職場の状況によっては適度にしたいと思うのですが。
「黙々とした仕事人間と映ることへの緩和剤」としたい訳ですが、
でも、助言を総じると、
やはり裏には、孤立したくない、よく思われたい、という心理が働いていて、
ひいては仕事に集中していないという事になりますよね。
バランスの問題という事でしょうか。

>自分を見失わないようにしているのです。

そうですね。ミスや失敗に対して、それにとらわれないという事ですよね。

>逆に前向きな行動をすればするほど、あなたは前向きな心に変わっていくのです。

40代を目前にして、少しですが、
考え方にブレない部分が出てきた自分を感じます。
本当に僅かで、こういう自分と違う自分を行きつ戻りつという感じですが。
人と話す時や手紙や何かを書く時、
マイナスな事や自分の欠点を敢えて表現する事が多かったのですが、
最近は、明るい事、前向きな事、楽しい事を表現しようとします。
そうすると、ネガティブな性格は残っていますが、
同時にプラスの感情を感じる事もあるのですが、こういうことでしょうか。

>あなただって強迫による確認をした時に、とりあえずはホッとしますよね。
>石橋を叩いて壊れたら、「叩いてよかった」と思いますよね。

実は、そうではない時もあります。
渡っておいたらよかった、確認しなければよかったと。
やって後悔する後悔と、しないままで後悔する後悔とは違う、
という事だと思います。
これは同じ後悔でも、するかしないか進むか止まるか、
状況判断をきっちりして、
どうせなら質のいい後悔ができるようになりたいと思います。
また、判断を誤ってもその誤りにとらわれない事なんですよね。
それが
>未来のために、自分の本来するべき行動
なんですよね。

今なら。
働き方や条件にこだわらず、とにかく長くできる仕事を手に入れる、
ことなのでしょうね。
求職活動は、長引くと悪い自分にすぐ引き戻されてしまいます。
ずっと仰っていただいている事は、大方は理解しているつもりなのですが。

よく人に愛されたかったら自分を愛せとか、
自分を好きではない人を誰も好きにはならない、と言いますよね。
自分を認める、好きになるという感覚が、まだあまりわからずありません。
あんな人みたいになりたい、という感情を抱く事の方が多く、
嫌いとまではいきませんが、
あまり好ましい自分とは思えていない気がします。

【幽霊の正体】は何なのか。これに尽きるのですかね。

お礼日時:2011/01/22 19:14

続きです。



「自分でトラウマにしてしまう」ことについて説明します。
「過去の出来事のせいでこうなった」と思っていると、これからの人生が「リベンジ」になってしまいます。「リベンジ」=「復讐」です。
例えば東大に入れなかった父親が、息子を東大に入れようと必死に教育します。息子が模擬試験で悪い点数を取っただけで父親は落胆し、息子を叱責するでしょう。父親は復讐心に燃えているからです。息子の人生もリベンジになってしまい、健全な成長ができなくなります。怒られなくてよいことで怒られ、気にしなくてよいことを気にして・・・・。本来「リベンジ」なんて持っていなければ普通にできたこともできなくなってしまいます。

あなたは今、人間関係に悩んでいる原因を、最初の就職先での出来事のせいにしています。「あの時こうしていれば」「あの時こうだったら」と。
そのために「これからの」行動がすべてリベンジになっているのです。「あの時できてしまった恐怖を克服するため」「あの時やれなかったことをやるため」と。
復讐はいつまでも復讐を繰り返します。終わることはありません。だから私があなたに今すぐ一歩を踏み出すように言っているのは、過去へのリベンジのためではないのです。私が40歳にしてコピーの取り方を覚えたのは、未来の自分のためです。だから「簡単に」でできたのです。これが過去への復讐心からだったら、とても怖くてできないでしょうね。

だから、あなたがいつもマイナス要因ばかり探しているのは、前に進みたくないからです。前の会社でのトラウマを克服するまで前に進めないというのならば、一生、トラウマを解消するために頑張ってください。一生リベンジの人生を歩んでください。

あなたが石橋を壊れるまで叩くのは、過去への復讐なのです。特にあなたのこの一文を読んだ時に「あ~あ」と思いました。

>>純粋に仕事のために仕事をしている人から見れば、自己保身のために仕事が遅い人に不快感を持つのは当然なのです。
>嫌がられている・馴染めていないと感じたのは、妄想ではなくやはり大方、正しく職場の空気を感じ取ってはいたのですね。

