これ何て呼びますか

 宗教を信仰している人に聞きたいんですけど、何がハマったポイントでしょうか?

 私の近所には宗教施設があり、興味があるので見学しようかなぁと思っています。
 しかし、以前にも見学させてもらいましたが、どうも続ける気には慣れそうにありません。

 だって、毎週通ったりが面倒なんですもん・・・
 確信がないとむずかしいなぁと思っているんですが、皆さんはどういうポイントがハマったツボでしたか?

 先日、キリスト系の宣教師さんと出会いまして、一人はアメリカからこちらに来て、一人は広島からこちらに宣教師としての命を受けて派遣されたそうです。いちいち、海外や別地域に来るなんて、。めんどくさくないんですかね?
 どちらもまだ若く立派だなぁとも思ったんですが

A 回答 (14件中11~14件)

ユダヤ教、イスラム教、キリスト教ってのは実はみな親戚で「アブラハムの宗教」と呼ばれる一派なんです。

この一族の共通項は、家のかみさん、じゃなかった「ウチの神さま」だけを信じよ!「他の神は信じるな!」と強制するところですね。だから一族のくせして親族争いじゃなかった、宗教戦争を始めてしまう。

それとは別の流れに、お釈迦様(ガウダマ・シダールタ)というインド人に端を発した仏教があります。仏教は紙を信じろなどと言わず、お釈迦さんという人があー言った、こー言った、で、君はどう考えますか?みたいなとこがあります。これは「信じよ」に対して、「考えよ」ですから、宗教というより哲学に近いのかもしれません。

お釈迦様自身が若い時には各地を放浪し、厳しい修行をしたらしいのですが、中年になって、そんなこと辞めてしまった人です。木陰に寝転んでいろんな話を聞かせるオジイサンになって、その話を聞いた弟子たちが勝手に解釈した部分も織り込んで各種の仏典を残した。だから、いろいろなバージョンが入り乱れている。でも、ひとつの事を信じろと言ってるわけでは無くて、どれもが自分で考えろというところが共通しているのでノープロブレム。

仏教は宗教のひとつに数えれられているけど、仏教は「信仰する」というよりも、「勉強する」、「考える」ところに軸があるので、アブラハムの宗教一派とはだいぶ異なりますね。仏教は「仏の教え」ですから、紙が要らない、モトイ、神が要らない。

仏教の大元のお釈迦様はインド人だし、一時期、中国で大流行したのですが、今は日本の方が仏教の研究も、仏教の寺院も多いみたい。それから、日本と同様に、歴史上一度も西洋人の植民地になったことがないタイ王国でも仏教が盛んですね。
タイと日本はそれぞれが仏教国で、国王/天皇をもった立憲君主制という共通項があります。

西洋人に感化され、一部の国では言葉まで西洋の言葉で洗脳され、おまけでキリスト教やイスラム教の信者数が多いアジアの国がありますが、日本とタイはかろうじて、欧米化、欧米か?から独立を保っていますよ。

モルモン教とか、統一教会などアブラハムの宗教ばかりじゃなてく、一度、お釈迦様のお話を勉強してみるのも思い白いと思いますよ。木陰に寝転んで勉強するのが良いようですね。
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この回答へのお礼

宗教について
よくご存知なんですね
キリスト教でも多々宗派があるのも疑問だったのに
元々他の宗教も同じだったなんて

お礼日時:2011/02/11 03:08

せっかく日本にいて


何にも縛られずにいるんだから
いろんな宗教のいいとこどりしたら
どうですか?
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この回答へのお礼

いいとこどりというか、
私の場合は「へー」って見ただけで
あとは家でゴロゴロって感じなんですけどね

教わった事もさっぱり忘れてしまってますww

お礼日時:2011/02/11 00:52

プロテスタントのクリスチャンで、モルモン教、エホバの証人、統一教会とは関係ございません。



聖書の中に「-主の御告げ。-それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ書29章10、11節)。」という箇所があります。神はあなたに計画を持っている、それは将来と希望と平安を与える計画であるということです。

つまりクリスチャンとして毎日生活し、教会に毎週出席し、それを生涯続けるというのはたしか理屈から考えると割に合わないものと思われます。しかしもしイエスキリストを信じて生きることが歓喜に溢れた生活であったならば、むしろそれを失いたくないと思うのではないでしょうか。イエスキリストを信じる以外のことは必要ではありません。いわゆる一般の方が宗教という言葉とともにイメージする儀式や教えなどを守る必要はありません。ただし教えに関しては守っている方があなたにとってより幸いなことであれば守って行くのではないでしょうか。罪に満ちた生活をして心が死んだようになるよりも、罪を犯さずに平安でスッキリした生活のほうが楽しいので私は罪の生活を目標にしなくなりました。酒もタバコもこのようなものに振り回される自分にあいそをつかしながら生きることよりもそれを捨ててしまったことにより爽快な気分でいるのがはるかに楽しいことなので、辞めてしまいました。

キリストを信じること以外は重要ではありません。むしろキリストを信じないでなにかよい子になろうとするとそれは偽善に近い感情に襲われるはずです。イエスキリストが与える喜びの人生があるからその他の道から足を洗うというのが正しい手順と思いまいす。

最初に述べましたようにあなたのために用意された将来と希望と平安の道がキリストイエスを信じることのなかにあったということだと思います。今後も継続的に教会に通われますようお願い申し上げます。
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この回答へのお礼

私の近所にあるキリスト教系は
エホバ・モルモン
なんですよね

エホバ・モルモンってよくない噂を聞くことがありませんかね?
思い込みでしょうか

しかし、やはり神の存在を信じてらっしゃるんですね
私も数回祈りを捧げるようなことを体験させてもらったんですけど、やはり信仰を続けようとは思いませんでした・・
経験談ありがとうございます。

お礼日時:2011/02/11 00:51

宗教って結局「思い込み」と「現実逃避」だと思います。



あなたが始めるにしても、良い部分を吸収しよう!という心構えに止めておいて、のめり込むのは逆にマイナスです。


ユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教とか誰が言い出したんでしょうか(笑)
元々は同じ神を信仰していたハズなのに、結局は争っていますよね?馬鹿らしい。
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この回答へのお礼

やっぱりそうなっちゃいますかね
でも、宣教師さんの外国人の青年は無料で英語を教えてたりとか
「すげーなー」って感じなんですよね
確かに、深入りしないように社会見学として交流しようと思います。

お礼日時:2011/02/11 00:47

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