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現在の日本人って宗教に対して無関心ですよね?
って僕もそのうちの1人ですけれど、学校では、日本人の宗教に対する無関心さは、江戸時代、明治時代の政策のせいだと習いました。
その細かいことは省きますが、日本人特有の「あいまいさ」も今の日本の宗教に対する態度について関係してはいないでしょうか?

日本人の宗教への態度 と あいまいさ
これについて皆さんの意見を聞いていみたいです。

A 回答 (15件中11~15件)

 日本人のあいまいさというのは、ハッキリした態度をとらないということでしょうか?もしそうだとすれば、「日本人は態度がハッキリしないから、○○教です、という態度を明らかにしないのでは?」という質問ということですね?


 日本人が宗教に無関心かはムズカシイですね。なんてったって、「神の国、日本」を信仰して戦争までおこしてますから。もし、転換期があったのだとすれば、GHQの管理体制じゃないかなあ。

 日本が宗教にあまり関心がなさそうに見えるのは、やはり、宗教が輸入物で、日本人は本来精霊信仰をしていたことにかかわりがあるのでは、と思います。
 精霊信仰は手短に言えば何にでも魂がある、という奴で、私は机にぶつかったら机に謝ったり時々するし(笑)、ロボットを家族のように可愛がれるのは日本人だけだ、という話を聞いたこともあります。

 この精霊信仰(多神教)は、農耕民族が多いそうで、あらゆる自然現象は精霊が操っていると考える。逆に、一神教は、狩猟民族に多く、あらゆる自然現象は、普通の人間では出来ないから、きっとスゴイ神様が一人で起こしているに違いない、と考える・・という話を聞いたことがあります。
 日本人の曖昧さは、狩猟民族と違い、農耕民族では、気に入らない相手とケンカをしても財産全部まとめて出て行くわけにはいかない(畑は持ち運べないので)から、なるべく周りと穏健に、ぎすぎすしないように本心をあからさまに表現しなくなったのではないか、という話があるので、

 あいまいさが無関心を引き起こすというよりも、日本人の「あいまいさ」と「宗教的無関心」は原因を同じくした問題なのではないでしょうか?

 聞いた話の寄せ集めみたいになってしまいましたが、私はこう考えています。
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補足説明ありがとうございました。


ご質問の意味と意図が理解できたように思います。

まず、外国との比較、ということですが、
これは不要でしょう。宗教に対する態度、
というのは、その国だけで検討できる内容
だと思います。ほかと比べてこうだから、
こうしたほうがいい、というような内容で
もないでしょうから。なお、「国」という
言葉をつかいましたが、厳密には「民族」
というべきでしょうね。

次に「無関心」ということですが、これは
確かにそうでしょう。宗教というか、信仰
に対しての関心がないのですね。
平成3年発行のものなので、現在入手不可能
と思われますが、
日本「宗教」総覧
という本があります(新人物往来社)。
ここに、上智大学の安齋伸教授の文章
「教壇あって信仰なき日本」というものが
ありますが、これによると

・平成2年の文化庁刊行宗教年鑑によると
 宗教団体に属する信者数の総計が2億人
 をこえている
・これは、同一人が神社の氏子、お寺の檀家
 と複数でカウントされているため
・日本人は現実主義で死後の霊界の存在に
 半信半疑で、現世利益を好むものの多くは
 それを自力で獲得しようとしており、
 苦しいときの神頼みの心情はあっても
 日ごろ宗教の教えを研究し、これを人生に
 活かすという考えは持たないようである。

とのことです。
 安齋先生のお考えは非常に説得力のある
ことかと思っています。

 最後に、あいまいさ、ですが、これは
このような無関心な態度からでていること
でしょう。つまり、関心がないから、あいまい
な態度をとる、っていうことですね。
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こんにちは。



きちんと定義するなら、ある教団・教派に属し、その教義を心から信じ、日常的に
熱心な宗教的活動を行い、その特定宗教を心の糧としている、……という意味での
信仰を持つ日本人は極めて少数派だと思います。それを指してkorochinさんが
>現在の日本人って宗教に対して無関心ですよね?
というのは当然の指摘だと思います。

それを理解するには 江戸時代、明治時代の政策ではなく、日本人の歴史的ルーツを
考える必要があるかと思います。そもそも日本人は古事記のアマテラスやスサノオを
見てもわかる通り、神を唯一の絶対者ではなく、人格を持った複数の実体、として
とらえています。つまり「汎神論」です。神はそこかしこにいる存在であり、
大自然や人知を超えた存在はすべて神である、と。その発想は八百万の神として
現代でも神道に脈々と受け継がれています。そして後発の仏教は、人間には仏性があり、それを磨くことにより仏陀、すなわち人間を
超えた存在に近づくことができると言います。つまり、「おばあちゃんも死んだら
仏になる」わけです。これらを見ると唯一神を信じる欧米やイスラム圏との
違いがよくわかります。