No.15のお礼にも「妄想なのかそれだけでも教えてください」と聞いてましたね。自分の妄想であるのか、本当に嫌われているのか、真実はどちらなのだろうとあなたは「確認」したがっていました。
そんなことを確認してどうするつもりでしょうか。
あなたはきっと、真実を知って「対処」するつもりなのでしょう。
「嫌われているならこうしよう」「相手が怒っているならこうしよう」と。
より強くあなたは自分をガードするでしょう、自己保身の鎧をまた一枚、重ね着するのでしょう。

以前からあなたが重箱の隅をつつく質問をするたびに、私は何度も何度も言いました。それが強迫なんですよ、と。
真実をつきつめて、自己保身するために強迫行動を繰り返しているのです。その強迫行動が、より強迫を強くしているのに。

自己保身の鎧を重ね着したあなたは、さらに周りに馴染めなくなるでしょう。さらにみんなに嫌われるでしょう。
それは石橋を叩いて叩いて壊れちゃった、「私の渡ろうとする橋はいつも壊れるわね、それは十年前のあの会社での出来事のせいね」という方程式に、自ら導いて納得するためなのです。

また続きます。
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この回答へのお礼

東大に入れなかった父親の例ですが。

少し前の新聞('10/12/9付)で、
「アダルトチルドレン」(東ちづるさんの談話)や
「母親と娘の支配関係」(斎藤環さんの談話)の小さな特集を読みました。
今回の私の悩みとは少しズレるかもしれませんが、考えさせられました。

特に、「本当に自立した人こそ人に甘える事が出来る」とか
「母親の生きなおし」という言葉が印象的でした。
母親からの束縛や支配の連鎖を断ち切らないと自分の人生を生きられない、と仰っていました。
天声人語でも故河合準雄さんが
「自立している人とは、適切な依存が出来て、その事を自覚している人」と言っているという事も紹介されていました。

何となく私の根本問題に通じる気がして、気付かされました。

過去へのリベンジですか。
同じことから逃げないようにする、というのは
同じ逃げの繰り返しからの脱出(前進)ではなく、リベンジなのでしょうか。
前回のお礼をそうではないと思って書きましたが…考えてみます。

>正しく職場の空気を感じ取ってはいたのですね。

この確認は、何かよくない事だとは思いました。

自己保身、鎧を着るため、対処をする為の「確認」からは
いいものは何も生まれないのですね。
その確認したい心理の裏には
「そうではない事を願う自分」がいるように思います。
自分の想像が間違っていてほしい、そうでないことを確認して安心したいと。
でも、実際は私の場合、その想像が当たっている事が多い。
変に洞察力がありすぎる。
そして、「やっぱりそうだった」と更にその事柄が怖くなるという悪循環。
ならば、「知らぬが仏」とは違うかもしれませんが、
そんな事よりも、違う事に視点を持っていき、
自分の人生を描いて歩まないと、今の状態から抜け出せない、と思います。
気付きました。

お礼日時:2011/01/22 18:34

ひとつ、大事なことから書きましょう。




>どこにもぶつけられない悔しさは一生消えないと思います。
>この先輩との関係や退職の経緯の悔しさや無念さは、大きくなる事はあっても消える事はないと思います。
>その後、自分の人生を見失ったままなので、真に完全にこの事実と自分を受け入れない限り、同じ繰り返しかもしれないという心配が片隅に実はあります


最初の会社でどんな出来事があったのかは知りませんが、それをトラウマにしているのは、あなた自身です。
「これを受け入れない限り同じことを繰り返す」と、自分で決めてしまってます。ではいつになったら受け入れられるようになるの?
あなたが今、前に進めないのは何かのせいなのではなくて、「前に進みたくない」のを何かのせいにしているだけなのです。

以前のあなたの書き込みで、あなたが加藤諦三の本を愛読していることは知っていました。
私はこの人の考え方には賛同できません。
この人自身が、強迫を克服していないからです。この人の著書には、親子関係の問題、とりわけ父親に対する憎悪ばかり書かれています。私はカウンセラーの仕事をしていた経験から、この人の本を読んだ人が心の悩みを悪化させていくケースがあまりにも多いことを知っています。この人の本を読んで改めて自分の家族が異常であったとか、親に愛されていなかったとか、兄弟関係が悪かったとか、あるいは幼少期にいじめられたこととか、そういったネガティブな分析ばかりを刷り込まれてしまうからです。
ネガティブな分析をした結果、そこから抜け出せればいいのですが、ほとんどの人は家族に対しての恨みが再燃したり、過去のできごとを悲嘆したりするばかりで、よけいに前に進めなくなってしまっているのです。加藤氏本人のように。

