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稲生の戦いは、兵力の面からみると圧倒的に信長方が不利だったと思います。それなのに、どうして信長方が勝利する結果となったのでしょうか?
考えられる勝因を教えてください。

A 回答 (1件)

詳細が分かる資料がないので、その真実は永遠の謎ですが、いくつか推測はできると思います。



長篠合戦で巷間いわれる鉄砲三段撃ち伝説など奇策を用いるイメージがある信長ですが、実は案外に軍事の原則に忠実でオーソドックスな作戦をとる人です。
信長の戦術の優れた点は「戦力を集中している」ということです。決戦地にはできるだけ多くの戦力を集中していますし、それができないときは徹底的に決戦を回避しています。後年、武田家と対立したときは信玄とは徹底的に決戦を回避しました。勝利への確信がなかったからだと思います。長篠合戦のときは武田勝頼に対してほぼ三倍の戦力を用意しています。
また独裁者である信長は独裁者ゆえの長所も持っています。それは実に決断力が優れていることです。桶狭間合戦では、ここが勝負と見るや果敢に出撃していますし、朝倉軍との戦いではもたもたする家臣を差し置いて自ら追撃を行い朝倉軍に再起不可能なほどの打撃を与えています。
しかしその一方、決して無理はしない賢さも持っています。後に天下人になった秀吉が、猛将であった蒲生氏郷と織田信長が合戦をしたらどっちが勝つと思う?と家臣に聞いた話が残っています。それによると秀吉は信長が勝つと語ったということです。曰く、双方一万の軍勢でうち九千の兵が死んだとしても、残り一千の中に信長は必ずいるだろうが(常に合戦の先頭に立っていた)氏郷は死んだ九千の中に必ずいるからだ、だそうです。そういう指揮をする人だということを秀吉はよく知っていたのでしょう。

一方の織田信行の人となりは分からないことも多いですが、様々なエピソードから想像するにエキセントリックな兄と違い穏やかで常識人であったようですが、その反面信長のような優れたリーダーシップは持ち合わせていなかったのかもしれません。部下としてはやりやすかったので担がれたのかもしれないですね。
また寡兵よく大軍を打ち破ったときには、ほとんどの場合大軍側のほうは最初から勝ったものと気が緩んでいるものです。その典型がミッドウェー海戦ですね。
信行軍は数が多かったものの、もしかしたら多すぎて信行が全軍をコントロールできなかったのかもしれませんね。「無駄に人が多い割に仕切りが悪くて仕事が滞る」って、よくある話なんです。

そこから推察すると、大軍であった信行軍はもはや合戦は勝ったものという気の緩みが考えられたこと、そしてそういった場合は得てして「死んだら元も子もない」と尻馬に乗って参加する連中が多いのでやる気がない奴が多く参加していた可能性があったこと、信長軍は決戦地に相対的に兵力を集中したこと、また信長自身の優れた判断があったと考えられることが挙げられると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
m(__)m

油断禁物とはこのことですね…

お礼日時:2010/12/06 07:41

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