つまり、日本人にとって神(もしくは神的存在)とは、人間を支配したり、命令を
与える存在ではなく、対立軸を持たない自然や生活の延長線上にあるわけです。

この「汎神論」的な感覚が、自分の家に仏壇があり、神棚もあり、クリスマスも
お祝いする、できる感覚でもあるわけです。日本人の平均的感覚からいけば、
キリスト教の神もまた、神々のうちの一人でもかまわないわけです。

神は唯一であり、人間に啓示を与えた、とするキリスト教やイスラムでは
考えられないことでしょうね。しかしながら広い意味での宗教心、ということでは、
汎神論的な人知を超えたものへの畏怖として、日本人は宗教心を持っている
ことにもなります。日本人は宗教に無関心なのではなく、言い換えれば
「総合性に富んでいる」ということでもありましょう。それがいいことか悪いことかは
別の議論です。

ちなみに私はカトリックです。
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回答にはなっていませんが、次のことを


検討していただくと、答えに近づくと
思います。

1.「日本人」とはだれを指しますか?
 今現在生きている日本人全部ですか?
 それとも、ある年代を境に分けますか?
私は今40歳ですが、私より上の世代は、
宗教的な関心をある程度を持っていると
思います。

2.「無関心」とはどのようなことですか?
 特定の宗教に信仰を持たない、という
ことをさしているのでしょうか?
 日本人は(少なくとも大正、昭和では)
特定の宗教を信仰していなくても、正月
は初詣(神社)、4月の花祭り(お寺)、
12月にはクリスマス、と宗教的な行事
を通して、宗教に「関心」を示してきた
と認識しています。
 確かに、ここ20年の学校教育では、
宗教的要素を排除していっているのでは、
と思いますが。

3.「あいまいさ」とはなんでしょうか?
 これも、「特定の宗教を持とうとしない」
ということをさしているのでしょうか?
 だったら、現在の欧米人だって、
キリスト教徒だということは、日本人が
仏式で葬式を行う程度のこと(その程度
の信仰心、という意味)だととらえること
もできますよ。

この回答への補足

説明が足りなくてすいませんでした。

まず1についてですが、日本人全体を指します。
持っている人も当然いますが、「全体から見ると」、「ほとんどの日本人は」ってことです。かなりあいまいですが。
外国の人からみたら日本人は・・・って感じですかね。

では2について。
「無関心」とは、おっしゃるとおり宗教に対して信仰を持っていないことも含みます。それだけではなくて「宗教」と言っただけだけで宗教を拒否する傾向があったり、確かにクリスマス等の行事的なことは日本でも親しまれていますが、しかしキリスト教自体に興味を持っているひとは多くはないと思います。でも僕の言った無関心=宗教に対して信仰を持っていない 各宗教に対して正しい理解を持っていない と思ってくれていいと思います。(各宗教に対して正しい理解を持っていない たとえばイスラム教とキリスト教の仲が悪いのはお互いの神をめぐっての争いだと思っている人が実際多いらしいです。)

では3について「あいまいさ」=「特定の宗教を持とうとしない」ということではありません。
「あいまいさ」はその言葉そのままの意味です。
そのあいまいさが、特定の宗教を持とうとしなかったり、たとえば生まれ変わりをどこかで信じつつも、天国や極楽浄土みたいなこともどこかで信じる、と言った宗教態度を作り出しているのではないか、少なからずとも関係しているのではないかなと考えたからです。

まだ浅い経験と知識しかもっていないので、変な意見を言っているかもしれませんがそれはお許しください。



上の世代の方々のことはあまり分からなかったのですが、学校の教授の言葉をそのまま借りて言ってみました。年配の方ほど宗教には関心があるというのはなんとなくわかりますけど、ほかの国と比べたらって感じ

補足日時:2003/08/17 13:49
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この回答へのお礼

すいません 補足要求の欄の最後に2行

上の世代の方々のことはあまり分からなかったのですが、学校の教授の言葉をそのまま借りて言ってみました。年配の方ほど宗教には関心があるというのはなんとなくわかりますけど、ほかの国と比べたらって感じ

は消し忘れです。

お礼日時:2003/08/17 14:20

日本人は信仰する宗教が1つにまとまってないのですね。

創価学会だけですね。まとまってるのは。例えば、「我が家は真言宗だ」といいながら天台宗のお寺に行ったり、初詣には神社をお参りしたり、クリスマスには教会へ行ったり、結婚式は教会であげるといったことです。真言宗は仏、天台宗も仏だがお経の内容が違う。神社は神で仏とは別。それをなぜか神仏集合なんていうようになったのだ。四国88カ所のお寺の中に鳥居があったりするところもある。僕も宗教には関心が低いが、昔、88カ所参りやお寺参りをして不思議に思ってた。
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この回答へのお礼

>四国88カ所のお寺の中に鳥居があったりするところもある。

え、そうなんですか?!
初耳です・・・ほんと不思議ですね

お礼日時:2003/08/17 14:17

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