私が勧めている「自己創造の原則」は、ジョージウェインバーグという人が書いたもので、加藤諦三は訳をしただけです。
訳だけだから我慢して読みますが、加藤氏の著書だったら、私は決してあなたに勧めることはしませんでした。


このようなことがあるから、質問サイトでアドバイスするのは難しいと思っていたのです。
あなたが加藤氏を信用していたとすると、私の今回の書き込みで心が乱れてしまうか、あるいは加藤氏に反論する私の言うことはまったく受け付けないか・・・・どちらかでしょう。
私はあなたにとっては生身の人間ではありませんから、サイバー空間だけのつきあいですから、十分な説得力もなく、それだけにあなたにアドバイスや情報提供することに責任が持てないことを、憂えていたのです。
いろんな意見や情報が耳に入ることは、いいことかもしれないし、悪いことかもしれません。
ただ、ここまで来たら私もできる限りは情報提供しようと思います。私のアドバイスが不要だと思われたら、いつでもこの質問は締め切っていただいて結構です。


とりあえず、加藤氏の考え方の何がいけないか。それは今のあなたに伝えなければならないことだと思います。

今のあなたの悩みを作り上げたもともとの原因は、確かに、問題のある家族関係や、過去のつらい出来事にあったかもしれません。
けれど、それは小さな小さな雪玉だったのです。あなた自身がその雪玉を転がさなければ、こんなに大きな雪だるまになることはなかったのです。
雪玉を転がしたのは、あなたの「行動」です。ドアノブをガチャガチャ回したり、何度も手を洗ったり、ガスの元栓を何度も確認したり、郵便ポストを何度も覗いたり・・・・石橋を何度も何度も叩いたり。
それらの「行動」が小さな雪玉を転がしたのです。大きな雪だるまにしたのです。

加藤氏の本は、過去の問題を引っ張り出して「あなたがこうなったのは××のせいだ」と分析します。
それによってあなたは自分が雪玉を転がしたことよりも、過去の出来事の方を解決しなければならないと思ってしまいます。今雪玉を転がしている自分ではなくて、悪いのは過去の出来事だと思っているのです。
過去の出来事なんて、誰にももう解決はできないのです。あなたにも、家族にも、加藤氏にも。
そんなことよりも今、この瞬間から雪玉を転がすことは止められるのです。
でもあなたは雪玉を転がすことを「止めたくない」
それはなぜなら、過去のせいにしたいからです。


以前書きましたが、石橋を叩いて壊してしまう人は、「ああ、この橋は壊れるから、渡らなくてよかった」と諦めたいから、叩くのです。それと同じ。
あなたは現実と向き合う勇気がないから、雪玉を転がし続けるのです。この大きな雪だるまは、あの最初の職場のトラウマから始まったのだ・・・・と、自分で納得したいからなのです。

また続きを書きます。
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この回答へのお礼

過去の職場での事を受け入れなければ・・・というのは、
最終的に退職した事で「逃げ」たに過ぎない自分というか
その「逃げ」た「対象・原因・事柄」から逃げないようにするというニュアンスです。
同じ「対象・原因・事柄」の場面で、逃げずに克服できるようになるというか、
同じ内容の逃げをしなくてもいい自分になるというか。
逃げずに乗り越えられないと同じ所にとどまったままで(同じ事の繰り返し)、
前に進めないと思います。

加藤諦三氏の本を読んだ、というのも、愛読というレベルではなく
実は、1冊だけで、それも読んでいる途中です。
『自分に気づく心理学』という本です。
ただ、あまりお勧めできないという箇所を助言で聞いて、
少し腑に落ちた所があります。
この本を読んでいて、全てが全て納得できていた訳ではないからです。
(ただ、納得できて慰められた部分があるのも事実ですが)

お勧めの本がどこで手に入るか、ジャンルや出版社・著者を検索していて
加藤氏が翻訳をしただけというのは先のお礼を書いた後で気づきました。
すみませんでした。

>私はあなたにとっては生身の人間ではありませんから・・・

ご心配や迷いは手に取るように分かります。
私もここでの限界を感じてもうやめようとも思いましたから。
それでも、
>ただ、ここまで来たら私もできる限りは情報提供しようと思います。
と言って頂いて感謝します。

私が袋小路に入ってしまった(雪玉を大きくした)のは、
過去の出来事にとらわれていたからという事ですよね。
それを起点に、それを基準に、全てを考え影響され行動して。
前へ進もうと試行錯誤しているつもりでも、
単に過去の出来事と1人相撲しているに過ぎなかったというか。
当時の自分よりも成長や進んでいるようで、
客観的に見れば立ち止まって同じか小さな範囲内でジタバタしていたと。

>過去のせいにしたいからです。
>あなたは現実と向き合う勇気がないから・・・

なるほどですね。
「その当時は、その時の自分は、その時点では最適の選択をしていたと思うようにした」と友人が言った事があります。
それ以降、過去に対してこういう捉え方をするように心がけてきましたが
まだ惑わされる時があり、それがまた雪玉を転がしているのですね。
語彙力・表現力がなくて不安ですが、何となくわかります。
出来ない自分、抜け出せない自分、失敗した自分、その他諸々の
「逃げ場」「言い訳となり得るモノ」を用意しているのですよね。

はやく本を手に入れて、1人でも解決して進んでいけるようになりたいです。
ネットでの買い物はあまりしていないので、本屋で手に入れたいです。

お礼日時:2011/01/22 17:56

もうひとつの質問に答えようとしていたところで締め切られてしまったので、こちらの方に書きますね。



>「40歳にもなって」という屈辱感が、逆に「これから自分で責任を取る人生の幕開け」であることを実感させてくれて、とても幸せでした。
>この屈辱感からこれから解放されるのだ、これから強迫から解放されるのだ、という幸せの始まりでした。

>この部分だけが少しわかりません。
>今は、屈辱感だけで一杯だからでしょうか。
>自分で責任をとる人生に、恐れや自信のなさ覚悟ができていないからでしょうか。


なぜこの部分がわからないのか。それはあなたが、まだ「行動」をしていないからです。

あなたはこのサイトでのお礼にいつも「気付かされました」「改善点です」「変えていきたいです」などと書かれますが、でも実際に何も変わってはいませんよね?
ご自身でも「気付かされた」とは言いながら、何をどう行動していいのかわからないのでしょうね。

私は周りに人がいてとても緊張する中で、ゆっくり説明書きを読んでコピーの取り方を確認しました。
「コピーも取れないの?」という視線にさらされ屈辱的でした。でも自分で「そうしよう」と決めて行動したのです。
まさに「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」。この恥ずかしさは一瞬だけ我慢すればいいのであって、この一瞬が過ぎ去れば「コピーができる人」になれるという未来へのパスポートを手に入れたのです。そしてこれからも、何歳になっても、何かに挑戦する(「行動する」)ということは、その瞬間は屈辱に耐えなければならない。でもそのあとには、必ず私は成長しているという、こんな楽しい挑戦ができるということに気付いたからです。未来は自分で創れる、それこそが自分で責任を取る人生なのです。孔子の言葉に依存するのは、孔子にあなたの人生を創ってもらうおうとしているのです。誰かに決めてもらう人生ではなく、自分で決めていく人生は、ものすごく怖くもあり、ものすごく自由です。自由には責任を伴うという当たり前の原理です。
そしてこれまで「逃げ」という行動を繰り返した結果、巨大化したあなたの強迫から、本来の自分の人生に戻すのは、相当な痛みを伴います。
例を挙げましょう。競馬の騎手が落馬して骨折などすると、再び馬に乗るのが怖くなります。けれど彼らは、ケガが治り次第、できるだけ早く馬に乗るのです。なぜなら、「怖いから」「乗らない」という「行動」を繰り返すほど、その行動の動機となった「怖い」という感情がどんどん強くなってしまうからです。(これが自己創造の原則)
だからどんなに怖くても乗るのです。あとになればなるほど、恐怖が増大してもう、馬に乗ることはできなくなってしまうからです。

だけど「恐怖」は自分の中では巨大化していても、単なる妄想ですから、現実にはそんなにたいそうなことが起きるわけではありません。
「案ずるより産むがやすし」です。
コピーの取り方を覚えたのだって、私自身は屈辱的でしたが、そんなのすごいことでもないでしょう?

あなたの最近の「入力スピードが遅いために苛められる」という件についても説明しましょう。
あなたは「スキルアップの努力はした」、つまり「行動はした」つもりかもしれません。
けれど何のための努力でしたか?「苛められたくないから」というのが動機ですよね。
苛められるという恐怖が動機になっているから、間違いがないか何度も確認するという強迫行動をしてしまうのです。
それは自己保身です。自分が可愛い可愛いのです。だから(苦言になりますが我慢してね)、純粋に仕事のために仕事をしている人から見れば、自己保身のために仕事が遅い人に不快感を持つのは当然なのです。
まだまだ続きます。待っていてくださいね。
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この回答へのお礼

>苛められるという恐怖が動機になっているから、間違いがないか何度も確認するという強迫行動をしてしまうのです。それは自己保身です。

苛められるから(陰で文句を言われるから)、
というのが動機になっているとは、自分では気付きませんでした。
契約を切られる、干される、という危機感はいつも持って仕事してきましたが
言い換えれば自己保身に過ぎないのですね。

これは最初の就職先で心がけていた事でもありました。
浪人してやっとつかんだ正社員だった事もあり、
若いうちに新人の内に出来る失敗をしておきたかったし、
アンテナを張って他部署や関連する業務なども把握するようにもしました。
指示待ちではなく、生意気にもならないように、
積極的に業務や周囲の人と関わっていこうともしました。
勿論、業務を覚えたいという思いが第一にありました。
職場事情、所属部署や直属の先輩にも特殊な事情があって、
空回りが多く、"そんなに頑張らなくてもいい"と言われる事もあったのに、
頑張り続けてしまって、結局、弱い立場の自分が全てに負けてしまい
退職に追い込まれてしまったのですが。

それまでの頑張りを全て無にするどころかマイナスにする「退職」は
言うところの「逃げ」でした。
ただ…10年近く経った今でも、最初に出会った先輩の不運もあった
という思いが拭えません。
書ききれないので面と向かって話したい位なのですが、割愛します。

最終的に乗り越えられなかった自分が未熟だったのには違いないのですが、
この何とも言えない、どこにもぶつけられない悔しさは
一生消えないと思います。
この先輩との関係や退職の経緯の悔しさや無念さは、
大きくなる事はあっても消える事はないと思います。
その後、自分の人生を見失ったままなので、
真に完全にこの事実と自分を受け入れない限り、
同じ繰り返しかもしれないという心配が片隅に実はあります…

>純粋に仕事のために仕事をしている人から見れば、自己保身のために仕事が遅い人に不快感を持つのは当然なのです。

嫌がられている・馴染めていないと感じたのは、妄想ではなく
やはり大方、正しく職場の空気を感じ取ってはいたのですね。
ただ、対処が間違っていた。例えば、辞めずに対処するべきだったとか。
私は仕事の為に仕事をしていなかったのかな…
仕事への集中度合いに、周囲への神経使いが影響していたと言う事なのかな…
指摘されると、何となく違いがわかります。
逆の立場だったら、不快感を抱くと思います。
ただ、私は口や態度で威圧せず
いい意味で自己消化して割り切ると思います。
相手を怖がらせる事はしないというか…
怖がったのは自分の意識の問題ではありますが。

人よりすごく慎重で(これも強迫観念の一種?)、
確認確認のし過ぎで逆に進みが遅いと思う事はあります。
間違って結局訂正等でモノが進まないなら、
最初の時点でキッチリ点検をして後に滞る事がない方がいい、という
仕事の進め方も、人より度が過ぎるのかもしれません。
このキッチリさと早さのバランスの取り方が下手なのも
能力の内だとは思っていて…
人並みには仕事も出来ると思っている自分は思い上がりで、
単純作業以上の仕事が実は出来ない人なのかと思ってしまう事も
無きにしも非ずです。

>そしてこれまで「逃げ」という行動を繰り返した結果、巨大化したあなたの強
迫から、本来の自分の人生に戻すのは、相当な痛みを伴います。

最初の就職先での大きな逃げ、自分でも意識がありながらの逃げが、
修復困難にしている事は自覚しています。
逃げる時でさえこの判断は致命傷になると感じていました。
でも、もう色々、本当に色々精神的に限界でした。

今だから言えるのですが、退職せずに(定職を持ち最低限の収入を維持)
退職後の試行錯誤、カウンセリングや自己分析などの読書、等々を
出来ればよかったと思います。
退職せずに出来たかもしれないとも"今は"思うのです。
そういう意味では、退職という選択は、以前にも書いたのですが
「自分で自分を貶める」「自分で貧乏くじをとりにいく」
「自分を大事にできない」自分にとっては、必然だったのかもしれません。

>ご自身でも「気付かされた」とは言いながら、何をどう行動していいのかわからないのでしょうね。

そうかもしれません。だから、就職活動も、同じ活動しかできず、何もかもが同じ繰り返しなのかもしれません。真の行動ができていないのでしょうか。
焦り、絶望感、無力さ、マイナスの感情に支配されています。
助言下さる方に、"せっかくの助言を無にしている"と感じさせるのも
本意ではないだけに辛いです。

『自己創造の原則』の著者、加藤諦三氏(ですよね?)の本は、
読んだ事があります。また長くなってすみません。

お礼日時:2011/01/09 18:13

>場に馴染まないオーラが出ていたのだと思います



>周囲にしわ寄せがいき、迷惑だけでなく、嫌がられるといった気持ちがあり

>距離を近づける、少なくとも職場に馴染んでいきたいという信号を送るようにはしてきました

>馴染めるかという事に神経を遣いすぎている時もあります

>そういう時に限って、仕事より人間関係が大きく左右する現場だった事も

>あと一歩の所でこういう弱点のわずかでも乗り越えられる機会がありました

>それまでの信頼を損ない、乗り越える機会を失いました

>その壁が今でもいつも同じトラウマ・怯えとなって


職場で何があなたを委縮させているかとか、どのように振る舞えば周りと上手く行くかとか、そういったことをこの場でお話しするつもりはありません。
前から言ってますが、それらは本質的な問題とは違うのです。とても重箱の隅をつついていることなのです。

それから、あなたは過去にあった出来事がトラウマになったりと考えているようですが、ある出来事によって人間の人生が変わってしまうわけではありません。というか、ひとつの出来事で人生を変えてしまうのは、自分自身なんです。トラウマというのは、自分がトラウマにしているだけなのですよ。
だから何度も言っているでしょう。環境とか、出来事とか、能力とか、何かのせいにするのではなく、それらのせいにしている自分の内面の方を直しましょう、と。

例の本の中に、こんなことが書いてあります。「人をカテゴリーで見るのを止めましょう」と。
出身地とか、学歴とか、年齢とか、見た目とかで「決めつけない」ということです。決めつけるというのは、強迫です。

強迫についてまだあまり理解されていないようですが、強迫っていうのは、自分が「楽だから」自らそうなっていくものなんですよ。
ガスの元栓を確認して、ホッとしたいからです。過食しても嘔吐して「太らない」と安心したいからです。そしてそれは本当の問題から逃げているだけです。逃げて逃げて繰り返した代替行動が、雪だるまのように大きくなって自分に襲いかかるのに、その雪だるまを自分が作ったとは、本人は思っていないのです。

人をカテゴリーで見る・・・これもあなたが自分が楽になるために、そうしているのです。多分それは、防御反応なのでしょう。過去に自分を攻撃したり、傷つけたりした者たちを振り分けるために。人だけではなく、「この道を通ったら危ない目に遭った」という経験から、その道は通らないようにするでしょう。だからあなたは過去の不幸な経験が多すぎるために、物事をカテゴリーで見る癖があるのです。
問題にぶつかるたびに、「派遣だから」「直接雇用だから」「能力がないから」と何か「形」ある理由をつけてしまうのです。その道を通らなければ、危険を回避できると思っているからです。本当は道に問題があるわけではないのに。。。けれど本当の問題・・・・「自分の本質」は、もう手がつけられないほど修復不可能になっていると思っているからです。そう思わせてしまったのは、強迫によって逃げてきた自分自身のせいです。自ら巨大化させた雪だるまです。

あなたの「40歳は手遅れか」のような質問を最近立てられてましたが、これも完全な強迫ですよね。
「何歳だからこうあらねばならない」とカテゴリーで決めつけていると、人間は誰も幸せになりません。
「これが標準的な40歳」のような規格があるとして、あなたがその標準に当てはまったとしても、あなたは決して満足はしないでしょう。あなたの焦燥感が解決することはないでしょう。

「手遅れかどうか」を質問している、それすらも「確認したい」という強迫なのだと思います。
強迫っていうのは、「形」を求めたがるのです。
私が以前にも書きましたが、「休日は何もしないでボーッとしていてもよし」と思えるようになると、強迫はかなり軽くなりますよ。
世の中には、形のないもの、答のないものの方が多いのです。何にでも形を求め、理由を求め、答を求め、それはパラノイアです。

>私も「臨床心理士」の勉強をしてみたら、No15の助言にあるように原点に返って自分で克服できるようになるのかな…

なりませんよ。心理学という形を求めたら、きっとあなたの強迫はもっと強くなるでしょう。

ただ、私が説明していても説得力がないのはわかっているので、本を早く読んでくださいね。
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この回答へのお礼

>「自分の本質」は、もう手がつけられないほど修復不可能になっていると思っているからです。そう思わせてしまったのは、強迫によって逃げてきた自分自身のせいです。

「逃げからは何も始まらない、傷を深くするだけ、
いつか逃げ場がなくなる」という事は、
これは10代の頃に自分でも分かっていました。
でも、正社員の時、逃げてしまったのです。
それまでも逃げたくても自分なりに踏ん張っていました。
でも、退職のきっかけとなった自分の行動は、
修復不可能なほどの逃げを生みました。

>あなたがその標準に当てはまったとしても、あなたは決して満足はしないでしょう。あなたの焦燥感が解決することはないでしょう。

イマイチ分かりません。
周囲から認められたいと思っているからでしょうか。
自分で自分を認められていないからでしょうか。

「人を好きになるにはまず自分を好きでないと」
「人に受け入れられたければ自分から受け入れないと」と
よく一般的に言われますよね。
自分でも相手に求めるならまず
自分からやっていかないといけないと思います。
そこで行き詰りました。

自分を好きな人間にどうやったらなれるのか。
自分を受け入れる、認めるってどういう事か。
少なくとも私は、自分の事が好きではない気がするのです。
勿論全てを好きになる事は難しいのかもしれませんが、
大切な部分で自分を受け入れられていない気がするのです。

それなら周囲と上手くいかないのも、認められないのも
当然だと省みるようになりました。
尤も、周囲に認められる事は本人の捉え方もあるし、
相思相愛は難しいと思います。
ただ、認められていない、受け入れられていないと、
感じてしまうのは、やはり自分が自分を好きではないから、
という事が関係しているのかなと思うのですが…

『自己創造の絶対ルール』として今は販売されているのですよね?

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/25 16:34

まず取り急ぎ、「自己創造の原則」は日本では絶版となっているようで、本屋にはありません。

ネットで中古が手に入ると思います。あるいは、「自己創造の絶対ルール」とタイトルを変えて発売されてますが、内容も同じかどうかは私はわかりません。
この本を読めば変われる、というものではないのですが、強迫の説明としてはとてもわかりやすいです。


>私のお礼を読むとグッと疲れるとも仰っていたので

以前はね。仕事の質問だという前提で答えてましたから、「ああ言えばこう言う」状態になってましたね。でも今は違います。真の問題は心にあるということを、お互いに認識しているので、疲れるということはありません。

むしろ、それがわかったところから、すべては始まるのでは?

今回の悩みもまさにタイムリーというか、あなたが「強迫」を理解するよいサンプルだと思います。

職場の問題ですが、あなたは入力スピードが遅いせいではないか?と考えているようですが、そうだとしたら、スキルアップすれば解決することですよね?
逆に、仕事が全然できなくてもみんなと仲良くやれる人は、たくさんいますよね?
あなたの職場がたまたま、キツイ人が多いというのもひとつの真実かもしれません。でもあなたはいつも同じことで悩んでませんか?あなたの行くところはいつも、キツイ人ばかりなのでしょうか?

そもそも、なぜあなたは入力が遅いのですか?スキルアップのための努力なんて難しいことではないのに、どうしてそれができないのですか?
・・・・・・それは、あなたが何かを恐れているからでしょう????

何も恐れず、自然体でのびのびとしているなら、仕事で少々失敗して怒られても気にしないし、スキルアップの努力もできるのではないでしょうか。
なのにあなたは、それができない。なぜでしょうか。


あなたの人間関係のスタートが、すでに何かに脅えているからなのです。「私は失敗する」「私は苛められる」「私は笑われる」という前提から始まっているのです。だからそのシナリオ通りの人間関係が具象化するのです。

>分かっていながらいつも自ら掛かっていっている部分があります。

わかります、わかります。私もそうでした。それがシナリオなんですよ。自分を貶めてしか、人と関われないのです。周りはみんな人間で、自分だけが犬みたい。
そしてそういう関係を「決定」しているのは、自分自身なんです。


本を読んでもらえればわかりますが・・・・・

自分自身を創り上げているのは、自分なんです。だから自分を直せるのは、自分しかいないのです。
医者では直せないのです。自分の内側からしか直せません。


そして「強迫」というのは「逃げ」です。
ガスの元栓を確認するとか、郵便ポストにちゃんと入ったか何度も覗きこんだりとか、鍵がかかったかドアノブを何度もガチャガチャしたりとか、不潔恐怖で手を何度も洗ったりとか、タバコ依存やアルコール依存も同じです。
それら強迫行動は、「代替行動」なのです。自分の本当に恐れていることを直視したくないために、代替行為として身につけてしまうものなのです。だから本当に自分が恐れていることを、きちんと見つめましょう、ということなのです。
あなたが自分の内側の問題ではなく、仕事能力の問題だとすり替えようとしているのも、「逃げ」なのですよ。まさに典型的な強迫です。

詳しいことはまた説明します。

少しはこの話に興味を持ってもらえたかな。

あなたは、自分を病人にしないでひとりで頑張るというリスクも背負いながら、だからこそ「自分の内側から」変わるチャンスを手に入れている、ラッキーな人です。

私は「それは鬱病だ」「病院に行け」「薬を飲んだら?」のようなありきたりのことは言いません。回答は出尽くしたなんて言わないで。まだまだ、あなたの知らないことはたくさんありますよ。私だって、あなたの質問に答えようとすることで気付かされ、問題を克服できたということが、実は何度もあるのです。
お互い、もう少し生きてみましょうよ。
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この回答へのお礼

>それは、あなたが何かを恐れているからでしょう????

>あなたの人間関係のスタートが、すでに何かに脅えているからなのです。「私は失敗する」「私は苛められる」「私は笑われる」という前提から始まっているので
す。

今回で言えば、入力を早くする努力はしていたんですが…
それは人よりも席にいる時間を長くして、入力に全神経を集中してだったのです。
そのせいかはわかりませんが、
その席を立つ時間がほとんど昼休憩以外はない自分が、
周囲にとっては堅苦しいのか、
何か場に馴染まないオーラが出ていたのだと思います。
オーラは出ていなかったとしても、
周囲にしわ寄せがいき、迷惑だけでなく、嫌がられるといった気持ちがあり、
内心で人間関係での怯えや心配を抱いているのは
間違っていない気がします。

それだけではもちろんないと思いますし、
この分析が正しいかはわかりません。
ただ、いつも仕事中の周囲とのコミュニケーションの少なさ
or その機会というか話しかけられやすい雰囲気を出せるか否かが
馴染めるか否かの大きなカギになっていると思ってきました。

勿論、私の中ではその気持ちは十二分にあるのですが、
どうしても仕事を覚える事、仕事をこなす事に集中しがちで、
仕事中にお菓子を食べたり、雑談 (?) が苦手なんです。
その分、昼休憩や始業・終業時には、
明るく挨拶、(そういう職場なら) 飴をあげたりと
距離を近づける、少なくとも職場に馴染んでいきたいという信号を
送るようにはしてきました。

でも、過去の失敗や経験がその職場では全く無意味だったり、
仰る通り、仕事が務まるかという事と同じくらい、
馴染めるかという事に神経を遣いすぎている時もあります。

何も考えずにと仕事のことだけ考えて、
人間関係はなるようになれ、1人と思って何も期待せずに入る事もありました。
そういう時に限って、仕事より人間関係
(例えば雑談にどれだけ加われるか、
終業後に食事に誘ってもらえるか否かが重要なカギになっていたり)
が大きく左右する現場だった事もありました。

これは、
正社員の時に、あとほんの少し、あと一歩の所で
こういう弱点のわずかでも乗り越えられる機会がありました。
今思えば、理解者がいました。
20代前半で新卒同然で入ったからという幸運もあったと思います。
でも、精神的に追い詰められて非常識な事をして、
それまでの信頼を損ない、乗り越える機会を失いました。
それでもまだ(たぶんそれまでの私の姿勢を少しは認めてくれてたから)
その失敗を「人のうわさも75日」というか
勇気を持てば、まだやり直すチャンスが残っていたのに、
辞めるしかない、辞めるべきだと更に自分を責め続け、
退職という結局逃げてしまったのです。
その壁が今でもいつも同じトラウマ・怯えとなって
それだけでなく、日ごとその恐怖が増強されて
一方、年齢は食うばかりで、
精神的な強さと同時に、
仕事の能力も求められるものがずっとずっと大きくなるのが当然で、
徐々に追い詰められているのだと思います。

あと、直接怒られない、というのが贅沢かもしれませんが、
本当に深く精神的にやられます。
遠慮されるというのは、さみしいです。一員になれていないという事ですから。

>あなたが自分の内側の問題ではなく、仕事能力の問題だとすり替えようとしているのも、「逃げ」なのですよ。まさに典型的な強迫です。

内側に問題はあると思います。
でも、仕事の能力に問題がないとはまだ思えないです。
本当に頭が悪いというか、学校の勉強しか、
それも自分で本をよんでというより人に解説してもらって
やっと学校のテストをクリアしてきたという感じなんです。
上手く言えないんですが…読解力?がないのかもです。
だから、資料を見て勉強して仕事を覚えたり、
自分で切り開いていく事が苦手です。
誰かに「それで正しい」と確認しないと不安というか自信がもてないんです。
人に確認し過ぎで鬱陶しがられているかもと感じた職場も実はあります。
アシスタントで精一杯なのです。
アシスタントは、人間関係力は重要ですよね。

また長くなってすみません。
私も「臨床心理士」の勉強をしてみたら、No15の助言にあるように
原点に返って自分で克服できるようになるのかな…

また本当にお願いします。
また仕事探しです。
どういう目的を持って活動していいのか、もう混乱して怖くて放心状態です。

お礼日時:2010/12/16 19:44

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